3 波打つ悪意

16. 違和感

 ホテルに着いた後、シャワーを浴びる彼女を残して、彼はさっさと寝ていた。

 シャツのまま寝た玲は、先に起きた麻莉の使う水の音で目が覚める。


 一昨日から、麻莉はこのツインルームに泊まっていた。私物を詰めたボストンバッグが一つ、ベッドの脇に転がっているだけなのを見ると、彼女も軽装だというのが分かる。

 洗面所から出て来た彼女は、コンビニのビニール袋を玲へ投げて渡した。


「下着を買っておいたわ。着替えたら? 相変わらず、ヨレヨレね」

「この方が目立たなくていいんだよ」


 顔を洗い、申し訳程度に身なりを整えると、彼は昼からの予定を確認する。


「まず、帽子。それから駅だ」

「近くに大きいスーパーがあるわ。帽子くらいなら売ってるでしょ」

「じゃあ、そこへ」


 連れ立ってホテルを出た二人は、麻莉の言うショッピングセンターで必要な物を買い揃えた。

 大きめの無地の野球帽に、女性用の安いサングラス。災害時用の懐中電灯と、安いデジタルの腕時計を二つずつ。

 変装と言っても、大した効果は期待できないが、何もしないよりはマシだろう。

 目深に帽子を被った玲は、次の目的地へと運転する麻莉に質問した。


「真波駅の様子はどうなってる?」

「駅とバスターミナルは通常運行してる。周辺の商業施設は、まだ潰滅状態ね」


 事件からまだ一週間も経っていない。これだけ犠牲者を出してしまうと、駅前でカラオケやパチンコを営業するのも憚られた。

 それでも生命保険会社のビルや銀行などは、平常に戻っているらしい。


「死亡者の遺族やマスコミは、市営ホールと市役所に集まってるわ」

「今、駅前の閉鎖区域にいるのは?」

「警察と復旧員くらいかしら」


 血糊の洗浄と脱臭、それに各店舗の回復を担当している者は、便宜上、復旧員と呼称される。

 警察の許可証を持っているというだけで、統一した復旧管理組織は無い。

 一番熱心に作業を行っているのは東王百貨店で、東京本社から大量のスタッフを呼び寄せて営業再開を目指していた。

 駅前復興の象徴としたい、それが百貨店側の思惑だ。


「先に許可証が欲しいな」

「受け付けは駅の二階。まずはそこからね」


 真波駅近辺に到着したのは、正午になる少し前で、離れた場所にあるコインパーキングに駐車した。

 コンビニからブティックへと続く大通りを、玲は記憶と照らし合わせながら駅に向かう。


 舞や葉田の深層で見た光景と、現実の駅前通りに相違はなく、雰囲気を大きく変えたのはバスターミナルが近づいてからだ。

 警察車両や、工事用の作業車がずらりと停まり、あちらこちらの地面を隠すブルーシートも目立った。

 大量のカラーコーンが通行を規制し、立入禁止のテープも蜘蛛の巣の如く張られている。

 人の流れは大きく制限され、地下と百貨店への入り口は封鎖中。

 駅前二階のコンコースも、一階への階段以外は、ほぼ規制区域扱いだ。


 パフォーマーがいた時計のある広場には、県警の屋外テントが設置され、そこが認可作業員の臨時受付けである。

 事件の直後は、フルフェイスの防護服に身を包んだ科捜班や、医療隊が駅全域に展開していた。

 現在では、そういった物々しい装備は見なくなり、制服の警官が要所で警備に務める。


「駅前の広場……あの立て看板の場所に行こう」


 玲が指したのは、バス乗り場を越えた先、一階の中央だ。

 広場はロープで区切られ、改札の正面から街路に通じる部分だけが歩行者用通路として使われている。

 その区切りの真ん中に立つのが、捜査中は立入禁止だという旨の注意書きだった。

 プリントアウトされたコピー用紙を貼付けただけの貧相な看板、その正面に立ち、玲は駅全景を見渡す。


「……何を探しているの?」

「ここにいた人間は、死ぬ直前にカフェを見上げた」

「二階のカフェ?」


 二人は揃って同じ方向に視線を向けた。


「カフェだと思ったんだ。違うな、そのもっと先だ」


 カフェの後ろ、アールヌーボー展の懸垂幕が掛かったままの東王百貨店へ、玲は視線を動かす。


「百貨店に何かあったのか……。警察は、どこが事件の中心地だと?」

「その捜査が難航してるのよ。被害者の倒れた場所が、円状に広がってないから」


 麻莉が見た刑事の手帳には、いくつか自分の考察が記してあった。

 特に黒々と鉛筆で丸が付けられていたのが、複数犯による犯行説である。


「普通、毒ガスなんかで被害が出れば、同心円状に昏睡者が発生するでしょ」

「深層破壊でも、能力者が中心だろうな」

「今回の事件では、飛び地があるのよ」


 真波駅のホーム、バスターミナル、地下街、これらの場所でも死者は発生しているが、生存者の方が多い。

 水をぶち撒けたように、被害地点は不規則に飛び散っていた。

 潜行能力者が移動しながら犯行に及んだとすると、今度は被害規模が大きすぎる。


「警察は、昏睡からの回復者が少ないのにも頭を悩ませてるけど……」

「まあ、それは深層を知らなければ理解できないことだな。パッと見には軽症に見えるんだろう」


 深層に手を加えられても、肉体は正常であり、当然、毒物反応も現れない。

 頭痛やPTSDを訴えた者には対処できても、発症原因は医者の領分を越えていた。


「そもそも、深層を軽く・・破壊する方が難しい。昏睡させるか、外見上は無傷かどちらかだ。葉田みたいなのは例外――」

「どうかした?」

「……何でもない。さあ、許可証を貰いに行こう」


 玲たちは二階コンコースに上がり、張られたロープの前にいる警官へ近づいて行った。

 ここから暫くは、麻莉の仕事だ。

 彼女が時計を目の前に掲げると、いそいそと警官はコーンを退け、中に入るように促した。

 古典的なアイテムを使っての刷り込みは、正に催眠術に見える。


 受け付けテントには、担当警官が二人いたため、少しは手伝うかと、片方は玲が担当した。

 もっとも、彼が行ったのは単なる注意逸らしである。

 目的を設定せずに、ただ相手の深層を掻き乱す刷り込みを、“撹拌”と呼ぶ。凝った刷り込みは、麻莉に任せておいた方がいい。

 彼がトンボにするように、警官の顔の前で指を回していると、彼女が呆れた声を掛けた。


「瀧神くん、何をやってるの? 行きましょ」

「練習だよ。撹拌はかなり上達したぞ」


 至って真面目に答える玲に、彼女は無言で首を振って許可証を手渡す。

 首から許可証の入ったホルダーを提げ、彼らが向かうのは東王百貨店内部だ。百貨店の正面は閉鎖されており、中には従業員用の通用口から入る。


 玄関を過ぎ、建物の側面に曲がった所に、特に表示も無い入り口が存在した。

 入ってすぐ警備員が三人、全て刷り込みと撹拌で処理する。

 警備室を横目に左へ曲がると、業務用の大きなエレベーターが四基並ぶ。全基の上昇ボタンを押して、玲たちは箱の到着を待った。


「上から降りて見ていこう」

「屋上からね」


 地下二階から上がって来たエレベーターに乗り込んだ玲は、Rを押して奥の壁にもたれ掛かる。

 屋上までに何度か停止し、作業員や制服の店員が乗り降りしたが、玲たちを見咎める者はいない。

 不特定多数が出入りする百貨店の裏側では、余程怪しい人物でなければ、顔を向けられることも稀だ。


 屋上階に着いた二人は、所狭しと置かれた荷物の横を通り、従業員用の通路から客用施設に出た。

 ガラス扉を押し開けて外に出ると、快晴の青空が頭上に広がる。

 ポツンと一つ浮かぶ小さな白い雲を、風がかなりの早さで運んで行く。一瞬、その行く末を玲は目で追いかけた。


 事件から六日間、晴れの日が続く。

 本来なら百貨店にとっては喜ばしいことなのだが、臭気を洗い流したい今は、逆に恨めしい事態だった。

 既に各フロアは洗浄済みとは言え、血に慣れた玲が嗅ぎ逃すことはない。ここも多数の犠牲者を産んだことは明らかだ。


「屋上の生き残りの数は?」

「一人だけ。どの階も、昏睡で済んだのはよくて数人ね」


 屋上には園芸店とオープンカフェがある。

 鉢植えの葉に残った血痕を見つつ、彼は下へ向かうことを提案した。

 客用階段を使い九階、レストランフロアへ。


「ここの被害者は多かった。昏睡者は、中華店の客と通路にいたサラリーマンの二人」

「いい記憶力だ」


 屋上の被害者数は十二名、生存者は一人。

 レストラン階では百八十五人が死亡し、二人が昏睡状態で発見された。

 救助者の数はどのフロアも似たようなものだが、生存確率を計算すると大きな差が生まれる。

 不自然なのは死者の数か、昏睡者の数か、どちらだ?


 エスカレーターは停止しているため、フロアをぐるっと回った玲たちは、また階段で下へ降りた。

 八階、催し会場。


「妹さんは、展覧会場で刻限になり、フロアの中心まで走ったんだ」

「あのガラスの散った辺りでしょ」


 麻莉は苦々しげに妹の救助現場を睨む。

 アールヌーボー展に出品していた作品は最優先で搬出され、会場には残っていない。

 他の工芸作家展に出ていた物に関しては、半数以上が手付かずでそのまま置かれていた。

 作家本人が店頭に立っていたブースも多く、搬出どころではないという事情によるものだった。

 ガラスの破片も放置され、百貨店の中でもこの階が最も復旧が遅い。


 バリバリとガラスを踏み砕きながら、玲は中央へと進み、周囲を観察した。

 倒された吹きガラスのコップ、元が判別出来ないガラス細工の人形らしき残骸。

 細かな輝きに埋もれて、割れた工芸ベルの青い欠片が覗く。


 舞の深層を思い返し、会場と見比べる。

 彼女の深層はかなり正確で、現実と齟齬そごは無い。

 いや、果して本当にそうか――。


「御遺族の方ですか?」


 グレーのスーツ姿の男性が、玲たちに声を掛けた。名札があるところを見て、百貨店の店員、それも責任者だろう。

 近くのブースに掲げられたボードを一瞥し、玲は男に向き直る。


「薩摩切子きりこの白崎です」

「この度はご愁傷様でした。搬出ですね? バックヤードに台車がありますので、それを使って下さい」

「ありがとうございます」


 手にした用紙に何やら書き込みつつ、男はフロアの奥に去って行く。

 もう一組、作品の運び出しに来た業者がいるらしく、そちらの対応に回ったようだ。

 眉間にしわを寄せる玲に、麻莉が小声で尋ねた。


「何か気になるの?」

「分からない……だが、違和感がある」


 極小さな深層との相違。よくあることではあった。


「……次のフロアに行こう」


 階段の前で、八階を振り返り、玲はその光景を目に焼き付ける。


 いずれまた、事件時の深層に潜る必要はありそうだ。

 出所の分からないもやを抱えたまま、彼は階下へと降りて行った。

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