4・ピザレーン単純作業

 律歌の提案によってEランクに堕とされた若手エリートキャリア官僚支倉は、スーツアバターは当然オフにされ、下着のように普通は見せないはずのシルバーグレーのアバタースーツ状態にされた後、上から割烹着を着て帽子を被りマスク着用の上長靴を履き、消毒槽と呼ばれる水溜まりくらいの浅さに消毒液を満たされた小道をムカデ競争よろしく並んで歩かされていた。

「この格好、給食当番みたいね」

「そっすね……」

「なによ、元気ないわよ!」

 前を行く若手国会議員の律歌は俄然張り切っている。後ろに続く支倉は憮然として、さらに後ろに続く齢四十二の秘書はよぼよぼと老け込んでいるように見えた。

 そうして律歌達は工場長に連れられて、巨大な食品工場の一角に案内された。こうこうこういうわけで、あとよろしくと工場長から引継ぎされたのは優しそうなおじいさん班長だった。

「まあ好きなだけ見学していってくださいな」

「ありがとうございます。でもせっかくならお邪魔するだけでなくお役にも……」

 律歌がそう言いかけた時だった。

「ピザ製造ライン、一名傷病者出ましたあ! 誰か寄こしてくださいー!」

 頭上にC1ランクと光らせた、やたら声のでかい三十代後半くらいの男が、どたどたと廊下を走っていた。どうせなら役に立ってみたいと思っていた律歌はさっと挙手をする。

「私達はどうですか? 素人ですが三人いれば少しは役に立てるかも」

「たしかに三人なら、一人分くらいは助かるかもしれないねえ」

 会話を聞きつけた男がガラッと扉を開け放つ。

「はっ、Eランクじゃねーか。上から落ちてきたな? ほらこっち来な!」

「あ、いや……彼女達は……」

「はーい今行きます!」

「うるせえ、黙ってとっとと行くぞ!」

 困惑気味のおじいさん班長を差し置いて、声のでかい男は逃がすかとばかりに律歌の腕を掴み、俺がリーダーだと誇示するようにずんずん進みゆく。扱いの雑さに、これがEランクの立場か、と律歌は脳内でメモしつつ、後続の支倉の腕をがしっと掴んで引っ張ることも忘れない。ちなみに支倉は秘書の腕にしがみついて往生際悪く抵抗していたが秘書が諦めるように前に進むのでもろとも連行される運びとなる。

 そうして連れていかれた先は、冷凍ピザの製造ラインの一室だった。何もないただのピザ生地がベルトコンベアに載ってやってくる。ベルトコンベアはUの字に壁から伸びてきて壁に吸い込まれていく。ソースを塗り、チーズを振りかけ、ウインナーを載せ、ピーマンを載せるとあとは焼くだけで出来上がりだ。壁の向こうにはオーブンがあるのだろう。

 最終工程のピーマン担当者の一人が体調悪くして倒れたとのことで、律歌達三人はそこに配属されることとなった。意気揚々または渋々と歩みを進める。班長は何室か受け持っているらしく、どこかへ行ってしまった。

「でも、ちょっと楽しみじゃない? こういう仕事、普段やる機会ないもの」

「それはまあ……」

 律歌の耳打ちに苦笑いで応える支倉。エリートに現場経験はほとんどなさそうだ。

 持ち場に到着した。

「初めまして! 初めて担当することになった末松律歌です。よろしくお願いします!」

 一人ずつ名乗って挨拶をすると、ピーマン担当の四十代くらいのおばさんは「私は天野あまの。初めての人三名だね。ちょっと見ててくれる?」と挨拶しながらピーマンを振り撒いていた。抜けた傷病人の分も一人で対応しているらしい。「ピーマンをこう、ざっくり同じ量だけ掴んで、ばら撒く」あまりの高速な動きで腕が何本にも見える。あとはピーマンを待つばかりのピザ生地は前後二列にやってくるので、両手を使って撒いていかないと間に合わない。

「わかったね? ピザ生地が来る方に並んで入ってくれるかな。漏れた分はこっちで対処していくから、とりあえずやってみて」

 律歌は前に進み出ると、見よう見まねでとりあえず利き手の右手だけで掴んで撒いてみる。ダマになってうまくバラけない。しかも二秒で二枚の生地にピーマンを散らす計算だ。これは焦る。

「いいよ。直しもこっちでやるから」

 振り返ると、後ろで待ち構える天野はそう言ってすっすと散らしてくれた。安心して律歌は再度チャレンジ。それを見た支倉と川橋も律歌の前に並び、ピーマンを散らし始めた。

 こういう作業を経て冷凍ピザが出来上がるんだなと実感する作業だった。文明は発展したが、所詮は人の手が必要なのだ。まるで機械の一部にでもなった気分で、やってくるピザ生地にひたすらピーマンを加えていく。しかし無考えにやり始めた一回目と、失敗を繰り返して調整した二十回目とでは明らかに手際が変わった。ピーマンをつまむときや散らすときにちょっとしたコツがあるのだ。

 少しだけ慣れてきた頃に聞いたのは、クレームが最も出にくいのがピーマンらしい。数や配置が多少偏っていても誰も気にしない。それで初心者はピーマン担当として配属されるとのことだった。一方ウインナーは数に差異があるとお客から文句が出やすく、個数に気を遣う。見た目にも重要で、そのポジションは花形で玄人向けらしかった。

 ふと後ろから、

「ここちょっと手が余ってきてません? 私、別のとこ行きましょうか」

 単純作業に大分飽きた様子の支倉が手を止めずに提案する。律歌も振り返ると、天野がのんびりした手つきでピーマンを捌きながら頷いているのが見えた。

「たしかにそうだねえ、皆慣れてきて早くなってくれたから、ここだけじゃ多すぎるくらいかも。あんた達、呑み込みはやいわぁ」

「私も行ってもいいですか? 体験してみたくて」

「そうね、不慣れな内は二名同時の方がいいね」

 秘書川橋をピーマンに一人残し、律歌と支倉は隣のウインナーのさらに隣の「チーズ振り」に異動となった。簡単に挨拶を済ませると、

「はい初めまして。俺は八王子はちおうじです。こっち手伝ってくれるんだって?」

 ピーマン担当と同じくチーズを振る手を止めずに八王子と名乗る若者に尋ねられた。チーズ担当者は二人いて、もう一人は寺田てらだと名乗った。

「はい!」

 久方ぶりにピーマン以外のものを目に入れた新鮮な気分のまま、律歌は頷いた。すると、八王子は顎で右を指すと、

「じゃあまず、この機械がチーズを出すんだけど、機械はまったくアテにならないのね。ほら」

 銀色の箱のような機械はべべべっとチーズを部分的に放出するだけだった。もう少し何とかなるのではないかと思わされる粗さだ。

「だからここで人の手で、かかっていないところにチーズを振り撒いていく」

「ふむふむ」

 とりあえずやってみようということで、担当者二人の手前側に支倉と律歌は加わった。四人、一列になって黙々とチーズを振り撒き始める。すぐ、支倉が口を開いた。

「末松先生、体の向き、逆の方がよくないですか」

 律歌は顔を上げて支倉の方を見た。律歌と支倉は半身向かい合うような格好で横に並んでいる。そのまま彼の後ろを見やると、彼らは一様にこっちを向いて作業をしている。自分だけ反対側を向いていた。

「あ……でも」

 右が利き手なのだ。二列になってやってくる生地にチーズを振りかけるとなると、遠くの奥側の生地には届かせづらく、利き手でないと狙いを定めにくい。すると右手を前に突き出し、左手を手元に置く格好となる。支倉は一つ頷くと、

「私も右利きです。それで自分も最初そうしていたんですけど、それだとこれから来る生地が見づらくありませんか?」

「それは、そうね」

 右から左へと流れていくベルトコンベアだ。右手を前に出すと、やってくる生地に背中を向けることになる。

「これから来る生地を目視しながら、利き手と反対の手で慣れていく方が、長い目で見て良手かと」

 すると後ろから声が上がった。

「すごいねえ、俺ここで仕事して一年になるけど、それに気づくまで半年かかったよ。まあ左手も慣れてきてできるようになったってのもあるけど」

 チーズを振りかける作業をしながら最後尾の八王子がうんうんと首を振っている。その前に座る寺田は、ぼんやりした調子でブツブツと、

「そうなんだ……僕は八王子さんの真似してただけっていうか……正直未だに左手側はうまく動かないけど、ミスした分は後ろの八王子さんが直してくれるし、って……」

 なんだか死んだ魚のような目だった。すべてどうでもいいと諦めているような。それは八王子も似たようなものだった。

 そんな二人を尻目に、律歌は体の向きを変えてみた。だが、利き手と反対の左手で遠くの生地にチーズを投げるのは難しい。何度か挑戦したが「できないっ」とまた支倉と向き合う形に戻る。

「いっそのこと、U字の中央でやりたいわっ」

 両端が壁に接続されるU字型のベルトコンベアの内側は入れないようになっているので、外側に全員一列に並んで作業をしている。律歌が支倉に愚痴ると、支倉は何かを閃いたように椅子を降りてその場にしゃがみ始めた。片手で勝手に引き戸を開けている。ベルトコンベアの下部には引き戸があったらしい。中には道具が入っているらしく、それらを引っ張り出していく。

「なにやってんの」

 死んだ目の八王子が何か面白いものを見たようにほんの少し笑いながら訊ねる。寺田は別にどうでもいいといった様子だ。

「真ん中行けますね。向こう側にも引き戸があった」

「えっ、ほんと!」

 律歌も顔を下げてみると、確かに引き戸は反対側にもあるようで、くぐればあちら側に行けるらしい。

「私達は不慣れなので、Uの字の中側から利き手プラス目視でやりましょう」

 言いつつ引き戸の中に潜っていく。律歌も「いいわね!」と続いた。戸を通して椅子も動かし、内側から行うことで効率は二倍に跳ね上がった。右手が利き手なのが多いのだから、レーンの流れを反対にすればよかったのにと支倉はひとりごちている。律歌達を見て川橋も真似して引き戸を潜り抜け、内側から作業を始めたようだった。

「それと」

 眉を顰めた支倉の鋭い眼光が機械に向けられる。

「あの機械。もうちょっとなんとかならないんでしょうか」

 支倉は立ち上がると機械のところにまで歩みを進めた。べべべべとチーズを粗く吐き出す機械だ。

「調整機能とかないんですかね」

 支倉は矯めつ眇めつ観察し、その片隅に電話番号を発見したらしい。すぐさまそこに掛け、サポートセンターと何事かを話しながら、弁を触ったりレバーを引いたりし始めた。

「おおっ!」

 律歌の後ろから歓声が上がった。驚いて振り返ると、死んだ魚のような目だった二人が、逆に水を得た魚のようにきらきらとピザ生地を見ている。

「こりゃ驚いた」

「これなら二倍速だ」

 機械から排出されたチーズのバラけ具合が見るからに上がっていた。これならあとは整える程度に触れるだけでよさそうだと律歌でもわかる。

「だいぶマシになりましたね」

 支倉は腕を組んでさらに先を見やる。

 その時、チーズの二人組がさらに叫んだ。

「おいっ、メーター、見てみろ!」

「プラス一だ!」

 頭上に浮かぶメーターのメモリが、上位三〇パーセントを指し示している。つまりプラス一。これを十貯めると一つ上のランクに昇進できるのだ。八王子はE5ランクでライフは八、寺田はE3ランクでライフは五だった。

「すごい、僕、一日でこんなにメーター上がったの初めてだ……」

「……これならもしかしたら来週Dに戻れるかも!」

 支倉のおかげで律歌のメーターもプラス一だった。E5ランク、ライフは五のスタートだが、来週にはライフが六に、いやこの上昇率なら七になるかもしれない。支倉の頭上のメーターは、なんと早くもMAXの位置プラス二を指していた。よく見るとE5ランク内順位が記されていて、彼は堂々の一位だった。チーズ振りの二人だけでなく、末端の方からピーマン担当の天野が、

「あんたすごいよ! 週末まで一位を死守できたら一気にプラス五もらえるんだから、すぐにD1に昇進だよ!」

 興奮したように大声で教えてくれる。

「……ソースの機械の調整もやってみます!」

 支倉は挑むような目で隣のソース塗りの場所に向かう。そこでも彼はなにやら機械を調整し、人がお玉で塗り拡げる手間を大幅に省いてみせた。メーターが上がったという噂を聞き付けた、花形であるウインナー担当からも呼ばれ、彼は全体の生産性を向上させた。この場にいる全員がプラス一を獲得できる範囲に押し上げられていた。満足げな雰囲気が漂う中、

「さ、これでスピードを上げられますね」

「えっ」

 支倉は当然とばかりにスタート位置にあるメモリ付きツマミを握る。

「いきますよ」

 カチカチカチカチィ……。

 不穏な音と共にベルトコンベアが加速する。目の前をびゅんびゅん生地が通り抜けていく。

「は、早すぎるわよ!」

 律歌が慌てて言うも、

「計算上いけるはずです」

 支倉は退かない。

「手がつる!!」

 作業員達から悲鳴が上がる。

「でも見てください! メーターを!」

 支倉の呼びかけに顔を上げると、なんと皆プラス二まで届き始めている。

「全員プラス二をもぎ取りますよ!」

「行けるわ!」

 律歌も確信した。

「本当に!?」

「まさか俺達が、Dランクになれるのか!?」

「このペースで明日もやれれば、きっと週末までプラス二のままだ!」

 辺りは活気に満ちていた。お祭り状態のように、皆が希望に満ちた笑顔で作業を進めている。

 その時だった。

「おまえらー! なーにをやっとるか!」

 扉がガラリと開き、やたらとでかい声の班長が入ってきたのだった。

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