第29話
「私やっぱり気になるから、帰りに梶原君の家に寄っていくね!」
不可視物管理課での仕事が終わった船越は、根本と相馬に梶原の借りているマンションに行くことを告げた。
「それが良いですね。何もないとは思いますけど気を付けてくださいね令姉さん」
「もし何かあったら私たちに連絡してください船越さん」
二人に見送られ、事務所を後にする船越。荷物の中には業務用端末である専用スマートフォンが入れられている。
不可視物管理課の職員は、その仕事の特性上、業務用端末の持ち帰りを許可されている。
理由は霊に関わる仕事をしている以上、業務時間外でも霊に関わる何らかの問題に遭遇する事が多いからだ。
例えば霊が現場から、職員に着いて来てしまった場合などが挙げられる。
「なんだろうこの胸騒ぎ。早く梶原君の家に行かなきゃいけない気がする」
理由のはっきりしない胸騒ぎを感じながら、船越は梶原の住んでいるマンションに向かった。
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「ねぇ御影。もし決心がついたら言ってね」
死んでくれないかとお願いしてきた七海に対して、梶原は無言を貫き通していた。
一瞬、死んで七海と一緒になるというのも良いのではないかという考えがよぎった。
だがそこで踏みとどまる。人一人が亡くなるということが、周りにどれだけ影響を与えるかということを、梶原は身をもって知っている。
七海が亡くなった時も、梶原が不可視物管理科で関わった案件でもそうだった。
(俺が死んだら、どれだけ周りに迷惑をかけて、どれだけ周りに影響を与えて、どれだけ周りを悲しませてしまうか。でもそれだけじゃない)
梶原は考えていた。まだここで死ぬなんて選択肢を取るわけにはいかない。
だが今ここで、七海を納得させることが出来るような、うまい方便も思いつかない。
(最悪の場合、業務用端末を使って処理するしかない。でもその手段は最終手段だ。出来れば使いたくない)
七海を強制的に除霊したくない梶原。どうにかして七海を納得させる方法はないかと考えを巡らせていたが、今までに甲種の霊を改心、浄霊出来た試しはない。
それでも七海にはまだ可能性があった。今までに遭遇した甲種の霊は、呼びかけても反応や返事を返すものは殆どいなかったが、七海は受け答えをするとこが出来ている。
(どうにか、どうにかして除去する以外の方法で、この場を納められないか……)
そうして考えを巡らせていると、不意に玄関の方でカメラ付きインターホンの音が鳴った。
「梶原君! 船越だけどいるー?」
部屋のモニターに写し出される船越の姿。
「船越さん!? どうしてここに!」
不味い……そう思う梶原。考えうる限り最悪のタイミングだった。今この状態で船越が梶原の部屋に来てしまっては、七海に何をされるかわからない。
急いで室内のモニターの方に走る梶原。ボタンを押し、自分の声を玄関の船越に届ける。
「スミマセン船越さん今日は帰ってください! 理由は後で話すので!」
とにかく船越をここから遠ざけることを考える梶原。
「何あの人? 私の御影に何の用かな?」
七海はやはり船越の存在を芳しく思わなかったようで、悪意のようなものを向けた。
「やっぱり何かに巻き込まれてるんだね梶原君」
対照的に船越は冷静にその場で判断し、チョーカー型のウェアラブル端末を起動させた。
その時閉まっていたドアの鍵が、七海の力によって開けられた。
そして準備をしていたかのように業務用スマートフォンを操作した船越は叫んだ。
「音声認証。船越令!」
『認証確認』
「船越さん駄目だ!」
開けられたドアに向かって叫ぶ梶原。だがその時、梶原のスマートフォンに一軒のメッセージが届いた。
「何だこんな時に!」
そのメッセージを確認すると送ってきた相手は船越。メッセージには『私を信じて』と入力されていた。
「船越さん?」
船越に向かっていく七海。その七海を、船越は自分の体に受け入れた。
「権限行使、流!」
『行使を承認します』
七海は船越の体に入り、満足そうに微笑んだ。
「なにこの人の体、凄く馴染む。人にとり憑くなんて初めてだけど、凄く使いやすいなぁ。あっ! もしかしてこの人が御影が言ってた、霊媒体質の人?」
「七海……」
その様子を見て焦る梶原。甲種に転じた霊を憑依させれば、船越に悪影響を及ぼすはずだ。ましてや今の状態の七海に体を乗っ取られればどうなるのか分からない。
「見て見て御影! 私今体があるよ! これで御影に触れる!」
梶原の近くまで歩いてくる船越の体に入っている七海。その声は、チョーカー型のウェアラブル端末を通して出されており、生前の七海の声そのままで発せられていた。
梶原の目の前で止まり、頬を触る七海。梶原はその手をギュッと握り返した。
「御影、死ぬ決心はついた?」
「……」
七海が憑いている船越の手は冷たかった。その身体の冷たさが、七海の言葉の冷たさとあいまって際立つ。
たっぷりの沈黙が流れた後、梶原はようやく口を開いた。
「七海、俺はまだ……死ねない」
その言葉を聞き、はっとするような顔をする七海。少し間をおいて、梶原に問いかけた。
「私と一緒になりたくないの?」
「なりたい……でもまだ駄目だ。俺は今の仕事で、七海のような霊になった人達の声を聞いて、その人達の力になりたい。これは七海が気づかせてくれた気持ちだ」
「……そっかぁ」
表情が暗くなる七海、そんな七海を梶原は自分に引き寄せ、抱きしめた。
色々な事が頭を駆け抜けた。七海を納得させる方法。この場を納める方法。
だが梶原が取った行動は、自分の気持ちに素直に従うというものだった。
「七海、愛してる」
少し驚いている七海の耳元で愛を囁く梶原。その瞬間、七海の肩に入っていた力が抜けた。そしてそれと同時に周囲の温度が上がり始めていた。
「寂しい思いをさせてごめんな七海。だけどもう少しだけ待っててくれ。俺が死んだら、きっと七海と一緒になるから。俺は七海のこと、愛してるから」
「ずるいよ」
七海は梶原の胸から少し離れ、涙目になりながら話しだした。
「そんな風に言われたら、一緒に連れていけないじゃん」
「でも本心だ」
梶原は七海の顎先を左手で掴むと、自分に引きよせ優しくキスをした。
「んむっ」
優しいキスに七海は目を閉じ、その身をゆだねる。ゆっくりと時間が過ぎ、唇を離す。
「また御影とこんな風にキス出来るなんて、思わなかった」
涙を流しながら微笑む七海を、再び抱きしめる梶原。梶原の腕の中で、七海は話しだす。凝り固まった気持ちが解けていくように、七海の悪意がなくなっていくようだった。
「御影、私もう行くね?」
「やっぱり行くのか?」
「うん。先にあっちに行ってる」
「わかった」
抱きしめあったままの二人は短い会話を交わす。
「それとこの人にもお礼を言っておいて。この人のおかげで最後に御影とこんな風に抱きしめあう事も出来た。人の体使ってキスまでしちゃったけど」
「あ、あぁそうだな」
船越の体を使って勝手にキスまでしてしまったことを思い出し、急に焦りを覚える梶原。後で謝るにしても許してもらえるだろうか。
「御影、最後にお願いがあるの」
「なんだ?」
「幸せになってね?」
不意の言葉に少し面食らい、意味を理解した梶原は息をのむ。
「七海お前……」
「ちゃんと恋人や彼女作って、これから結婚したりして、幸せになるんだよ? 私のことばっか引きずって、幸せにならなかったら許さないんだから」
「いやでもっ」
「どーせ御影の事だから、私と過ごした日々を大事にするんだとか言って、一人のままでいようとか思ってたんでしょ? 私あなたの恋人だったんですよ? 分かるよそれぐらい」
「……だったじゃない。今もだ」
「へへっ」
見事に自分の心の内を見透かされていた梶原は、敵わないなと内心で独り言ちた。
「じゃあ……本当に行くね。最後の方はごめんね。部屋こんなにしちゃって」
「気にするな。ちょっと模様替えでもしようと思っていたところだ」
「ふふっ どんな模様替えよ。でもやっぱり御影は優しいね……じゃあね」
本当に最後になるやり取りは、今までで一番の笑顔で締めくくられた。
「愛してる」
船越の体から七海が消えていくのを感じながら、梶原は呟いた。
「俺も愛してる」
ふっと七海が体から抜け、船越の体からも力が抜け崩れ落ちそうになる。その体を抱きとめ、支える梶原。
「んっ……」
その直後に意識を取り戻す船越。
「気が付きましたか船越さん」
「梶原君……終わったんだね?」
「えぇ船越さんのおかげで」
事のあらましを簡単に伝える梶原。船越は部屋にあったソファーに一緒に座り、梶原の話を聞き終えた。
「船越さんが来てくれなかったら、除去するしかありませんでした。自分で……処理するつもりでした。もともと、七海と一緒にいられるこの状態が、ずっと続くわけがないと思っていたので……」
歯を食い縛りながら話す梶原。その話を、相槌をうちながら聞く船越。
「そだったんだ」
「はい。だから……船越さんが来てくれて、ちゃんと送ってあげられて……本当に良かった。七海を……好きだった奴を……除去しなくて済んだ。最後に思いも伝えられた」
涙ぐみながら話す梶原。それでも何とか顔を上げ、船越の方を向き笑顔を作りお礼を言った。
「だから……ありがとう……ございました」
涙を流しながら微笑む梶原。その姿を見て耐えられなくなった船越は梶原を抱きしめた。
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