09. 繋がり

 校舎の窓ガラスを揺らさんばかりに、少女の叫びが木魂こだまする。


「きゃあぁぁっ!」

「伸びろ!」


 校舎の側に植えられた桜の木が、猛烈な勢いで上方に枝を伸ばした。

 何十年という成長を、早回ししただけでも異常だが、それ以上に、こんな樹の成長は有り得ない。

 枝先を垂直に上に向けた、剣山のような伸び方は。


 落下を始めた凪坂の柔らかい腹や首へ、つぼみを付けた枝が突き刺さる。

 血のシャワーを振り撒き、瞬時に彼女の命は刈り取られた。


 百舌贄もずにえと化した凪坂を残し、玲は下へ落ち続ける。

 彼が迫る地面へ激突する寸前、景色は明るい病室へと姿を変えた。


「お帰りなさい、瀧神くん」

「……凪坂を調べる。手伝ってくれ」


 帰還後、一息入れる間も持たず、玲は眠る少女を覗き込んだ。

 ベッドに手を突き、肩まで掛けられた布団を剥ぎ取る。

 彼女に繋がれたチューブや電極を、彼は目で追った。


 左手から伸びるのが点滴、胸の辺りから出た線は心電図計へ。

 こめかみと首の付け根にも、それぞれ二本のコードが丸いシールで固着されている。

 コードの先は二台のオシロスコープのような計測器に繋がれており、それら計器は皆、ベッド脇のキーボードの付いたボックスへと続いていた。

 計測された数値は、天井から支柱でぶら下げられたモニターに表示中だ。


 腰の高さ程の白いボックスの方は、麻莉が調べた。

 玲と同様、コードの流れを確かめた彼女は、行き先の不明な線に目を止める。


「何本か、ベッドの下に続いてるわ」

「下?」


 玲はしゃがみ込み、その可動式の大掛かりなベッドの下部を覗いた。

 ボックスから出たコードの内、六本が、枕の下辺りへ消えていく。


「頭に繋がってるのか……?」


 凪坂の頭の下に手を入れた彼は、慎重にその華奢な頭部を持ち上げた。

 彼女の首の部分、枕の縁の辺りはベッドに穴が開いており、コードはそこを通っている。

 接続先は、凪坂の首、正確には頚椎だ。


「何を探してるの?」

「……凪坂の深層は、めちゃくちゃだった。丸ごとダイバーに対するトラップに変わってる」

「誰かが事前に刷り込んだ?」

「そんなレベルじゃない。潜行に反応して、改変してる奴がいる」


 自分の他に潜行者がいる、そう仮定した玲は、遠隔潜行を想像した。

 極端に難しくなるものの、超遠距離潜行や、電話回線を利用した潜行も記録には有る。

 この凪坂の場合、真っ先に疑ったのは、身体を這う各種コードが外部に接続されている可能性だった。


「神経に繋がれた線が、病院内のイントラネットにまで繋がっているのなら、外から改変できてもおかしくない」

「そんなことが出来るのは、瀧神くんくらいなんじゃ?」


 しかし、それくらい強力なダイバーでなければ、そもそも事件を起こし得ないだろう。

 個人的に瀧神という青年を知らなければ、麻莉も彼が犯人だと疑ったかもしれない。

 玲に匹敵するダイバーが、他にもいる……首をもたげる不安を打ち払うように、彼女は質問を変えた。


「凪坂が学校で昏睡した理由は分かったの?」

「彼女もダイバーだ。刷り込みの得意なタイプだよ」


 自分と似た能力保持者だという報告に、麻莉は少し興味深そうに少女を見る。


「センターが知ったら、飛んで来るわね」

「あんたの妹に刷り込んで、百貨店への同伴を捏造した。自分自身を植え付けたんだ」

「舞に? でも、それって――」

「そう、プロならやらない行為だな」


 自分の存在を捏造すること、それ自体は構わない。

 だが、凪坂は百貨店の展覧会まで数時間、虚像を同行させた。刷り込みを持続させるには、必要な効果時間が長過ぎる。


 それはもう深層刷り込みインプリンティングという範疇を超え、舞の深層の作り替えに等しい。

 凪坂の世界によって、舞の世界を上書きする。

 深層に凪坂を強烈に刻まれ、舞は主役の座を彼女に明け渡してしまった。


「あの事件のあった時、舞と凪坂の深層は重なっていたはずだ。そりゃこいつも昏倒するだろうさ」

「ダイバー講習を思い出すわね。相手の深層を取り込めば、自分も取り込まれる……」


 事件が無くても、主役の交替は深層を不安定にし、共倒れになることが多い。

 余程の理由があれば別だが、玲や麻莉なら試しもしない手段だった。

 無謀な素人ダイバーから玲は視線を外し、今度は彼が麻莉に質問した。


「そっちの訪問者リストは、どうだったんだ?」

「それだけど……場所を移動しましょう。そろそろ定期巡回が来そう」


 不必要な看護師との接触は避け、彼らは中央棟の一階へと移ることにする。

 去り際、横たわる凪坂の姿を一瞥した玲は、かぶりを振って麻莉の後を追いかけた。





 一階、来院者用託児室。玲たち二人が侵入したのは、その職員用事務所だ。

 麻莉は紙コップを両手に持ち、片方を丸椅子に座る玲に手渡した。

 わざわざロビーでコーヒーを手に入れて来たことに、彼は軽く呆れた声色になる。


「必要ないだろ、これ」

「気分の問題。頭が冴える気がするのよ」


 玲の正面に腰掛け、一口熱いコーヒーを啜った後、彼女はスマホを取り出した。

 部屋の照明は落としたままで、机の上のスタンドライトだけが、眩しく二人を照らす。


「凪坂は潜行時間が短かったから……少し待って」


 玲は五分足らずで帰還したため、リストの精査はまだ途中もいいところだった。

 それでも彼女は何か掴んだらしく、スマホの画面を忙しく指でなぞっている。


 化粧っ気も無く、髪も不潔にならないよう耳を隠す程度に切り揃えただけ。それでも麻莉は、多くの人に好印象を持たれるだろう。

 鋭い目と、引き締まった口許が、知性的な印象を強めている。


 実際、彼がセンターの仕事から抜ける時には、彼女の頭脳と能力が存分に発揮された。

 青少年育成福祉センターという巫山戯ふざけた名前の機関、その実態はダイバーの育成と運用を主任務とする。

 日米に跨る作戦区域は広大で、どう考えても政府の後援なくしては存続し得ない存在だが、何重もの秘密のベールが潜行能力自体をも世間から隠し通す。


 玲も持って生まれた特異な才能をスカウトに見出され、半ば強制的に主力として活動させられたものの、深層での工作活動に嫌気がさして足を洗おうとした。

 それに協力したのが彼とパートナーを組むことが多かった麻莉で、彼はセンターの追跡をかわして消息を絶つことに成功する。


 彼女自身は未だセンターに籍を置いており、玲の痕跡を消す作業を続けてくれていた。

 酷薄と称されることの多い彼ではあるが、彼女に恩義を感じるくらいの人間性は有る。

 助けを求められれば、五年ぶりに本格的な潜行ダイブの封印を解くくらいは当然のことだった。


 現役時代を思い出させる彼女の顔を眺めながら、玲はカップを口に運ぶ。

 何かにつけブラックでコーヒーを飲む彼女に付き合う内に、彼もいつの間にか任務中は甘い飲み物を敬遠するようになってしまった。

 もっとも、ここでコーヒーを飲まなければ、それも思い出さなかっただろうが。

 苦い液体を飲み干す頃、麻莉は顔を上げた。


「見舞い客に関しては、不審なところは無いわ。家族ばかりで、共通する人物はいない」


 含んだ言い方に、かつてのパートナーは話の続きを待つ。


「引っ掛かるのは、医者の方ね。担当医以外に、全ての昏睡患者を見て回っている人物がいる」

「全て?」

「そう、全員よ」

「脳障害の専門家ってだけでは?」


 順当な疑問に対し、彼女は首を横に振る。


「この医者の記録がおかしいのよ。精神外科所属になってる」

「精神外科? 今時そんなものどこにも――」

「無いわね。この医療センターにも、もちろん無い」


 怪訝な表情の玲に対し、麻莉はスマホの画面の記述を読み上げた。


多木津暁歩たきつあきほ、精神外科所属。勤務先、真波医療センター南棟、出退勤記録は不明」

「……馬鹿げてる」

「そうね」


 この医療センターに、“南棟”は存在しない。

 有り得ない所属と勤務地。事件とどう繋がるかはともかく、心証は真っ黒だ。

 頬に手を当て、暫し考え込んでいた玲が、おもむろに口を開く。


「切り込み方を変えよう。病院の配電や回線を調べられないか?」

「保安地図はあるから、まずはそこからかしら」


 警備主任のくれたアクセス権限、これをフル活用しなくては勿体無い。

 電気、水道、光ファイバー線。本当に謎の施設が存在するなら、何か痕跡が在ってしかるべきだ。


「瀧神くんは、どうするつもり?」

「敵が来る前提で潜行する。反撃しやすい場所が欲しい」

「具体的には?」


 昏睡患者に潜行すると、容態の悪化を恐れ大規模な改変ができない。

 敵の攻撃に真っ向から対抗できるのは、命の尽きようとしている瀕死の患者か、もしくは――。


「――回復傾向にある患者。比較的障害の軽度な者は?」

「まさか夢に潜るつもり?」

「何度か経験は有るよ。多少のリスクは承知の上だ」


 麻莉は刑事の物だという無骨な手帳をめくり、彼の希望に添う対象を探す。


「バスターミナルで救助されたOL、葉田榎津美はだかづみ。事件後に、何度か脳波の回復が確認されてる」

「被害者の少なかった場所だな。半端にダメージを受けたんだろう」

 飲み終わった紙コップをゴミ箱に投げ捨て、麻莉がスマホを仕舞って立ち上がる。

「東病棟の二階。行きましょう」


 託児室を出て、中央棟裏口から東棟の非常階段へ向かい、二階に上がって二一六号室へ。

 夜の病院内を走り回る彼らを見咎める者はおらず、いても回れ右を指示されるだけだ。


 病室に入った玲は、一番手前のベッドにいる患者の顔を記憶に焼き付ける。

 回復が見られる患者とは言え、昏睡状態であることに変わりはなく、葉田榎津美も機器に囲まれて寝かされていた。

 凪坂のような頚椎に繋がれたコードは無いが、彼女の頭部から首にかけて何本もの端子が貼り付いているのを確認すると、玲は麻莉に向かって小さく頷いた。


「コードから深層介入してるなら、逆用してやる」

「……気をつけてね」

「ああ」


 音叉を叩き、玲が目を閉じる。

 潜行後に現れるのは、ジャングルか、海の中か。現実を超越した夢の世界を覚悟する。


 彼がまぶたを開けた時、目にしたのは、通勤ラッシュで混雑する夕方の真波駅前だった。

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