5・エリートに必要な素養

 班長は命じた状態と様変わりした部屋を見回した。

「誰がこんなことをした!」

 そう言って、俺の話を聞けとばかりにラインを止めてしまう。

「あっ、止めちゃった……」

「あー……」

 メーターを見ながら残念そうな声が口々に上がる。せっかくプラス二に達しようとしていた時だったのに。

 支倉が「私ですが」と進み出た。

「おまえ、新人のEランクじゃねーか!」

「はい」

「ここの班長は俺だ。俺の指示に従え。俺はな、このベルトコンベアのことなら誰より知り尽くしてんだ。いいか、このラインの施工の時から俺が――」

 すると彼は話しながら支倉の頭上を見たらしく、

「一位!?」

 と、素っ頓狂な声をあげた。支倉はにっと笑うと、「他の方々もプラス圏内になりましたよ」と、辺りを見るように促す。その場にいる社員たちの頭上のメーターはプラス位置を示し、その顔も晴れやかである。班長はふんっと鼻を鳴らした。

「なんかズルしやがったなあ?」

「え? いいえ、そんなこと」

 支倉は驚いたように否定する。

「ちょっといろいろ改善してみたんです」

 班長は胡散臭そうな目で支倉を睨め付ける。その視線を疑惑と捉えたらしい支倉は、どこが悪かったかを一つ一つ丁寧に説明していった。この職場がいかに問題に溢れているかということ、簡単な改善点すら長年放置されていること、ベルトコンベアの向きは絶対に反対がよかったということ。みるみるうちに班長の眉間の皴が深くなっているのを律歌ははらはらしながら見つめるしかできない。

「あの、こんな風に止まってたらどんどんメーター下がりますよ」

 そう支倉が言いかけた時だった。

「うるっせんだよ!」

 支倉が卒倒した。弾かれたように仰向けに倒れた。何が起きたのかと考える前に、遅れて律歌にもバチィィィィとした衝撃が来た。

 電罰だ。

「いいか俺が班長だ! 黙ってろ!」

 意識が遠のく。痛い。怖い。雷が落ちたのかと思うような衝撃と、それが持続する感覚。Cランク者がEランク者に権力を行使したのだ。機械的で純粋な暴力が振るわれている。しかもこれが正当性を持って使われている。絶対的な力でねじ伏せられる。

「わかったかEランクどもめ!!」

 ただでさえ機械のような仕事だったけど、試行錯誤をして改善してみて、成果が挙がった。それは日楽食品にとって良いことのはずだ。しかし、長年ここを任されていた管理者が面白くなかったのも理解できなくはない。班長のメーターはプラス一圏内だったが、この私刑によってプラスマイナスゼロの範囲に逆戻りしている。受け止められなかった彼は、これ以上上のランクにはいけない器なのだろう。それもまた評価だ。彼をここに留まらせることによって、日楽食品はプラスを得ているのだ。事実、急病人が出て律歌達三名を獲得したのも彼なわけで、彼も彼なりに日楽食品の益となっているのかもしれない。でも、その代償として、彼の下にいるものはこのような私刑に耐えねばならないらしい。これじゃ班員が死んだ魚の目になるのも無理はない。ランクが低い者は黙って言うことを聞け。案内してくれた天野も、嬉しそうに褒めてくれた八王子と寺田も苦悶の表情を浮かべている。力無き存在であることを思い知らされている。それはいけない。今回のことは元を辿れば自分のせいだと、薄れゆく意識の中で律歌は、それだけははっきり感じた。K大学院を出るようなエリートを連れてきて、その実力が班長の劣等感を刺激した。しかし、その怒りが私刑として自分や支倉ではなく、他の班員にまで向かうことだけは止めなければならない。ここはもう国会議員であることを明かして、こんな罰は辞めてもらおう。この班長のランクはC1だ。Bランク以上の駐車場にも停められたGUEST4なら言うことを聞かせられるはず。結局、権力に権力をぶつけるという構図は変わらないということをまた感じた。でも、今はそれを使ってでもいいから、この場を何とかしないと。仕組みを変えるためには現場ではなく国会でやるべきなのだろう。だったら――

「わ、たた、たた、たし、は――」

 しかしだ。そもそも、体が動かない。口さえ続けて開くことができない。

「――こっか、い……いいい……」

 か細く息を吐くようにしか、発声できない。巻き込んだ班員に申し訳が立たないという気持ちが自分を動かそうとするが、意識が遠のく。これじゃ明かすにも明かせない。電撃が止んだらその隙に印籠のごとく国会議員バッジを鞄から出すしかない。それまでは申し訳ないが耐えてもらうしか……。

 と、横の官僚がゆらりと立ち上がるのが見えて、律歌は驚いた。それは班長も同じだったようで、

「お、おい、なんだと……動けるはずが……」

 と、目を丸くする。支倉はじり、じり、と一歩ずつ近づいていく。班長も顔を引きつらせて、じり、じりと後ずさる。亡霊のようにゆらゆらと歩みを進める支倉は、瞬間、だっと、飛び掛かった。羽交い絞めにして、床に転がる。

「ぎゃああああ」

 叫んだのは班長だ。そうか、律歌は気付いた。支倉に接触し、班長まで感電しているのだ。

「おおおおい、はははは早くででで電流をとと止めろおおお!」

 力技だ。動かないはずの唇を無理やり力づくで動かす。

「じゃあああないと、ずううっとおおこのののままだぜ!!」

「ぎゃああ、ああああ」

 強烈な電撃の中で、常人の班長には操作などできないようだった。班長に代わって、支倉が「ちっ」と班長の手を掴むと、大きく痙攣する手でホロウィンドウを呼び出させる。そうして何度か空打ちしながら、最後にはストップさせた。

 弾け続けるような衝撃が止まった。そこここに転がる班員の荒い息遣いだけが響いている。そんな中で、「ば、化け物め……」という班長の怯えた声が鼓膜を打った。

「助かった……」

 その場にうずくまる班員たちが弱々しく吐く。

 班長に被さったまま支倉はじっと固まるようにして休んでいた。

 律歌はそんな彼を走って迎えにいった。班長を怒らせたのも彼だが、止めたのも彼だ。

「あなたってすごいのね、普通できないわ」

 班長から引きはがし、抱き起す。ダメージを負っているであろう彼に肩を貸し、立たせる。成人男性の平均身長かやや高いくらいの背丈が少しだけ律歌に寄りかかった。

「……そう、ですか?」

 不思議そうにぽかんと、なぜ誰もこうしなかったのかと問いかけるような目で聞き返された。

「できないわよ……」

 苦しかった受験勉強を思い出した。どれだけ苦痛に耐えられるかで勝敗が分かれる。K大学に入学するくらい、勝負に勝ち続けてきた人というのは、こういう面を日々育て、持ち合わせているのかもしれない。

「賢いだけじゃない。勇気も根性も据わってる」

 そしてそれを、自分とこの場の人のために使ってくれた。 

「そんなあなたに、感謝しているわ」

 息を整える彼らの中に、律歌に担がれて歩く支倉のことを責め立てる者はいなかった。

 班長一人を除いて。

「ゆ、許さんからな!」

 半身を起こし、彼は最後の手段とばかりに吐き捨てた。

「おまえは、ふ、糞尿地獄行きだ!」

「なんだそれ?」

 首を傾げる支倉。

 罰則だろうか。不穏な響きだ。これは、失踪者が多いと噂される日楽食品のさらなる闇に介入できるかもしれないチャンスである。

「おっけー! 私も行くわ! 川橋も行くわよ」

「はい」

「あなたのおかげよ、支倉くん。ありがと!」

 小さい声で耳打ちすると、彼は戸惑うように目をぱちくりさせていた。


 班長にとって、自ら喜んでおまけがついてくるというのは想定外だったようだが、仲間とみなされたようで、律歌達もそのまま異動してもらえることになった。三人はすぐさま場所を移すことになり、一旦工場の外へと出された。数時間ぶりに屋外の空気を吸えてほっとする。夕刻を知らせるメロディチャイムが流れている。もう五時らしい。まだ日は長く明るいが、たしかに少しおなかが減ってきた。さすがに疲労も感じる。疲れているのは支倉も稲橋も同じだろう。

「でも、糞尿地獄ってなんのことかしら」

「なんか、罰みたいな言い方でしたが」

 支倉は思慮深く思考を巡らせている。

「そうね。そこが引っかかるわ」

「ですが先生、糞尿地獄体験をなさると、帰りが遅くなります」

 川橋が腕時計を見ながら困っていた。たしかに、そろそろ帰る時間だ。だが、日楽食品を取り巻く暗い闇に触れつつある。このチャンスをみすみす逃すわけにはいくまいと律歌は思った。

「このスーツのままなら、Eランクの宿泊施設に宿泊できないかしら」

「泊まるんですか!?」

「何事も経験よ!」

 律歌の発言に固まっていた支倉は、ふうっと深呼吸すると、さっぱり分からないというように尋ねてきた。

「先生、どうしてそんなに、過労をなくそうとしてるんですか」

 律歌は流れ続ける聴き慣れないメロディに耳を傾けつつ――叙情的な音色にしているがこれは「日楽食品」の社歌だと思う。夕刻を知らせるのにわざわざ聴いたこともない曲を使用している時点でその可能性が大だ――これまで何度も繰り返してきた生い立ちを口にした。

「私は両親を過労で亡くしたの。それから私の夢はこの世から過労を消し去ることになったわ。そのためにできることはなんだってやってきたつもり」

 半ば自分に言い聞かせるように。

「糞尿地獄がなによ、どんと来いってなものよ」

 そうして癖のように、LINEの通知を確認する。電卓からの連絡はなし。今日は朝から通知を確認せずにこれだけ放置したのだから、もしかしたら……という期待があったが、いつものごとく裏切られた。

「私は、孤独にだって耐えてるんだもの……これくらいなんでもないわ」

 スマートフォンの画面を消すと、歩き出す。どんなに辛くても、どんなに夢を叶えても、結局私は一人なのだろう。仕事に明け暮れて死んだ両親よりも、もっと明け暮れて、もっと独りで死ぬんだろう。

「そんな風に目指す必要あるんですか」

「私にはこれしかないもの」

「悪い依存ですよ。末松先生が不幸せになることなんてご両親も望んでいないはずです」

「親が望んでいようと、そうでなかろうと、私はやるわ」

「あなた自身も望んでいるんですか」

「望んで……」

 いる、と即答するつもりだった。

 でも、どうして止まってしまうのだろう。

「……たまに、わからない」

 つい、ぼやいてしまった。

「でも、足を止めるつもりはないわ」

 口からはすらすらと決意が出てくる。政治家の職業病だろうか。

 この場にいない電卓がまたよぎった。こんな途方もない夢を追いかけていたら、私は、幸せな家庭など築けない。だから、相手は電卓でちょうどいいんだ。端から仕事しか考えていない電卓の横に立って、自分も仕事だけしているのが正解よ。投げやりのような気持ちで思っているのと見透かしたように、

「そんなの、辞めてしまいましょうよ」

 と、支倉に言われてしまった。当然だ。惰性で出た声明に、人を動かす力はない。

「……今のは、私の説明がだめだった」

 違う。私は、苦しむために、活動しているわけじゃない。それは違うのに。目の前の一人に届かせられなくては、国民全員などには到底届かないだろう。

「想像してみて? 自由に生きるために労働する世界を」

 律歌は顔を上げ、振り向いた。たった一人の聴衆の瞳を見据える。

「労働自体が自己実現な人は好きなだけたくさん働けば良くて、そうじゃなく別のことで人生を謳歌したい人は、それを叶えるために働くのよ。家族団欒を人生そのものだと思うなら、それが実現できるように。ね? 素敵だと思うでしょ?」

 人生なんてそんなものでいいはずだ。究極をいえば、食べて寝て、食べ物がなくなったら必要な分だけ働けばいい。食べ物が確保できてきたら、やりたいことをやればいいし、やりたいことに必要な分だけ稼げばいい。ただそれだけのことだ。こんな簡単なことをみんなみんな忘れてしまっている。

「いいですね」

「私はそれを叶えたくて国会議員をやっているの」

 胸を張る。

「どんな手を使ってでも叶えるわ!」

 律歌は自分でも知らぬ間に心底から叫んでいた。言葉から悲壮感が消えていた。あるのはまっすぐな熱意。そして本当に実現したらちょっと面白いじゃないかというワクワク感だ。企業が支配する世の中は消えてなくなって、国民が好き勝手にのびのび生きている。なんて。

「この世界から過労をなくすのよ、私なんかの力じゃ途方もない夢だわ」

 自分はあの電撃の中で、動こうにも動くことができなかった。

「あなたは、私の強い強い武器になるってわかるの」

 一方でこのエリートは大したタマだ。あんな局面を、彼はいくつも乗り越えてきたに違いない。

「でもね、あなたがついてこないって言っても、私は、たった一人でだって歩みを止めないわ」

 孤独にだって耐えているのに、とぼやいたことと内容自体は同じこと。でも、これは攻めの姿勢だった。

「信念を持って歩み続けていれば、必ず道は切り拓ける。早いか遅いかだけなのよ。少しでも早い方がいいけど、夢を諦めるようなことになるくらいなら、どんなに回り道しようと、道自体を開拓することになったって、辿り着いてみせるわ」

 もういつもの調子を取り戻したように語る政治家末松律歌。その聴衆たる支倉旭は、この人が一人で行くとなると、なんだか遅そうだな……と思って聴いていた。

「あー本省に連絡入れないと……」

 彼は自分でも知らないうちに、このままここに残る決意を固めていた。この政治家には自分のような官僚が必要だろうと、不思議と使命に燃えていた。こんなことは今まで滅多にないことだった。

「来てくれるのね!」

「ええ、まあ……って、うわ、ここ電波入りませんよ」

 えっ?

 言われた律歌は自分のスマートフォンを確認する。アンテナの強度を示すはずの三本線が消えて、代わりに「圏外」と表示されていた。なんだ、圏外だったのか。律歌は電卓から連絡が来ていなかった理由が判明してほっとした。少し気が楽になった。電卓から返事が来ないことをいちいち悲しまなくて済む。

 支倉は「今どきそんなことあります!?」と苦笑いしながら、「まあいいか……事後報告で」とスマートフォンをポケットにしまった。律歌はふと疑問に思ったことを聞いてみた。

「そんなに簡単に宿泊許可なんて下りるものなの?」

「上から特命を受けていますので、私は比較的自由に行動できるんですよ」

「特命って?」

「官僚の仕事を増やすことですね」

「言っていたわね」

「過労のない世界になったら、企業優位の時代も終わって、もう少し国家権力が復権します」

「じゃ、ほら、やるしかないわね」

 律歌が伸ばした右手に、

「そうですね」

 支倉は自分の右手をがっちりと組んだ。

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雨の庭(続編『霞の庭』執筆中) 友浦乙歌 @tmur

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