05. 顔

 柴浜は最終的に、改札前の広場に登場する。

 午後六時前の段階でどこにいるのかは分からないが、タイムリミットまで広場に張り込む必要は無い――そう考えた玲は、二階への階段へ足を進めた。


 藤田の連れの女は、早くもこの時間からカフェで待ちぼうけを食らっている。

 あの学生は、かなりの遅刻をしたらしい。

 カフェの先、時計のある広場に、まだジャグラーの姿は見えない。


 一階を見渡し、二階改札に戻ろうとした時、駅前のロータリーに黒いリムジンが入ってきた。

 滑らかに停止した高級車から、一人の男が降り立つ。遠く小さい顔では確証は持てないが、柴浜に似ている。

 待ち人がいたのか、別の男が彼に近寄り、親しげに言葉を交わしているようだ。


 人物を特定するために、玲は階段を駆け降り、一階へ急ぐ。

 細い眉に、引き結んだ薄い唇。柴浜で間違いない。

 もう一人の男は柴浜と交替に車へ乗り、リムジンはまた静かに駅前を離れる。

 柴浜はそちらを見もせず、百貨店の方へと歩いて行った。


 ――目的は買い物?


 尾行すべきか一瞬迷った後、玲は彼の行動を追うことに決めた。

 柴浜には、いくつか気になる点がある。

 開け放された扉から百貨店内に入ると、近くの店員たちが頭を下げた。


「いらっしゃいませ」


 柴浜はその一人に近付き、何事かを質問する。

 彼の小声は聞き取れなかったが、快活な店員の返事は明瞭だ。


「玩具と子供服は五階、正面エスカレーターを上がって左手です」


 手を挙げて礼を言い、柴浜工作機械の社長はエスカレーターへ向かう。

 数人を挟み、玲もその後ろに続いた。

 玩具というなら子供への土産だろうが、悄然とした背中からは、家族サービスをする男の雰囲気は感じられない。

 どちらかと言えば、足取りは重く、渋々赴くといった風だ。


 玲の前に立つ少女が、彼を振り返って見上げる。母親に手を繋がれた女の子は、七、八歳といったところ。

 その年頃の子の視線に、特に深い意味は無い。頭の大きな黄色いリボンを揺らし、あれこれ興味深げに見回しているだけだった。

 この親子とも、五階まで一緒に上ることになる。


 目的階に着くと、玲たちとは途中で別れて、親子は可愛い飾りの付いた服で溢れる子供服のコーナーへ。

 柴浜は玩具のキャッシャーへ足を進めた。

 フロアには、やはり親子連れが目立ち、玩具売り場には親の監視を逃れた子たちがへばり付いている。


 自分の家のように座り込んで、積み木を重ねて遊ぶ子たち。

 人形を二体、両手に持って見比べる幼女。

 見本の電子玩具のスイッチを、乱暴に連打する男の子。


 ――幼女? いや、それよりも柴浜だ。


 カウンターに立つ店員と話す彼の言葉は、先と同様、聞き取り辛い。


「…………?」

「はい、柴浜様ですね。お預かりしております」


 店員がカウンターの下から、百貨店の紙袋を取り出し、タグを外して確認する。

 伝票へのサインを求め、彼女は柴浜にペンを手渡した。

 手早く手続きを済ませた社長は、あまり釈然としない面持ちで袋を受け取り、カウンターを離れる。


 その姿を目で追いつつ、玲は店員へと歩み寄った。

 包装台に置かれた彼女の手に、素早く自分の右手を重ねる。


「柴浜の用事は何だった?」

「……商品をお預かりしていました。二日前の御購入です」

「中味は?」

「クジラのヌイグルミです」

「購入者は?」

「ご本人です」

「とてもそうは見えなかったが……」


 最後の玲のセリフに返答は無く、店員は小首を傾げて黙った。これ以上の問答は無駄だろう。

 柴浜は既にエスカレーターで階下に降りようとしており、玲は追い掛けようと店員に背を向ける。

 急ぐあまり、彼は足下の子供にぶつかりそうになった。


「きゃっ」

「……っと。気をつけ――」


 大きな黄色いリボンを付けた少女が、彼の顔を見つめる。

 玲はバッと顔を上げ、玩具売り場の子供たちへ視線を巡らせた。

 頭を飾る黄色いリボンが、四つ、いや五つ。服装こそ異なるが、髪形は同じ、顔も――同じだ。

 カウンターに踵を返し、再び店員に尋ねる。


「柴浜の商品に、メッセージカードは付けたか?」

「はい」

「内容は?」

「“有沙へ”」


 売り場に向き直り、玲がその名を呼ぶ。


「有沙!」


 一斉に声の元へ振り返る、五つの同じ顔。


 ――これが柴浜の深層か。


 下りエスカレーターへ走りながら、彼はかつての潜行経験を思い出していた。


 妻と息子を殺された対外調査官。

 第一発見者の彼は容疑者としても扱われ、そうでなくても、その後の職務遂行の能力が危ぶまれた。

 手早く取り調べを終わらせるために選ばれた手段が、潜行ダイブだ。


 深層は、その人物が直前にいた世界を写す。

 昏睡者なら、昏睡前に見た世界。覚醒者なら、その時点から遡って数分をダイバーは追体験できる。

 表面を取り繕い、平静を装っていた調査官も、深層は歪み切っていた。


 若い女性は妻の姿に、子供は息子に置き換えられており、血にまみれた犯人の顔を持つ男性があちらこちらを徘徊する。

 そう、彼は犯人を目撃しており、自身の手による復讐を誓っていたのだった。


 ここまで極端な例でなくとも、強烈な経験が深層に影響することはままあり、同じ顔を持つ人間が現れるのは、恋慕、執着、それに喪失感辺りが引き起こす。

 柴浜であれば、喪失感、つまりは、娘を最近、亡くした可能性が高い。

 亡くなった子供に拘泥すると、深層は硬直化する。

 皮肉と言うべきか、彼の深層の強靭さは、こうしてもたらされたものであろう。


 エスカレーターを走り下りた玲は直ぐに柴浜を見つけ、少し間をおいて背後に立った。

 憔悴した感を増した若き社長は、一階でフロア中央に移動して地下へのエスカレーターに乗り継ぐ。

 食品売り場を彷徨さまよい始めた彼を、玲も暫くつけて回った。


 途中、玲は生鮮ブースの中に入り、試食品のハムを切る調理師に、包丁を提供させる。

 紙袋の底に刃物を隠し、買い物客風に手に提げると、また遠くから柴浜の様子を窺った。


 社長を玩具売り場に来させたのは、メッセージを書いた他の誰かだ。

 本人の名で購入し、百貨店から連絡を入れさせた。

 仕込んだのは、二日前のこと。


 十八時二十一分、この場で柴浜を見守る意味はもう少ない。

 改札前へ先回りするべく、フラフラと地階を歩く柴浜を横目に、玲は地上へと戻って行った。


 地上から二階、彼の目的はカフェだ。

 藤田はまだ来ておらず、女が独りでカフェオレを掻き回していた。

 背後から肩に手を置き、玲は女に質問する。


「ここに来た目的は?」

「……藤田くんと会う」

「藤田に呼び出されたんだな?」

「私が呼んだ。そうしないといけないから」

「……理由は?」

「呼ばないとダメ」


 会話の途中で、その目的の男子学生が、怪訝な顔で現れた。

 近付いて来た彼に、玲が手を伸ばす。


「ここに来た目的は?」

「アキに呼ばれた」

「彼女が? いつ?」

「今朝。大事な話があるって、電話が」


 念のため、二人の関係を確認しておく。


「お前たちは、付き合ってるんだな?」

「……違う。まだ友人だ」


 ――まだ、ね。密に連絡を取る仲ではないってわけだ。


 アキというらしい女性は、明らかに様子がおかしい。

 刷り込み、その技術は玲も馴染みがある。柴浜も、藤田にしても、事前に相当な手間を掛けて、ここに集められたと考えて良さそうだ。


 こうなると、他の昏睡者も、偶然居合わせたのか怪しい。

 刑事なら彼らに接触した人物を洗い出すのだろうが、それはダイバーの領分では無い。


 藤田は席につき、店員が注文を聞きにやって来る。

 カフェから見下ろした一階の雑踏に、柴浜の姿を認めると、玲は店を後にして下に戻った。

 刻限まで残り十分、今回はこの地上階でその瞬間に立ち会うつもりだ。


 柴浜は手には、百貨店の紙袋に加えて、細長いビニール袋が増えている。地下で購入したのは、形からして酒、ボトルのワイン辺りか。

 二つの荷物を手に提げ、車道近くまで歩いて行き、流れる車を眺めている。

 迎えを待っている様子から、また車が来る手筈だと思われた。


 同じリムジンに乗るつもりなら、まだタクシー乗り場以外に黒い車など見えない。

 昏睡した柴浜の発見場所を考えると、これで移動は終了である。


 駅前一階で生き残ったのは、柴浜と子供の二人だけだと言う。

 犠牲者の数だけなら、この改札から駅前のロータリーにかけてが、最も多かった。夜の通勤ラッシュとも重なったため、それも必然だ。


 もう一人の生存者という小さな人影を求めて、玲は改札に視線を移動する。

 駅から溢れ出るグレイスーツのサラリーマン。自動改札に吸い込まれて行くOL。改札を挟んで挨拶を交わす、多少邪魔な学生の集団。

 人は多いが、小さな子供は見当たらない。


「ホームから出てくるのか……いや、あれがそうか」


 男に手を引かれた女の子が、ホテル方向から改札前に歩いて来た。

 フリルのスカートを着た、小学校低学年くらいの児童だ。

 スーツの男は、その保護者――。


「――あいつ!?」


 ダークグレイのスーツ、銀縁の眼鏡、背はやや高く、左手にベージュの雨傘。

 柴浜と交替でリムジンに乗った男の姿に、玲は駆け出した。

 改札の前に来る途中で子供の手を放し、男は道を戻り始める。


 ――時間が無い、強引に行かせてもらおう。


 小走りに立ち去る男を見失わないよう、進路を塞ぐ人々に退避の指示が飛ぶ。


「道を空けろ!」


 強い深層改変の波が、玲を基点に男へと伸び、海を割るように人の波が二つに別れた。

 はっきりと見えた濃灰色の男の背中へ、彼は叫ぶ。


「止まれ!」


 改札の前で呆然と立つ少女。

 ただただ車を待つ柴浜。

 そして、無表情でこちらへ振り返る男。


 後数メートル、玲が目的の人物に向けて右手を差し出した瞬間、周囲の人の群れが上方へ顔を向けた。

 無数の人の顔が、一点を見つめ静止する。


「くそっ!」


 深層を歪める衝撃波。

 十八時四十六分、刻限が訪れた。

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