3・螽斯の旋律に誘われて

 そんな風に、「高校生活の正解」を目指して邁進していた添田に転機が訪れたのは、超初歩のプログラミングを学ぶ「技術」の授業前のことだった。早々にパソコンルームに移動を済ませ、教師を捕まえて質問攻めしている律歌を横目に、添田は共に移動してきたグループと分かれて指定の席に着いた。正面、パソコン越しに、律歌と教師の会話が聞こえてくる。

「匿名の人が、この前の問題を解決してくれたの! 高田先生もわかんないって言ってたやつ! すごいのよ、なんでも知ってるんだから! 会ってみたいわ……かっこいいんだろうなあ~」

 俺の話をしている。

 ドキッとした。褒められている。

「ええ~! うっそ!」

 教師の高田は律歌の席のパソコンをのぞき込んであごをさすった。

「本当だ、すごいなあ」

 添田は鼻の下が伸びているのを隠しながら耳を澄ませた。

「できてるけど~……、ん~、独創的な書き方だね~。独り善がりというか、協調性を感じないなあ」

 なんだと!

 何を言ってくれてんだこの教師。

 添田にはコードの美しさにこだわりがあった。だが、普通の人間には読みにくく映ったのかもしれない。

「でも動いてるじゃない!」

「そ~だけど、もっとわかりやすくできるっていうかさあ……。仲間と働いたことがない人なのかもしれないね。もしくは、知識が足りなくてこうなっちゃったのかなあ」

「えーっ。贅沢言ってる場合じゃないのよ。まあこれでいくわ!」

「ここが限界かもしれないし、あんまり困らせてばっかりいちゃだめだよ」

 チャイムが鳴って授業が開始されたが、添田の耳には内容など一切入ってこなかった。もともと超初歩のプログラミング授業なんて聞く必要もない。「協調性がない」「知識がない」と言われたコードをがんがん書き直していく。授業が終わるより先に書き上がり、腹立たしさのあまりその場で送信した。

(これでどうだ!)

 リスクのある行為だが、感情的になっていた。まあ、匿名のメールを送った人物がこのクラスにいると思われたところで、我関せずに、最後まで否定すればバレないだろう。

 律歌はすぐに気づき、授業の進行を無視して「先生! 匿名の人からメールが!」と声を上げる。高田は生徒に問題を解かせている間にどれどれと覗き込んだ。

「うっわー……完璧に書き直されてる。こういう書き方もできるんじゃん」

 俺の実力がわかったか。

「はあ~本当に素敵なコードね!」

 律歌のうっとりするような感想に、添田は頬杖をついて、対面のデーブルを眺めた。

(まあな……)

 頬はゆるゆるに緩んでいた。

「でもこれ……今、送られてきたのって、ただの偶然かしら。コードの書き方の話をした直後に……? もしかして、このクラスにいるのかしら……?」

 律歌はぐるりと教室を見渡し始め、添田は慌てて顔を伏せた。やばい、と固唾をのむ。

 授業後、律歌は思案顔でこちらへ歩みを進めてくる。

 バレるわけにはいかない。俺には高校生活をより効率よく効果的に充実させる計画があるのだ。

「ねえ、ちょっと」

 えっ。

 添田はまずいことになったと思いながら顔を上げた。

「もしかしてあなた? プログラミングが得意で、私達ロボット研究会にメールを送ってくれていたのは」

 だが律歌がらんらんと輝く瞳で話しかけたのは、隣の席の原田に対してだった。

 のっぽの原田はきょとんと上体を揺らしながら、「え……いや、違うけど……」と首を横に振る。

 ――びっくりした。バレたかと思った。

「なんで隠すの。あなた、技術の成績だってとてもいいわよね。プログラミング得意でしょう? 本当に感謝してるのよ。ロボット研究会に来て頂戴よ! 匿名くん」

「え……えと……」

 原田は困惑しながら、後ろの席の友人を振り返って助けを求めたりしている。

「なんなら宇津野くんも来てよ」

 目ざとくそっちも誘う律歌。

「じゃ、今日、工作室でね! 絶対に来て頂戴よ! 歓迎する準備をして待ってるから! ああ楽しみだわっ! 強力な助っ人が増えて! いつも感謝していたのよ。言ってくれればよかったじゃない」

 大人しそうな原田の肩をばしばしっと叩くと、スキップ混じりに行ってしまった。添田は胸をなでおろした。

(なーんか助かったな……。ま、さすがに俺だとは思わないよな)

 いいんだ。バレないように行動しているのだから、ギークっぽさがにじみ出ていないという証拠じゃないか。かっこいいという評価をもらって嬉しくなってしまったが、俺はスクールカースト上位の彼女を作るんだ。念のため、原田が閉じる前の画面をちらっと確認する。授業の最後にパソコン上でやらされるミニテスト。おや、九十九点。ふっ。俺は百点だ。

 その日、ホームページをチェックすると、匿名のあの人がついに参加してくれた、という大喜びの記事が上がっていた。原田はC言語が得意で、彼が来たおかげで作業がぐぐっと進んだらしい。原田はその「匿名の人」を特に否定していないようだ。お礼と称してプレゼントまで受け取っていた。

(すっかり座が奪われた……。そこは否定しろよ! あと、途中からCで書くとかめちゃくちゃになるだろうが。Python覚えるくらいしろよ。プレゼント横取りしやがって)

 添田は怒りをぶつけるように閉じるボタンを押した。それを選んだのは自分だ。

 ――明日から匿名メールの送信は無しか。

 添田は、登校しては、授業中繰り出されるつまらない掛け合いに追従笑いを送り、休み時間には話を合わせ、放課後の意味のない駄弁りに付き合い、帰宅しては「座」を奪われたロボット研究会サイトを見る日々を送った。

 今日は「匿名くん」になりすました原田が、全部C言語でやろうと言い出したらしい。

(……へたくそな手を打ちやがった。勉強不足が。こんなやつが今までの俺だと思われてるとか、癪だな)

 俺だってCの方が得意なのに、ロボット工学に合わせてPythonを習得したんだぞ。

 いらいらしながらウィンドウを閉じた。

 中途半端な奴に取られた。名乗り出ないにしろ、せめて今までの匿名メールは原田ではないことを主張しようか。

 いや……だめだ。

 パソコンルームでの一件。律歌と教師との会話が聞こえる範囲で、技術の成績が明らかにいいのは原田の他には、たぶん俺だ。

 スマートフォンのアラームが鳴った。九時だ。ログインしなければとオンラインゲームのアプリを起動する。真剣にやる気はないが、話の参加権を得るため情報として頭に入れておかなければならないし、足手まといにならないだけの成績は維持しなければならない。

 やっぱり俺には、華やかな学園生活なんて向いていないんだろうか。画面内には思い思いに着飾った煌びやかなアバターが集まり始めている。ハイテンションな効果音と共に現れたボスキャラとのレイドバトルを隅っこで適当にこなしながら、そんなことを思った。


 その日、放課後に添田はいつものようにグループで駄弁るのに付き合っていた。内心早く解放されたいと思いつつ、解放されたところで特にやることもない。趣味のプログラミングくらいだが、それもなんだか最近はやる気が起こらなかった。空虚な気分だ。いったい俺は何をしているのだろう。結局俺は、空っぽの状態で高校生活を送っている。グループの連中は何かを一生懸命楽しそうに話している。自分は愛想よく微笑んではいるが、やはり何が面白いんだかさっぱりわからなかった。律歌に連れられて得意げに工作室へ向かう原田の姿を目で追ってしまう。

(何もかもばからしく思えてきた)

 どうしてこうなるんだろう。日が暮れて、そろそろ帰ろうか、となってくれた頃、時間つぶしに見ていたスマートフォンに通知が入った。LINEじゃなくて、メールだ。匿名で使っているメールアプリ。受信箱をタップして表示された内容に釘付けになった。

『本物の人へ 体育館裏に来てくれますか? 末松律歌』

 匿名メールに返信が来た。

 原田が偽物だって気付いたのか?

 LINEで俺に名指しで送ってきたわけじゃなく、匿名メールに返信したということは、まだ俺が本物の匿名の人だとは気付いていないのだろうか。

 どうする?

 無視することもできる。

 無視するべきだ。

 でも――。

「俺、用事できたから、ちょっと行ってくる。先帰っててくれればいいからさ」

 こんな行動は間違っている。そう思うのに、足は体育館裏の方へ勝手に動いていってしまう。砂漠で、渇望したオアシスを見つけたように、乾いた喉を潤したいと心が叫ぶ。

 体育館が見えて、添田の足は速くなっていった。息が上がる。胸がドキドキする。誰かに見られたらどうしよう。

 なんだろう、いったい。俺を呼び出して……ロボットに何か問題でも起こったのか?

 また目が見えなくなったのかもしれない。

 おそらく偽物の原田では解決できないことがあったのだ。

(仕方ないなあ! 素敵なコードをいくらでも見せてやるよ)

 添田は準備体操をするように、あらゆる問題の想定を頭の中でし始めながら走った。

 体育館裏に先に来ていた律歌は、添田の顔を見てにこりと嬉しそうに微笑んだ。「あなただと思ったわ」予想が当たったからなのか、それとも、添田がここに来たからか。

 呼吸がまず落ち着いて、待ち合わせ相手が他でもないあの末松律歌だということに改めて意識がいく。さすがに誰かに見られたらまずい。

「用件は何かな」

 添田は急かすように律歌を見る。

「いつも助けてくれてありがとうって伝えたかったの」

 予想外の答えに添田は、え? と律歌を見た。そんな添田には構わず律歌は続ける。

「初めのメールは、ウキえもんの目が見えなくて困っている時だったわね。誰もわかる人なんていなくて、私は自分で解決するしかないって思っていたのに、ホームページを見てくれた名も知らぬ誰かからメールが来たのよ。その通りにやったらすぐに解決したわ。TTSスクリプトがうまく作動しない時も、プログラムのエラーの意味をすぐ教えてくれて……」

 律歌が思い出話をし始めて、添田は戸惑いながら話が終わるのを待っていた。

 律歌はようやく「あ、あのねあのね。聞きたいことがいろいろあるのよ。ロボットのこと」と切り出す。

「匿名の人が別人だと気付いているのは私くらい。でも、原田くんにもお世話になってるし、指摘してはいないの。なんかねえ、打てば響くようなあの感じが、キレが、匿名の人にはあったのよね」

 それはまあ、そうだろう。と添田は得意な気分になる。明らかに自分の方が、技術が上だ。

「でも……最初はわからなかった」

 律歌はそう言うと、「原田くんの方が、プログラミングができるって授業中とかに目立ってたから。でも、彼は匿名の人ではない。それなら、技術の授業で、成績がいいのに、それを自分のカラーにしないでいる添田くんなのかなって」

 と、考えるように自分に頷く。

 たしかに俺はスクールカースト上位でいるために、プログラミングなんて興味がないように振舞っていたからな。添田は上位者の当然の行動だと思って疑わなかった。

 そして、律歌はにっこり笑うと続けた。

「隠すなんてもったいないって私は思った。この人と一緒にロボットを作ったら、私も楽しいし、添田くんだって楽しいはず」

 言葉に窮した。添田が否定の言葉を探していると、律歌は言いづらそうに付け足した。

「あなたはいつも賑やかで目立つ集団にいるんだけど印象が薄いっていうか、つまらなさそうに見えたから」と視線をそらしながら。

 添田はついに黙ってしまった。それは少々耳の痛い言葉だった。

「ねえ! ウキえもんさ、やっぱり首を動かしたいって思って、サーボモーターも買ってきて、原田くんも頑張ってくれて、それで動きそうなんだけどね、ぎこちないのよ、あれじゃだめなのよ。私は彼に感謝もしているんだけど、でも、もっと他にやり方があると私は思うの。急に無理やりC言語を当てはめたからじゃないのかしら。ねえ、あなたならどうするの!?」

 律歌は畳みかけるように言う。

「戻ってきてよ! ていうか一緒にやりましょ!? まだまだ問題は山積みよ! それにあなたが入ったら首がスムーズに動くかもしれないし、ウキえもんはもっともっとできることが増えると思うわ。だってあなたはあの匿名の人なんでしょう?! 直接関わってくれたら、もう、すごいことになるわよ!」

 告白にも似た情熱的な誘いに、添田は生唾をのみ込んだ。

「俺が匿名メールを送っていたとは、クラスメートには言わないでくれるかい?」

 言い方こそ保身の形をしていたが、添田は承諾していた。

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