4・魔法使いと堅牢の壁

「ここを出るのに、何か方法ないの……?」

「それは……ちょっと難しいんだよね」

 北寺は困ったようにぽつりと言う。

「外部の人間が操作しない限り、この世界から遮断されることはない」

 外部の人、といえば電卓ということだが、電卓はもう律歌の前に二度と現れるつもりがないといっていた。

 ここは仮想空間だ。つまり、ゲームの中のようなもの。ゲームの中の存在は、コントローラーや実際の脳といった外部はもちろん、この世界の内部のプログラムにさえアクセスすることは普通できないし、その必要性もないだろう。

「バグとかないの?」

「……たしかに、基地局作って本来なら繋がらないはずの通信を実現したり、座標がМAX値を超えたときなんかに、運営側の予期せぬ事態――つまりバグが起きて添田さんがすっ飛んできたわけだけど」

「そんな風になにか利用して、外へ出られないかしら?」

 そう言って律歌が振り返ると、北寺は観念したように、横に来てくれた。

「うーん……。でも、「中」で不可思議なことが起きてしまうバグと、「ログアウトする」というプログラムを実行するのは、根本的に違うんじゃないかな。だって、ゲームの中のキャラクターが、自分を含め世界を構成しているゲームプログラムを改竄するなんて、次元的に不可能だろう」

「う……ん?」

 北寺により詳しい説明を求めて、律歌は首を傾げる。

「ほら、現実世界を造った神様が本当にいるのかは知らないけど、現実世界は現実世界のルールに従って流れているだろう。物理原則があって、人それぞれ性格があって。それを誰かが念じたからといって、捻じ曲げられたりはしないよね?」

「そうだけど」

「だから超能力者とか、預言者とか、神と対話できる人間だとかが注目を集めて宗教なんかが成り立つわけだし」

「神と対話……か」

 ここでいうなら、電卓との対話のことだろう。そこで神を説得できれば、この世界の法則を捻じ曲げてしまうこともできたということだ。

「もう話すこともできなくなっちゃったわ」

「だから、神との対話が成立しなかったのなら、あとはもう、与えられた普通の権限を超える力、言ってみれば超能力を起こすしかない。魔法とかね」

「超能力……魔法……魔法使い」

「そ。魔法使い。でも、現実世界だって、どんなにそんな力を望んだところで、無理だろう? 悪魔降臨の儀式とかやってる変なオカルト人間になっちゃうだけだよりっか」

 無理と言われると、本当にそうだろうか? 絶対? と律歌は反発心を覚えてしまう人間だ。無理だ無理だと笑われながら、人類は空も飛ぶことも可能にしてきたじゃないか。

「十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかないという言葉もあるわ」

 律歌はそう反論すると、ここが仮想空間であることを思い出した。

「ここでいう科学って何?」

「それはプログラムのことだね。この世界の法則が書かれているプログラム」

「プログラム……それって、北寺さんが作ってたやつよね?」

「そうだね。あは、おれはこの世界の事象の仕組み、だいたいわかると思うよ。だってそう、おれが作ったもん」

 北寺は派遣されたPGとしてこの世界を構築していた。この世界が大きな建築物とするなら、北寺はトンカチで釘をカンカン打って実際に建てる大工みたいな役を担っているうちの一人だ。

「そのプログラムにアクセスできれば、私をログアウトさせることもできる?」

「もちろん。ま、アクセスできればだけどね」

 アクセスできれば……か。

 普通はできないようになっている。たとえこのゲームが、プレーヤーが言葉を入力して村人と会話できるゲームだとしても、その入力欄にプログラムを書いてみたところで、このゲームに反映されるような影響は及ぼさない。そんな仕様にでもなっていない限り。

「北寺さん、隠しコマンドとか仕込んでないの?」

「ちょちょちょ、仕込まないよ。そんなことしたらクビだよ」

 そりゃそうである。それに仕込んだとしてもレビューで発見され弾かれるだろう。

 ここから外に出るためには、添田など神に頼んでログアウトさせてもらうしか方法はないのだろうか。

「ここからログアウトするって、具体的にどうすればできるの?」

「外にあるメインコンピューターに、権限のある端末からログアウトの命令を送ると、実行される」

 北寺は丁寧にそう教えてくれた。

「外にあるメインコンピューターって?」

「現実世界に置いてあるコンピューター――おれやりっかの思考を電子データに変換して原子データとかけ合わせて演算処理しているCPUや、その演算結果を記録し保存しておくサーバーのこと」

「このスマホからログアウトの命令を実行させることはできないの?」

「おれたちのもっている端末にはその権限がない。ログアウトボタンが実装されていないだろう?」

「ええ」

「じゃあできない」

「そのパソコンからは!?」

「んー……ちょっと待ってて」

 そう言うと北寺は、目の前にあるデスクトップの端末をちょちょいと操作して、何やらプログラムを作り上げた。

「何を作ったの?」

「ああ、ハッキングツールだよ。天蔵に不正アクセスして、おれたち二人がログアウトするようにメインコンピューターに命令するやつ」

 北寺はさも簡単そうに言ってのける。律歌の胸はどきんと高鳴った。画面を覗き込んでみると、ロボット工作で少しばかりプログラミングの知識のある律歌でも、到底理解できそうにない英数字が羅列していた。

「さて、動かしてみるか……」

 北寺が実行コマンドを入力し、エンターキーを叩く。まさかハッキングなんてものをこの目で見る日が来るとは思いもしなかった。しかし、画面に映し出されたのは「接続できませんでした」の文字。

「あー……ほらね」

 北寺は想像通りの結果だというように肩をすくめている。やはり、メインコンピュータに接続することは難しいらしい。

「むう……」

 律歌は北寺の邪魔をしないように自分なりにわかりやすく情報を整理する。

 察するに、自分たちの意識は「仮想空間」という「牢屋」に入れられているようなものということだ。内側から開けられないようになっている牢屋。脳を始めとした元の肉体の存在する現実世界の「外」に出るには、方法は三つ考えられた。

 一つ目は、権限のある人に「末松律歌をこの牢屋から出してもいいですよ」と命令してもらう。だが、電卓にその気はなく、既に失敗に終わっている。

 二つ目は、抜け道を探すこと。この牢屋に入れられている北寺が、この牢屋を作った大工のうちの一人だという。自分の制作した牢屋は構造から構成素材まで熟知しているということだ。だが、大工として、依頼主に命じられたとおりに牢屋を建てただけであり、いつかのための秘密通路をこっそり作っておいたりはしていないという。まあ当然である。

 三つ目は、何らかの手段で牢屋の「鍵」を入手し、「鍵穴」に挿して開錠することだ。本来囚人には与えられていないはずの「ログアウト」機能を何らかのやり方で発動させてしまう方法。

 「仮想空間」を「牢屋」に喩えるなら、こんなような状況である。一つ目と二つ目は残念ながら不可能に終わっている。三つ目の方法は……?

「牢屋の『鍵』は、そのメインコンピューターにある?」

「いや、『鍵』くらいはピッキングでどうとでもなる。さっきやったやつのことだよ」

 さっきの不正アクセスは、いわばピッキングをしようとしたのと同じということらしい。

「でも、『鍵穴』がないんだ。鍵穴はおれたちがアクセスすることは不可能な場所にある。次元が違うから」

「次元?」

「うん。それがさっき魔法使いにでもならない限り無理だって言ったこと。牢屋の『鍵穴』は、いうならば「別世界」に設置してある。もちろん、ここでいう現実世界のことね」

 外にあるメインコンピューターの中に『鍵穴』はあるのだ。

「この世界に『鍵穴』が設置してあるならまだしも、「別世界」へ開錠しに行かなくちゃならない。ピッキング技術があって、牢屋の格子の隙間から、仮に手を伸ばせたって、牢屋を開けるための『鍵穴』が別世界にあるなら、物理的に届かせようがない」

 簡単に脱獄できる牢屋だとするならそれは牢屋ではない。しかし、『鍵穴』の場所が「別世界」つまり現実世界……にあるのは、あまりにもレベルが違いすぎる。

「なんとかならないの?」

「無理だよー……。だって別世界だよ? 神の国みたいな場所にあるんだよ」

「ここから別世界にアクセスする方法はないの?」

「アマトを急襲するくらいしか……」

「アマト? ほら、私や北寺さんだって天蔵に発注してるじゃない。それって神の国にアクセスしてるってことじゃないの?」

「いや、してないんだ。このスマートフォンがアクセスしている先は、神の国じゃなくて、この仮想空間内にあるサーバーで、実際にはこちらとあちらを繋げてはいない。言ってみれば、神様のワープロみたいなもんさ。使者がいったんログアウトして、注文内容の入力されたワープロを、「外」の神様に届けている」

「ど、どーしてよー」

「ハッキングを企む輩から世界を守る、セキュリティの為だね。お手上げだよ」

 八方塞がりだ。

「ごめんね、りっか」

 高い壁を前に、行き詰まる。本当に何か、何か――手はないのか?

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