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23. K

 Kとはとある人物を指す略称であり、五年前からの経緯が淡々と報告書にまとめられていた。

 人物の詳細は語られていない。読み始めた当初は、年齢も、性別すらも判然としなかった。


 K周辺の関係者の記述が登場するにつれ、ようやく人物像が見えてくる。

 五年前、真波市近郊で死者四人を出す交通事故が発生した。

 トラック運転手の居眠りによるものと処理されたが、被害が拡大した原因はKだ。


 潜行能力を持つことを隠して生きてきたKは、センターラインを越えて突っ込んで来たトラックに対して力を発動させた。

 これは刷り込んで進路を変えさせようとしたわけでもなく、単なる反射行為だと思われる。


 トラックは電柱に激突、Kの運転する乗用車も、そのトラックの脇腹に衝突した。

 不運だったのは、遅れて現場に通り掛かった三台の車で、不可解にも全車がブレーキも踏まずに蛇行して、二次被害を起こした。


「近づいた車も、撹拌されたんだろう」

「無意識に能力を使ったのね」


 報告書は事実の羅列に過ぎなかったが、ダイバーである二人には事故の瞬間が想像できる。

 記述の足りない部分を推測しつつ、玲たちはモニター上の文字に目を走らせた。


 緊急車両が到着した時には、K以外の運転手は既に亡くなっており、昏睡したKは近くの市民病院へと運ばれる。

 この時には、能力を発動した様子はなく、重篤患者として治療を施された。


 さらなる被害者が出たのは、一週間後だ。

 治療に当たっていた医師や看護師五人が、謎の昏倒を起こす。倒れた時間はバラバラだったが、場所は全て同じKの治療室だった。


 センターが介入したのはこの時点、高周波でKの能力を減じた上で、武川が治療と調査を引き継ぐ。

 K専用の治療室が柴浜の研究所に作られたのは、その一年近く後だった。


「……夫の協力を得て、柴浜先端通信開発機構を潜行能力の研究機関として改装。Kは柴浜汰司の妻だ」

「旧班に隠れて、よくこんな大掛かりなことをしたものね」

「センター内に、横の繋がりは無いからな。パートナー以外は、赤の他人だ」


 ザッと“K”のファイルを読み終わり、玲と麻莉はお互いの感想を述べ合う。

 武川がKに執着したのは、その類い稀な能力に注目したから。真波事件の核心は武川の曳航能力ではなく、Kだった。

 潜行、刷り込み、曳航の三系統に新たに加わる、四番目の能力、深層共鳴。


「力の正体は共鳴だった。研究の時系列を誤解してたよ。回線を使った遠隔潜行は、後から考えたものだ」

「最初に目を付けたのが共鳴能力。それを無線による遠隔潜行に利用しようとした」

「そう、離れた能力者を有線で繋ぐ技術は、Kを研究して得られた副産物だろう」


 Kを幼少から苦しめた共鳴現象は、刷り込みなどで起こるリンクの強化版だ。

 複数の対象へ同時に干渉して、自分の深層と一体化させる力。

 感情がたかぶった時などに共鳴を発動して、クラスメイトなどを意識不明にさせたこともあったらしい。

 自らこの力を封印して、事故までは物静かな女性として振る舞っていた。

 共鳴がトラックへ暴発しなければ、彼女も平穏に暮らせたものを。


「事故で身体、特に脳を大きく損傷してる。完全に意識を取り戻したことはないみたいだ」

「能力発動は観測されてるけど、ちょっと衰退し過ぎね。昨年の報告だと、もって一年になってるじゃない」

「だから、先端設備の整った医療センターが欲しかったんだ。居場所は分かったな、Kが今いるのは病院だ」


 計画がどう推移したのかは、これで掴めた。Kの共鳴能力の研究、そしてその利用。

 その上で尚、最大の疑問が残っている。

 なぜ真波事件を起こしたのか。武川の目的は何だ。

 二人の考察は、ここでつまづいた。


 所長室の小さな窓から、左右に振れるライトが差し込んで壁の影が動く。

 訪問者の気配に、玲は端末を終了させた。


「車が来た。連絡が途絶えたからだろう」

「裏から回りましょう」


 二人は一階に降り、裏口から建物の側面を玄関近くへと進む。

 正面に斜め付けさられた車の中に人はいない。

 連絡員と思しき人物が研究所内を調べている間に、玲と麻莉は前庭を走り抜けた。


 麻莉の乗ってきた白いオフロード用の4WDは、潰れたゲートの先に停められている。

 玲が乗り、ドアを閉めると同時に、車は坂道を下り始めた。

 珍しくシートベルトをして、考え事を続ける彼に、麻莉が事件についての話を再開する。


「結局、曳航してたのは武川なのよね?」

「曳航能力者も珍しいからな。今のセンターにも、何人いるやら」

「じゃあ、病院の昏睡者は、今ごろ回復してるかもしれない……」

「そうなるな」


 事件の全貌は明らかになっていないが、首謀者と思われる武川は死亡した。

 これで病院の患者たちが目覚めれば、一応の解決とは言える。


 センターのことだ、共鳴の利用計画には他の責任者を立て、まだ研究を推進しようとするだろう。

 その計画まで潰しにかかるべきだろうか。

 個人的に関係なければ、深入りする気の無い玲には、やや悩ましい問題だ。


 彼の心中のもやは未だ晴れてはいない。

 “M計画プロジェクト”、武川のファイルで何度か登場したこの言葉は、事件を指しているようだった。

 大量の死者を出してまで実行したプロジェクトは、成功したのか?


 また、未実行のプロジェクト名も、いくつか散見された。

 T計画、N計画、その他アルファベットで呼称される計画群は、真波に続く被害地が生まれると連想させられる。

 これらは武川の端末でアクセスできる情報ではなく、詳細は不明だ。

 また思考の海に沈みかけた玲を、麻莉が引き戻す。


「病院に様子を見に行こうと思うんだけど……」


 彼女は同意を求めて言葉を切ったが、少し逡巡した後、彼はその案を否定した。


「医療センターには、もう新班が出張ってる可能性がある。戦闘する気なら、構わないが」

「病院で派手に戦うのは、最後の手段ね……。いいわ、明日、電話で確かめてみましょう」

「その方がいいだろう」


 市の中心部に向かい始めていた車を、彼女は郊外に向けて進路変更する。

 彼らはホテルに宿泊するのは避け、陽が昇るまで、路上駐車で夜を明かすことにした。

 ビジネスホテルを追跡してきた工作員を顧みての行動だったが、それでもまだ、センターを甘く見ていたと言うしかない。


 この事件に瀧神玲が介入したことを、本部は既に把握している。

 玲の実力を知る彼らは、警戒レベルを最大に上げ、近隣の全構成員に緊急出動を発令した。


 玲たち二人を封じ込める網は、着実にその輪を閉じようとしていたのだった。





 国道から脇道に入り、シャッターの閉まった商店の前に駐車すると、二人は窮屈なシートで交互に短い睡眠を取った。

 太陽が頭を覗かせてすぐ、車から降りることなく、主要道路へ戻り、道沿いのコンビニを探す。

 バックミラーをチラチラと見る麻莉が、玲にも確認を求めた。


「尾行はいる?」

「……怪しい車は無い。車自体が少ないしな」


 潜行能力者を捕まえるなら、超高周波で力を封じるのが手っ取り早いが、玲クラスを妨害するためには相当な出力が必要だ。

 研究所にあったような発生器は何十キロもある大型の物で、街中で携帯して使える装置ではない。

 そんな物を積んだ車両が接近すれば、さすがに早朝の国道では目立つだろう。

 たとえ十分な睡眠が取れなくても、工作任務に慣れた彼らが、敵を見落とすことは考えづらかった。


 広い駐車場を備えたコンビニを見つけると、彼女は店の前へ車を入れる。

 他に車が見当たらないのをいいことに、派手にハンドルを切り返して尻を店に向け、いつでも発進できる態勢で駐車した。


 しばらくそのまま車中で待機し、他の客が来るのを待つ。

 小型トラックの後、サラリーマンの乗る軽自動車が彼らの横に停まると、麻莉は運転席のドアを開けた。


「電話を借りてくるわ」

「じゃあ、俺は買い物するよ。食い物と髭剃りを調達してくる」

「別に髭面でもいいじゃない。野性派にイメチェンしたら?」

「よしてくれ。何度目だ、髭でからかうのは」


 彼女の目当ては、若いサラリーマンが持つスマホだ。

 車外に降りたところへ、麻莉はすかさず近寄り、刷り込みを使って電話を受け取る。

 その様子を横目で見ながら、玲は店内へ入って行った。


 手ぶらで入店したのは、財布を忘れたわけではない。最初から、誰かに支払いを肩代わりさせる気満々だ。

 これも刷り込みの練習だと、彼は犠牲者を探して店内を見回す。


 先に入ったトラックの運転手が、弁当のコーナーで物色中だった。

 手頃な支払い担当を見つけた玲は、買い物カゴに必要な物を手早く放り込む。

 おにぎりにペットボトルのスポーツドリンク、安全剃刀にシェービングクリーム。


 作業着姿の運転手に背後から近づき、彼はその肘辺りに手を伸ばして触れた。

 これで刷り込めが成功すれば、男はカゴを持ってレジに行くはずだった。

 だが、返ってきたのは怯えを宿した目、そして続いて弱い衝撃・・――玲は遥かに強い力で、男の力を弾き返す。


 買い物を代行させるために、玲が刷り込みを使うなどと、誰が予想できようか。

 想定外の彼の行動は、運転手に偽装していた敵を狼狽うろたえさせた。

 玲を相手に、決してダイバーの力を見せてはいけない。前線を受け持つ機関員が犯した、痛恨のミスだった。


 馬脚を露わした男へ、玲の持つカゴが叩きつけられる。

 シェービングクリームの小さな缶が、カランカランと床を跳ね転がった。


 金属缶の断続的な反響に合わせて、潜行。

 深層を破壊後、帰還。


 男が鼻血に塗れて床に倒れる寸前、超高周波が店内に充溢する。


 ――追っ手か!


 麻莉の待つ外へ振り返った玲は、慌ててレジに向かって跳んだ。

 無茶をするのは、玲の特権ではない。彼女の操る4WDが、車止めを乗り越えてバックで店の中へ突っ込んで来た。

 私の相方なら避けられるでしょ、そう言わんばかりの強引な突入を、彼は何とか回避する。


 店前面のウインドウが粉々に割れ、商品棚がドミノのように奥へ倒れた。

 運転席から、麻莉の声が張り上げられる。


「乗って!」


 散乱するガラスや菓子を踏み砕き、彼は助手席へと回り込む。

 玲がドアを閉めるのを待たずにタイヤが急回転を始め、破壊された店にキュルキュルと甲高い空転音が響いた。

 ゴムが熱で溶け、フロアとの摩擦を回復すると、車は矢のように店内から発進した。


 再び車止めで跳ね上がる車体が、朝日に煌めく。

 急ハンドルに合わせて黒い走行跡が直角を描き、二人を乗せた白いオフロード車は国道へと躍り出た。

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