第2話

 目的のマンションに着き、船越が通報した住民へ聞き込みを開始する。梶原はタブレットを片手に現地の様子を先に調べていた。


 三階建てのマンションで、鉄筋コンクリート造り。ドアはオートロックになっており、屋根にはソーラーパネルが取り付けてあり、そこまで古くなさそうなものだった。

 船越は聞き込みが終わり、梶原に合流しながら実際にどうなっているかを訪ねる。



「あーいますね。ホントに窓にピッタリくっついてずっと中覗き込んでるや」


 梶原は片方の手でタブレットを持ち、通報のあったものをカメラで補足しながら、自分の腕時計型のウェアラブル端末の表示を見ながら何やら調べている。


 ちなみにウェアラブル端末とは身に着けるコンピュータのことで、腕時計型以外にもヘッドマウントディスプレイのような物など、様々なものがある。色々な機能がついており、梶原の腕時計型の物は他の様々な機器と連動している。


 タブレットに写し出されていたものは人だ。ただし、タブレットやスマートフォンのレンズを通さなければ見えない。肉眼では見えないその人物は、いわゆる霊体だった。


「女性の霊みたいですね。様子や周囲の温度を確認してみたところ、丙種みたいです」


「そう。じゃあ直接的な害はなさそうね。良かった」


 梶原の返答に船越はすっと胸をなでおろす。安心したという感じだ。


「でもどう対処しましょうか? 住人から通報があった以上、害はないからほっといてくれと言っても納得してくれるかどうか……通報してきた人はどうでしたか?」


「んー40代くらいの女性なんだけど、気味悪いから早く処理してくれって一点張りだったわね。どうしようかしら。強制的に除去することも出来るけど」


『除去する』とはこの場から取り除くこと。霊の意思に関係なく除霊するということだ。


「出来ればそれはしたくないっすね。特に人に害を与えるわけでもないのにこっちの都合だけで除去するっていうのは……」


 梶原が何かに気づいたようにふっと霊の方へ向きなおる。どうしたのと問いかける船越にしっと指を立てる梶原。


「この霊、何かつぶやいてます」


 耳をすませる梶原に、船越は眉をひそめる。


「そっか……梶原君には聞こえるんだもんね」


 梶原の様子を察して口をつぐむ船越。梶原には聞こえ、船越には聞こえないその声を、梶原が聞き取るのを待つ。


 しばらく待っていると、梶原は霊の声を聞き取ることが出来たようで、聞こえた声を船越に伝えた。


「ごめんねって言ってました。あと誰か人の名前を二人ほど。もしかしたら問いかけに反応するかもしれません」


「そう。もしかしたら今この霊が見てる部屋にいる住人のことかもしれない。三カ月前からこの霊は現れるようになったらしいんだけど、その頃に引っ越してきたのが霊が見てる部屋の住人らしいの。聞き込みしてみましょうか」


 梶原はそうですねと返答し、霊の方を見ながら一言呟いた。


「しょうがないな。付き合ってやるよ」



 留守にしていた住人は、少し時間がたつと帰宅し、二人は聞き込みを開始した。

 帰ってきたのは親子二人。30代前半とみられる若い父親と、ランドセルを背負った小学生の女の子だった。


「区役所の不可視物管理課の者なんですが、少しお話をさせていただいてもよろしいでしょうか?」


 梶原が先に声をかけ、親子は了承し梶原と船越をマンションの部屋へ招き入れた。そこで詳しい話を聞くことにする。



 子供に必要以上に怖い思いをさせるかもしれないという気づかいから、父親にのみ詳しい話をした。その間の子供の相手は船越が引き受けた。


「窓の方にいる霊はご覧になりましたか? なにか心あたりはありませんか?」


「いえ、引っ越してきてから大変で、携帯で写真を撮ったりしようとも思わなかったので気づきませんでした」



 どうやら隣人から何か話を聞いたりしたこともないようだった。人と人との関係が希薄になった最近では、マンションの住人同士がやり取りをすることが極端に少なくなっている。


 通報はしてきても直接声をかけてはいない。こういうふうに隣人であっても何の声かけもしないというのは珍しいことではなかった。


「あっそうだ! そもそも娘が怖がるといけないと思い、買った当初にフィルターをかけっぱなしにしたままだったのを忘れていました!」


 霊が見えるスマートフォンが普及しだした際に、やはりそういったものは見たくないという声をあげる者も多く、霊が見えないようにフィルターをかける機能が今の機種には追加されている。


「ただ女性の霊、ということであればもしかすると妻かもしれないです」


 実際に見てみることになり、男性は立ち上がり歩き出す。

 男性は様子を見に玄関へ向かい、自分のスマートフォンで玄関の隣の前を写し、つぶやいた。


千秋ちあき……」


 千秋と呼ばれた女性は男性の方を振り向き、梶原にしか聞こえない声で『裕之ひろゆき』と返した。目には涙を溜めていた。


 居間でしばらく父親の裕之と話をし、終わりかけた頃、晩御飯が出来上がったらしく、良かったら食べて行ってくださいと言われ今回は好意に甘えることにした。


千裕ちひろちゃんすっごく料理うまいの! びっくりしちゃった」


 船越が関心しながら料理を運ぶ。千裕というのが娘の名前だ。へへへと照れながら船越と料理を運ぶ。


「お兄ちゃん達も今日は一緒に食べていくんでしょ? こんな感じで食べるの久しぶり!」


 ツインロールの髪を揺らしながら喜ぶ千裕。その場にいた全員の顔がほころぶ。

 準備が終わり、時刻は夕方五時半を過ぎたあたりで、少し早めの夕食が始まった。


「ちなみに一品は私が作ったのよ? 梶原君召し上がれ」


「俺からなんすか? 別に良いっすけど」


 夕食のメニューはご飯に味噌汁、野菜炒めに豚肉の生姜焼き、それに船越が作ったコロッケだった。


 梶原は最初に船越がつくったというコロッケに手を伸ばそうとした際に思い出した。船越は彼氏に料理を振舞おうとした際に、喧嘩別れしたのだと言っていた。


 これはヤバイ代物なのではないかと懸念しつつも、見た目はきれいなコロッケに手を伸ばしていく。口に入れた瞬間ジュワッと中の内容物が口いっぱいに広がった。


「うぐふぅ……」


 なんだか苦い。しかも何故だか生臭い。魚の生臭さを彷彿をとさせるその生臭さは、なんだか気持ちが悪くなる味だった。予想外の味に妙な声を上げる梶原。


「船越さんコレ……」


 何が中に入ってるのか聞こうとした梶原に、船越が元気よく答える。


「海鮮コロッケよ! もらってきた魚が余ってるって言ってたから作らせてもらったの! どう?」


 キラキラと目を光らせる船越にまずいと直球で言うことが出来ず、


「刺激的な味っすね」と答えるのが精一杯だった。どうやったらこんな味になるんだと抗議したかったが、今はこの親子の前でそんなことをいう事は憚られた。


 口直しに千裕が作った料理を食べると凄く美味しく感じた。凄くだ。


「千裕ちゃんは良いお嫁さんになりそうだね」と口に出して素直に関心した。


「えへへ。でもあたしはお嫁にはいかないよ? ずっとお父さんと暮らすの」


 はははと父親の裕之は笑って娘の頭を撫でる。

 微笑ましい光景に梶原は決意する。コロッケをこの家族に食べさせて、この雰囲気をぶち壊すのはやめよう。全部自分で処理すると決意し、意を決して船越のコロッケをかきこんだ。


「梶原君美味しい? 私も良いお嫁さんになれるかな?」


「船越さんちょっと黙っててもらって良いっすか?」


 なにようと頬をふくらます船越に内心イラっとする梶原。良い歳したアラサーが何言ってるんだ。お前が作った劇物を処理するのにこっちは必死なんだよと。


 夕飯が終わった後、梶原は母親の霊に話しかけにいった。既に辺りは暗くなっており、タブレットを通して見える母親、千秋に話しかける。


「あんたやっぱり旦那さんと娘が心配なのか?」


 こくんと頷く千秋。そして語りだす。


『私死ぬ間際にあの人に一緒に死んでくれない? って言っちゃったの。でも後悔してる。病気で弱っていたとはいえ何であんな事言っちゃったんだろうって。もし私の後を追ったらと思うと……』



 両手で顔を覆い、涙を流す千秋。肩が小刻みに震えている。

 少し間をおいて、梶原が話し出した。


「あんたの旦那さんな、さっきそのこと話してたよ」


 梶原は旦那である裕之から聞いた話を千秋に伝えた。

 千秋に一緒に死んでくれないかと伝えられた時、ショックだったこと。正直にいうと、愛する妻が亡くなると分かった時、後を追ってしまおうかと考えたこともあったということ。


 それでも、踏みとどまったのは娘のことがあるからだ。


「今はそんな事考えてないんだとよ。娘のことが大事だし、あんたとの思い出も大事にしながら生きていくってさ」


 涙目ながらも顔を上げた千秋は、少し微笑んだように見えた。


「あと娘がだんだんあんたに似てきて、その成長を見守るのが嬉しいんだとさ。心配はいらない。ほら見てみなよ」


 玄関を開けて親子の姿を見せる梶原。

 窓からでは見えなかった、親子の楽しそうな姿がそこから見えた。


「そうだ。残された者もそんなに弱くない。悲しみを乗り越えて、生きていける」


 その姿を見た千秋は、大粒の涙を流した。だが今度の涙は悲しみの涙ではない。安心しきった、嬉しさを感じた涙だった。


 その瞬間。タブレットに写る千秋の体が光りだした。


「行くのか? 娘と旦那に声をかけていかなくて良いのか?」


『えぇありがとう。私の声は直接あの人に届かないから。だからあなたが伝えておいて』


 消えてゆく千秋の声は梶原にはしっかり聞き取れた。


『幸せになってねって』


 完全に消えてしまい、何もいなくなった玄関で梶原は呟いた。


「しょうがないな。伝えといてやるよ」



 居間に戻り、今あった出来事と千秋の伝言を裕之に伝えると、涙を流しながらお礼を言ってきた。娘にはタイミングを見て自分から伝えておくとのことで今日は帰ることになった。


 帰り支度をしていると、娘の千裕が駆け寄ってきて、内緒話をするように耳元で話しかけてきた。


「お兄ちゃんて役所の人なんでしょ? やっぱり親子だと、結婚て出来ないの?」


「まぁ専門じゃないからそこまで詳しくはないけど、日本の法律じゃ無理かな」


 千裕は父親と結婚しようと考えているらしく、真剣に結婚する方法はないかと尋ねてきたのだ。小さい子には良くある、戯言だと微笑ましく思う梶原。だが話を続けていると少し雲行きが怪しくなってきた。



「そっかぁじゃあ外国に行くとかじゃないと親子で結婚は出来ないんだね。でもまぁ良いや!

 結婚だけが愛のカタチじゃないし、親子だったらずっと一緒にいても不自然じゃないし!」


「う、うんそだね」


「それに今はまだあたしが小さいから間に受けてくれないけど、大人の女の人に近づいていけばどんどん見方も変わってくるかもしれないし!」


「お、おう」


「それでも認めてくれなければ、お父さんをあたしがいなければ生きていけない体にすれば良いしね!」


「お、おうふ」


 どこまで本気なのかわからない言動に、梶原はたじろいだ。千秋に心配はいらないと言ったが、これはまずいのではないかと感じた。スマン駄目かもしれんと心の中で千秋にあやまる梶原。



「し、しーらね」


 そそくさと身支度を整えて梶原は船越とマンションを後にした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る