5・律歌がある功績を打ち立てた話

「だとしたら、ちゃんと思い出したい……でも、怖い……でも……」

「自分の心を保護する防衛本能が働いて、それで記憶を封じ込めたのだとしたら、素人が手を出すことは、本当はよくないと思う」

「……逃げていていいのかな、私」

「逃げるは恥だが役に立つっていうじゃないか。まずは自分の身を守らなきゃ」

 あの場所で、針間という男に言われた。「おまえが日本を終わらせた」と。あれは、一体どういう意味だろう。ただの妄言とも思えなかった。

「でも、なんか不思議。私、そんな地道に世界を変えようとするんだなって。なんか、大人になったのね。夢みたいなことばっかり、言ってると思ったけど」

「あはは、よくわかってるじゃん。自分のこと」

 からかってくる北寺を律歌は軽く睨んでみるが、彼は困ったように付け足した。

「でもね、それが案外……夢みたいなこと、していたよ。SIerになってもね。りっかは」

 そして律歌がある功績を打ち立てた話を教えてくれた。

 国が過労を抑制するためのシステム構築を検討しているという話が持ち上がったことがあった。「企画から募集する」と。

 その話が入社三年目の律歌の耳にまで入ったとき、律歌は取るものも取らぬ勢いで事業部長に直談判で掛け合った。律歌には強い動機と、高校・大学時代に培った膨大な知識と研究経験とアイデアがあった。話を聞いた事業部長の心こそ動かしたものの、正式な承認は降りなかった。しかしプロジェクトメンバーに選出された先輩に協力する形で、チームの一つに参加することが許された。そこで国家からの依頼の全貌を知ると、律歌はすぐさま連日徹夜する勢いで企画を練り上げた。

「過労を無くす、って、それはりっかの長年の夢だったんだよね。SIerになったのも、国内で最大級の真っ黒な労働環境を持つIT業界において、その仕組みを作り上げた張本人――過労を最も多く生み出している悪の中枢であるSIer業に飛び込んで、内側から確実に変えていくため。でもそれに加えて、そのとき、国家予算を投じて過労を改善する国家プロジェクトが任されようとしていることを知っちゃったわけ。こんなチャンスが巡ってくるのはもう二度とないだろうって、そう思うと、不思議と力が沸き起こってきたってさ」

 律歌は自分の生きてきた人生、持てるすべてをぶつけた。

 結果、採用されたのは律歌の出した企画が元になったものだった。そのアイデアのあまりの斬新さと、それを実現可能にするための徹底した掘り下げ――学野の専門的な知識・経験・人脈に裏打ちされていたその案で、ほとんど手を入れられることのないまま採用されたと北寺は語った。そうして律歌は国家プロジェクトの主要メンバーとして正式に携わることができるようになった。それどころか、実質的にプロジェクトリーダーとしての立ち位置だったと。

「過酷を極めた、みたいだよ。当然。SIerになってまだ三年なんだもん。日が浅いにも拘らず、国家的プロジェクトの総指揮を執るんだ。もちろん表向きは事業部長がプロジェクトリーダーに名を連ねて、りっかは末席に座らされているにすぎないって形を取ってはいたけど。でもね、これだけの企画を一人で用意してきた末松律歌という能力値未知数の新人正規社員を中核に据えて、ベテランの全面サポートの元、このプロジェクトを動かしていく決議が下された」

 律歌にはプロジェクトリーダーと同等の発言権を与えられていた。四方八方から先輩社員やベテラン上司のサポートもあるが、そのアドバイスも何が正しくて何が間違っているのかわからないまま自分なりに落とし込み、最後は自分で見極めなくてはならない。すべてはプロジェクトの成功のため。必要な嫌われ役は買って出たし、失敗に終わらしてはなるものかと、自分が限界まで悩み抜きながら、時に非情な命令をすることも厭わなかった。必死だった。立身出世や功名心といった大人の社会人としての欲求のためにやっているのではなかった。律歌の望みは幼いころからずっと求め続けていた至極純粋な欲求――もっとお父さん、お母さんと、みんなで、温かく家族団欒でいたかった、という夢。働きすぎて死ぬだなんて、そんなこと、あってはならない。その夢を、この大手SIerに入社して、内側から変えようと思っていた矢先、政府が過労対策を国策として乗り出し、SIer各社に企画を募集するという巡り合わせ、そして企画が通り、こんな新人の自分に大役を託してもらえたという千載一遇のチャンスだ。日本を過労から救うのだ。失われた団欒を取り戻すのだ。自分のような過労死遺族などもう二度と出したくない。それでこそ両親を過労で亡くしたことに意味を見つけられる。自分の人生が報われるのだと。自分はどれだけ働いても構わない。誰に嫌われてもいい、自分は鬼にでも悪魔にでもなろう、って。

 時にはSIerとしての自分の未熟さゆえに、禁じていた部下への無理な進行もやらざるを得なくなり、目をつむって実行させたという。この企画を成功させないと平和は訪れない。これは平和を勝ち取るための戦争だった。犠牲も出した。何人かが体調を崩して休職したし、離職する人もいたと聞いた。下請け、孫請けが悲鳴を上げても、あらゆる手を使って無理を通してもらった。もしかしたら律歌の知らない先で自殺者や一家離散、なんて家庭もあったかもしれない。

「うそ……でしょう? 本当に私が……そんな開発をしたの?」

 律歌は驚きのあまり聞き返した。北寺は苦々しい顔で頷く。

「りっかが開発した、というか、りっかが開発をさせた、だけどね。SIerとして音頭を取って、研究を進めさせた。若きエリートSIerって連日もてはやされて。このプロジェクトのために、本当にたくさんの文明開化が起きたよ。ノーベル賞にノミネートされてもおかしくないくらい」

「そ、そう……」

 律歌は面映ゆくなって、うつむいて表情を隠した。それを見て、北寺は静かに付け足した。

「いい意味でも、悪い意味でもね」

 そうだ。

 ――いったい、何をしたのだろう、自分は。

 訪れる静寂は、それだけの栄光を簡単に打ち消してしまうだけの重みを持っているようだった。その重みに、果たして律歌は耐えきれるかを見定めているような。

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