26. 悪意の象徴
エレベーターからは、人の群れが溢れ出す。
看護師たちにトレーナーを着た患者、聴診器を提げた医師までいる。
二つの箱にぎゅうぎゅうに詰められた彼らは、降りるや否や階段を上り始めた。
玲はパジャマ姿の巨漢の後ろに付き、人の流れに混じって周囲を見回す。
エレベーターがまた下へ戻って行くということは、麻莉は第二段を用意しているのだろう。
中間地点の踊り場で折り返すと、六階フロアが視界に入る。
銃座上の麻酔銃が回転し、こちらに水平方向を合わせると、その銃口を下げた。
無差別射撃しないところを見て、自律型ではなく、小型カメラを見て遠隔操作している者がいる。
銃に付いた照準用のカメラ以外のレンズを探した玲は、天井の隅に在る監視カメラを見つけた。
「あれがそうか」
病院の元からの設備である防犯カメラが、黒い目を光らせている。
一昨日は玲たちが制圧した保安室も、今はセンターが完全に掌握し、武川の代わりを務める敵の指示塔もそこに在った。
カメラで得た情報は共有され、未だ健在な工作員たちが階段と中央エレベーターから迫りつつある。
もちろん麻莉の繰り出した
玲を守る壁を排除しようと、麻酔弾がバラ撒かれ始めたのだった。
即席の人の盾は、二十人と少し。
麻酔銃に供給される弾の数は、マガジンの大きさからして四十発くらいか。
階下へ降り落ちる被弾者を躱し、玲は射線を遮ってくれる新たな盾の後ろへと移動する。
盾が無くなるまでに銃へ到達すればいいが、撃たれ倒れる者は増える一方だ。
下から追い付いて来た工作員も、放置はできない。
接近され過ぎないように撹拌を放ちつつ、残る盾を数える。
八人、いや巨体の患者も倒され七人。
一か八か、銃まで一息に上ろうかと玲が考えた時、六階のエレベーターの扉が開いた。
研修医らしき若い医者たちが、同乗していた麻莉に次々と背中を叩かれる。
「あの銃に飛び掛かって!」
言われるがままに皆は銃座に突進し、二人が被弾せずに麻酔銃にしがみついた。
回転を阻害され、銃を取り付けた台のモーターが軋む。
医師の背に別角度から弾が撃ち込まれ、力を失って銃にもたれ掛かった。
玲からは死角になる屋上へ登る階段、そこにメインを補完する予備銃座が用意されていた。
この隙に階段を駆け上がった玲は麻酔銃の腹を
予備銃が玲に狙いを付けるが、エレベーターの中にはまだ増援がいる。
麻莉が看護師たちをけしかけ、残る麻酔銃の無力化に取り掛かった。
手伝おうとする彼へ、麻莉は警告を飛ばす。
「中央からも敵!」
言葉と同時に簡易タイマーを床へ投げ捨て、彼女が看護師の押さえる予備銃に向かう。
銃の処理は麻莉に任せ、玲は廊下の先へ目を向ける。
こちらへ走ってくる工作員は四人。
リンゴを模した赤いタイマーは、麻莉がリハビリセンターから拝借したアラーム機能付きで、既に鳴り出していた。
短い間隔で連続する電子音が潜行の合図だ。玲にとっては、それくらいの速さが丁度いい。
四度繰り返される潜行と破壊、そして浮上。工作員たちが、音に合わせてパタパタと廊下へ倒れていく。
敵を一掃し、二つの銃に接続されたコードを引き抜くと、やっと玲と麻莉は一息付いた。
これで麻酔銃で護られていた六階西側へ踏み入れる。
そこには院長室もあるが、その二つ隣にもっと異様な鉄の扉が存在した。
掌紋認証の付いたドアを前に、麻莉がやや焦った声を上げる。
「見るからに、この部屋が怪しいわね。保安室に行ってロックを解除しましょう」
「慌てるな。ランプは青だ」
LEDの明かりは、扉のロックが解除されていることを教えている。
秘匿施設を院長室の隣に新設したとすれば、センターにしても大胆と言うべき所業だ。
――この先にKがいるのか。
ドアレバーに触れた玲の手が一瞬動きを止めたのに反応して、敵を警戒中の麻莉が顔を向けた。
「もう少し調べてからにする?」
「いや……大丈夫だ」
深層に潜った時のような違和感を、彼は扉に感じたのだが、それは直ぐに消える。
目の前のドアが、柴浜の研究所で見た物と似ていたせいだと考えた。
「中に護衛がいるかもしれない。援護してくれ」
「了解」
レバーが回され、扉が勢いよく押し開けられる。
実際のところ、似ているのは入り口の形状だけではない。
柴浜の研究所にあった中央処置室、その構造を丸々再現したのが、この医療センターの名も無い部屋だ。
玲が考慮すべきだったことは、いくつか存在する。
なぜ研究所での武川は、中央棟の奥底、特別処置室で待ち構えていたのか。
これは共鳴能力の発動から退避するためである。
処置室の壁面は、センターの技術を結集した潜行能力を防ぐ防壁を兼ねていた。
部屋の外にいた者は、全て共鳴現象の犠牲になっている。
また、新班が御し易かったのは何故か。
彼らは武川の指導で訓練を積んだ人材だが、戦闘技術は低かった。
新班の能力は、真波プロジェクトに特化している。
研究所には、この新班の代替品として第二班が招集され、武川本人による罠が仕掛けられた。
では、病院はその間、無防備だったのか。
――その答えは扉の中に。
玲がドアを開けた瞬間、同じ中央棟の二階、集中治療室にいる凪坂鈴音の頚椎に信号が送られ、彼女の瞼が脈動する。
固く閉じられた目尻から、一筋の血が枕に流れ落ちた。
潜行能力の素養が高い彼女は、武川によって選ばれたスイッチだ。
玲が開いたパンドラの箱の奥から、Kの共鳴波が病院に伝播した。
新班の八人は病院に散らばって配置され、東西棟に二人ずつ、中央棟に四人が充てられる。
中央棟の五階にいた者は玲が倒したため、残りはロビーを担当した二人だけだった。
彼らは、玲の言うところの共鳴板であり、Kの深層共鳴に一早く反応し、増幅した上で周囲に伝える。
周りにいた一般市民にも、潜在的な能力者は存在した。
共鳴は次々と連鎖する。
真波事件でこの新班の役割を果たしたのが、昏睡被害者たちだった。
素養の有る者は共鳴し、無い者は深層を破壊されて死亡する。
事件は再び、患者や医療スタッフの身に降り懸かり、この地で悪夢が繰り返された。
ロビーでは来院者が血を噴き出す。
各階のナースや医師が絶命し、入院患者のベッドは赤く染まる。
訓練によって耐えられると教えられた新班も、全員が漏れなく昏倒した。彼らの役目は効果の増幅であり、ハナから耐性を鍛えたりはしていない。
敷地にいた中で二番目に耐性のある麻莉も、鼻血を垂らして深層に墜ちて行った。
そんな中、誰よりも能力の高い瀧神玲は、やはり最後まで共鳴に抵抗する。
それでも何十人が一斉に揺らす深層の衝撃には、玲と言えど耐え切れるものではなかった。
脳を浸蝕する波の中で、彼は近未来的な装置に囲まれたKに目を向ける。
機器の隙間から、わずかによれた皮膚が覗かなければ、もう人であるとも判別しづらい。
深層で見た際に、彼女を小柄と思ったのは間違いだ。
Kは手足を切断され、体内に何本ものコードを埋め込まれて、ベッドに固定されていた。
武川の悪意の象徴を苦々しく睨み付けたまま、玲は膝を折る。
暗転する世界。
広大な深層の集合体へと、彼は沈んで行った。
◇
南真波高校の二階廊下。教室の窓から夕日が射す光景は、一度見たものである。
「凪坂の深層か……」
脱出方法は主役の排除、セオリーに従って玲は屋上へと向かう。
薄暗い階段、錆付いた屋上への扉、どれも経験済みの深層だったが、扉を開けた先の光景は初めて見る。
倒れる天文部長、立ちすくむ凪坂、彼女を刷り込んでいるのは――。
「武川!」
玲の怒声に、女は驚愕した表情を見せたものの、瞬時に訳知った高慢な顔付きに変わった。
「瀧神……あなたがいるということは、ここは深層なのね。主役は、そう、凪坂辺りかしら」
「理解の早い女だな」
努めて冷静に振る舞う彼も、驚きを隠すのに苦労した。
深層の住人であることを自覚する者など、かつて存在しただろうか。玲自身が教えた麻莉を除けば、この女が初めてだ。
茶番に付き合う気は無いと、意識の飛んだ凪坂へ近付く彼へ、武川は朗らかに話し掛ける。
「主役を消せば世界は閉じる。本当にそうかしら?」
――ハッタリか?
質問には答えず、彼は少女の首に手を伸ばした。
「ここは共鳴した深層、そうでしょ? 私は集合深層と名付けた」
「講義は生徒にやれ。現実のアンタは、もう死んでる」
「集合深層の主役は、個々の深層の数だけいるのよ」
玲の手が止まり、彼は再び仇敵を睨み付けた。
「策を弄しても無駄だ。もう何度もこの深層から帰還してる。主役を消せば離脱できるのは、ここも一緒だ」
「
「生きる? 深層の虚像がか?」
「そうよ。深層とあなたの言う現実は、どこが違うと言うの?」
――こいつは何を言いたい? 虚像は所詮、影。こんな世界に何の意味があると?
「深層に住む者には、ここが現実。あなたが帰ろうとしている場所は、単に
「その上層が無ければ、ここは消える世界だ」
「集合深層は違う、横が在るもの。深層と気付かせてくれて、ありがとう」
武川は右手を水平に持ち上げ、指の先に空間の
深層を破壊するつもりかと、彼は身構えたが、捩れは白い円になり、円の中には別の空間が覗き見えた。
「これも感謝しなくちゃね。私は退場させてもらうわ」
武川は人の大きさに成長した円の中へ入って行き、姿を消す。
混雑する百貨店の店内を映していた円は、玲が近寄ると音も無く消え失せた。
ワープホールを思わせる能力の正体について、彼は考えを巡らせたかったが、今は喫緊の問題を優先するべきだろう。
いくら深層の武川が意気がったところで、大元の集合深層が無くなれば消滅する。
共鳴能力の機械と化したKは、そろそろ安らかな眠りが必要だ。
まだ静止したままの凪坂は、振り返る玲を虚ろな瞳で見返す。
もう一度、その首へ彼の手が届く寸前、彼女はケラケラと笑い出した。
狂気を宿した笑顔を作り、凪坂が走り去る。
「フフフフフフ!」
「また鬼ごっこか」
屋上の出口に先回りしようと、玲も駆け出すが、少女は途中で針路を変えて防護柵に取り付いた。
「なっ!」
フェンスの上部に足を掛け、凪坂は空中へヒラリと飛ぶ。
世界が黒化する。
夕闇に浮かぶ屋根の連なりは、Kのベッドに取って替わられた。
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