第3話
マンションの駐車場に着き、船越と一緒に車に乗り込もうとした梶原はふと背筋に寒いものを感じた。冷たい感触が自分の方をすり抜けて行ったのだ。嫌な予感がする。
すり抜けて行った方向を見るとその先には船越が立っていた。
不味い。と直観的に感じる梶原。瞬時に腕時計型のウェアラブル端末を操作し、その場の気温を調べた。
気温は零度ちょうど。瞬時に自分のポケットから取り出したスマートフォンのレンズ越しに船越を見る。すると船越に黒い靄のようなものが纏わりついているように見えた。
「ヤバイ。船越さんに何か混じった」
船越自身は気づいていない様子だ。こんなに立て続けに霊に遭遇するなんてツイていない。
梶原は自分のスマートフォンのカメラを起動した。時計型のウェアラブル端末の淵部分、ベゼルをカチカチと回し、スマートフォンと連動させる操作をし、車のカギを開けようとする船越に声をかけた。
「船越さん! ちょっとこっち向いてください!」
「ん?」と声を上げこちらを振り返る船越。
船越の体全体がカメラに写る立ち位置に移動していた梶原は、パシャっと船越を写した。
「な、なによ急に……」
戸惑いながら訪ねる船越。
「スミマセン! 何か船越さんが絵になるなぁと思ってつい撮っちゃいました! それとちょっと待っててもらって良いですか? 便所寄ってきます!」
少し照れくさそうに分かったわよと車の中で待機しようとする船越。
梶原は小走りで人気のない路地裏まで向かい、スマートフォンで撮った写真を確認した。
「やっぱり甲種か」
スマートフォンで撮った写真の中には黒い靄が形を成し、人間の男のような形に変化していた。しかもその写真はうごめいているように見える。
「くそっこんな時に限ってSDカードのストックがない。この状態にしてられるのも時間の問題だな。しょうがない。あんまりやりたくなかったけど」
ウェアラブル端末のベゼルを回し、さっきとは違う機能を使うためにカーソルを合わせる。
「音声認証。
『認証確認』
電子音声が流れ、ウェアラブル端末が点滅する。
「権限行使、
『行使を承認します』
もう一度電子音声が流れ、スマートフォンの中で蠢いていた黒い影が、ウェアラブル端末に移り、そこから梶原の体に流れていった。
梶原の体に流れていく間に、スマートフォンを操作し音声ファイルを再生する。するとお経のようなものが流れてきた。
梶原は今から始まるであろう、心身への苦痛に耐えるための覚悟を、その場で決めた。
「さぁ一緒に苦しむとしようぜ! 付き合ってやるよ! ぐぅっ」
うめき声をあげて苦しみ始める梶原。機器を使って自分の体に霊を取り憑かせたのだ。その直後、梶原に霊の意思が流れ込んできた。
『欲しい欲しい女が欲しい女の体が欲しい支配したい屈服させたい手に入れたい自分のものにしたい自分の好きにしたい欲しい欲しい女が欲しい女の体が欲しい支配したい屈服させたい手に入れたい自分のものにしたい自分の好きにしたい欲しい欲しい女が欲しい女の体が欲しい支配したい屈服させたい手に入れたい自分のものにしたい自分の好きにしたい』
繰り返される霊の思考のループに頭が混乱しそうになる梶原。それでも流されまいと気を確かに持とうと自分を奮い立たせる。
「なんだよお前女性と付き合ったりすることもなく死んだ口かぁ? ドンマイ過ぎるだろ!」
苦しそうにしながらも虚勢を張る梶原。取り憑ついている霊の記憶の断片も一緒に流れ込んできていた。
「しかも何だぁ? 自分から動こうともせず、好きになった女性がいても、ただ見てるだけだったってかぁ。 勇気だして自分から声かけてみて誠意見せ続けりゃ、振り向いてもらえたかもしれないのによぉ!」
霊は梶原の声が聞こえていないようで、お経の音声を聞きながら苦しみ梶原の体の中で暴れまわっている。
「ぐっ……死んでまでこんなに悔やむくらいなら、自分から動けってんだよ。他の男に取られて嫌だってんなら、その前にその人に自分のこと見てもらえってんだよ」
そうすればたとえ実らなかったとしても、ここまで後悔することはなかったのではないかと梶原は思った。
「お前みたいなヤツに、あの人はやらねぇ」
梶原は船越の顔を思い浮かべる。今も車で待ってるであろう船越は、帰って来るのが遅いと心配し始める頃だろうか。
もう一度左腕のウェアラブル端末を操作し、梶原は呟いた。
「権限行使、
『行使を承認します』
電子音声が流れた次の瞬間、スーツの内ポケットに入れていた別の端末から梶原の体に電撃が走った。ひと際大きいうめき声をあげて梶原は地面に崩れ落ちる。
「痛ってぇ……でもこれで終わったろ」
息を荒くしながらも自分の体から霊が消えていく感覚を感じていた。体が軽くなっていく感覚に梶原は安堵した。
「さてと。きっついけど、早く戻らないとあの人心配しちゃってるだろうからなぁ」
体を起こし、よろよろと来た道を戻っていく。車で待つ、船越のもとへと帰るために。
「やべぇ体ぷすぷすいってるや。だから使いたくないんだよ権限」
苦笑いしながら船越がいる方へ歩いて行った。
車に着くと、梶原の姿を見て船越は驚いて声をかけてきた。
「どうしたのそんなに汚れて! ボロボロじゃない!」
「いやぁ戻って来る時に派手にすっころんじゃって」
転んだにしては大袈裟に汚れているというか傷ついているが、辺りが暗くなっていることもあり少し目立たなくなっていた。
「待ってて。トランクに救急箱積んでたはずだからとってくるから」
船越が車を降り、車のトランクを開けに行く。梶原は車の助手席に乗り込んだ。
「出来るだけバレない様にしないとな。あの人が責任感じちゃっても嫌だし」
自分のせいで梶原が傷ついてしまったということを知れば、船越は多少なりとも責任を感じてしまうだろう。後で上司には報告するとして、このことは内密にするようにお願いしようと考えていた。
「お待たせ。それにしてもどんだけ派手に転んだのよ。ぷっくくく」
車の社内ライトを着けて梶原の顔を覗き込みながら、ハンカチで頬をぬぐって船越は笑いだす。
人の気も知らず笑いだす船越に、仕返しをしてやりたい気持ちが出てくる梶原。
「いやぁ小走りでかけてくる時に転んで一回転しちゃって。あっそういえば今日ここに来る前服が透けて、ブラが見えちゃってましたよ船越さん」
うっと少し声を上げ、照れながら上目遣いでこちらを見てくる船越。
「なんで今そんな話……別に見えててもいいわよ。見られて恥ずかしいの着てるわけじゃないし」
予想外の答えと反応に、梶原は嗜虐心がくすぐられた。
「見ていいんすね。ピンクに白のレースとリボンが着いてて可愛いの着てるなぁって感じだったすけど」
「いやいやどんだけ見てんのよ。普通服の上から見えたくらいでそこまで見えないでしょ?」
いやいやと過振りを振って否定するも、それでも梶原の説明は止まらない。
「胸も思ったより大きくて形良いなぁって」
「だぁからぁ! そこまで見えないでしょって」
「いやってゆうか今見えてますし」
船越は自分の今の体制を思い出しはっとした。
梶原の手当てをするために前傾姿勢で寄りかかっており、スーツの上を脱いだままの船越の胸元は梶原から思いっきり見えていた。
「そぉいっ」
「モルッスァ!」
梶原にビンタを喰らわす船越。妙な声を上げる梶原。
「見ても良いって言ったじゃないすか!」
「さすがにセクハラじゃコラァ! 課長に言いつけんぞ!」
はぁはぁと息を荒くしながら二人で言い合い、少し落ち着いた後に船越から話を始めた。
「一旦事務所戻って、公用車置いた後はすぐに飲みに行くわよ! もう定時も過ぎてるし」
そういえば飲みに誘われていたんだったと思い出す梶原。だが正直飲みに行く気力はもう残っていない。
「スミマセン船越さん。今日正直ちょっと疲れたんでまたの機会じゃダメっすかね?」
疲れはて、飲みに行く予定を延期できないかと懇願する梶原。だが返ってきた答えは否定の言葉だった。
「ダーメ。明日休みでしょ?」
笑顔でそう返す船越。絶対に帰してくれないヤツだと悟り、疲れた体を押して梶原は飲みに付き合う覚悟を決めた。
~居酒屋にて~
「別にそこまで料理下手なわけじゃないでしょ!?」
居酒屋に船越の声が響きわたる。飲みに付き合っている梶原はもうすでに酔いが回っており、とろんとした目つきになっている。
梶原は事務所に戻った際に、たまたま持って来ていた替えの服に着替えていた。
「船越さんのコロッケ食べた限りでは、刺激物って感じでした。まっずかったっす」
酔った勢いで、その場では言わなかった本音をぶちまける梶原。
「そんなっ! 美味しそうに食べてたじゃない!?」
「美味しかったわけないでしょ。あの親子にあの劇物食べさせられないなって思っただけっす」
うぅーと声を上げながらカウンター席で突っ伏す船越。こちらもこちらで酔いが回っている。
「でも料理だけで別れるとか酷くない? もっとこう色々さぁ! 私の魅力ってあるわけじゃない?」
「うーん。人がどこに重点を置いて、何が大切かは人それぞれですからねぇ」
「そんな正論が聞きたいわけじゃないの。私の話を聞いて頷いて欲しいの。私を慰めて欲しいのー」
梶原の肩を掴みガクガクと揺らし、駄々をこねるように訴える船越。
「船越さん見た目は美人だし、すぐ彼氏出来ますよ。だから元気出してください」
とろんとした目つきのまま船越の要望通り慰める梶原。すると船越が唇を尖らせながら梶原に問いただす。
「ホント? じゃあ梶原君が私と付き合ってよ」
その問いに間を開けずに梶原は答える。
「職場内恋愛とか勘弁っす」
なんでーと言いながらまた梶原の肩をガクガクと揺らす船越。
「でも実はまんざらでもないでしょう?」
まだ諦めていないようで、上目遣いで詰め寄って来る船越。梶原はふらふらしながらその視線をかわす。
「ってゆうかですねぇ船越さん」
「ん?」
どうしても諦めない船越に梶原は止めの言葉を放った。
「俺彼女います」
その言葉を聞いて船越は再びカウンター席のテーブルに突っ伏し、
「ふじゃけんなーーーーーーーーーーー」
と叫んだ。
そこで飲み会はお開きになり、最後に船越は梶原にかーぺっと唾を吐きかけていた。それをよけつつタクシーに乗せ、見送った後に梶原は帰路に着く。
「お帰り御影。今日は遅かったね」
借りているアパートに着き玄関を開けると、一人の女性が梶原を出迎えた。
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