3・エリートキャリア官僚

 川橋の処置は迅速だった。その日中に日楽食品社長安楽城あらき啓作けいさくへの挨拶の日取りをつけてくれた。企業自治法が可決したことで、厚生労働委員会は各地の様子を伺いに回っていて、その一環に加えてもらったらしい。もともと、高齢化の進む政治家の中では比較的うら若き乙女の末松議員は華があると評判がいい。翌週には決行可能、しかも厚生労働省の官僚までつけてくれることになったのだった。それまで律歌は前倒しで仕事を押し進め、スケジュールをこじ開けた。

 そうしてやってきた当日、自宅まで迎えに来た無人タクシーには既に二人のスーツの男が乗り込んでいた。一人は川橋で、もう一人は――

支倉はせくらあさひです。本日からよろしくお願いいたします」

 え、この人が付き合ってくれる官僚?

 驚く律歌を、小ぶりでくりりとした丸い瞳が見ている。若過ぎはしないが歳をとってもいない、少し若い若手。彼は席を川橋の横に移動して、上座を譲ってくれた。

「先生、事前資料にはお目通しいただきましたか?」

 面食らいつつ乗車する律歌に、正面の席から川橋が確認してくる。

「した、けど……」

 人と会う際には必ず川橋が下調べをしてくれるのだ。それこそ総理大臣から国会見学の小学生まで。一国の代表と小学生一人一人では深掘り具合はさすがに差はあれど、防衛大臣のご子息様、といった情報はくれる。

 だから、彼のことも情報としては頭に入れていた。

 支倉旭。K大学大学院法学部修士課程修了。現在は厚生労働省医薬食品局に勤務。

「だって、なんか、意外で」

 勝手なイメージとして、定年間近の暇な窓際職員だろうと思っていた。ところがだ。どう見ても自分と同じ年くらい。しかも、今日だけじゃなくこれからしばらくの間付き合ってくれるらしい。不夜城と言われる霞が関で、バリバリ仕事をこなしているべき年頃の官僚が?

「あなた、よく来てくれたわね。こんなことしていていいの? キャリア官僚じゃないの?」

 これでキャリアじゃなかったらなんだか気まずくなるなと思ったがその心配は無用だった。

「はは、まあ自分はキャリア官僚ですね」

 さらりと首肯し、支倉は笑った。爽やかで嫌味もない。

「でも、それをおっしゃるなら、末松先生だって著名人で尾連自おれんじ党の若き有望株。そんな先生が日楽食品の安楽城社長にお会いになるんですから、私みたいなのも用意されますよ」

「ふーん」

 シートベルトを締めながら、正面の若手エリートキャリア官僚を眺める。隙なく整えられた髪も、磨かれた靴も、体にきちんと合ったスーツも、デキる男のそれだ。箔が付くのは悪いことではない。使えるものはとことん使うのみだ。

 赤津ICから高速道路に乗り愛知県を抜けると、東海環状自動車道で北へと走る。一段高い場所から景色を見ていると、取り囲む透明な壁が見えてきた。関市から高山市までを取り囲む巨大な強化ガラスである。岐阜県の半分を丸のみする仕切りが、まるで未来都市のショールームのように演出している。これこそが天下の日楽食品の敷地なのだ。緑豊かだった岐阜県は、日楽食品が拠点として開発したことによって一気に都市化した。閉ざされていて基本的には日楽食品関係者しか入ることはできないものの、人口は一四〇万人を超えていて大いに栄えている。――はずだ、数字上は。

「本当に大企業……でも、隠し事はよくないわ」

 車が高速道路の出口の方へ向かう。高速道路は誰でも使用可能だが、日楽食品関係者以外は途中下車できない。

「あっ! 門が見えてきた!」

 細く巨大な自動ドアみたいな門だ。

「関所ですね」

 支倉は涼しい顔で教えてくれる。「この車は通行認証されてるはずだけど、生体認証も必要なので……秘書さん、それは大丈夫ですか?」

「手続きは済んでいます。問題ありません」

 門に近づくと車内のガラスにそれぞれの本名と生年月日と顔が映し出され、スピーカーから『認証OK』という音声ガイダンスが流れる。ふと見れば支倉の生まれた年と律歌の生まれた年が同じだ。ということは同じ年齢なのか。大体予想通りだった。責任ある業務を任されるようになり、面白くなってくる頃。個人情報保護のため表示されたのはそれだけだが、裏ではマイナンバーから職業、経歴が照会され監視されていることだろう。同じ年月を生きてきながら、その内訳はまるで異なる。律歌は彼の横顔を見ながら、この人は何を思ってここに座っているのだろうと考えた。答えはわからなかった。

 二本の塔に挟まれたガラスが音もなく自動開閉し、車は無事通過した。

『これより日楽都市に入りました。ようこそ』

 無人タクシーのスピーカーからそんなアナウンスが流れ、いよいよという感じだ。車はゲートを越え、そのまま勝手に進んでいく。

 ガラスの向こう側へ足を踏み入れると、三人に変化があった。頭上に「GUEST」という文字が浮かんでいる。頭を揺らしても一定位置についてきて離れない。慣れるのに少し時間がかかりそうだ。そしてがらっと景色も変わった。真新しい都会の街並みは管理されているであろう緑に彩られ、そこら中に小型飛行機のようなドローンがびゅんびゅん飛んでいる。企業敷地内ということで、ある程度の高さまで航空法を無視できるのだろう。古い法律に縛られた日本国内ではここまでの光景はなかなかお目にかかれない。道を行く人がふと立ち止まり、変身するようにホロ装飾を着替えていた。これが噂に聞くホロアバター完全対応文化か。建造物のホロ装飾はある程度見慣れてきたが、服飾ホロアバターは限定的な非日常エリアでしかなかなか触れることができなかった。コンサート会場とか遊園地とか。しかもホロアバタースーツの着替えとセットだから結構面倒なのだ。服飾ホロは三六〇度どこからでもリアルタイム投影されていないと成り立たないため、日本では発展途上。だが、これだけのドローンがあれば、それも実現するらしい。家を出るときから帰ってくるまで、いや、家の中でだってホロアバターで過ごすのだろう。

「アバタースーツで来ればよかったわね」

 何気なく、向かいの二人に言うともなしに言ってみる。

「お気に入りのアバターがあったのに」

 支倉とぱちりと目が合った。

「そのスーツもお綺麗ですよ。可愛いです」

 慣れた調子でおべっかを言ってくる。

「そ。ありがと」

 こちらも慣れたように返すだけだが、内心どきどきしてしまった。今日は黒のワンピーススーツに白のジャケットを合わせて、腰をピンクのベルトで留めている。自分でも似合っていると思っていた。そして支倉旭という爽やかエリートは愛嬌のある小動物顔だが、正直なところイケメンだと認めざるを得ない。クラスにいたら女子にはモテモテだろうな、なんて思う。そんな彼に褒められるとどうしようもなくたじろぐ。

 すると、

「末松先生って、過労をなくそうとされていますよね」

 直球の質問が飛んできて、逆ベクトルにどきりとして押し黙る。

「今回の調査も、その一環で?」

「え……と」

 浮ついた気分が吹き飛んだ。企業の利益に反する活動というのは、大っぴらにはできない。過労問題のような「国民のため」の活動は、党員は皆、建前としてのみ行っている。だが、今回の律歌は違った。社長への挨拶というのは敷地内に足を踏み入れるためのただの名目で、実際は失踪と人口数の消失の謎を解き明かすための潜入捜査なのだ。陰謀渦巻く政界の人間に、簡単に明かしていいはずもない。ただ、味方につけられたら強い。厚生労働省医薬食品局勤務のこの男が協力してくれたら、勝算が高まる。にやりとアイコンタクトを送られた。律歌と同じ二九歳の、若手エリートキャリア官僚の彼の小さく丸い黒目がちな瞳には底が見えない。

「協力できるかもしれませんよ」

 支倉の囁き声に、メール返信を書いていた川橋も手を止めて律歌をじっと見つめている。律歌が悩んでいるうちに車が停まり、ぴかぴかに舗装された道路の前方に人だかりが見えた。一五人ほどの塊は、全員スーツ姿で、こちらの車を確認すると慌てたように近づいてくる。おそらく出迎えるために待機していた人達だろう。律歌も「降りるわよ」と声をかけた。無人タクシーなので運転席はなく、椅子は向かい合わせの配置であり、律歌の正面に座る秘書川橋が先に降りてドアを開けてくれた。

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