15. 夜明け

 開発機構に至る道は、二重の金網で閉鎖されており、当然ながらゲート部分は閉じている。

 フェンスの上部にある鉄条網が物々しい。


 本体の研究施設自体は、ゲートのずっと奥、山の斜面を堰き止めるように建てられていた。

 無骨な打ちっぱなしのコンクリートの直方体は、窓も少なく、施設の秘密主義を体現するかのようだ。

 ゲートの直前で停車した麻莉に、玲が情報を請う。


「どういう施設か知ってるのか?」

「柴浜グループの一つ、ここ出身の科学賞の受賞者がいたじゃない」

「うーん……」


 通信や人工知能を中心に、先端技術の開発研究をする施設で、営利目的の団体ではない。

 海外からの参加研究者も多く、何人かが各界で表彰もされ、一般紙でも話題になったことがあった。

 ただ、注目を浴びたのは五年以上前の話で、現在はマスコミに取り上げられる機会も無いらしい。


「最近は何を研究してたんだ?」

「そこまでは知らないわ。病院と繋がってるなら、深層かしら」

「ちょっと畑違いな気がするな」


 首を捻る玲は、シートベルトを締めるように注意される。


「研究所に乗り込みましょう。ゲートを開けて」

「張り切り過ぎだ。山をよく見てみろ」


 山は夜空に紛れ、稜線も朧げだ。月の明かりも届かない影が、ただ建物の奥へと続いている。

 その施設の輪郭自体も迫る闇に揺れて溶け、目を凝らしても焦点を合わせづらい。


「……これを見れば、信じるしかない。深層が崩れかけてるのね。急がないと」

「違う、果て・・に着いたんだ。見るのは初めてか?」

「果て?」


 耳慣れない言葉に、麻莉は前方を向いたまま聞き返した。

 深層は、どこまでも広がる現実世界とは違う。そこには世界の終端、“果て”が存在する。

 有限の空間だからこそ、玲がその気になれば、虚無で塗り潰せるのだ。


 深層の形は不定、大きさも様々。柴浜のように巨大なものもあれば、葉田の世界は比較的小さかった。

 この麻莉の深層は標準よりは大きく、自動車で移動してやっと到達できる果ての光景だ。

 潜行時間が長い玲ならともかく、深層の限界地点など、能力者でも見たものは少ない。

 麻莉が初見でも、当然だろう。


「あの先には、何も無いの?」

「ああ。破壊円と同じだよ」


 自分の生きる世界の限界を見せられ、彼女は何を思うのか。

 再び口を開くのを、玲は静かに待った。


「……やることは変わらないわ。行けるところまで行きましょう」

「そうか。じゃあ、車のダメージを消す。突っ込んでくれ」


 彼女はギアをバックに入れ、数メートル後退すると、今度は一気に前へ車を発進させる。

 加速した軽自動車は、その勢いのまま閉じられたフェンスに激突した。

 ガシャンという派手な音を立て、一枚目の金網がへしゃげる。


「もう一回よ!」

「どうぞ」


 バックから瞬時にローギアへ。

 タイヤを軋ませ、再度の激突を果たすと、二枚目のフェンスに車の前部が食い込んだ。

 アクセルをふかし、彼女は強引にゲートを突破する。

 警報でも鳴ったのか、施設のあちこちにライトが点き、敷地内は一気に明るくなった。


「正面玄関はガラス、このまま行くわ」

「ああ……」


 ガラス扉には違いないが、幅は車体の一台半ほど。狭い目標を見据え、それでも麻莉はスピードを上げた。

 玄関から出てこようとした人影が、直進して迫る自動車を見て、慌てて中へと逆戻りする。


 今までガイドにしてきた光る導線は、車の方向と同じく、建物内部へと伸びていた。

 ベッドライトを浴びた研究所は、名称を記すプレート以外に飾りは見当たらず、トーチカのように殺風景だ。

 内部へ侵入し、職員を刷り込んで案内させよう、そう考えていた玲たちだったが、車が扉にぶつかるギリギリで彼は叫んだ。


「止まれ、高周波が出てる!」


 モスキート音より更に高い三万ヘルツを超える高周波は、通常の人間の不可知音だ。

 これが感知できるのは潜行能力者ダイバーだけであり、数少ない抗ダイバー手段となっていた。超高周波下では、潜行が阻害されるためである。


 玲の制止に遅れることなく、高周波を察知していた麻莉は、ハンドルを急旋回させた。

 玄関前に敷き詰められた玉砂利を弾き飛ばしながら、車体が百八十度ターンする。


 耳をつんざくブレーキに、ガラスの砕ける衝突音。慣性のついたまま後部から突っ込んだ車は、扉を粉々に破壊した。

 ダイバー対策の施された場所に、不用意に突入するのは無謀だ。ここまで攻勢一辺倒だった麻莉も、それはわきまえている。

 一時撤退を選択し、彼らは山道へと来た道を逆走した。




 開発機構の在った山から離れ、街路を飛ばしていた麻莉は、頃合いを見て脇に車を寄せて停めた。

 強行侵入での改変は、深層へ致命的な負担を掛け、街は水槽の中のように揺らぎ続けている。


「もう無理みたい」

「充分だ」


 グニャグニャと曲がる街路樹を眺めていた彼女は、ボールペンを玲に渡した。


「薬を使っても構わない?」

「大丈夫だろ。手早く済ますよ」


 用意していた昏睡薬を取り出し、注射器のパッケージを開ける。

 玲には既視感に襲われる一連の行動だったが、薬を使用する目的は、現実世界とは随分と異なっていた。

 注射を構えた麻莉は、そこで動作を止め、助手席に顔を向ける。


「あなたは現実の人間だという確信はあるの?」

「もちろんだ」

「私も自信はあったのよ……」


 目を伏せる彼女の感情を読み取るには、車内は暗過ぎた。


「もう一人のあなたが目の前に現れても、そう言い切れるかしら」

「……意味の無い仮定だな。そうならないから、現実なんだよ」

「そう、ね」


 深層と現実が混濁することは稀な話でもなく、この酔い・・に悩まされるダイバーもいる。

 だからと言って、常に自分の存在が現実なのか疑い始めては、それも強迫症の典型例だろう。

 袖を捲くった彼女の左手が、玲の手を掴む。


をよろしくね」

「分かってる」


 麻莉はゆっくりと手を放し、その腕に針を刺し込んだ。

 彼女の頭と手が、ダラリと力を無くして落ちる。

 彼はすかさずその頭部を押さえ、首に指を這わせた。


 主役の昏睡した深層が、形を放棄して激しく歪む。

 街灯は捩れ、道路は立ち上がり、星は夜空に筋を描いた。

 紺色の小さな車は真に世界の中心となり、その周りの全てが一色に混ぜ合わされて行く。


 麻莉の頸動脈に狙いを澄まし、安物のペンが突き刺された。

 小さく跳ね上がった彼女の顔は、玲の左手に覆われていて見ることは出来ないし、見たいとも思わない。

 位置を少しずらし、抜いたボールペンをもう一度、白い首へ。


 二箇所から噴き上げる血潮が、車内を真っ赤に汚した。

 湾曲を始めたフロントグラスに、赤い雨が内側から降り注ぐ。

 崩れ落ちる麻莉だった物。


 玲が瞬きした隙に、車内に充満していた鉄の匂いは消えた。

 微かな寝息を立て、彼女は運転席で眠る。

 車の横を通り過ぎる一台の運送トラックが、麻莉の顔を一瞬ライトで照らした。


「今回で最後にしてくれよ。気分が悪い」


 あと一時間くらいはこのままか。玲は寝顔に愚痴りつつ、次に取る行動を思案する。

 彼が計画をまとめ、彼女が再び起き出した時には、空はもう白み始めていた。





 まだ若干、朦朧とする麻莉に、玲は自販機で買って来た缶コーヒーを渡す。


「運転を替わろう。動けるか?」

「ええ」


 彼女は調査の拠点にするため、真波駅から少し離れたビジネスホテルに宿を取っていた。

 麻莉のアパートに戻る気は無い。彼女のナビを受けて、玲は車をホテルに向けて走らせる。


「病院は柴浜先端通信開発機構に繋がっていた」

「ん、山の方にあるやつかしら」

「そうだ、科学賞の受賞者も出した有名施設だ。知ってるだろ?」

「詳しいのね」


 二人は途中でコンビニに寄り、朝食と地図を買い求めた。

 サンドイッチをかじりながら、麻莉は近隣の地図で開発機構の所在地を確認する。


「ちょうど医療センターの真南ね」


 彼女の言わんとすることを、玲も理解した。

 青信号を待つ間、ハンドルをトントンと指で叩き、彼は研究所の実態について考えを巡らせる。


「病院の南棟、開発機構の中にあるのか、それとも何かの符牒なのか」

「多木津もそこにいておかしくないわね」

「センターの資料にはアクセス出来ないのか?」

「それは難しいわ……」


 真波事件の一報を聞き、麻莉は真っ先にダイバーの関与を疑った。

 妹が巻き込まれたこともあって、調査に志願しようと待機していたところ、下された指令は“干渉するな”である。

 一昨日から開始された彼女の単独行動は、センターの意向に反するものだった。


 十年近くセンターで働いてきた彼女は、組織では古株の扱いをされている。

 現在、彼女を含む古株たちは権限を次々と縮小され、割り振られる任務も簡単なものばかりとなった。

 権力闘争など興味の無い麻莉でも、組織内部で何かが変化しようしているのは分かる。

 古くからの工作員の粛清、そんな不穏な予想までが、現実味を帯び始めていた。


 一人での捜査に限界を感じた彼女は、東京に潜伏していた玲に助力を求める。

 彼へ緊急に連絡を取ったこと自体がリスキーな行為であり、更にセンター本部へのハッキングを試みれば、麻莉は完全に組織の叛乱者であろう。

 とは言え、今夜の病院での潜行を察知された可能性は高く、もう手遅れかもしれないが。


「どっちにしろ、私に本部の防壁は突破できないわ。センターで柴浜の名前を聞いたことなんて無いし、幹部クラスしか閲覧できない資料でしょう」

「まあ、トップシークレットだろうな」


 増えだした早朝の交通が、街の目覚めを告げる。

 真波駅よりは佐雲に近いこの辺りでは凄惨な事件の影響は少なく、日常の生活が営まれていた。

 犠牲者の身内は多いため、閉店中の店もちらほら見受けられるものの、精々それくらいだ。


「少し仮眠して、買い物に出よう。事件現場を見てみたい」

「買い物? ああ、変装する気なのね」

「開発機構の攻略は、やっぱり夜だな」


 深層では何度も訪れた真波駅も、実際に現実世界の姿を見たことはない。正確に言えば、事件後の真波駅は、だ。

 百貨店などは未だ封鎖されているものの、主要駅である真波駅自体は急ピッチで復旧した。

 構内に立ち入ることは容易であり、上手く行けば地下街なども調べられるはず。


「次の信号を右」

「ん、もう見えてるな」


 茶色い外壁のホテルを見つけ、玲は地下駐車場に車を入れる。

 短い睡眠の後、二人が活動を再開したのは、昼前のことだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る