13. 浮上

 断層同士の関係性が推測できないなら、接続部分を消し去る。玲の選んだ解決方法は、シンプルかつ効果的だ。

 駅前に続き南真波高校、さらには柴浜本社ビルの断層まで、その配置など構わずに、彼によって無に帰す。


 彼の生む漆黒が支配領域を広げるにつれ、円の外縁は揺らぎを弱めた。

 やがて水圧は一方向に収束し、もはや何キロに及ぶか分からない黒円に、敵の方向を示す切り込みが入る。

 光が作る鋭い扇型は、玲の破壊に抵抗する敵への道しるべだ。


 勢いを増す破壊円は、その抵抗すら覆い、遂に真円となって口を閉じた。

 一切の光源を断つ完全なる闇。

 そんな中、玲の体と、ほんの小さな輝きだけが空間に浮かぶ。

 針の穴より小さい光も、暗黒の世界ではよく目立つ。


 彼は目的地を定め、決然と光点に向け歩き出した。

 玲の足が降りた先に、淡い光の波紋が生じ、また直ぐに消える。

 行く手にいるのは玲を最後にき込んだ麻莉か、それともその上にいた舞か。


 何の指標も無い空間を、一体どれくらいの時間、進んだだろう。

 光の大きさは大して変わらないが、何も無いはずの世界に、玲の衣擦きぬずれ以外の音が混じってくる。


 光が目に見えて近付き出したのは、それから半刻も経った頃だった。

 たった数十センチと思われる光点が、目に突き刺さるほど眩しい。

 玲が消さずに残した大気が、光を滲ませて空間を灰色に和らげた。


「……そういうことか」


 見付けた対象者を、彼はじっと睨む。

 ケロッ。

 雰囲気を壊す鳴き声は、足下の両生類が出したものだった。

 ようやく、玲はこの世界の仕組みの一端に触れた気がする。


 小さなスポットライトの中で、逃げ場を失ったカエルが無為にピョンピョンと跳ね回るのを、暫くの間、眺めて過ごす。

 対処に戸惑った自分に、玲も苦笑いするしかなかった。


 ――人相手の方が、慣れてるからな。


 グシャリ。

 踏み付けた足が、微妙な抵抗感を潰し、小さな命を奪う。


 復活する目映まばゆい光の洪水――白い壁、清潔な床。

 真波総合医療センターの一室、これは葉田の東棟二一六号室ではなく、西棟三一四号室だ。

 舞と麻莉の姿を認めた玲は、彼女たちが何か行動を起こす前に黒円を形成した。


 ――こいつらにもう隙など与えない。特に、カエルを見た後では。


 ベッドの上で上半身だけを起こし、彼に手を伸ばす女を、虚無が消す。

 ここでの円の凹みは、最初からはっきりと水圧の位置を示している。

 世界を消滅させながら、その方向へ玲は歩み出した。

 水圧の強さから見て、ここの主役は近そうだ。


 病院が消えていなかったら、その敷地を少し出たくらいの場所だろうか。彼の予想に違わず、黒円に抗うスポットを労せずして発見することが出来た。

 アスファルトに合わせ、体色の彩度をやや落としたモスグリーンのカエルが、ポツンと一匹喉を鳴らす。

 今回は間を空けることなく、玲はこの深層の主役を踏んだ。


 葉田の夢の世界、苔の街の交差点。

 帰還地点が潜行時と違うのは、夢の深層特有の現象だ。ここで理屈を通そうとても馬鹿らしい。

 下層で破壊工作に励んだためか、多少、街も不安定になっている。

 下手くそな落書きのように緑のビルの輪郭は歪み、道路は軽く波打っていた。


「とっとと主役を探そう……」


 反撃を狙って、この深層を選んだものの、夢は逆に敵のホームグラウンドと言える状況だった。

 敵の能力を推測するヒントは得た、それで良しとするしかない。


 交差点から、潜行当初に検出した主役の場所に向かう。

 赤かった空までが緑に変わりつつあり、人や車はポロポロと崩れ、形と色を失いかけていた。

 どうせここもカエルだろう、そう予想していた玲は、前に現れた物体に絶句する。

 道路を塞ぐように鎮座する緑の球。

 カエルは正解だったが……。


 球を覆い隠す緑は、植物ではなく、無数のアマガエルだった。

 彼の身長より高い球に、どれほどのカエルがへばり付いているのか想像も付かない。

 艶々とした濡れた表皮は、緑光を浴びて自らが光を放っているようにも見える。

 蛍光色の塊が、玲の接近を機に一斉に喉を震わせ始めた。

 ガーガーと混じり合う大合唱に、空気が振動する。


「どいつが主役だ。いや、これは――」


 よく見れば、カエルはただ球にくっついているのではなかった。

 その中心にある何かを貪ろうと、集まっているのだ。

 小動物の隙間から覗くのは、街のあちこちで見受けられる苔の葉。大量のカエルが、その葉を熱心にかじる。

 モゾモゾ動くカエルたちの餌食になっているのは、彼らと同色の苔球こけだまだった。


「カエルが好きなんじゃなくて、嫌いなのか」


 歯のあるカエルにまみれて、食いちぎられる悪夢。

 何かトラウマでもあるんだろう。世界に漂うどこか不気味な雰囲気は、それで説明がついた。

 葉田の夢の主役は、苔球の方だ。


 黒円で一気に片付けようとした彼は、途中で思い直す。

 夢とは言え、既に相当なダメージを与えて来た。ここは普通に主役を始末した方が――。


「――殺す? 苔球をか」


 締める首も無い対象に悩むものの、それも一瞬だ。

 この世界の主題を、少し後押しすればいい。

 カエルの群れへと、何の逡巡も無く玲の右手が沈み込む。


「食い尽くせ」


 命令に応じたカエルたちは、やかましい鳴き声をピタリと止め、壮絶な勢いで食事に取り掛かった。

 肉に食らい付く猛獣でも、こんな野蛮さは持ち得ない。

 多重で響く咀嚼の音は鳴き声並に騒々しく、激しい蚕食によって苔球はみるみる高さを失い、グズグズと崩れて行く。


 形を潰された苔の塊は、もう球とは呼べない。

 最後の一片まで、カエルは容赦無く自分たちの胃袋へ送る。

 苔の全てを飲み込んだ時、玲は病室へと帰還した。


「少し遅かったわね」


 パートナーを気遣う麻莉の言葉に、彼は思わず顔を向け、目を見開く。


「……どうしたの?」

「ああ、いや……参ったな、これは」


 滅多に見ることが出来ない、気恥ずかしそうな玲の表情に、今度は麻莉が目を丸くした。


「珍しいものが見られたわ」

「そう言うなよ。また麻莉が分裂するかと身構えたんだ」


 長くなりそうな報告のため、彼は外に出るように麻莉を促す。

 二人は非常口から屋外へ移動し、話をする場所に駐車場の隅を選んだ。


 葉田への潜行ダイブ結果に、彼女は黙って耳を傾ける。

 疑問は次々と湧くものの、玲が話し終わるまで口を挟むことはしなかった。





「――とまあ、苔球を始末して、やっと脱出というわけだ」

「結局、敵の尻尾は掴めなかったのね」


 落胆の表情を隠そうとしない麻莉に、彼はいくつか成果を整理してみせる。


「分かったことだってある。まず一つ目は、敵の能力だ」

「何でも有りに聞こえたけど?」

「そう、それだよ」


 潜行、刷り込み、曳航えいこう、敵の戦法は多岐にわたっていた。

 曳き込んだ最後の深層では、複数人の断片まで使用している。


「ところがな、重層潜行した先は、全部が葉田の夢だった。主役が同じなんだよ」

「葉田が多重能力者だとは思えない。とすると――」

「繋がってるんだ。昏睡者全員が」


 深層の共有とでも言うべきか。

 敵は凪坂の、舞の、柴浜の全ての深層を利用できるらしい。


「それで能力は説明できる。でも、葉田に潜行したから、葉田が主役なんでしょ?」

「ああ」

「だったら、攻撃してきたのは葉田だってこと?」

「イエスであり、ノーだな」


 訳が分からない、そんな返事を、麻莉は表情で訴えた。

 玲はもう少し詳しく解説を続ける。


「葉田が攻撃してきた、これは事実だ。だからと言って、それが彼女の自分の意思とは限らない」

「葉田は刷り込まれた?」

「惜しい、曳き込まれてるんだよ。現在進行形で、誰かの深層に取り込まれてる。これは事前に用意したトラップじゃなくて、曳航能力者とやり合ってるんだ」

「そんな……」


 対象を曳き込んでしまえば、行動を支配するのは簡単だ。刷り込みでも、潜行でも、好きにすればいい。

 しかしそうなると、敵の強さの想定レベルは跳ね上がってしまう。


「多人数を同時に曳き込んで操るなんて……」

「信じられない能力だが、これなら昏睡の理由も付くぞ」


 舞たちが起きないのは、曳航中だから。単純にして明快な説明が可能だ。

 では、その対処方は?


「曳航してる能力者を探して始末する。それが解決策ね」

「その答えで、百点満点だと思う」


 もっとも、曳航能力者の居場所をどうやって特定するのか、それが次の難題だった。

 患者たちが繋がれた先は、病院内に在るのか、それとも回線は外に伸びているのか。


「センター所属の能力者で、行方が分からない者は?」

「強力な能力者は把握してるはず。瀧神くんは例外ね。でも、センターの情報が全てじゃないわ」


 凪坂の例もある、在野の未発見能力者もまだ多い。そちらから辿るのは難しそうだ。


「保安図面からは、何か分かったか?」

「中央棟の上階を中心に、改築工事が何度か行われてるわね。でも、敷地内に不審な建物は無かった。最近だと昨年、新規に回線工事が行われてる」

「回線?」

「光ファイバー線の増築。全棟に及んでて、かなり大掛かりだったみたい」


 今回の話に関連あると考えていいだろう。

 予想はしていたが、深層共有なんてものは事前の準備があってこそ可能だ。医療センターは、この事態に当初から協力していたと見ていい。


「情報処理室が、中央棟地下に設けられた。唯一怪しいとすれば、そこくらいかしら」

「調べてはおきたいな」


 玲が案内を頼もうとすると、麻莉は片手を上げて制止した。


「それなら最初の計画通りやりましょう。時間もちょうどいいわ」

「本当にやるのか。大丈夫かよ」


 彼の不平とも非難ともつかない発言を聞き流し、彼女は暗い中、腕時計の文字盤を見づらそうに確認する。


「何の為に麻酔薬を調達したと思ってるのよ。急ぎましょう」

「……分かったよ」


 駐車場から中庭へと走り抜け、二人は病院の正面入り口へと向かった。

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