第8話 罪と罰

「大丈夫!? お兄ちゃん!?」


「おぉ、文香。大丈夫、大丈夫。見た目ほどには元気だから」


 神戸赤十字病院。

 そこの四人部屋のベッドの上で、ギブスをはめられ包帯巻きにされていた俺は、突然見舞いに来てくれた妹の来訪に絶対安静の指示を忘れて手を広げた。


 結果、背中に裂けるような痛みを感じて、ぐぇえぇえぇと声を上げる。

 そしてそんな大声を上げたせいで、ひびの入った肋骨が軋んで、また余計に体が痛んだ。なにをしても、どうやっても、大丈夫ではない。


 なにやってるのよ、と、文香が眉を吊り上げてこちらにやって来る。

 あぁ、これは怒られるかなと思った次の瞬間――彼女はぼろりと大粒の涙をこぼすと、そのまま俺が寝ているベッドに突っ伏して泣きだした。


「心配したんだからね!! 向こうで交通事故に巻き込まれて全身骨折!! 全治三カ月の状態で病院に運ばれてきたって聞いた、妹の気持ちが分かる!?」


「……いつもすまないね文香ちゃん」


「時代劇じゃないんだから!!」


「いやほんと、心の底から申し訳ないと思っているよ。限りなく」


「そう思うなら、こんな危ない仕事、さっさとやめてよバカお兄ちゃん!!」


 こっぴどく言われてしまった。

 まったくその通りだ。家族に心配をかけるこんな仕事、さっさと辞めてしまうのがきっと文香のためなのだろう。


 文香はそんないつまでもめそめそと泣いているような女ではない。

 彼女は、すぐに俺の布団から顔を起こすと、むっとした顔で睨みつけて来た。


 これは本気で、俺に仕事を辞めさせる気だ――そんな目をしている。


「三カ月、お仕事はできないんだよね?」


「できないね。したくても、ちょっと無理かな」


「だったら、もう、いっそあの事務所たたんじゃいなよ。別に、辞めたって困るような人は誰もいないんでしょう」


「ほんと、文香ちゃんは痛い所をズケズケと突いてくるよね」


 実際その通りだから返す言葉がない。

 馴染みの客なんて――例の女刑事を除いて――ほとんどいない異世界万事屋だ。

 その馴染みの客だって、東京勤務で毎日とは顔を出せない状況である。


 彼女の言う通り、これを機に、廃業してしまうというのは、一つの手なのかもしれない。


 しかしね。

 これしか生き方を知らないということ以上に、今回の出来事から、俺は今の仕事について多くのことを考えさせられたように思ったよ。

 辞める気なんて、今の俺には、さらさらとなかった。


 じっとこちらを見る赤い目をついと逸らす。

 翔の妹だけはあって賢い文香ちゃんには、俺の表情一つだけで、その決意が固いことが伝わったみたいだった。


「なんでそんなになってまで続けるのよ。意味が分かんないよ」


「人生にはね、生きがいってのが必要なんだよ。文香、君も大人になればわかるよ」


「そんなボロボロになるまで働くのが生きがいだなんて、私はごめんだよ」


「……そうだね。お兄ちゃんもおすすめしないよ」


 けれども、この役目を担えるのは俺だけだ。

 いや、俺とフルだけだ。


 フルが、あぁして、こちらの世界とあちらの世界のゆがみを正しているように。

 俺の異世界万事屋という仕事は、たぶん、この世界に必要な仕事なんだ。

 そして、掃除屋スイーパーとしての裏の仕事もまた同様に。


 この二つの世界に存在するグレーな部分がなくなるその日まで。俺は――そしてフルは戦い続けなくてはいけない。そういう宿命を背負っているのだ。


 と、文香ちゃんに言ってみたところで、伝わるかどうか分からない。

 そもそもとして、裏の仕事について、彼女に俺は説明していないのだ。


 実はお兄ちゃんは、人知れず異世界を守る正義の味方をやっているんだよ、なんて言ってみたらどうだろう。

 ついに頭を強く打っておかしくなってしまったのだ、と、少しくらいは優しくしてくれるだろうか。


 いや、もう既に、頭がおかしい扱いされている。

 白い目で見られて終わりくらいかね。


 まぁ、いい。


「とりあえず、三カ月休業の張り紙だけ、事務所の扉に書いておいてくれる」


「ヤダ。閉店しましたって書いとくから」


「頼むよ文香ちゃん。三十超えての再就職ってね、この好景気でも難しいんだ」


「だからって事務所にひきこもって、自営業ごっこなんてしてても仕方ないでしょ。まっとうに働いてよ、このごく潰し!!」


 働いているんだよ、文香ちゃん。

 お兄ちゃんはね、君のために、世界のために、更に異世界のために、この身を粉なにして理不尽と戦っているんだよ。


 あぁ、なんということ、ヒーローとは孤独な生き物だ。


 たった一人の身内からさえも、その生き方を理解してもらえない。

 また、明かすことができないだなんて。


 と、その時、ぶるりぶるり、と、携帯電話が鳴った。

 三回のコールで切れたということは、どうやら、メールのようだ。


 なんとなく、差出人には覚えがあった。


「文香ちゃん。悪いけど、携帯を開いてメールを見せてくれないかな。お兄ちゃん、ちょっと体を動かすだけでも辛くって」


「……もう、仕方ないなぁ」


 えっと、どうすればいいの、なんて、不安そうにガラケーを操作する文香。

 俺の指示に従って操作した彼女は、メールを開くと、大きくその首を横に振りそのショートポニーを揺らしたのだった。


「なにこれ?」


「どうした?」


「本文なしで、写真だけが張ってあるんだけれど。空港、かな?」


「――あぁ」


 見せられたそこの光景には覚えがある。

 東京の羽田空港だ。


 もっぱらと、大阪国際空港を使っている俺だが、時たま、海外ポーターを利用する都合で、羽田の国際線を使ったりするのだ。


 わざわざとそんなものを送り付けてくた理由は分かる。

 こちらにやって来たぞ、という、彼の不器用な挨拶だ。


 彼は、俺のようにヒーローの孤独という奴に苦しむことはないのだろうか。

 流石に半世紀もそんなことを続けていると、心のどこかが既に麻痺しているのかもしれない。


 けれども、わざわざ、雲一つない羽田空港の気色を写真に収めて、こうして送ってくるあたり、まだ、何か彼の中には色あせないものがあるのだろう。


「誰? 何? どういう知り合い?」


「……お兄ちゃんのヒーローさ。今回の一件も、彼に助けてもらった」


 なにバカなことを言ってるの、と、あきれた調子で言う文香。

 けれど彼女は、もう一度、その画面をのぞき込んで――けど、なんだかいい写真ね、なんて、俺が思ったのと同じことを言ったのだった。


 さて――。


 これからが大変だ。

 今回の仕事は、見事に不首尾、更にその上に入院のおまけまで付いた、大赤字である。これを文香ちゃんにいったいどうやって説明すればいいだろうか。


 辞める気はないと言った。

 けど、この大赤字を説明したら、また辞めろ辞めろとうるさいだろう。


 なにしてるのよバカお兄ちゃん、の声が、病室に響き渡るのが容易に想像できてしまう。実際、何をしているんだろうね、俺は、本当にと、金に目がくらんだことを後悔している。


 まぁ、フルの奴がいろいろと気を回してくれて、今回の事件については、協力者――こちらで暮らすむこうの人々、および、その縁者たちの互助会――の力でもって事件はもみ消してくれた。さらに、最低限の保険は降りるようにしてくれている。

 流石に異世界生活が長いと、この辺りの世渡りも上手だなと感心する。


 生き方は本当に不器用なのにね。


 しかし、どうするつもりなのかね。


「不器用だからなあ、あいつ」


「うん? お兄ちゃんも大概不器用だよね? 元異世界ひきこもりだし」


「傷つくわ、文香ちゃん、ボク、病人なのよ。もっと優しくして」


 羽田空港に降り立ったフルが、いったい何をするつもりなのか。

 だいたいの想像はつくのだけれど――やれやれ、本気なのだろうか。


 東京の高速道を彼のスペシャルマシンハーレーダビッドソンが疾駆する姿を思い描きながら、しばらく、スポーツ新聞の一面記事が騒がしくなるだろうなということを、俺は他人事のように思ったのだった。


◇ ◇ ◇ ◇


 ワシは日本人という奴らがどうしても好きになれない。

 彼らの二面性がどうにもこの大きな鼻にひっかかるのだ。


「ようこそいらっしゃいました。まぁ、ドワーフの渡航者とは珍しい。パスポートはお持ちで」


「もちろん」


 アメリカ合衆国の正規のパスポートを見せてやると、入国審査官の女は怪訝そうな顔をした。普通こういう時には、渡界許可証がパスポートの代わりに提示されるのだが――パスポートが出て来て面食らっているのだろう。


 協力者たちのおかげで、ワシはドワーフでありながら、米国に国籍を持っている。


「ミルウォークですか。ハーレーダビッドソンで有名な街ですね」


「あぁ」


「バイクはお好きで」


「よく乗るよ。もっとも、脚がこんなだから、コントロールには難儀するがね」


 一瞬にして話題を切り替えて、ことなきを得ようとする。

 厄介なことや不都合なことを取り繕うとする、その精神がどうにも気に入らない。

 アメリカ人はそこのところはもっとストレートだ。


 今回の一件でも、ハチロウ・スエヒロだったかが、欺瞞を働いたことに事件は端を発している。


「こちらにはどういったご予定で」


「仕事さ」


「そうなんですか。ちなみに、なんのお仕事を? あぁ、すみません、失礼でしたね。答えていただかなくて結構です。口が過ぎました」


「なに、ちょっとした書類を回収しに来ただけだ」


 ハチロウ・スエヒロが残した顧客リストの回収。

 それと、彼のオフィスに残っているだろう、部下たちの抹殺。

 ついでに、異世界側の協力者についての情報も得られれば尚良いだろう。


「I have came to give you death.」


「え?」


「……なんでもない」


 はぁ、と、首を傾げる入国審査官。少しだけ、心配そうな顔をしたが、結局彼女は入国許可のスタンプを押すと、ワシの背中にこう声をかけた。


「ようこそ日本へ、よい旅を!! いえ、よいお仕事を!!」


 言われなくてもそうさせてもらうさ。


 そうだ。

 ついでに、あのお調子者のエルフの見舞いにでも行ってやろう。

 どうせ回収したリストをもとに、この国をしばらくはぶらぶらとすることになるのだから――な。


【Episode.3 End & Good―By, Until Then.】

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