第10話 サイレントナイトが叫んでる
日比谷はカップルでごった返していた。
それはそうだ。1986年と言えばバブル。そしてこの日は年に一度の消費物欲、おまけに性欲大解放の日である。
赤坂プリンスやホテルニューオータニがカップルで埋まった時代である。
パートナーとメインダイニングの『ラ・トゥール・ジャルダン』で名物の鴨を食べ、もしくはホテルの部屋でルームサービスをとってプチパーティーを行い、翌日チェックアウト後に入室したお掃除係に、あまりの『兵どもが夢の後』な散らかり具合をうんざりされる。
それが「聖夜のカースト制度」勝者の過ごし方だったのだ。
日比谷と言えば内幸町の帝国ホテルもほど近い。
帝国劇場や日生劇場、みゆき座やシャンテ・シネのあるこの界隈の、仲睦まじく寄り添いテンションぶち上がっているカップルの何割かは、背伸びしてとったそれらのホテルに移動するのだろう。
しかし私と、横にいる人はあり得ない。
それらカップルの熱とは無縁の、マニアックな観客しかいないフロアのスクリーンで、私とつねさんは並んで映画を見た。
お約束で、ポップコーンとコーラの一番小さなサイズを摂取しつつ、黙々と煮え切らない(生意気な言い方を許していただきたい。原作があまりに名作過ぎるのだ) アニメーション映画を見ていた。
手塚治虫マンガの気合の入った映像化となると、手塚氏の脚フェチが遺憾なく発揮された新版アトム、杉野・出崎コンビの素晴らしい「ブラックジャック」くらいしかポジティブに思い出せない。満足できる作品の方が少ない。手塚御大御自ら手掛けたものもマンガにはるかに及ばない出来だったりする。
仕方がないのだ。マンガの完成度が高すぎる。作者本人も乗り越えられないほどに。
もう一本の眉村卓原作のタイムトラベル物映画「時空の旅人」も、あまりぱっとしなかったという事だけしか記憶に残っていない。
脚本が大和屋竺、監督が真崎守、キャラクター設定が萩尾望都という贅沢な布陣だったのだが…
映画二本が終わり、館内が点灯した時、その観客の少なさに寂しくなったのを覚えている。公開からまだ一週間経っていなかったのに。
パラパラと入っているお客さんが無言でさっさと立って退館していく。その厳しい後ろ姿が胸痛かった。そして『何かの間違いであっても強制的に二人でいられた時間』が終わってしまったのを感じた。
「さ、出よか」
つねさんの冷静な声を聴きながら、この映画館のフロアに出たら、現実の世界でしかないんだなと寂しくなった。
映画が終わる。舞台が終わる。目の前で一つの世界が終わり、どんなに深刻な世界が繰り広げられていても、どんなに哀切に舞台やスクリーンで死んでいったとしても、役者がカーテンコールで手を繋いで登場しお辞儀をする。映画の声優やスタッフのロールは、それが多くの人の手で生み出された人口の世界だと突き付けてくる。
オタクは「お気に入りの世界の終わり」を突き付けられても、それでもまだ夢を自分の周りに張り巡らせ、架空の世界に入れるのだ。
だが、恋愛は違う。男女は違う。
イルミの眩しい日比谷シャンテ前の広場は、行き交うカップルの熱気は満ちていたが、空気は冷たかった。
「じゃ、どうする?」
つねさんの声はフラットだった。感情を押さえている、という微妙な起伏もなかった。
「ご飯食べに…とかは」
「……」
「ないよね」
せめてお茶して映画の感想を語り合いたいなあと思ったが、語るにも微妙なラインナップだったなと思い出し、私は言葉を飲んだ。
「うん。あのね」
「はい」
「学祭の打ち上げの時さ、俺南さんにくっついて、クリスマスに映画行こうって言ったじゃん」
「うん」
だからこうして来たんだよ、阿呆。
「そん時俺、酔ってたんだ。だから」
「酒が言わせたこのセリフ、てわけだ」
「うんそう」
ふーざーけーんーなー!
「なんとなくわかってた」
私も出来るだけフラットな声を出そうと努めた。そして分かった。私は演技ができない。物わかりのいい女の演技は、今はハードルが高すぎる。
ふーざーけーんーなー!
「うん。ごめんね」
「いいよ。じゃこの買っちゃったプレゼントだけ受け取ってくれる?」
「あ、でもそれはまずくない?」
「持ち帰ってもこっちが困るし、後でどう処理しようとそっちの勝手だから、ひとまず受け取って」
「あ、ああ。わかった」
私は地味なプレゼントの包みを鞄から出して、渡した。
日比谷の高層ビルを渡る風は冷たかった。そして私には熱気もないから尚更寒いのだ。
「じゃまた学校で」
「もうあんまり逢わないけどね。部活も卒業だし」
どこまでも理屈っぽい男だ。1年の時からそうだった。旦那や他の全力で馬鹿をやって笑っているメンバーを冷ややかな視線で見て、時々突っ込みを入れていた。それがクールに見えた時期もあった。
「メリークリスマス」
「メリ-クリスマス。気を付けて」
つねさんは持て余すようにプレゼントの包みを手で掴み、さっさとビル街に消えて行った。日比谷に沢山ある地下鉄の入口のどこかに降りて行くのだろう。
私はしばらくその場に立っていた。
カップルだらけの日比谷。一人で呆然と立っている女。痛過ぎるシチュエーションだ。
周りのカップルが「…うわあ、振られたんだ」という目で見ていく。
そんな気がする。
そしてそれは多分「そんな気」ではない。
数分間、どっちに向かっていいのか分からなくなったので、足が動かなかった。
だが歩き出した。
つねさんが下りて行った地下街の地下鉄から乗るのが一番手っ取り早いのだが、そこは通りたくなかった。彼が私の知らない本命と待ち合わせしていないと、誰が言えようか。
私は日比谷の交差点から内幸町、丸の内に向かってとぼとぼと歩きだした。
有楽町ではなく、東京駅まで歩こうと思った。そこから丸ノ内線に乗り、女子寮に帰るつもりになったのだ。
なんて可哀想なんだ。1回どやしつけてから抱きしめてやりたいぞ、1986年の私。
皇居のお堀に沿った道は、第一生命ビルや有楽町スバル座、帝国ホテル、その他この日がかき入れ時の商業施設から出て来た幸せそうな人々で、適度に混んでいた。
その中を私はダッフルコートのポケットに手を突っ込んで歩いた。俯いていたら人にぶつかって危険だ。背筋を伸ばし、頭を上げて歩いた。
すれ違う人、カップルたちは私を見てギョッとなったり、慌てて目をそらしたりした。
真冬の風が頬に冷たかったから、私は泣いていたのだと思う。
だが可哀想だなどと思ってはいけない。
私は気付いていながらわざと涙をぬぐわなかったのだから。
クリスマスに浮かれたカップルたち、くらえ。
クリスマスにふられた(それ以前だけど) 女の涙爆弾を。
泣き女テロである。
性格わるっ
自意識過剰もいい加減にしろとぶん殴ってやりたいぜ、1986年の自分。
クリスマスの夜の丸ノ内線は、時間が中途半端という事もあってガラガラだった。
カップルが帰途につくには早く、残業しているサラリーマンが怪気炎を上げながら乗り込むにも早かった。
私は頬の涙の痕がバリバリに乾いていくのを感じながら、黙ってシートに座っていた。
本郷はクリスマスの熱気とは関係ない。東大正門の近くの6丁目はなおさら無縁だ。
「ただいま」
「伽耶ちゃんどうしたなやー、早いどれ」
山形市組の数人が、ジャージにちゃんちゃんこ姿でテレビを見ながら、食堂に居た。
「ふられた」
私はルームメイトたちに話した。
彼女たちは怒り、つねさんは呪われろと口々に言った。
いや、彼はそこまで外道なことはしていない。非常識だけだ。
初めにちゃんと言わなかっただけだ。
急遽『クリスマスに一人でいて何が悪いの会』が寮の食堂で催され、シャンメリーで気勢を上げる女子大生たちであった。
テレビ解放の時間が過ぎて、食堂が消灯になったあと、私は寮階段の公衆電話に目を留めた。
電話不可の時間には、まだ少しある。
私は十円玉をかき集め、電話をかけた。旦那の自宅である。
ツーコールくらいで受話器が取られた。旦那の能天気な声がした。
「今ね、大杉やがっきーたちとピープロ特撮一挙上映会やってるんだ。南さんも来ない?」
「行きたいけど門限あるから」
「駄目なの?楽しいよ」
旦那の背後から酔っぱらった後輩たちの、南さん来てー、一緒に飲みましょうーの声が聞こえる。
旦那は下戸だが酔っ払いに合わせる事は何でもなくできるのだ。
「うん。流石にこれから外出はまずいから、やめとくわ」
「わかった。じゃまた何かあったら誘うね。良いお年をー」
クリスマスを通り越して、旦那の脳内はもう年越しなのだ。
この時何故旦那に電話をしようと思ったのかはわからない。
きっと奴なら通常運転で、変わらずあっかるいと思ったからだろうか。
楽しそうだな、愛されてんなー、と感じた。
彼は二面性とかない、そのまんまで生きているタイプなんだな、と思った。
この時だと思う。将来の旦那になるこの人の存在を、きちんと認識したのは。
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