18. センター

 街路に放り出された玲は、目印を探して頭上を見回した。

 幸い、ホテルからそう遠い場所ではなく、街の案内掲示を頼りに進むべき方向を見定める。


 買い物袋をぶら下げた主婦に時刻を尋ねると、今が十六時十三分だと教えられた。

 現実世界の玲たちがホテルに着いた時は、半を回っていた。潜行刻限まで三十分ほど、あまり余裕は無い。

 ダイバーの二人組は、部屋で待ち伏せていたと考えられる。

 この時間なら、もう既に入室していそうだ。


 ビジネスホテルの前まで来た玲は、不審な車や敵を探すが、特に見当たらないため、七階の部屋に向かうことにする。

 エレベーターで上へ、そして廊下を通り扉の前に立つ。

 ノックしようと挙げた手を、彼は途中で下ろした。

 気遣う相手でもない、好きにやらせてもらおうと、玲が冷徹に改竄を告げる。


「倒れろ」


 オートロックの扉が、蝶番を失い、バタンと部屋の中へ倒れ込んだ。

 入り口近くにいたベテランの方が、扉に押されてバランスを崩し、尻餅をつく。

 奥に控えていたのが新人で、こちらには右手を掲げた玲の命令が飛んだ。


「相方に薬を打て」


 戸板の下から這い出した男が、予想外の相手に対処しようと立ち上がる。

 麻酔銃を抜くパートナーを足蹴あしげにし、彼は玲へ飛び掛かった。


「貴様、瀧神か!」

「動くな、黙れ」


 主役の改変、禁忌を犯した途端、ツインルームは液体のように波打つ。

 泡立つ床を歩き、新人ダイバーが主役の背後へ近寄ったが、数歩進んだだけで中断した。

 若いダイバーは、その場で足の上げ下ろしを繰り返し始め、その顔はみるみる精気を失くして濁る。


 動きを封じられても、主役は無言の改変で玲に対抗していた。

 二人の相反する深層改変が綱引きを演じ、犠牲となった新人は完全に自我を吹き飛ばされ、ひたすら馬鹿げた足踏みを続ける。

 ベテランはこの状態でも尚、目の奥に力を宿して玲を睨み付ける。


「感覚を遮断」


 敵の抵抗の意志を折るために玲は淡々と改変指示を追加し、結果、男の五感は消し飛んでいく。

 麻酔銃が再びジワジワと対象の首へ引き寄せられる。

 彫像のように固定された男へ遂に昏睡薬が注入されると、新人はその場で待機姿勢に戻った。


「動いていいぞ」


 許可が出たのは、薬で麻痺した生ける像の方だ。

 玲の合図で男は崩れ、深層のブレが激しさを増す。


 ――あまりちそうにないな……。


 ホテルの部屋を上書きして応急措置を施し、玲は新人の腕を掴んだ。


「名前は?」

鹿島廉治かしまれんじ

「所属は?」

「第二国内工作班」


 第一班かと思いきや、センターの二線級、麻莉もナメられたもんだと呆れる。


「受けた命令は?」

「榊原麻莉の確保……と……」


 鹿島が意識を飛ばしそうになったのを、玲が強引に上書きして立て直す。

 歪む鹿島自身・・・・に、再構築したイメージを重ねた。


「……多木津暁歩の、護衛」

「多木津はどこにいる?」

「柴浜……先端通信……」


 ――開発機構。多木津と病院、そしてセンターの三者がこれで繋がった。


「センターから派遣された護衛は何人だ?」

「第二の……全班……」

「全員かよ」


 玲が所属していた頃でも、第二国内工作班は二十人近くはいた。

 あの研究所は高周波で守られている上に、中にはダイバーもいるらしい。

 侵入は抗潜行装置と警備員で妨害し、内部は工作班が待ち構える二重の防衛陣というわけだ。


「センターの目的はなんだ? 昏睡者を使って何を計画してる?」

「知ら……ない……」


 鹿島の顔が、渦を描いて奇怪に歪んだ。深層の限界が近い。

 どうせ下っ端には、大した情報は与えられていないだろう。ただ最後に一つ、聞いておいた方がよい質問がある。


「お前のコードは?」

「三七一……六六……」


 唱えられた十二桁の数字を脳裏に刻んだ玲は、床で固まるもう一人に視線を移した。

 硬直した年長のダイバーに重ねて、破壊円を発生させる。

 主役に抵抗されて、黒円は点の状態で押し止められたが、それも一瞬。ジワジワと面積を広げ、最後には男の体を飲み込んだ。


 主役の消去と同時に、ホテルの部屋は現実へと切り替わる。

 麻莉は未だベッドで眠り、夢の中。

 名も知らぬ第二班のダイバーは、目を見開いたまま、土下座するように顔から床へ倒れた。


 玲は改めて男の体を探り、スマホと財布を奪うと、虚空を見つめる鹿島の身体検査に取り掛かる。

 どちらも所持品は少なく、武器は麻酔銃のみだった。

 二人の財布の中味をベッドにぶち撒け、カードや免許証をチェックしていく。


 どのカードも全て偽名で登録されており、鹿島という名前は見当たらない。もう一人の本名も、これでは知りようがなかった。

 手掛かりになりそうなのは、鹿島のスマホくらいか。センターの支給品なら、ロックは十二桁の数字だ。


 難なくロックを解除して、専用の複号アプリを立ち上げ、彼は受信されたメッセージのリストを読み上げる。

 簡潔な言葉で告げられるセンターからの指令を追うことで、彼らがどうやって麻莉を追跡したかは推測できた。


 彼女が真波に潜伏していると予想したセンター本部は、ホテルや駅を中心に、刷り込みを受けた人間を捜す。

 鹿島たちも、捜査班による連絡を受け、このホテルにやって来たばかりだった。


 玲の痕跡を消すために、麻莉は刷り込みを使わざるを得なかったのだが、そうでなくてもセンターの捜査班はかわしづらい。

 索敵範囲がピンポイントであれば、ダイバーたちによる追跡は警察など公機関の数段上の捜査力を誇っていた。

 昨夜の病院での潜行も、センターは既に把握していると考えられる。

 ベッドの端に腰掛け、鹿島の連絡履歴を読み終わる頃、カードの山にまみれた麻莉がようやく起き出してきた。


「ん……クレジットカード?」

「財布の中味だよ。二班に眠らされるとは、アンタらしくないな」

「無理に抵抗しなかったのよ。瀧神くんなら、上手くやってくれるでしょ」


 ホテルのサービスで置かれたミネラルウォーターを渡すと、彼女はペットボトルを開けて水分を補給する。

 こめかみを挟むように左手で押さえつつ、麻莉は潜行の成果を聞きたがった。


「二人とも第二工作班。第二は全員、研究所に詰めているらしい」

「全部? 二十四人、いや二人減って二十二人ね」

「幹部クラスが指揮してるってことだ、非能力者もいるだろうし、手厚い歓迎をされそうだな。第一班はどこにいるんだ?」


 かつては玲も所属した第一工作班。

 この班は所属員の人数すら極秘扱いで、現役の第一班であった麻莉でも詳細は答えられない。全体像を知るのは、センターの上層部くらいだ。

 彼女はお手上げとばかりに、両の掌を上に向けた。


「あなたが抜けてから、第一班の極秘ぶりは加速したわ。特に、ここ何年かで新規に採用されたダイバーは顔も知らない」

「新人は多いのか?」

「多分……別称で分けられるくらいには。第一工作班、新規編成潜行員、通称で新班って呼んでる」


 その新班が生まれて以降、麻莉たちは旧班と呼ばれて区別された。

 新班メンバーは他と全く交流が無く、センター本部のサーバーをハッキングするのは難易度が高い。

 調べる手段は限られるものの、向こうから接触してくれるなら、それよりもっと楽な方法があった。


「潜行したいな」

「誰に?」

「研究所には指揮者がいるはず。センターの上役か、少なくとも多木津はいる。第二班が研究所で護ってるのは、多木津だよ」


 もう麻莉も追われる身であり、センターに繋がる線は柴浜の研究所くらいだ。

 この第二班の襲撃によって、今夜の計画はより重要度が増した。

 曳航能力者の始末、センターの意向の調査、多木津の確保。玲たちの目的は、一箇所に集約しつつある。


「これが片付いたら、センターを抜けるんだな?」

「ええ。貴方と一緒ね」


 ここまで忠実に任務をこなしてきた彼女も、ここ数年は不信感が募り、真波事件が駄目押しとなった。

 センターと訣別し、街からも妹からも離れる。工作員たちは、その彼女の決意もようやく固めさせてくれた。

 ミネラルウォーターを仰ぎ飲んだ麻莉は、床に倒れる第二班の男を爪先で押す。


「深層破壊?」

「ああ。若い方は、殺していない」


 鹿島が混濁から覚めるのは、数時間後くらいか。

 日常生活くらいは、支障なく過ごせる程度に回復するだろう。もっとも、潜行者ダイバーとしての彼は、もう終わりだ。


「こいつに刷り込めそうか?」

「どうかしら……」


 彼女は虚ろな目を見据え、男の反応を調べていたが、とても無理そうだと匙を投げた。


「単純な行動が精一杯よ。潜入工作でも考えてるなら、期待できない」

「撹拌は威力調整が難しいんだ。まあ、まだ使い道はある」


 定時連絡が途絶えれば、追加の人員がここに派遣されるのは目に見えていた。

 鹿島が歩けるようになるのを待って、玲たちはホテルを後にする。


 彼女の車は純然たる私物だが、こうなるとそろそろ別の物に替えたい。

 途中で軽自動車は路上に乗り捨て、新しい移動手段をレンタカーで手に入れる。刷り込みで借りたこのセダンは玲用だ。


 軽く二人で夕食をとった後、麻莉のためにもう一台、車を調達した。

 ここからは別行動となり、玲は研究所の近くへと赴く。


 開発機構の看板よりずっと手前で彼は車を停め、様子を伺うために徒歩で山へ向かった。

 遠目で見た研究所は、深層での光景とほとんど変わりない。

 金網のゲートは案外脆く、乗用車で無理やり突破できることは、深層で実証済みだ。


 研究所の建物には、多少の変化がある。

 時間が違うせいもあるだろうが、点灯する照明が増え、周囲を歩く警備員の姿も窺えた。

 センターが勘付いているなら、警備の強化は予想の範囲内だろう。


 車に戻った玲は、運転席で目をつむり、作戦開始の時刻を待った。

 麻莉はここから約四十分ほど車を走らせた先にある山中へ出向いている。

 彼女が作ってくれるチャンスは一瞬、デジタル時計のアラームが鳴るのは深夜零時ちょうど。


 帰宅を急ぐ乗用車や、大型トラックが国道を流れて行く。

 現役の工作員時代、最も長い時間を費やしたのは、こういった待機任務だった。

 やや耳障りな後部座席の呼吸音以外に、音を立てる物はない。


 半ば眠るように身を沈めていた彼は、おもむろに手首に視線を落とす。

 腕に嵌めた安物の時計は、十一時半を表示している。


 エンジンの起動音と共に、白いセダンがのそりと動き出した。

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