17. 二人組
七階は宝飾と美術品、六階が紳士服とスポーツ用品を扱っており、生存者は各一名。
ざっと状況を見て取ると、玲たちは次へ進んだ。
五階、玩具と子供用品のフロア。
柴浜を追って、ここの深層へは来た。八階と違い、この階の現実との
「あの社長、かなり参ってたようだ」
「そんなに違うの?」
「売り場の構成、商品の並び、一番違うのは――」
彼はハンガーに吊された幼児用のシャツを掴み、麻莉に見せた。
アニメのヒーローが印刷された青いシャツは、男の子向けだ。
「柴浜の深層じゃ、これは見ていない。女の子向けの商品で溢れていた。特に服の錯誤が酷いな」
有沙、そうメッセージカードには在った。娘への追憶が深層を現実から遊離させたと、彼は思ったのだが……。
スマホを弄っていた麻莉は、成果が無かったことを表情でも示す。
「娘のことは事件記事になってない。柴浜汰司の家族自体が、本人以外メディアに登場していないわ。気になる?」
「プライベートは徹底して隠す主義か。他に優先することが多い、下に行こう」
四階から一階まで、婦人服やアクセサリーが続く。
事件後まだ日が浅いことを考慮すれば、この女性向け商品のフロアの復旧具合は上々だろう。
地下一階、二階の食料品フロアは、更に片付けが進んでおり、玲でも血の匂いを感じ取れなかった。
「食品階から真っ先に洗浄したようね」
「まあ、オレでもそうするだろうな」
全フロアを見終わった二人は、一階の通用口ではなく、地下一階の商品搬入口から外に出た。
地下駐車場のような広い空間に、大型の運送トラックが何台も連なって停車中だ。
人目を避けて搬入場所の隅まで行くと、“開放厳禁”と書かれた扉があった。
静かに戸を引き開け中へと潜り込んだ先は、駅地下街ゼファーに通じている。
「地下街の被害は少ない。昏睡者が出たのは、中央通路と、えーっと確かレストラン――」
「あれだよ。あの突き当たりのレストランだ」
その二人の昏睡者は知らなくても、玲には深層で訪問済みの場所だった。
この後、地上に戻って駅前を見て回り、真波駅ホームに入場して犠牲者の位置を確認する。
彼は各所の現場を見たことに納得して、今後の相談に移ろうと考えた。
「そろそろ昼飯にして、今夜の計画を決めよう」
「何か新発見はあった?」
「昏睡者の位置関係かな……」
続く言葉を待つ麻莉に、彼は手を挙げて制した。
「まだ推測にすらなってないよ。先に研究所だ、そっちは真っ黒だろ」
「そうね。原因究明より、昏睡者の
歩いて車に戻り、運転席に就いた彼女は昼の希望を同乗者に尋ねる。
「食べたい物はある?」
「何でもいいよ……いや、イタリアンにするか。パスタとエスプレッソで」
「ずいぶん具体的なのね。いいわ、任せて」
彼女には、落ち着いて話せる店に心当たりがあった。
十分ほど車を走らせた麻莉は、やや高級なイタリアン・レストランへと彼を案内する。
ランチのコースを食べながら、彼らは夜の計画の打ち合わせを始めた。
いかにも南欧風の大胆な縁取りがされた皿に、チーズを絡めたシンプルなパスタが盛られている。
それをクルクルと巻く玲に、麻莉は自分の推論を言って聞かせた。
「病院の昏睡者は相互に繋がれて、柴浜の開発機構に接続されている」
彼が黙って頷くのを見て、話を続ける。
「研究所には曳航能力者がいて、昏睡患者をまとめて曳き込んだ」
「そうだ。これほど長期間に
「先に患者のリンクを解除したら?」
「曳き込まれたままで、下手したら復帰できなくなるぞ」
彼女にしても再確認しただけで、曳航の仕組みは理解していた。
昏睡者の接続を乱暴に切ると、自分自身が死亡したのと似た状況に陥る。黒い深層に飲み込まれ、一般人なら自力では帰還するのが難しい。
「そんなリンクシステムが用意されてたなら、事件を起こしたのも能力者が利用するためじゃないかしら」
「昏睡患者を大量に作るために、か。有り得るな」
結果、五千を超す犠牲者が生まれた。
本当にそんな動機なら、まともな人間のすることじゃない。
サラダをつつく麻莉に、今度は玲が話を継いだ。
「曳航者が主犯、そうすると、一つ疑問がある」
「何のこと?」
「葉田だ」
葉田榎津美は事件後に何度か昏睡から復帰しており、だからこそ深層は夢の世界だった。
しかし、彼女が曳き込まれているなら、あり得ない現象だ。
「曳航中の昏睡者が夢を見る。そんなこと出来るか?」
「……無理ね。途中で起こして、また曳航した?」
「それならいいんだけどな」
対象の夢を引き出して使えるなら、敵はかなり面倒な能力者だ。
夢の中で戦うのは、楽しい経験ではなかった。避けられるなら、せずに済ませたい。
そのためにも、曳航能力者とは現実世界で決着を付ける。
「今晩が勝負だ。まず、高周波を解除する――」
彼らが手順を確認し合い、食事を終えたのは、もう四時になろうかという頃だった。
ランチタイムはとっくに過ぎ、客よりもテーブルを拭く店員の方が目立つ。
「まだ夜には時間があるわね。宿を変えておきましょう」
「万一ってこともあるしな」
今のところ、尾行や監視者の気配は無いが、用心に越したことはない。
慎重を期し、チェックアウトのために二人はホテルへと戻る。
その行動は、もう少し早く起こすべきであった。
◇
ホテル前の路上に車を停め、麻莉は荷物を取りに部屋へ向かった。
玲はしばらく車中で地図を見ていたが、戻りの遅い彼女を不審に思い、外に出て様子を窺う。
入り口の自動ドアが開くと、フロントは外からでも見通せた。
宿泊客が出入りする度に中を覗いたものの、麻莉の姿は無い。
「刷り込みは不得意なんだけどな……」
やれやれと言わんばかりに、彼は愚痴を
玄関を入って、フロントとは逆方向に曲がり、エレベーターの前に立つ。
ちょうど降りて来るカップルの旅行客を素通しして、手頃な人物が来るのを待っていると、スーツケースを持ったビジネスマンがやって来る。
男が宿泊手続きを済ませたのを見て、玲は先にエレベーターへ乗り込んだ。
開ボタンを押して数秒、ネクタイ姿の男も一人で入って来る。
「何階ですか?」
「あ、五階です。ありがとう」
彼が五階と七階を押すと、ドアが閉まり、エレベーターは上昇を始めた。
すかさず玲の左手が、男の顔を覆い隠す。
「部屋は七一二だ」
「……七一二」
「荷物は要らない」
「……荷物は要らない」
男の目はドロンと濁り、ぶつぶつ部屋番号を繰り返すのみ。
あまり正常な顔付きに見えないのは、玲の刷り込み技術の甘さが原因だった。
それでも、目的を達する程度には、男は動いてくれるだろう。
五階で開いた扉を直ぐに閉め、彼らは七階で降りる。
荷物はエレベーターの中に残して、男は手ぶらで廊下の奥に進んで行った。
突き当たりを右に曲がれば、玲たちの泊まった七一二だ。
数メートル後ろをついて歩き、曲がり角で身を潜めて、彼は成り行きを見守った。
ビジネスマンが部屋の前に立ってドアレバーを少し下ろした瞬間、扉が勢い良く内側に開けられる。
宙を
――ダイバーか。
玲は一気に駆け出す。
扉は開いたままで、男は立ち呆けたままだ。
潜行か刷り込みかは知らないが、玲クラスのダイバーを相手にもたつき過ぎだろう。
部屋の中から伸びる方の手首を引っ掴むと同時に、彼は室内を覗き見た。
ベッドに寝かされる麻莉と、その脇で目を閉じて
とすれば、入り口で出迎えたこの若い男は、見張りを任されていた新人と思われる。
驚きを隠しもせず、慌てて玲に刷り込みを発動させようする拙さからも、経験が浅いことは窺い知れた。
部屋を塗り替える白光は、凪坂ほどの力も感じられない。
謎の敵に遠慮することなく、彼は相手を見据えて深層を撹拌する。
警官にやったような微弱な撹拌とは違う。敵の精神を破壊する、全力の深層破壊だ。
目を見開いたまま口許をだらし無く開け、新人ダイバーは膝から崩れ落ちた。
――他愛ない、鍛練不足だな。
玲は敵の無力化に成功したことを確かめ、ビジネスマンを引きずって二人を床に重ねる。
部屋の扉を閉めて、目を閉じて深層に潜るもう一人へ歩み寄った彼は、その身体を
男の年齢は、三十後半といったところ。
腰ベルトにはホルダーが装着されており、中には銃型の武器が納められている。玲には懐かしいセンター支給の麻酔銃である。
皮膚に押し付け、サロリウムβを注入する器具で、麻莉はどうやらこいつで眠らされたらしい。
不覚を取るのは彼女にしては珍しいが、上位能力者なら新人とはわけが違う。
顔に覚えはないものの、刷り込みが効かない敵だとすると、この結果も頷けた。
センターの任務は二人組が基本だ。
潜行中は、ダイバーの実体が無防備に晒される。これを護る人員は必須で、新人と組まされたことが、この敵の敗因だった。
上着の内ポケットから薬のアンプルの替えを回収すると、玲は手際よく麻酔銃に装填する。
――さて、さっさと潜行から帰って来い。
銃を構え、玲は男の閉じた目に注目し続けた。
一分も待たずに、その
ゆっくりと目を開ける男へ、玲は冷たく言い放った。
「おはよう。寝ろ」
首元に注射を打たれ、ベージュのスーツに包まれた身体がゴトンと床に倒れ込む。
「次はこっちの番だ」
玲の手に音叉が握られ、高い金属音がホテルの一室に響いた。
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