第7話 ニコタマランナウェイ
キコキコキコ
音がしそうなほどに白い自転車を漕ぎながら、警官は土手を走ってきた。
「これはまずくないですか」
私の問いに旦那は怪人お面を外さずに答えた。
「いやあ、我々じゃなくて他のとこに行くのかもしれないし」
君、そんな怪しい格好して、よく希望的観測が出来るな。
黒のダイビングスーツの全身に、貼り付けた豆電球をちかちか光らせ、『謎の中国人』の中華街のお面にプロレスラー用の覆面。
周囲に呆然と佇む戦闘員たちも、黒ジャージに黒タイツ、黒ゴミ袋に、謎の「水木しげる調の」お面である。
これを無視して他所に行ったとしたら、それはそれで立派なスルー能力である。
キコキコ…キキーッ
自転車のおまわりさんはハンドルを回し、ブレーキを掛けながら土手を下りてきた。戦闘員が転がるほど急な勾配なので、途中から自転車を降り、注意深く歩きながら、身体は我々の集団に向いている。
あらーと見つめていると目が合った。笑っていない。これはいよいよ超ピンチでは?
「あー君たち、ここで何やってるの?」
お父さん世代のおまわりさんが、とっても面倒くさそうに話しかけてきた。物腰は柔かいし優しそうだ。
「学園祭の出し物の撮影です。仮面ライダーのパロディ作品です」
カメラマンのつねちゃんがさっと前に出た。
「仮面ライダーねえ。僕も子供が小さい時よく見てたよ。変身するやつ?」
おまわりさんの口許が若干上がった。いいぞいいぞ。
「はい。それです。土手で怪人と戦ったり、ヒロインの野外ステージが襲撃されたりを撮っていました」
「ヒロインっておたくさん?」
おまわりさんが私を見た。
どこの世界に髪をバンダナで覆い、草や泥で汚れたジーパンに、トレーナーの袖を肘までまくり上げ、すっぴんに汗まみれでメイク道具を抱えたヒロインが居ようか。
「いえ違います。私はメイク係で、ヒロインは今お手洗いに行ってますー」
私は緊張した中で必死に笑顔を作った。
「俺らが怪人です。全員大学生です。怪しいものではありません」
あああ、隠れててよお。
よせばいいのに仮面をつけ、黒ゴミ袋をまとった旦那と戦闘員軍団がずいっと前に出て来た。
怪しいわー。絶対逆効果だわー。
「僕から見ると少し怪しいんだけど、少しだけだけどね」
おまわりさんはぷっと吹きながら黒の軍団と、ヘルメットに触角を付けた「仮面ライター」を眺めまわした。
いいんですよ。笑ってくれても。むしろ本望ですから。
「あのね、変な集団が土手で乱闘して騒いでいるって、近隣住民から通報があってね。様子を見に来たんですよ」
「はい」
「個人的には楽しそうでいいじゃないかと思うんだけど、一応通報があったから、注意しないといけない。それに、意外と君たちの叫び声響いてるからね、遠くまで」
「はい。すみませんでした」
「いいんじゃないか、と思うのはあくまで僕の主観で、警察としてはきちんと対処しなきゃいけないから、そこのとこ誤解しないでほしい。速やかに撤収して、退き上げなさいね。そしたら問題ないから」
「ありがとうございます。すみませんでした」
「通報されちゃってるから一応対処しないといけないわけだよ。上に話が行くと厄介だから、今のうちに帰りなさい」
ああよかった。親切で面倒くさがりのおまわりさんで。
そうだよなあ。もっと早く撮影切り上げる予定が、熱が入りすぎて時間オーバーしてしまったのがいけない。それで人が出てくる時間帯までかかってしまったのだ。
怪人、ライター、ヘアメイクにカメラマン、黒の雑兵たちは揃ってペコペコ頭を下げた。
「そうだ。おたくさん達の学校はどこ?」
「学校ですか」
「あの・・・もしかして学校に話いっちゃうんですか」
能天気な怪人・戦闘員軍団もお面の顔を曇らせた。
仮面ライダーは仮面の下に悲しみや涙や、ありとあらゆる感情を隠して戦うものだが、この時の旦那扮する怪人、後輩たち扮する戦闘員たちは、ふざけたお面の下の感情を見事に全身で表現していた。
今思えば素晴らしい。周囲が岩船山に見えてくる瞬間だ。
「…K大です」
カメラマンのつねちゃんが答えた。
「K大って、K◎館?」
柔道の強いその大学は、略称で言うとよく間違えられる。おまけにニコタマと同じ世田谷区内にあるので、玉川署的にはそちらの方が最初に思いつくのかもしれない。
「そうです。私達はK◎館大学の映像研究会です」
何か言い返そうとするつねちゃんや旦那たちを背中の圧で押さえ、私は笑顔で答えた。
「ああそうなんだ。僕もそこのОBなんだよ。変わらないねえ、そういうのが好きな校風は」
おまわりさんはまんまと騙されたようだ。ありがとう。善良な市民を守る、善良なおまわりさん。
そして、ごめんねK大。ほんとに申し訳ないが、お名前の力お借りします。
「じゃさっさと急いで撤収するんだよー。次にまた通報があったら今度は交番の自分達じゃなくて、本署からパトカーが来ちゃうから」
「はい。すみませんでした」
おまわりさんは、気をつけて帰るんだよー、と一声残し、来た時と同じようにキコキコと自転車を漕いで去って行った。
撤収ー。各人小道具もゴミも残さないように撤収して、大学に戻れ。
電車組は出来るだけ早く、車組は来た時と同じ車に乗ってー。
メインスタッフ達の声が響く。戦闘員も怪人も、ヒロインも、皆わたわたと小道具や備品を車に積み込み、土手を元通りに修復していく。
私だけが電車組なので、紙テープや養生テープ、おにぎりやサンドイッチのごみを集めて、コンビニ袋に詰めた。思ったより出ていない。
「南さんも乗ってく?」
お面をとった旦那が声をかけたが、ダイバースーツに電飾を付けたままだ。
「ううん、電車で大学に戻るわ。途中のコンビニでゴミ捨てて飲み物買っていくから」
「でも疲れない?」
「いいよ大丈夫。ちゃんと行くから」
「じゃ大丈夫だね」
旦那の車はさっさと発進した。二台目の、カメラ機材を満載したつねちゃんの車は、「気を付けて」の敬礼と共に去って行った。
「さてと…」
私は私物とゴミの袋を持って、土手を歩き、ニコタマ駅に向かった。いつの間にかギャラリーはいなくなっていた。
土手を越えたところにあるコンビニで自分のお菓子と飲み物を買い、カフェオレでホッと一息ついた。
「土手で撮影してた子達?」
「はい」
「楽しそうだったねえ。学生さん?」
「そうです。大変だけど楽しいです。ご迷惑おかけしました」
「こっちは全然。若いうちにいろいろやるのはいいことだよ」
暇な時間帯なのか、オーナーのおばちゃんが笑顔で語りかけてきた。そのコンビニも今は再開発で消えた。
私はごみを捨てさせてもらって、電車で渋谷の大学まで帰った。
(さて、次話は作品の仕上げと完成、そして上映だ。続くっ)
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