4 18:46
23. K
Kとはとある人物を指す略称であり、五年前からの経緯が淡々と報告書にまとめられていた。
人物の詳細は語られていない。読み始めた当初は、年齢も、性別すらも判然としなかった。
K周辺の関係者の記述が登場するにつれ、ようやく人物像が見えてくる。
五年前、真波市近郊で死者四人を出す交通事故が発生した。
トラック運転手の居眠りによるものと処理されたが、被害が拡大した原因はKだ。
潜行能力を持つことを隠して生きてきたKは、センターラインを越えて突っ込んで来たトラックに対して力を発動させた。
これは刷り込んで進路を変えさせようとしたわけでもなく、単なる反射行為だと思われる。
トラックは電柱に激突、Kの運転する乗用車も、そのトラックの脇腹に衝突した。
不運だったのは、遅れて現場に通り掛かった三台の車で、不可解にも全車がブレーキも踏まずに蛇行して、二次被害を起こした。
「近づいた車も、撹拌されたんだろう」
「無意識に能力を使ったのね」
報告書は事実の羅列に過ぎなかったが、ダイバーである二人には事故の瞬間が想像できる。
記述の足りない部分を推測しつつ、玲たちはモニター上の文字に目を走らせた。
緊急車両が到着した時には、K以外の運転手は既に亡くなっており、昏睡したKは近くの市民病院へと運ばれる。
この時には、能力を発動した様子はなく、重篤患者として治療を施された。
さらなる被害者が出たのは、一週間後だ。
治療に当たっていた医師や看護師五人が、謎の昏倒を起こす。倒れた時間はバラバラだったが、場所は全て同じKの治療室だった。
センターが介入したのはこの時点、高周波でKの能力を減じた上で、武川が治療と調査を引き継ぐ。
K専用の治療室が柴浜の研究所に作られたのは、その一年近く後だった。
「……夫の協力を得て、柴浜先端通信開発機構を潜行能力の研究機関として改装。Kは柴浜汰司の妻だ」
「旧班に隠れて、よくこんな大掛かりなことをしたものね」
「センター内に、横の繋がりは無いからな。パートナー以外は、赤の他人だ」
ザッと“K”のファイルを読み終わり、玲と麻莉はお互いの感想を述べ合う。
武川がKに執着したのは、その類い稀な能力に注目したから。真波事件の核心は武川の曳航能力ではなく、Kだった。
潜行、刷り込み、曳航の三系統に新たに加わる、四番目の能力、深層共鳴。
「力の正体は共鳴だった。研究の時系列を誤解してたよ。回線を使った遠隔潜行は、後から考えたものだ」
「最初に目を付けたのが共鳴能力。それを無線による遠隔潜行に利用しようとした」
「そう、離れた能力者を有線で繋ぐ技術は、Kを研究して得られた副産物だろう」
Kを幼少から苦しめた共鳴現象は、刷り込みなどで起こるリンクの強化版だ。
複数の対象へ同時に干渉して、自分の深層と一体化させる力。
感情が
自らこの力を封印して、事故までは物静かな女性として振る舞っていた。
共鳴がトラックへ暴発しなければ、彼女も平穏に暮らせたものを。
「事故で身体、特に脳を大きく損傷してる。完全に意識を取り戻したことはないみたいだ」
「能力発動は観測されてるけど、ちょっと衰退し過ぎね。昨年の報告だと、もって一年になってるじゃない」
「だから、先端設備の整った医療センターが欲しかったんだ。居場所は分かったな、Kが今いるのは病院だ」
計画がどう推移したのかは、これで掴めた。Kの共鳴能力の研究、そしてその利用。
その上で尚、最大の疑問が残っている。
なぜ真波事件を起こしたのか。武川の目的は何だ。
二人の考察は、ここで
所長室の小さな窓から、左右に振れるライトが差し込んで壁の影が動く。
訪問者の気配に、玲は端末を終了させた。
「車が来た。連絡が途絶えたからだろう」
「裏から回りましょう」
二人は一階に降り、裏口から建物の側面を玄関近くへと進む。
正面に斜め付けさられた車の中に人はいない。
連絡員と思しき人物が研究所内を調べている間に、玲と麻莉は前庭を走り抜けた。
麻莉の乗ってきた白いオフロード用の4WDは、潰れたゲートの先に停められている。
玲が乗り、ドアを閉めると同時に、車は坂道を下り始めた。
珍しくシートベルトをして、考え事を続ける彼に、麻莉が事件についての話を再開する。
「結局、曳航してたのは武川なのよね?」
「曳航能力者も珍しいからな。今のセンターにも、何人いるやら」
「じゃあ、病院の昏睡者は、今ごろ回復してるかもしれない……」
「そうなるな」
事件の全貌は明らかになっていないが、首謀者と思われる武川は死亡した。
これで病院の患者たちが目覚めれば、一応の解決とは言える。
センターのことだ、共鳴の利用計画には他の責任者を立て、まだ研究を推進しようとするだろう。
その計画まで潰しにかかるべきだろうか。
個人的に関係なければ、深入りする気の無い玲には、やや悩ましい問題だ。
彼の心中の
“M
大量の死者を出してまで実行したプロジェクトは、成功したのか?
また、未実行のプロジェクト名も、いくつか散見された。
T計画、N計画、その他アルファベットで呼称される計画群は、真波に続く被害地が生まれると連想させられる。
これらは武川の端末でアクセスできる情報ではなく、詳細は不明だ。
また思考の海に沈みかけた玲を、麻莉が引き戻す。
「病院に様子を見に行こうと思うんだけど……」
彼女は同意を求めて言葉を切ったが、少し逡巡した後、彼はその案を否定した。
「医療センターには、もう新班が出張ってる可能性がある。戦闘する気なら、構わないが」
「病院で派手に戦うのは、最後の手段ね……。いいわ、明日、電話で確かめてみましょう」
「その方がいいだろう」
市の中心部に向かい始めていた車を、彼女は郊外に向けて進路変更する。
彼らはホテルに宿泊するのは避け、陽が昇るまで、路上駐車で夜を明かすことにした。
ビジネスホテルを追跡してきた工作員を顧みての行動だったが、それでもまだ、センターを甘く見ていたと言うしかない。
この事件に瀧神玲が介入したことを、本部は既に把握している。
玲の実力を知る彼らは、警戒レベルを最大に上げ、近隣の全構成員に緊急出動を発令した。
玲たち二人を封じ込める網は、着実にその輪を閉じようとしていたのだった。
◇
国道から脇道に入り、シャッターの閉まった商店の前に駐車すると、二人は窮屈なシートで交互に短い睡眠を取った。
太陽が頭を覗かせてすぐ、車から降りることなく、主要道路へ戻り、道沿いのコンビニを探す。
バックミラーをチラチラと見る麻莉が、玲にも確認を求めた。
「尾行はいる?」
「……怪しい車は無い。車自体が少ないしな」
潜行能力者を捕まえるなら、超高周波で力を封じるのが手っ取り早いが、玲クラスを妨害するためには相当な出力が必要だ。
研究所にあったような発生器は何十キロもある大型の物で、街中で携帯して使える装置ではない。
そんな物を積んだ車両が接近すれば、さすがに早朝の国道では目立つだろう。
たとえ十分な睡眠が取れなくても、工作任務に慣れた彼らが、敵を見落とすことは考えづらかった。
広い駐車場を備えたコンビニを見つけると、彼女は店の前へ車を入れる。
他に車が見当たらないのをいいことに、派手にハンドルを切り返して尻を店に向け、いつでも発進できる態勢で駐車した。
しばらくそのまま車中で待機し、他の客が来るのを待つ。
小型トラックの後、サラリーマンの乗る軽自動車が彼らの横に停まると、麻莉は運転席のドアを開けた。
「電話を借りてくるわ」
「じゃあ、俺は買い物するよ。食い物と髭剃りを調達してくる」
「別に髭面でもいいじゃない。野性派にイメチェンしたら?」
「よしてくれ。何度目だ、髭でからかうのは」
彼女の目当ては、若いサラリーマンが持つスマホだ。
車外に降りたところへ、麻莉はすかさず近寄り、刷り込みを使って電話を受け取る。
その様子を横目で見ながら、玲は店内へ入って行った。
手ぶらで入店したのは、財布を忘れたわけではない。最初から、誰かに支払いを肩代わりさせる気満々だ。
これも刷り込みの練習だと、彼は犠牲者を探して店内を見回す。
先に入ったトラックの運転手が、弁当のコーナーで物色中だった。
手頃な支払い担当を見つけた玲は、買い物カゴに必要な物を手早く放り込む。
おにぎりにペットボトルのスポーツドリンク、安全剃刀にシェービングクリーム。
作業着姿の運転手に背後から近づき、彼はその肘辺りに手を伸ばして触れた。
これで刷り込めが成功すれば、男はカゴを持ってレジに行くはずだった。
だが、返ってきたのは怯えを宿した目、そして続いて弱い
買い物を代行させるために、玲が刷り込みを使うなどと、誰が予想できようか。
想定外の彼の行動は、運転手に偽装していた敵を
玲を相手に、決してダイバーの力を見せてはいけない。前線を受け持つ機関員が犯した、痛恨のミスだった。
馬脚を露わした男へ、玲の持つカゴが叩きつけられる。
シェービングクリームの小さな缶が、カランカランと床を跳ね転がった。
金属缶の断続的な反響に合わせて、潜行。
深層を破壊後、帰還。
男が鼻血に塗れて床に倒れる寸前、超高周波が店内に充溢する。
――追っ手か!
麻莉の待つ外へ振り返った玲は、慌ててレジに向かって跳んだ。
無茶をするのは、玲の特権ではない。彼女の操る4WDが、車止めを乗り越えてバックで店の中へ突っ込んで来た。
私の相方なら避けられるでしょ、そう言わんばかりの強引な突入を、彼は何とか回避する。
店前面のウインドウが粉々に割れ、商品棚がドミノのように奥へ倒れた。
運転席から、麻莉の声が張り上げられる。
「乗って!」
散乱するガラスや菓子を踏み砕き、彼は助手席へと回り込む。
玲がドアを閉めるのを待たずにタイヤが急回転を始め、破壊された店にキュルキュルと甲高い空転音が響いた。
ゴムが熱で溶け、フロアとの摩擦を回復すると、車は矢のように店内から発進した。
再び車止めで跳ね上がる車体が、朝日に煌めく。
急ハンドルに合わせて黒い走行跡が直角を描き、二人を乗せた白いオフロード車は国道へと躍り出た。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます