6・糞尿地獄と心霊現象

 さて、糞尿地獄の詳しい場所は送られていると言われていたが、どこに届いているのだろう。暮れなずむ空を背景に、律歌が頭上のホログラムを触っていたら、マップを表示できることに気が付いた。次なる行き先の指示も届いている。どうやら自由な電波は制限されていて、代わりに日楽食品の用意したシステムから事務的なやりとりができるようだ。マップの他にも、日楽食品がいかに日本の食を支え、首位を独占している素晴らしい企業であるかという洗脳めいた情報だったり、はたまた、食品製造部門コンベア生産率であなたの所属するピザレーンが現在二位ですといった内部で競わせる速報だったりがじゃんじゃん届いていた。ここにいる間は電波の届かないスマートフォンではなく、頭上のホログラムが情報端末ということなのだろう。外の情報を遮断され、檻はないのに牢屋に入ってるような気分だ。

 日楽食品は貴族と呼ばれるSランクの多く住む高級住宅街が高山市にあり、これから行く糞尿地獄はその高山市と下呂市の境目にあるらしい。ここから無人タクシーで約二十分。律歌達一行は川橋が呼び止めたタクシーに乗り込んだ。

 ふう、と一息つきつつ、これまでのことを頭の中でまとめてみる。日楽食品に疑惑を持ったきっかけは『日楽食品は過労を隠蔽している。』という告発状が関市内から届いたことと葬儀に出席した際の国民からの訴え――日楽食品に勤めている恋人が行方不明になった相談を受けたことだ。そのあとすぐ、電卓から日楽食品の人口データが合わないという連絡が入ったことも後押しだった。電卓を思い出すと共に、行方不明の恋人からの連絡を待つ女性の顔が浮かぶ。法律が変わったことで電罰が横行している感じはあるが、行方不明の情報は今のところ特にない。ただし、Eランクは電波が届かないから連絡がつかないということなのかもしれない。

(それに電卓の力になれそうな有力な情報も手に入っていないな……)

 何か気の利いた成果があれば、それを手土産にこちらから連絡できるのに、これじゃ……。と、気を抜くとすぐに個人的なことを考えてしまう自分に気が付いて、恋愛モードになりそうな頭をぶんぶんと振って仕事モードに切り替える。

「お車に酔いましたか?」

 勘違いした川橋が窓を開けてくれた。都会や工業地帯とは違う爽やかな風が社内に流れ込んでくる。窓の外に目をやると、車は山道を走っていた。この辺りはまだ都市化が進んでいないのか、今までと比べて自然が多く、そして――墓地が多い。さっきまで墓地沿いを走っていたのに、林を抜けてまた墓地が広がっている。

「なんか、出そうな雰囲気ね……」

「出そう、って、なにがです?」

 びくりと手を止めた川橋がおずおずと聞き返した。

「幽霊」

 律歌のわざとらしい低く震わせた声を「や……やめてくださいよ!」と川橋が真剣な声色で制した。その気迫に、

「川橋ってもしかして、そーゆーの苦手?」

 若干引き気味で訊ねる。

「苦手です」

 本気で怖がっているらしい。

「肩に白い手がのってるわよ」

「の、のってないですよ!」

 律歌は笑いを噛み殺しながら、ペンを落とした振りをして屈んだ隙に川橋のくるぶしをがっと掴んだ。

 「わーーー!」と叫ぶ川橋。支倉はくすくすと笑っている。川橋にはパワハラで訴えると真っ赤な顔で怒られて、さすがにやりすぎたかなと律歌も渋々矛を収めた。日頃自分はもっと他に訴えられるような迷惑を散々かけている気がするがパワハラだと言われたのはこれが初めてである。この手の冗談が本当に苦手なのだろう。堅物秘書の意外な可愛い一面を知って、なんだかほっこりする。

 ナビゲーションシステムが「まもなく目的地です」と告げた。山道が大きく開かれ、車は巨大な門の中へ入っていく。その中に、スチール製のウォータースライダーのような巨大な施設が見えてきた。太いパイプが何本も上に下に通っている。そしてまだ車内にいるにもかかわらず、なかなか強烈な悪臭が漂う。

「ここって下水処理場なの?」

 人里離れた山の中に作られているから多少は仕方ないとされているのだろうか。顔を顰めながら放った律歌のふとした疑問には支倉がすぐに答えてくれた。

「いや、看板には汚泥処理場と書いてありましたね。今どき汚泥処理って珍しいな」

「ふーん……?」

 律歌達が施設玄関に足を踏み入れると同時にIDが認証され自動ドアを通過できた。中は切れかかった電気が何個もあり不穏な雰囲気だ。普段人が入らないところだから電気まで細かく管理されていないのだろう。

 その時懐かしいバイブ音がして律歌はスマートフォンに目をやった。電波が入っている。高級住宅街が近いからだろうか。すかさず電卓のメッセージを確認したが、何もない。電波がないから連絡が来ないという言い訳が効かなくなり、落ち込みそうになる。いや、せっかく敵の怪しい施設に潜入できるのだから、目の前のことに集中するべきよ、と律歌はスマートフォンをポケットにしまった。ため息が出る。やっぱり、しんどいな。

「こちら中央監視室。スピーカーより適宜指示を出すから従うように」

 沈む気持ちとは関係なく、大音量でアナウンスが流れてくる。指示されたのはまず防護服を着て、エラーを出しているロボットを見つけろという内容だった。施設内には人っ子一人なく、その代わりにそこかしこで、二本のアームを操る車輪付きのロボットがガシャンガシャンと動き回り、配管のバルブを締めたり緩めたり、汚水が漏れ出している穴を塞いだりと、ととにかく忙しなく動いている。その中に赤く点滅してウーウーとサイレンを鳴らしているロボットがいくつか存在した。その元へ駆けつけ、問題を解決すればいいらしい。多くは単純なものだった。修繕の為のテープを貼る時にくちゃくちゃになって絡まってしまいアームではどうにもならない状態に陥っているのを人力で丁寧に剝がしたりとか、車輪が溝にハマって抜け出せなくなっているロボットを背中から押して救出したりとか。

「なるほどね。普段は人がいないから、問題を放置していて、こうして罰なんかで人が派遣されたときなんかに、一気に解決するのね」

 どうせ誰も聞いていないだろうと独り言を言いながら、無心になって仕事にあたっていたら、いくらか気分も紛れた。激臭にも慣れてきて鼻だって何も感じなくなってきた。

 何台目かのロボットを助けた時だった。アームでは届かないような棚の上にある部品を、脚立を使って取ってあげた時、ロボットから感謝の気持ちを込めて一礼されたような気がした。

「え?」

 どきりとして固まる律歌を背に、アームロボットは去っていく。

(気のせい……よね?)

 しかしこの場所に立ち入ってからずっと、ロボットがなんだか律歌達を見つめているような気がして思わずぞくりとする瞬間が何度かあった。ロボットなのにまるで人間かのような奇妙な違和感を覚えるのだ。不気味の谷現象というやつだろうか。ロボットというのは、あまりに人間に近づきすぎると逆に不気味さを感じるようになるという。でも、それは、精巧につくられた人型ロボットに対して抱く感情だったはず。こんな、産業アームロボットに対しては、便利だなとは思うもそれ以上の感情など湧かないはずなのに。

「変なの……」

 各々別の場所で仕事をこなしていたが、トイレに立ち寄ろうと通路を曲がると、ちょうどトイレから戻ってきたらしい支倉と出くわした。彼は防護服を着直しながら「トイレが水洗でしたよ」と不思議そうに報告してくる。

「そんなの、今どき普通でしょ」

「ここが下水処理場ならわかるんですが、汚泥処理場なのに、水洗なんだな、って」

 律歌が首を傾げると、公共施設について詳しく説明してくれた。

「下水処理場と汚泥処理場って役割が違うんですよ。下水処理場は手洗い水などと一緒になって流れて濾過されて処理されていくけど、汚泥処理場は汲み取り式で下水管などが通っていない地域のもので、肥料や燃料に変えるための施設です。今じゃだいぶ全国的に少ない。今思えばなんでこんなところに大規模な汚泥処理場があるんだろう。さすがのEランクの人たちも水洗トイレなのに。しかも、ここさえ水洗ときてる」

 支倉は最後の方になるとぼそぼそと独り言のようにしゃべっている。トイレ付近のこの場所はアームロボットも寄り付かず、静かだ。律歌は聞くとはなしに彼の独り言に耳を傾けていた。しばらくちょっと休憩だ。窓の外ももうすっかり日が落ちて暗くなっている。その時、

 ピカッ!!! ゴロゴロゴロ……

 大きな雷が鳴って、雨がザーザーと降り始めた。

「ひぇーーー!」今までのおどろおどろしい雰囲気と相まって思わず支倉に飛びつく。彼も驚いていた。二人、息を整えていると、今度は後ろから妙な異音がすることに気が付く。コツ、シューッ、シューッという音だ。

「これ、何の音なの……?」

 なんだか気味が悪い。細い通路を振り返ると、そこに一台のアームロボットが現れた。

「え……?」

 人間が使うトイレしか存在しないこの通路に何の用があって立ち入るのか。

「故障なのかな。さ、行きましょ」

 律歌は願いを込めてつぶやくと、トイレに逃げ込むことにする。支倉もなんだか胡乱うろんなものを見るように、壁に背をつけて道を空けて、細い通路をロボットとすれ違う。心霊現象だなんて考えたくもない。男女兼用で一つしかない多目的トイレに入った律歌はすぐさましっかりと鍵をかけた。だが、用を足している時だった。すぐそばから、シューッ、コツ、シューッ、シューッ、という音が鳴り響いてきた。ロボットは通り過ぎるわけではなく、なんとトイレの前に足を止めて、アームでドアを引っ搔いているらしい。

「きゃあ! 誰か来て!!」

 支倉がまだ近くにいることを願って大声で叫んだ。手早く用を済ませて立ち上がる。異様なものを感じてしまう。次の行動が読めなくて気味が悪い。

 バタバタバタッと足音がして、

「おいっ、なんだこのロボット! 離れろっ」

 支倉が戻ってきてくれたことに安堵し、律歌は個室の外に出た。支倉がロボットを羽交い絞めにしている。ザリガニのようなアームがじたばたと動いている。

「これっ、おそらく力じゃ勝てないっすよ……! 今のうちに」

 支倉に礼を言って律歌が隙間を抜けると、支倉もするりと身を躱して後ろに続いた。二人で走る。

「もうここから逃げましょ、ちょうどそろそろ時間よ!」

「そうしますか……ここ、なんか変な感じするんですよね」

「そうよね、川橋を拾って、さっさと出るわ!!」

 可哀想に、こんな場所で川橋は相当怯えているのではないだろうか。通路を出て大広間、うじゃうじゃと不揃いに動くアームロボットの集団の間を全力疾走で抜けようとすると、ロボット達に一斉にこちらを振り返られた。

「ひいぃっ」

 やっぱりここは何かおかしい。

 広間の端の方でうずくまる川橋を見つけ出した。思った通り怖がっているようだ。腕を引っ張って起こす。

「ここを出るわよ!」

「いぃぃぃ痛たたたた」

 思わぬ反応に手を引っ込める。

「ど、どうしたの……って、熱っ」

 掴んだ川橋の手が熱い。引っ張られて捲れた防護服の隙間から見えた腕はパンパンに腫れている。

「すみません、なんでもないです。わかりました、タクシーをすぐに手配いたします」

「待って、大丈夫……?」

「申し訳ありません、穴に落ちた時にちょっと左腕を怪我したみたいです。たぶんヒビくらいは入ってると思います」

「そうだったの!?」

「面目ありません」

「いいから、とりあえずここを出ましょ! そのあと病院よ!」

 退勤手続きの仕方がよくわからないので、借りていた防護服を脱いで適当に丸めて置いて、「帰ります!!」と大声で叫んで玄関口を飛び出た。山の中だからタクシーはなかなか来ないだろうが、とにかくこの建物の中から脱出したかった。外に出て山間の新鮮な空気を吸い込む。といってもまだ臭うはずだが、鼻が曲がってわからない。雨が降っているので屋根の下でタクシーを待つことにした。山の中は真っ暗で、光源は施設内から漏れる明かりくらいしかない。それだってパカパカと消えかけているものもある。

「はあ、はあ……。なんだったのあの施設。というか、あのロボット。様子がおかしいわよ」

「気味悪かったですね……」

 支倉と口々に言い合っていると、隣に立つ秘書の大怪我を思い出す。

「川橋! あなたね、怪我してるなら、どうしてすぐ言わなかったのよ!」

「いえいえ、言っても、仕方ないですし」

「骨にヒビ入ってるんでしょ!? 折れてるかもしれないじゃない! 腫れて、熱持ってたわ」

「はい……」

 川橋は、バレてしまったというように首をすくめる。

「すぐ病院よ!」

「いえ、それだけは……」

「え?」

「病院は、とても苦手なのです」

「何言ってんのよ」

 今日は川橋の意外な一面ばかり見つかる日だ。川橋はいつだって自分よりずっと年上の大人で、律歌は普段それに頼り切って甘えてばかりいるのに。それなのに今日は、お化けが怖いとか、病院は苦手だとか、まるでお子様のよう。すっかり呆れて、律歌は向き直って言った。

「このままだと痛いままだし、仮に放置して治ったとしても変な風にくっついちゃうわ。この日楽食品にだって病院くらいあるわよ。まあ今はEランクだからすんなり受診できるかはわからないけど……ランクを戻してでも必ず受診すること! すぐによ!」

 強めに半ば命令口調で訴えたつもりだったが、「うーーーーん」とこの期に及んでまだ行き渋っている。命令には唯唯諾諾と従う姿の方が見慣れているのに、ほら珍しい。行きでのパワハラ抗議発言と重なった。

「……なんでそんなに病院が嫌なの?」

 今度は小さい子にそうするように、優しく聞いてみた。川橋は「本当はこれは言いたくないんですが……」と口ごもりながら、

「自分は、かなり霊感が強い方で、病院へ行くと必ず見えてしまうんですよ」

「ええっ……!?」

 思い出したようにブルブルと震え始めた。

「見えるから、向こうから寄ってくるんです。見たくもないのに……」

「そ、そうだったの……」

 律歌にそんな経験はない。自分が持っているのは霊感ではなく0感というやつだ。怖い話は好きでよく動画を見たりするが、それはあくまで娯楽として好きなだけで、自分は安全なところにいて楽しみたいと思っている。自分の身に起こるのは……ちょっと困る。まさか、こんな身近に霊感の持ち主がいたなんて。

「それじゃ……さ」

 意を決して、尋ねてみる。

「ここにはどんな霊がいるの?」

 川橋を子ども扱いする気持ちはもうすっかりなくなっていた。異能力者を頼る気持ちで、相談してみる。彷徨える魂よ、安らかにお眠りください。そんなことを願いながら、律歌は固唾を呑んだ。しかし、

「ここには霊的なものはないですよ」

 川橋はあっけらかんと言った。

「え?」

「そういう感じじゃないんです」

「ずっと不気味な感じがしてたけど……」

「それは私も思いました。しかし、霊とはまた別です」

「幽霊の仕業じゃない……?」

 川橋の霊感を信じるなら、そういうことになる。広間の片隅にうずくまっていたのは、腕が痛いせいだったらしい。

「じゃあ、あの変な感じは、なんなのよ」

 半分ほっとしながらも疑問だけは残ったまま、ようやくやってきた無人タクシーに乗り込む。雨はもうすっかり上がっていた。

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