3・裏取引

 調査は始まったばかりだったが、少し居るだけでも得た情報は多かった。国会議事堂に閉じこもっているよりずっと多い。律歌が注意深く観察すると、集団の中に瀕死状態の社員を見つけた。頭上ランク表示のすぐ下に伸びるメーターが削れて、通常色の緑ではなくオレンジ色に変わっている。手押し車を押しながら今にも倒れそうで、ふらついて脇道に逸れるたびに監督に怒鳴りつけられている。律歌達の目の前を彼が横切るとき、周囲からひそひそと話し声が聞こえてきた。

「ありゃもう取り返せねえな。締め日までもう二日しかねえんだから」

「来週からEランク降格か」

 企業貢献ポイントは毎週月曜日の朝四時が締め切りだと支倉が言っていた。

「もう話しかけないようにしないとな」

 早くも冷ややかな目で見られ始めているらしい。Eランクは忌避される差別的な立場だということを感じてきた。たしかに、上の人間に気軽に電気ショックで言うことを聞かされるというのは屈辱的だ。豚を移動させるための電気鞭というのがあるが、それに似ている。家畜扱い。ホロアバターも映してもらえない。

「おいお前、そっちじゃねえぞ!」

 ふらつく男に監督が大声で呼びかけている。

「おーい! あぶねえ」

 瀕死状態の男の行き先には大きな穴が開いていた。彼はそのままずるっと吸い込まれるように落ちていった。梅雨真っ只中、地面がぬかるんでいたのだ。律歌が駆け寄って覗き込むと、彼は手押し車と共に二メートル程落下し、頭から血を流して倒れている。あわてて救急車を呼ぼうとしたが、隣についてきた官僚がそれを制した。

「このまま視察を続けましょう」

「で、でも、そんなこと言ってる場合じゃ……」

 穴の底で片手にシャベルを持った仲間が、もう一方の手でぺちぺちと頬を叩いて呼びかけていた。

「なあ、君、救急車いるか?」

 その刺激で目を覚ました男は、自分の置かれた状況を思い出したらしい。

「呼ぶなああ! そんなことしたら、おしまいだ! 企業貢献活動ができなくなっちまう」

「じゃー、どいとくれよ。邪魔なんだよ」

 足を止めた男はゴミを見るような目をして言い、さっさと立ち去って持ち場に戻っていく。律歌はてっきり仲間だと思っていたが、その反応は淡白なものだった。いや、余裕がないのだ。明日は我が身。

「落ちたくねえ……。Eランクにだけは……あんな身分に堕ちるくらいなら、もう……ああクソ、あああああああああああああ」

 男は立ち上がると、自棄になったように倒れていた手押し車を握りしめ、ドンッと土壁にぶつける。嫌な予感がした。衝撃で土壁が崩れ、律歌の地盤がぐらついた。これは、まずい。

「うわっ、きゃああ」

「やべ、落ちるーっ」

 支倉と共にぐらりと傾き、それに気付いた川橋が背後から慌てて両手を伸ばして、二人の手を掴んだ。だが、一人で二人分は支え切れず、川橋もろとも奈落の底へと落下していく。

(いやああああ……)

 衝撃と共に、べちょ、と、左肩から首元にかけて汚泥が染みてくるのが分かった。

「だい……丈夫ですか、先生、支倉さん……」

 咄嗟に切り替えたらしい川橋が身を挺して下敷きになってくれたようだ。彼は思い切り全身を打ち付けたらしく、全身泥だらけになっている。

「うん……。川橋の方こそ……」

「私は全身で受け身を取りましたので、見た目よりは平気です」

 半身が土人形のようになっている。

「支倉くんは?」

「このあとどうやって帰ろうかと考えていました」

 となりでごそごそと動いている彼は遠い目をしながら、少しでもと泥を落としている。落ちるわけがなかったが。

「大丈夫そうね。でもまさか、こんなことになるなんて」

 上を見上げると、ぽっかり空いた穴から小さく切り取られた空が見える。雲がゆっくりと動いていた。辺りがざわついてきて、「こりゃあ大変なことになったぞぉ」という声が聞こえ始めると、監督が、土砂が流れてなだらかになった淵から血相変えて降りてきた。

「GUEST4の方が落下されたって、ご、ご、ご、ご無事ですか?」

「大丈夫! それより先に落ちた方が重傷よ。私達には着替えを貸して頂戴」

 律歌は努めて明るく言った。それから三人はロープでひっぱり出されて、シャワー室と更衣室があるという近くの工場へと監督によって丁重に案内されることとなった。移動中は、高ランク者が泥だらけという状況に好奇な視線を向けられて恥ずかしかったが、監督の動転ぶりはそれ以上だった。

「本当に怪我はないんですかい? 今からでも救急車を呼んだ方が……」

 そわそわして、何度もこちらを振り返っている。

「大丈夫。私より、先に落ちた人の方が重傷ですってば。手押し車に頭を打ち付けたみたいで」

「ああ……」

 監督はようやく思い出したという顔で「あいつのせいでこんなことに……。ちゃんとシメておきますんで」と悪態をついた。

「そんな必要ない! あの人は明らかに限界だったわ」

 律歌は非難する気持ちで監督を睨んだ。

「まあ、そうでしょうなあ……。さっきのでメーターも一割減、来週からはEランクですわ」

「Eランクって、そんなに忌避されるものなの……?」

「先生もなってみればわかりますよ」

 でなければわかるわけない、という顔だった。


 工場に到着した。そこでは冷凍食品を作っているらしく、いろんな食べ物の匂いがまざったような空気が漂っていた。現場監督がその工場長に事情を話してくれることになった。

「入社希望用の新品のアバタースーツがあるんです、よっこらせ」

 倉庫から適当に見繕ったシルバーグレーのアバタースーツを何十着か持って、頭の禿げあがった食品工場が三人にあてがっていく。サイズも性別・身長別ごとにいろいろあるらしい。何着か持って各自更衣室へ。律歌は髪にも泥がべっとりだったため、シャワーを借りた。下着まで汚れているわけではなかったが、アバタースーツは素肌に直接着られるような作りになっている。爪先まで問題なく着用できるサイズが見つかり、律歌は脱いだものをアバタースーツと一緒にもらった紙袋にまとめると、女子更衣室でアバター設定を行った。ホログラムディスプレイに表示されたGUEST4ランク用の貸し出しアバター一覧には、世界的なハイブランドであるネルダとのコラボアバターもあった。ロイヤルブルーのスーツが可愛い。国会議員になってから、かわいいスーツには目がない。リボンが付いているものが好きだが、この色は無い方が上品でいい。

(いいなあ……。これ、買ったらいくらするんだろう)

 企業間同士のコラボ商品だろう。GUEST4ランクならば無償貸出だということだった。GUEST4ランクは便利すぎる。たしかに実際にEランクになってみないと、その差別意識はわからないかもしれない、と思った。

(そうだ!)

 律歌はアバター設定をオフにすると、とあるアイデアを胸に外へ出た。外の廊下には既に着替え終わってアバター設定も済んだ二人が待っていた。支倉は黒のスーツで臙脂色のネクタイにジャケットを羽織り、稲橋はベストの上にジャケットを重ね着したスーツ。二人とも実際に着ていたら暑いだろうが、ホログラムなので関係ない。ホロアバターは季節感に寛容な文化があるのだった。川橋が、律歌の格好に目玉が飛び出るほど驚いて駆け寄ってくる。

「先生、どうしました。アバター設定の方法がご不明でしたか?」

「ううん、そうじゃないの」

 律歌はというと、シルバーグレーの人型アバタースーツのままだ。体の隆線に沿ったシルエットが影のようにくっきりして気恥ずかしい。アバタースーツがシルバーグレーに見えるのは細かいドットによるマーカーが描かれているからで、それを参照してホログラムアバターを形成、3D映像を投影する。その下着のようなものである。だが、たった今からはそんなことを言っていられない。

「あのね、私、Eランクになってみようって思って」

「はい?」

「監督に言われた通り、Eランクになってみないとわからないと思うの。工場長にお願いしてみるわ!」

 唖然とする二人を置いて、律歌は廊下を駆ける。ベルトコンベアーの動く工場で指揮を執っているらしい工場長は、今は先の現場監督と何やら話し込んでいた。律歌はその間に割り込んで、希望を伝えてみる。

「いやダメですよ! 政治家先生でしょう!?」

 当然のごとく断られた。現場監督も「何言ってんだい!」と叫んで、律歌のアバタースーツのままの姿をぽかんと眺めている。

「政治家として、きちんと体験したいんです」

 律歌はまっすぐ目を見て、頼み込む。

「お願いします!」

 律歌の恰好は、Eランクも多く働くこの工場で目立つものではなかったものの、「あれ、GUEST4ランクじゃない……?」「でもアバターが……どういうこと……?」とひそひそと声が上がり始めてきてしまった。

(まずい、目立っちゃ、意味がなくなっちゃう……)

 するとそこへ見かねたような様子の支倉が進み出てきた。

「監督さん、穴に落とされて服を着替えることになったことを総務部の尾畑部長に話してきましょうかね」

「支倉くん!」

 やれやれという擬態語が似合いそうな笑みを浮かべながら。

「そ、それは! ……お偉い先生方がなんであんな薄汚い工事現場にいらしたのかわかりませんが、失礼があったなんてことになったらどんな目に遭うか」

 現場監督は、暗に、危険な作業場に来たのが悪いだろと、至極もっともな批判を交えつつも、それでもGUEST4の客人に対する粗相は具合が悪いらしい。インテリヤクザのエリート官僚はさらにダメ押しの一言を加えた。

「それに高さがもう少しあったらもっと大変なことになっていましたね。これじゃ厚生労働省としても、安全管理に問題ありと言わざるを得ません」

「ええと……その……こんなことを言うのは恐縮ですが……大事おおごとにしないでいただけますか」

「じゃあこのお願いで帳消し、両方なかったことにしましょ」

「ううむ……」

 現場監督が食品工場長に耳打ちし、丁度人手に困っていたらしい食品工場長は、世話になっている大川監督の頼みならとOKを出してくれた。

「支倉くん、ありがとう」

「いいえ、どういたしまして」

「私、あなたを絶対に敵に回しなくないわ」

「はは、光栄です。どこまでもお供しますよ」

 白い歯が眩しい。律歌はにっこり笑みを返すと、後ろを振り返って工場長に高らかに言う。

「というわけで、私達三名のアカウントを作って頂戴」

「は?! 俺のもですか!?」

「お供してくれるんでしょ、手を組んだんだから」

「ええまあ……。……うそだろ……」

 信じられないといった顔の支倉。こういうことに慣れている川橋は端から諦め顔である。

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