第3話 979案件

「97年9月某日。ロシアはウラジオストクと伏木港を結んでいる定期就航船が、台風の影響を受けて航路を離脱する事件があったの」


「ほう」


「その際に、ロシアから向かってきた定期就航船から、幾つかの空コンテナが、伏木港沖五十海里に沈んだわ」


 まったく興味のない話である。

 なんというか「コンテナが沈んだだけでよかったですね」なんて、つい言ってしまいたくなるような眠い話だ。


 さんざ、騒いだ挙句、そんなことを言うのもなんだけれども。


 どうやらこの警察庁からやって来たお嬢さんの目的は、異世界掃除屋スイーパーの俺を検挙することではないらしい。そうと知るや俺の気持ちは途端に軽くなり、同時に、一気に夏の暑さに脳が蕩けてやられてしまったみたいだ。


 あぁー、コーヒー。

 ほどよく冷めて美味しいんじゃぁー。


「ちょっと、真面目に聞いてるの!!」


 姫カット嬢ちゃんこと相原諒が怒鳴る。

 俺が気の抜けた顔をしたせいだからだろうか、つんとその眉毛を鬼の角のように尖らせると目で抗議してきた。


 あぁ、うん、聞いてる聞いてる、と、軽く返事をしてやる。

 本当かしらという表情をこっちに向けると、彼女は話の続きを始めた。


「当時、問題にあたったのは海上保安庁の渉外官。それと、与党内でロシア方面に強いコネクションのある政治家だったわ。ロシア政府は、日本近海の海図の公開とコンテナのサルベージを迫ったけれど、だという事実を理由に拒否したわ」


「やるじゃん、日本の政治家さん」


「そうよね。海図なんて日本防衛の最重要機密事項よ。おいそれと渡せるものじゃない。彼らの選択は決して間違ったものじゃなかったわ」


 で、何がいったい問題なんでしょうか。


 空のコンテナが日本海に沈んで、それで日本海の水位が上がりましたよ。

 あら大変。日本海側の都市が水位上昇により沈んでしまう――なんてくらいに、日本海は狭い海じゃないだろう。


 まったく話の要領が見えてこない。


 もうちょっと、要点をまとめて話してくれ。


 俺はまたコーヒーを口の中に含む。

 この苦さが、少しでも、俺の脳みその活動力を高めてくれると、そう思って飲んでみた。だが、いかんせん少しもそんな効果が発揮される気配はなかった。


「けどね、コンテナの中身は空なんかじゃなかったの」


 おっと。

 途端に話が分かりやすくなって来たぞ。


 なんだいそれは必要十分に分かりやすいテンプレートな話じゃないか。


 つまり、ということになる。何を持ち込むのかって、そんなもの、密輸品なら決まっている。


 あの時代の、あの国の、あの空気を考えろ。

 流石に蕩けた脳みそでも、その中身について思い当たるものがあった。


「AK47。ロシアが誇る最高にして最悪の人殺しの道具。こちらの世界でも、あちらの世界でも、最も多くの人間たちを戦場で殺してきた、自動小銃よ」


「悪名高い道具だ。それを聞いたことのない人間は、この平和ボケした日本でもそうそういないんじゃないかな」


 とどのつまりは武器の密輸入があったということである。


「最初からそう話してくれればいいんだよ、まったく」


「話には順序が大切でしょう」


 そうかもしれないが。

 回りくどいんだよ。

 どうしてこう、もっと端的に話せないのかね、この国の役人は。


「……まぁいいや。で、空コンテナには何丁のAK47が詰まってたんだよ。というか、詰まれてたとして、流石にもう使えないんじゃないの。二十年前の銃だろう。しかも水に浸かった」


「千丁。しかも丁寧に、コンテナには防水、耐圧加工が施されているわ」


 なんじゃそりゃ。

 まるで落とすこと前提のような話じゃないか。

 そこまでするかねロシア人。


 いや、そこまでするから、日本政府に対して海図の要求なんてことをしたのか。

 なんにしても、そりゃ、えらいこっちゃである。


 ただ――。

 やっぱり俺の脳みそを冴えさせるには、シリアスさが足りない。


「海の中に沈んだ、千丁の無傷のAK47ねぇ。手に入れることができたら、そりゃ大喜びだろうよ」


「えぇ、そうね」


「しかし、海の底からモノを引き上げるってのは、なかなか骨の要る作業だぜ? そんなことをできるのか、国の協力もなしに?」


 現実的に回収できる見込みがない。

 そこに宝箱があると分かっていても、届かない距離にあるのでは、どうしようもないではないか。


 どうするんだ、それで、と、いう話だ。

 魔法でも使おうと、そういう訳だろうか――。


 と、思った所で、俺の脳みそがようやくシリアスに冴えわたった。


「……まさか」


「そのまさかよ」


「嘘だろおい」


「嘘だと思いたいわよ。次のページを捲ってくれるかしら」


 言われるままに、俺は渡された極秘資料の二枚目のページをめくった。そこには、とある男の履歴書と写真が載せられていた。


 豊野真。

 1981年生まれ。三十六歳。

 03年海上保安庁海洋情報部技術・国際課配属。ロシア方面担当になる。

 17年6月に突然の退職。


 写真は丸坊主に鼻の下にひげを蓄えている。

 堅気の顔だが、気難しさが漂ってくる、そんな印象を受ける。


「その後、行方知れず――。彼から業務を引き継いだ海上保安庁職員が、引継ぎ資料の中から、銃に関する情報を発見して、うちに通報してくれたわ」


「なんで残すかなァ!! ちょっと、頭おかしいんじゃねえの、こいつ!!」


「見つかる前に売りさばく自信があったんでしょう。とにかく、この男がやろうとしていることは、もう分かったわね?」


「異世界の魔法使いをこっちに呼んで、海の底からAK47を回収するってことだろう!! けど、もう2カ月も経ってる!! 回収された後なんじゃないのか!?」


「――つい二日前、ここ、神戸ポートアイランドにある特異点ポーターから、彼が異世界に飛んだという情報が入ったの。おそらく、まだ回収はされてないわ」


 なんてこったい。

 それで、一番ここ神戸ポートアイランド特異点ポーターに詳しそうな、俺の事務所にアンタはやって来たって訳かよ。なるほど合点、そりゃ、納得のいく展開だわ。


 けれど勘弁してくれ。


 それで次にアンタは俺に、こう言うんだろう。


「お願い。私の異世界渡界と、その捜査に付き合って。協力経費は惜しまないわ。とにかく、向こう側に詳しい人間が必要なの」


「必要なのって。俺だって別に、向こうにそこまで詳しい訳じゃないんだぞ」


 嘘だが。


 滅茶苦茶詳しいどころか、もともとあっちに住んでいたのだ。

 転移できる範囲内で、知らない場所はないと言っていいだろう。


 むしろこっちの地理関係の方が分からないことの方が多い。

 島根県と鳥取県の位置を間違えて、文香に笑われるレベルの、俺の地理の知識を舐めるなと言っていただきたい。


 って、そんなこと思って現実逃避している場合じゃない。

 この仕事はあきらかに異世界万事屋の仕事の手に余る。


 相手は武器の密輸入をしようとしている人間だ。当然、ドンパチになるのは必須だろう。そうすると、こっちの戸籍を持っている者同士での殺し合いになる。


 異世界での殺人において、正当防衛が無条件で適応されるのは現地人、あるいは、銃の日常所持が認められている国の住人に対してのみだ。

 日本国は猟銃以外の銃の携帯と販売を禁止しているから、当然、銃による殺人は罪に問われることになる。


 銃を撃てば、隣に立っている警察庁の刑事さんが、俺を即現行犯逮捕。

 撃たなければ俺の頭に風穴が空いて人生エンド。

 魔法を使えば――戸籍偽装でさらに重罪だ。


 どう転んでもBADEND確定である。

 いかん、もう考えたくもない。


「他の所を当たってくれ。東京か――今から無理なら京都か大阪に行けば、そういうの引き受けてくれる万事屋もあるはずだ」


「ちょっと待ってよ。引き受けてくれる体で私もここまで機密事項を話したのよ」


「わかったわかった。実は俺は向こうで記憶消去の魔法を身に着けていてね。今聞いたことはMIBみたいに、パッと忘れてしまうことにするよ」


 ぱっ、と、俺は顔の前で手を開いてみせる。


 はい忘れた。

 貴方はだれ。

 ここはどこ。


 と、おどけてみせたが、相原の表情は相変わらず真剣そのものだった。


「引き受けないというのなら、さきほどのコーヒー噴霧の件で貴方を公務執行妨害で逮捕・拘束します!!」


「ちょっと待って国家権力!! 横暴すぎるよ、どうなってんの国民の主権!!」


「機密事項に触れた時点で覚悟しておくべきだったのよ。大丈夫。国のお仕事だから、支払いは固いわ。それに、貴方なかなかイケてる顔してるから、事が上首尾に終われば、美味しいステーキくらいごちそうしてあげる」


「こんなことなら不細工に生まれてくるんだった!!」


 叫んだ所でどうなるものでもない。

 もう、これは腹を括るしかないのか。


 脳みそ蕩けさせて話を聞いていたのが間違いだった。さっさとこんな女、事務所から追い出して、窓を開けてルルルルーしてればよかったのに。


 あぁ、俺の、バカ。


 馬鹿。


 ばか。


「大丈夫よ。ドンパチになったら私がなんとかするから」


「……ちなみに聞くけど、あんた、異世界渡航許可証はなにもってんの?」


「……ブロンズよ。何か文句ある?」


 異世界渡航許可証の色は、そのまま銃取り扱いの上手さを表している。

 要は、こいつにはこれくらいの銃と弾丸を渡しても問題にならない、という証明書になっているという訳だ。


 当然上から、ゴールド、シルバー、ブロンズ。

 某聖闘士漫画みたいに分かりやすい話である。

 まぁ、その流れでいくと、ブロンズが一番強いという話になりそうだが――。


 つまり、この女はど下手くそってことである。


 ジーザス。今回ばかりは、引き金を引く前から神に祈りたくなったよ。

 曲がりなりにも警察官なんだろ、ゴールドくらい取っておいてくれよ。


 あぁ、ダメだこれ、詰んだわ俺の人生。


「とにかく、こうしてウダウダやってる時間も勿体ないの。すぐに支度をしてくれる。ほら、ハリーアップ!!」


「嫌だぁっ!! 俺はこんな糞みたいな仕事やりたくないんだぁ!!」

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