2・待ち望んだ連絡

 六月、国会が閉会し、律歌は日々の業務を粛々とこなしていた。

 地盤である愛知七区に戻って梅雨の中の挨拶回り、お偉いさんとの会合、勉強会の開催に催し物への参加、ブログの更新と3D動画を撮ってお礼と報告。それから仮想空間へオンラインでフルダイブしてライブ配信。サラリーマン時代とはまるで違う日常だ。政治家は表に出て発信していかなければならない。この日は朝から葬儀への出席だった。

「この度はご愁傷様です」

「末松先生にまで参列していただきまして、本当にありがとうございます。お足元のお悪い中、どうも……」

「悲しみの涙雨ですね……」

 神妙に眉を顰め、会場を後にする。駐車場には秘書の川橋がこっちこっちと手招きしていた。

「先生、次は結婚式です! コンビニに移動します。素早く着替えてください」

 午前中に葬式出席と結婚式出席をこなすというかなりの強行スケジュールだ。

「喪服からパーティードレスって、なんだかなあって感じよね」

 同じ雨も、結婚式会場では、雨上がりの虹を見上げるようなジューンブライド! という口上となるわけで。手渡された原稿を見ながらため息をつく。

「先生、笑顔、笑顔!」

「む、むむう」

 正直全然気持ちがついていかない。

「参加することに意義があるんです」

「運動会じゃないんだから」

「運動会は明日です。H山中学校の開会式でご挨拶させていただく予定です」

「はあ~。延期した予備日のやつね。また雨降れ~」

「先、生。そしたらまた延びるだけですから」

 運動会は天候の安定する、涼しい初夏にやる学校も多くなってきた。けれど、延期で梅雨に足を突っ込んでしまっては目も当てられないなとも思う。ぶつぶつやりとりしながら車に乗り込みかけている時だった。ふと、声がかかった。

「末松さん、あの……すみません!」

「あら?」

 ご遺族の関係者だろう。喪服姿の、自分と同じくらいの年代の女性がそこにいた。ハレの日に切り替えつつあった心を元に戻し、憂いた顔で向き直る。

「どうしました?」

「先生に申し上げることじゃないのかもしれないんですが、困っていて……」

「聞かせてください」

 川橋の視線が気になったが、無下にはできない。

「恋人が、岐阜の日楽食品に勤めているのですが、音信不通なんです」

 日楽食品、と言った。そのワードを聞くのは今回が初めてじゃない。

「詳しくお願いします」

「仕事が忙しいと漏らすようになってから返事が無くなって……。最初は、それだけ多忙なのだと思って気にしていなかったんです。でも、ひと月も返事がないのは初めてのことで。デートの約束もしていたけど、その日も過ぎてしまったし、こんなことって初めてだから、警察にも行ったんです。でもあそこはもう治外法権だということで断られてしまい……」

 まただ。

「そういった声、初めてのことじゃないんです」

「そうなんですか?」

「特に日楽食品は多いんです」

「そんな……」

「近く、調査に行ってみる予定です」

 その後は安心させるようになだめて、絶妙なタイミングで川橋に声をかけられて車に乗り込んだ。

 日楽食品に勤めている人と連絡が取れなくなった、という話は以前から多いと思っていた。ネットを見てもそんな書き込みは数多くある。捜索願いが出されることもあるが、その場合は現在の写真と共に生存確認のメールが送られてくるのだという。治外法権となった今、警察の介入もますますしづらいだろう。

(ひと月か……)

 恋人とそんなに連絡が取れなかったら、普通、心配になるものよね。私の場合は、もう二か月は返事もないけど……。

 完全自動運転の車内は向かい合って座るのが主流で、目の前では秘書の川橋が忙しなくホログラムディスプレイを操作している。律歌は後部座席でスマートフォンを確認した。解除してLINEアイコンをタップ。電卓からLINEが届いていないか、何度も繰り返した動作。

(来るわけないか。電卓も、きっと仕事を頑張ってる……よね。疲れて寝て、仮想世界にいるのかも)

 半ば自分に言い聞かせるようにして、画面を閉じる。

「予定を変更して友人挨拶を先にしてもらいました」

 連絡を終えたらしい川橋に声をかけられた。

「ありがと」

「コンビニに着きますよ。着替えは五分でお願いします。その間、私は何か買ってまいります」

「はいはい。じゃ、モンエナをお願い。カロリーゼロのやつ」

「承知しました。おなか痛くならないように、ほどほどに」

「わかったわよー」

 秘書がエナジードリンクの利尿作用にまで気を払ってくれるのはありがたいというかなんというか。まあたしかに挨拶前後で緊急退席する愚は避けたい。

 超特急でドレスに着替えた後は、車内で川橋にストレートヘアを巻き巻きにしてもらう。今日は黒ラインの入ったクリームイエローのドレスに、真珠のネックレス。そんな格好に合う、ふわふわハーフアップ。あまり凝ったことはできないが、時間がない時は彼の腕で十分だ。披露宴に遅れて参列した律歌は、最前列の丸テーブルに案内された。同じテーブルには、地元有力者の顔がずらり。愛知県を代表する世界のフジタ自動車株式会社の重役数名に、元農業協同組合のお偉いさん。だがそんな偉い人代表挨拶は国会議員である律歌で、最年少である。

「本日は誠におめでとうございます。雨上がりの虹を見上げるようなジューンブライド! ご両家のおめでたい席にお招き頂きまして、大変光栄です」

 新郎新婦が梅雨時期の六月をあえて選んだからには、雨すら誇りに思えるようにジューンブライドを強調する作戦。大役は無事に果たした。これで新郎親族の顔も立つだろう。名前も売った。あとは適当にご馳走を消化して、川橋に声をかけられて途中退席するのみである。新郎の両親が挨拶回りを始める前にその時は来た。律歌は席を立って、後方の親族席に失礼する旨を伝えにいった。

「これはこれは先生、お忙しい中、ご参列いただきまして、本当にありがとうございます」

「こちらこそ。本日はおめでとうございます。遅れてしまって、申し訳ありません」

 親族席の空席に目をやる。運ばれてきた食事は手付かずで、中座している様子もない。

「ああ、弟も参加する予定だったのですが、仕事が忙しくて休めないんだそうですわ。すんません……」

「どちらに勤めていらっしゃるのか、お聞きしても?」

「日楽食品です。隣りの県の……」

 ここでも出てきた。

「ご連絡は取れていらっしゃいますか?」

「連絡は取れています。けど、本当に忙しいみたいでね……」

 ということはまだマシな部類だ。律歌は一礼し、出口で待っている川橋の方へと歩みを進めた。

 企業が各地を支配するようになってから、ああいった悩みは多くなってきている。岐阜県と言えば巨大企業日楽食品株式会社が治める地域だ。閉鎖的で、中の様子は外部からはわかりにくい。一度行ってみる必要があるなとは思っていた。この国を変えるため、暗中模索している今、やれることはなんでもやってみなければ始まらない。

「川橋ぃ、この後はー?」

「商工会議所にて配布チラシ原稿の打ち合わせ、十九時からジェンダー講演会へのオンライン出席、そして明日は朝からH山中学校の運動会ですから二二時にはご就寝していただき、仮想空間にて3D動画撮影を行っていただきます。そのあとはいつものようにオンライン交流会ですね」

 夢の中まで予定がぎっしりだ。ただただ睡眠を取ればよかった時代が懐かしい。今やRSシステムによって、睡眠は五分に短縮された。脳から発せられる電気信号を読み取って自動解析、機械上で最適化デフラグして電気刺激を送り返し脳に反映させることで疑似的に脳のメンテナンス――つまり睡眠時間を短縮させる〝高速睡眠システム 〟がインフラとなっている。肉体は変わらず八時間程度休ませる必要はあるため、その間は仮想世界での活動になるという制限付きだが、実質的に寿命が延びた。そしてそれを開発したのはほかでもない自分であり、頭脳労働の価値を下げ、日本の過労を促進させた。その罪悪感が律歌を突き動かしていた。

「日楽食品の視察も予定に入れたいんだけど」

「お隣の県ですか……」

 挨拶回りの過密スケジュールに押しつぶされそうになりながらも、本分は国をよくすることだという認識が律歌の中には厳然とあった。日本をこんな過労状態にした責任を取らなければならない。しかも自分は、全国的な知名度で国会議員になっている分、選挙区での挨拶は多少控えめにしても生き残れるはずである。だったらなおのこと国全体のことを考えて行動することに重点を置きたい。一日は二四時間しかなくて、何にどれだけ割くかは個人の判断だ。

 窓の外、歩道を歩くカップルが一つの傘を開いた。仲良く身を寄せ合って入って、何かをしゃべっている。ぽつぽつと雨が降り始めていた。すっかり梅雨だ。学生の頃は六月といえば祝日がないことを嘆いたものだったが、今や祝日休みの方が珍しいという世の中になった。土日のどちらか片方は働いている者がほとんどだ。唯一休みの日として生き残っている貴重な休日に、人々は友と語らい、恋をして、家族と過ごす。

(電卓から返事、来ないな)

 毎日毎日、膨大な数の人と接触し、笑顔と希望を振りまいて、秘書の川橋や関係者と行動する。

(それで、孤独が消えるわけじゃないのよね)

 結婚披露宴で幸せそうな新郎新婦を見て、若干ブルーになってしまったかもしれない。

 東京と地元愛知を往復する会期中には電卓に何度か会いに行ってみたことはあったが、ほとんどの場合電卓の仕事が忙しく構ってもらえなかった。こっちが時間を作って用意した手料理を、不在の家に置いておくだけ。食べているかどうかも分からない。そんなの恋人って言えるのだろうか。

(私のこと、嫌いになっていないかな)

 心当たりはない。今までと変わらない。国会議員になってからはやはり忙しくて、電卓に割く時間も物理的に減ったが、会える僅かな時間を充実したものにしようとこっちが工夫しているのに、電卓はまるで仕事のことしか考えていない。律歌側の忙しさが原因じゃないだろう。

(もしかして、もう新しい恋人がいるんじゃ……?)

 仕事が忙しいというのはポーズで、時間を作って他の女の子と会っているのだとしたらどうしよう。そんなわけない、と頭から振り払ってきた。でも、現に電卓は律歌の傍にはいないのだ。しかも、もう、ずっと。

 自分がこんなに孤独に苦しみながら仕事に明け暮れている一方で、電卓が他の女の子と二人愛を紡いでいるとしたら、とても、とても耐えられない。考えるだけで胸が詰まる。耐えられないし、許せない。仕事が忙しいという言葉を信じて尊重し耐えてきた自分に対して、あまりに不誠実だと思う。

(こんな苦しい気持ちでいなくちゃいけないものなのかな、恋愛って)

 あるいは、純粋無垢な「狩猟」の血だけが流れるパートナーと巣作りすること自体が、無謀なのか。子孫繁栄のために食糧を調達し、子孫繁栄のために集落を形成する。そのはずが、相方が獲物を狩ることのみに夢中になってずっと家を空けていたら、子どもはできない。子孫は繫栄していかない。そのことに一方が不安や不満を抱くのは、生物としてとても自然なことのように思う。

 その時、スマートフォンに着信が入った。すぐ手元を見る。

「えっ」

 固まる。時が止まった。

 発信者は「電卓」と表示されていた。

 けたたましく鳴り続ける着信音。

 自分からメッセージを送ることは何度もあるが、いつだって既読無視または未読無視で、電卓の方から連絡が来ることなんて皆無だった。それも、通話で?

(なんの用事だろう)

 怖いとさえ思った。ついに、三下り半を突きつけられるのかもしれない。でも、それならそれで、もう仕方ない。自分なりに精一杯やってきた。これでダメなら、もうできることはないし、自分の方がもう限界だ。早く楽になりたいとすら思えてくる。次はもっと、「集落」を大切にしてくれる人と幸せになろう。

 「先生、いかがしました?」と、正面向かい合って座る川橋が顔を上げて視線を向けている。律歌は「電卓から電話」とだけ告げた。それだけでもう川橋は察したらしく、資料整理に戻った。

 このまま出ないと切れてしまう。そして、次に繋がるのはいつになることか。律歌は震える指で受話器マークをタップした。

「もしもし」

「律歌、久しぶり。今、いい?」

 スピーカーから聞こえてきた声はからっとしていて、拍子抜けするくらい軽い口調だった。

「う……うん!」

 なんだ。国会が閉会したから、そろそろ遊びの約束がしたいのかも。そう思うと、気分が軽くなってきた。どこ行く? 何する? 耳を傾ける。

 しかし彼から投げかけられたのはそうではなかった。

「律歌は厚生労働委員会所属だったよね。俺は今、日楽食品の仮想空間の設計に携わっているんだけどさ」

「えっ、う、うん」

 日楽食品?

「使えるはずの容量が使えなくて困っているんだ。カツカツで重くてさ。見えないデータが蓄積されてる。それで日楽食品の敷地内に存在する人口数を計測してみているんだけど、その数が、そもそも登録人数と合わないんだ。登録人数が約一四〇万人で、実際に計測できた人数が一一四万人程度。一八パーセントも少ない。ならばむしろデータ量なんて軽いはずなのに、実際は逆のことが起きてて。何か知らないか?」

 待って。

 いったい何の話をしているのか。

 予期せぬ方向からの話題で、頭の中をはてなマークが埋め尽くしている。

 てっきり、別れ話かデートのお誘いだと思ったが、違うらしい。

 仕事の話だ。

 なんだ、電卓はやっぱり仕事を頑張っていたんだ。浮気なんてしている暇はないんだ。寂しさはあれど、そこはほっとして少し元気が出てきた。

「日楽食品といえば、ブラックで有名な食品会社よ。失踪も相次いでいる」

 電卓が自分に何からの助けを求めているらしい。

「そうなのか」

「ええ。代表的よ。人数が合わない?」

 電卓に頼られていることが嬉しいと思った。絶対に何か役に立ちたくて、パワーがみなぎってくる。孤独じゃない。必要とされている。これは「集落」の血だろうが、力は力だ。

「合わない。他の企業の誤差は多くても一〇パーセントには収まるのに、一八パーセントだ。何度計測し直しても同じで、理由がわからない」

「そう……。うーん」

 実際に存在する人と登録数が合わない? 他の企業は誤差一〇パーセント以内なのに? 日楽食品は、岐阜県一帯を開拓して都市化し、一大王国を築いたマンモス企業だ。そんな企業は今や日本にいくつもあるが、中でも日楽食品は巨大にして閉鎖的であり、厳しいランク制度を採択していて過労が進んでいると言われている。

「なのにデータ量だけは異常に多くて、このままじゃ仮想世界を構築なんて無理だ」

 日楽食品ほどの巨大企業なら、死角が無いほどまでソーシャルカメラが設置されているだろう。そのデータは電卓に提供されていて、カメラが捉える人物数と登録数が合わないというわけだ。

 しかも、岐阜県に働きに出た者と音信不通になったという相談が多い。

 今やこの国の死因第一位は過労死だ。

 嫌な疑念が脳裏をよぎる。

 ブラック企業の代表格である日楽食品の、実際に存在する人数と登録数の乖離。

 それはもしかして、しているのではないか? データ量が異常に多いというのはよくわからないが。

「調査に行く。また連絡するわ」

「わかった」

 律歌は電話を自ら切ると、身を乗り出して川橋に言った。

「社長に挨拶する名目で調査に行くわ。厚生労働委員長に連絡して」

 川橋は作業を中断し、メールアプリを起動して代筆してくれる。

「調査を優先させますか?」

「そうね」

 律歌は目を閉じて、想像を巡らせた。

 閉鎖的な企業の中で、人が消えていっているとしたら。測定間違いが起こるような現地の環境上の問題だったらそれでいい。それを電卓に伝えればいい。でももしもそれが、隠された死亡者数だとしたら、そんな実態が明らかになったとしたら――企業自治法が可決されて、国民の感情も揺れている今、これだけの数の死者が企業によって隠蔽されているとしたらさすがの国民も憤るに違いない。

 ――そうなったら、自分の立場を明かす時だわ。

 世論を動かすタイミングが訪れたら。ここまで企業に味方のふりをして尽くしてきた、我慢の日々もついに終わりにできる。実際、何か手がかりが見つかる可能性は低いだろう。だが、僅かな可能性も今は見逃せない。そうでもしなければ、これだけ企業優位なこの国を変えるなんてことできない。食らいつくつもりで、律歌は向かうことにした。

「最優先にして!」

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