2・風船を飛ばして上空から撮影してみることに。

 翌朝、さっそく天蔵の宅配に起こされ、律歌と北寺は眠気まなこをこすりながら準備を進めた。北寺の作ってくれた水素で風船を膨らます。

「お、浮くね~」

 スマートフォンケースに空いているストラップ用の穴に紐を括りつけて、風船にスマートフォンをぶら下げようとするが、さすがに一つの風船では落下してしまう。五個では徐々に落下。十個ほど膨らませると、ちょうど釣り合うようにしてスマートフォンがぷらーんと宙に浮かんだ。

「上空に浮かせるには、もっといるわね!」

「オッケー」

 水に電気を流して軽く爆ぜさせ、水素を作ってはポンプで風船を膨らませていく。十五個ほどのカラフルな風船の束が出来上がった。

「あんまり多すぎると飛んでいってなかなか戻ってこなくなるかな? 万が一にもスマホが壊れたら怖いよね……天蔵の注文ができなくなるんだろうか」

 洗剤や定番お菓子など、使用頻度の高い消耗品や食品についてはワンタッチ注文が可能の〝ダッシュボタン〟もあるが、基本的にはスマートフォンによる発注だ。見失うほど飛んでいくことまで考えていなかった。

「録画できる小型のビデオカメラでやったほうがいいな。不安だから。水没なんてしたら大変だ」

 言われてみれば、スマートフォンが故障したら天蔵の発注はどうなるのだろう。

「えー。じゃあそれ今から注文して届くまで待つの~?」

「うーん。その方が安心じゃない?」

「そうだけど、んー……天蔵の発注用の専用機とかないの?」

 ここまで準備したことだし、待ちきれない。

 律歌は天蔵の通販サイトを隅々まで調べてみる。すると、よくある質問のコーナーに「スマートフォンが壊れてしまいました。どうしたら注文できますか?」という質問を見つけ、タップして開く。

「あ、なんか、万一スマホが壊れたら発注のための新しい機械を送ってくれるみたい。パソコンからだってアクセスできるみたいだし、救済措置もちゃんとあるのね。じゃあいいか。スマホ飛ばしちゃいましょ」

 注文すれば午後には届くが、待つのも面倒だ。

「じゃあ一応、名前とメモを書いて貼っておこう。見つけた人に届けてもらえるように」

 そう言って北寺は「このスマートフォンを拾っていただきありがとうございます。可能でしたらこちらの場所まで、伝言等でご連絡ください。取りに伺います。もしくは持ってきてくださると幸いです。ご迷惑をおかけします。末松律歌 北寺智春」と書き、先日作成した地図と共にテープで留めてくれた。電話やメールは通じないし郵送もできないため望みは薄いが、まあ何も書かないよりマシだろう。

 風船十五個分の紐を手に、割らぬよう気を付けながら外に出る。ぬるい空気がふわっと頬を撫ぜる。

「ん~んっ。天気いいわね」

 ほどよく風もある。律歌は、風船を握った北寺と少しだけ歩いて、南の山の方へ近づく。

「この辺から飛ばしてみる?」

「いいんじゃない?」

「よーし」

 じゃあ録画をスタートして……と、律歌は画面に出た赤いボタンをタップ。ポッという音と共に録画が始まる。

「手、放すわよ!?」

「うん!」

 律歌が紐から手を放すと、十五個の風船にぷらぷらと吊り下げられたスマートフォンは一気に空へと浮上していく。律歌と北寺はそろって空を見上げた。青々とした大空に、赤や黄色や青や緑など色とりどりの風船のまとまりが浮かび上がって、南へ緩やかに流されていく。律歌はそれを小走りに追いかけた。スマートフォンから位置情報を発信し続けるようにしたいところだが、残念ながらその情報はここでは失われている。

「あっち行った! 山の方!!」

「あー……ちょっと速いな。自転車で追いかけようか!」

「ええそうしましょう!」

 小さくなっていく風船の束を見失わないように、気を付けて見つめ続けながら、マウンテンバイクにまたがる。風船はまだまだ高く上がっていっているようで、黒い点の集まりのように小さくなっていく。

「風船って、どこまで飛んでいくものなのかしら」

「上空八キロだったかな。八千メートルっていうと、だいたいエベレストくらいの高さまでは行くってことだね」

 北寺が並走しながら答える。

「それ以上、上に行くと?」

「割れる」

「どうして?」

「凍るから」

 北寺の話では、気圧の低下で風船はどんどん膨らみ、最後は上空で冷やされてゴムが凍りパリンとこなごなに割れるらしい。だがエベレスト――いや富士山の高さまで上がってくれれば十分である。苦戦を強いられたあの山もさすがにそこまで高くはない。山の向こう側が撮影できていることだろう。

「りっか、風船は?」

 北寺に聞かれ、律歌は目標を見失っていることに気が付く。「ああっ、どっか行っちゃったわ……ううーん、見失ったあ……」

 でも、最後に見えたのは南と西の間の山の方面だ。それを聞き北寺は、進行方向を見定め、適当なところまで走らせると先に停車した。

「風船がいくつか割れて、それで落ちたんじゃないかな? ここからは歩いて探そう」

「うん」

 辺りを捜索していると、木にほとんど割れた風船の束と紐が引っかかっていたのを律歌が発見した。北寺がよじ登って取ってくれる。さて、その成果はいかほどか。

「どうー? 北寺さん、撮れてる?」

「まだ撮影中になってるね。停止するね」

 ピコン、と停止の音。

「さ! 再生してみましょ!」

 保存終了を待って、再生ボタンを押す。動画が始まると、そこには撮影開始時の自分たち二人が映っていた。

「あはっ! なんか、どきどきする」

 映像はぶらぶらと揺れていたが、「手、放すわよ!?」という律歌の音声と共に地上を離れていく。

「すごい! 私たちがみるみる小さくなっていくわ」

 そして田んぼや道、森など大自然が映されていく。ミニチュアのように、家も小さく点在していて。よく見ると、北寺と走った道がちゃんと映っている。自作した地図と、だいたい合っているようだ。

「うまく撮れてるね」

「うん!」

 それはなかなか胸躍る映像だった。

「カメラ、まだまだ上がるわね」

「そうだね」

 山の方へと流れていく。最後は木に引っかかって終わるわけだが、既に大体の木よりは高い位置に上がっている。おそらくその前に一度、風船が割れるほど上空まで行くのだ。

「なんか航空写真みたいね……!」

 どこまで上がるのだろう、という期待が膨らんだ時、問題は起きた。

「あれ? なんだか急に白くなっちゃった」

「うん……? 失敗かな?」

 グレーがかった一面の灰色画面になってしまった。

「えー」

 シークバーを移動させても、そこからずっと灰色だ。最後まで移動させると、北寺の顔がドアップで映された。

「あ、おれだ」

「なによこれー」

 北寺が木に登って回収したときの映像だ。

「うーーん……?」

 律歌と北寺は顔を見合わせて、首を傾げた。残念だが、有益なものが撮れていない。

「いいとこまで行ったけどね」

「そうだけど……」

「最後のおれの顔はバッチリ撮れてるんだけどな」

「消すわよ」

「はーい」

 結構な時間ずっと録画が続いていたため、残り容量があまりない。

「もう一度やってみましょうよ」

「うん」

 だが――結果からいうと何度やっても同じだった。途中まではうまくいくのに、ある一定ラインを超えると何も映らなくなるのだ。そしていつの間にか落下している。

「ああもうっ……! どうなってるのよ!!」

「これは困ったね。でも、変だよな。どうして途中から何も映らなくなる? しかも、落ちてきて回収するところまでは映っているのに」

 風船を飛ばし、それを追いかけて、回収して確認。それを何度も繰り返し、辺り一面が夕日に照らされても、灰色になってしまうという結果は同じ。あるラインを超えると、一面暗い白色になってしまう。

「肝心なところが撮ーれーなーい~~~っ!」

「うーん……。なぜだ……?」

 律歌も北寺も、力尽きて地面にへたり込んだ。

「カメラが悪いのかな? 天蔵で買って、もう一度試そうか」

「そんな感じ、しないけどなぁ……」

 律歌はため息をつく。

「ねえ私、この目で実際に見て確かめたい……」

「実際に?」

「うん。何か方法ないかしら!?」

「実際にって言ったってなあー……」

「スマホじゃなくて、私が風船で吊られたらどう?」

 律歌は妙案だと顔を上げる。

「いやいや、それはやめときなよ」

「どーして」

「風船で人間が空飛ぶとか、ううーん……。そんなんだったら、気球のほうがよっぽど安全じゃない?」

「気球って、あの気球?」

「そう」

 メルヘンな絵画によく描かれているような、白い雲の浮かぶ青空にワンポイントのように描き加えられるあの気球? 眼科の検診でも、視線合わせのために用意された画像でよく見る気がする。気球といえばそれくらいしか思いつかない。律歌にとって親近感がなさすぎた。それがまさかこんな形で自分に関わってくるとは。

「じゃあ私、気球に乗るわっ!!」

 そんなの面白すぎるじゃないか。

「決まりよ!! それで上空から、この地形がいったいどうなっているのか見てみるわ」

「ええ~っ、りっかちょっと待って、落ち着こう。気球なんて天蔵に絶対売ってないと思う」

 北寺はスマートフォンを取り出し天蔵のサイトに接続、検索する。そして「ないね」と一言、画面を見せつけてくる。だがそんなことは些細な問題だ。

「そんなの、どうにかなるでしょ? 北寺さん、作ってよ」

「だからおれはドラえもんじゃないよ、りっか」

「進むべき道はすでに決まったのよ。気球で空を探索! さあ帰って作戦会議するわよ」

 そうと決まれば行動は早い。次の目標に向けとっとと場所を移動する。北寺の家に二人で帰ると、律歌は人が乗れる気球を用意するにはどうしたらいいか考え始めた。北寺がジューサーで作ってくれたトロピカルミックスジュースを飲みながら、ソファにもたれて、「気球、やってみせるわ……!」と意気込む。

 北寺は深々とため息をつき、「だから、ないってば。売ってないよ」

「手作りは? それならどうなの?」

「…………まじでー? まじで言ってるのー?」

「まじ」

 うーんと考え込む北寺。

「本気で手作りー?」

「うん!」

「うっわー……こりゃすごい依頼きたな」

 途方に暮れたように白目をむいている。しばらくそのまま静止していたかと思うと、

「ちょっと時間くれる? いいね?」

「いいけど、早く早く!」

 なんだかんだ挑戦してくれるらしい。

「私にできることは何でも言って頂戴!」

「いや……なんにも、しないでほしいかな……。できれば、じっとして動かないで、新しい閃きを控えていてくれればそれで……」

「このジュースおいしいわね。もう一杯くれる?」

「りっか、話聞いてた?」

「え?」

「はい、もういいから、おれはちょっと気球について情報集める! 邪魔しないでね!」

「わかったわ!」

 律歌自身ドリーマーの自覚はあったが、それにここまで付き合ってくれる人もそうはいないだろう。なんだってできるんじゃないだろうかという気分になる。時間はいくらでもあるのに、いくらあっても足りないとはやるような。

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