『霞の庭』第二章 エリート官僚と潜入調査

1・残酷なるランク制度

「さあ、ここからが本番よ!」

 律歌が指示するより先に、

「OKドライブ、東に向かって」

 幹部達に引き止められないうちにと支倉が気を回して、捕まえた無人タクシーをまずは走らせてくれた。車窓から人だかりがびゅーんと消えていく。ばいばーいと手を振るのはさすがに自重しておいた。

「首尾よくいったわね」

「さすが先生です」

 エリート官僚が手馴れたようにおべっかを述べてくる。これで気をよくする国会議員も多いのだろう。

「いいえ、あなたの行動とアドバイスのおかげよ」

「それはなによりです」

 なんでもないようにさらっと軽く受け流し、彼はホログラムウィンドウにマップアプリを起動した。現在地点を示す青い点が、北へ向かって動いている。北に行けというざっくりした命令でも最近の自動操縦カーは動いてくれるらしい。「行き先はどうします? 先生の目的は?」

 律歌はふうむと腕を組んだ。やはりこのエリート官僚に味方になってもらうのが近道だ。

「私は、この企業が過労死を隠していると考えているの」

「へえ……」

「それを暴きにきたの。手伝ってくれるかしら?」

 打ち明けた律歌に、支倉は面白そうに視線をよこす。これでもし支倉が尾連自党からよこされたお目付け役だったりしたら、すぐさま告げ口されるだろう。だが、

「いいえ、手伝いなさい。あなたは官僚なのだから、代議士の私に従ってもらうわ」

 支倉は今度はくくっと笑いをかみ殺す。

「もちろん、お手伝いしますよ。なんなりと。でも、もしも私が――」

「たとえ尾連自党からの刺客でも構わないわ。好きなように告げ口しなさい。でも、ここにいる間は協力してもらう。日楽食品が大々的に過労死を隠蔽しているとしたら、それを暴いたときに私は自ら名乗りを上げるつもり。この真っ黒に染まった日本から過労死をなくすって」

 そうなったらもう、全員を敵に回すようなものだ。ただし、国民が味方になってくれる。すると支倉はなるほどと頷いて、自然な素振りで相好を崩した。

「でしたら、安心なさってください。私は尾連自党の刺客なんかじゃありません。直接、厚生労働省から遣わされております」

「そうなの?」

「ええ。末松先生が過労をなくしてくださるなら省庁としても好都合なのですよ。今は企業の支配が強まるばかりでしょう。それで役人の権力が失われていることを、上の者は嘆いているんですから」

「そう……」

 それは意外な追い風だった。お役人も税収を増やすことに躍起になっているばかりだと思っていたが、たしかに企業の支配が強まっていくと、国家権力は企業へと譲渡していくことになる。高級官僚といえば、日本一高いといわれる学歴であるT大学やK大学の法学部に入るような人間がしのぎを削って生き残って、やっと名乗れる。さらなる権力争いに命を燃やす上層部がいるのはなんら不思議ではない。

「じゃあ、私と手を組んでくれるってこと?」

「左様です」

 こんなところで仲間が増えるとは思わなかった。

「この会社、もともとブラックとして有名よね。過労死者数も、今出ている数字上だけでも日本トップよ。二位と僅差でね。ここに、消えた一八パーセントもの人数が加わったら、大変な騒ぎになるわ。私はそれを狙っている」

 律歌は続けた。

「あなたは何か知らないの、そういう噂」

「さあ……気になる話ですけどね」

「じゃあ日楽食品の中で死者数が特に多いところ……ってどこ?」

「場所といいますか、Dランクです」

「ランクね……」

 企業内ランク制度は今やブラック企業の常套手段となっている。ランクが低い者には、粗雑な衣食住しか購入できないように制限をかける。それによって、もっとランクをアップさせたいと望ませるやり方。

「Dランクの多く集まるところへ向かいましょうか」

 支倉は言うや否や「OKドライブ、下呂駅へ」とウェイクワードと共に目的地を設定した。

「下呂ならたぶん、そこらじゅうで工事をしていると思いますから」

「工事?」

 律歌はなんの話しだろうと首を傾げた。

「企業貢献活動ですよ」

 そう言われても、日楽食品は食品工場なのだから、工事現場とは結び付かない気がするのだが。いや、工事をしている人は日楽食品の社員なのだろうか? それとも外部委託しているのか? 律歌の表情を見て、支倉はホログラムディスプレイをさらに増やしながら言った。

「現地まで1時間ほどかかります。それまでレクをいたしましょうか」

 レクというのは霞ヶ関用語の一つで、レクチャーの略だ。

「そうね、勉強しなきゃね。お願いするわ」

「では、まずは日楽食品独自のランク制度からご説明します」

 正面に座る秘書の川橋が、ペットボトルの蓋を開けて水を差し出すのでぐいっと飲み干す。

「頑張って頭に入れるわ」

 続いて律歌の汗を拭こうと川橋が執事のごとくハンカチを取り出したのを見て、ペットボトルと交換して自分で拭う。支倉はホログラムウィンドウにスプレッドシートアプリを開いて、サクサクと表を作っていく。

「日楽食品には厳然としたランク制度があります。下はEランクから上はAランク、その上にさらにSランクがあって、それぞれが五分割されています。つまり、EランクにはE1、E2、E3、E4、E5ランクがあって、数字が上がるほど位が高い、となります。大卒で入社するときはC1ランクからが基本です」

 先程まで連れ立って歩いていた尾畑部長は「A3」と表示されていた。部長というくらいだから高位のランクなのだろうと思っていたが、その上にさらにSランクが五段階もあり、その頂点こそがあの安良城社長の頭上に煌々と表示されていたS5ランクというわけだ。

「ここからが少し分かりにくいのですが、入社時やランク変動があった時の初期状態として、ライフが五つ与えられます。これを一〇まで貯めると、次のランクへと昇格できます」

「ふむふむ」

 秘書にハンカチを返すと、今度は髪に櫛をかけられるので、されるがままにしてレクの内容に集中する。表を作り終えた支倉は、その横に横長のメーターのようなものを作っていく。

「毎週月曜日の朝四時が締め切りで、一週間の企業貢献ポイントの総計を同ランク内で競い合います。順位が同ランク内の下約半分に入ってしまうとライフが一つ減ります。所持ライフがゼロになったら降格です。逆に、上位六五パーセントから八五パーセントに入ればライフが一つもらえますし、上位八五パーセントから一〇〇パーセントに入れば一気に二つライフがもらえます。責任の重い仕事を任されたときはチャンスですね」

 なるほど。大きな仕事を任された時にうまくやり仰せば、一週間でライフを一つ、または二つ貯められる。ライフが一〇貯まれば昇格ということは、あと五つ――最短三週間でランクを一つ上げることができるというわけだ。

「ランクの上げ方はなんとなくわかったわ」

 律歌が計算しながらそう言うと、支倉は慌てて首を横に振って、

「まあ大半は四〇~六五パーセントを取って現状を維持するのに必死なんですけどね。毎日地道に仕事をしていたってマイナスすることもままありますから。大卒一般職でC1ランクから始まって四〇年勤めあげてやっと届くのがC5ランクという感じなので」

 そう簡単に上げられるものではないという。普通の平社員はCランクで始まってCランクで終わる、というイメージだろうか。

「でも尾畑部長はA3ランクだったわね」

「あの人はキャリア組でしょうね。キャリア組も入社時はC1ランクから始まりますが、彼らは任される仕事の重みが違うので、ぽんぽん出世していきます」

「ランクが上がると、やっぱり生活水準が上がるの?」

「はい。給与面でも上がりますし、企業内エリアでは、お金を持っていても企業貢献ランクがなければ購入できないものがありますから、そういった特権を得られます」

「具体的には?」

「王都エリアに家を持っていい、とか、家事使用人を持てる、とかです。ステータスとして、一般市民の憧れですね」

「ふう〜ん」

 王都エリア、とは、名前の通りならおそらくは王城近くの辺りだろう。たしか、Sランクが住んでいるとか言っていた。そこから少し離れた窓の外に目をやると、歩道を白いTシャツにジーンズ姿で揃えた男五人組が歩いていた。

「そういえば、あの恰好をしている人、異様に多いわよね」

 老若男女問わず、シンプルなスタイルの人がよく歩いている。あれは日楽食品で流行しているファッションなのだろうか?

「いいところに気が付きました。あれがDランクです」

 支倉がホロウィンドウを操作しながら、

「日楽食品では、社員、家族全員に専用アバタースーツの着用が義務付けられています。スーツの上にホログラムを投影してコーディネートするわけですが、Dランクは普段着のアバターを自由に選ぶことができません。たとえばD1ランク男性の場合、上下をこの三種類からのみ選択可能です」

 ホログラムディスプレイに表示されたのは、まさしく、ここに来てからそこらじゅうでよく見かける白無地のTシャツにジーンズ、それから次によく見かける黒無地の長袖長ズボン、グレーのパーカーと白い半ズボン、の三種のコーディネートだった。

「たったこれだけ?!」

 オンラインゲームによくある無課金アバターみたいだ。

「D2ランクに上がるとそれぞれ五種類に増えます。D3ランクで一〇種類、D4ランクで二〇種類、D5ランクで三〇種類。そしてCランクからは三〇〇種類と一気に増えていきます」

 欲しいアバターを見つけたとして、お金を貯めたとしても、そのランクを満たさなければ買う権利がない。だからといってホロアバターを拒否して通常の服を着ることはできない。全員がホロアバタースーツ着用という社則に従わなければならないのだ。

「他にも特権があるんだとしたら、そりゃ、ランクを上げるのに必死になるでしょうね……」

「たとえば、GUESTにもランクがあります」

 支倉が指を天に向けるので自分の頭上を見上げると、そこには相変わらずGUEST4というホログラムが浮かんでいる。

「私はGUEST3ですが、先生はGUEST4です。もちろん数字が上の方が待遇が良いわけでして、GUEST4の特典として、お世話役を一人つけることができます。私や川橋さんにつけることはできません」

「私だけ?」

 自分にそんな特権があったとは。だが川橋がいればそれだけで十分すぎるほどに足りている。

「出迎えの中にいました」

 思い出せば、たしかに「この度、末松先生をお世話させていただくナントカです」みたいな自己紹介をされたような。あまり時間がなかったし暑かったので手早く済ませてすぐに車に戻ってしまった。結局だまし討ちのように別れてしまって、今頃どうしていいか困っているだろうなと同情する。

「ちなみに最もランクの低いGUEST1は日楽食品専用アバタースーツの着用が義務付けられています。企業敷地内で勝手なことをしないようにでしょう。我々には信頼があるし失礼にも当たるということで、専用アバタースーツの縛りは免除です」

「今頃後悔してるでしょうけどね」

 律歌がそうつっ込むとおかしそうに苦笑された。

「まあGUESTはともかくとして、社員がランクを上げるためには、ミスすることなく勤勉に、企業に貢献することが求められるのです。多くの場合ランクを上昇させていこうと思うと、就業内だけでは賄いきれません。そこで、企業貢献活動です」

「それは、何?」

 ようやく話が戻ってきた。

「またの名を、サービス残業ですね。企業に対して無償で奉仕すれば、その分の時給は出なくとも企業貢献ポイントを足してあげますよ、と」

「サビ残か……」

 なるほど、週休二日などと声高に謳うからくりが見えてきた。ランクを維持しようと思ったら実際には休みなど取れないのだ。しかも、働いても給料としては払われない。これがブラック企業の仕組みか。

「それにしても、詳しいのね。ここに勤めてたことでもあるの?」

 律歌が訊ねると、キョトンとした顔で支倉は首を振る。

「まさか。入庁時に叩き込まれるだけですよ。民間企業の知識を問う試験があって、勉強しました」

 ということは、他の企業についてもここまで詳しく知り尽くしているのだろうか。さすが、天下の霞が関に勤めるエリートキャリア官僚。同じ歳だが、過ごしてきたその時間の内訳は大きく異なるのだろう。国会議員には知識を問われる厳しい試験などない。どちらかというと、知ったかぶりのうまさの方が重要だったりする。律歌が関係者に会う前には、秘書の川橋が「その相手はどのような人物か」をある程度調べておいてくれるから、あたかもずっと前から存じておりましたという体で接するのだ。先程まで一緒にいた尾畑部長のことだって一応は前もって聞いていたし、支倉に会う前もそうだった。K大学大学院を卒業し、そのまま厚生労働省に入庁。K大学といえば、日本で二番目に入るのが難しいと言われる旧帝国大学として名高い。

(勉強はお手の物、なんだろうな)

 打てば響くような返答が面白いのであれこれ質問しているうちに、「先生、まもなく下呂市です」と川橋に予告された。直後にナビゲーションシステムからもアナウンスが流れる。

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