第4話 異世界ボディーガードのやり方
文香の同級生――
家族構成は父が一人。母は、彼女が小学生の頃に病気で亡くなっている。
また、たった一人の肉親である父とも別れて暮らしており、妹が通っている学校の寄宿舎に身を寄せているんだそうな。
そしてここからが今回の厄介ごとの本題である。
楓ちゃんの別れて暮らしているお父さんは、米国の大手製薬メーカー『KAL』に勤務する研究員なのだという。
そんな彼が、肺癌治療にきわめて有効な新薬の開発に成功した。
なんといっても、人類の死因の最大要因は癌である。
日本でも肺がんによる死亡が毎年トップに上がるほどだ。
その新薬について、きな臭い陰謀が渦巻くのは想像に難くない。
「新薬の開発責任者である父が、現地の競合他社が起こしたと思われる襲撃事件に巻き込まれたんです。幸い命に別状はなかったんですが、父は会社が雇ってくれたボディーガードに守られて身を隠しました」
「ふぅん」
「私も、できることならば、すぐに身を隠すようにと言われているんですが、どうしたらいいかわからなくて」
「具体的に、身の危険を感じたりしたことは?」
「……寄宿舎の私の部屋が荒らされていたんです。寮母さんや先生に相談して、今は、宿直室で寮母さんと一緒に生活しているんですが」
「なるほど。そりゃなんともおっかない話だね」
ちょっと返事がおざなりなんじゃないの、と、文香が事務所のキッチンからこちらを睨んできた。仕方ない、だって、本当にそう思ってしまったのだから。
応接用のソファーに移動した俺と楓ちゃんは、向かい合うようにして座っている。
少し茶色をした髪を揺らして、俯き気味にぽつぽつと話す彼女。
我が自慢の妹である文香さんと違って、随分と内気な感じだ。
この二人が友人関係というのに少し疑問が湧いた。
が、まぁ、文香ちゃんの交友関係は広いからな。こういう友達も居るのだろう。
そんなことを考えていると、その文香が盆に緑茶を載せてやって来る。
手のひらサイズの湯呑みを、一つ、二つと、楓ちゃんと自分の前に置いた。
おいおい、俺の分はどうしたんだと視線を送ると、彼女は、ふんと鼻を鳴らして自分の湯呑みでその口元を隠してしまった。
どうやら、また何か、彼女の機嫌を損ねるようなことをしてしまったらしい。
とほほ。お兄ちゃんをやるのは難しいなぁ。
「父が開発した新薬が公に発表されれば、こういうことはなくなるかと思うんです」
そんなやり取りなぞ気にも止めず。
いや気にも止められず。
出された緑茶に手も付けず、楓ちゃんは話を再開した。
「発表は?」
「会社からの話によると、一ヶ月先になるそうです」
なるほど。
その間、どうにかして自分を匿ってくれる場所はないかと、そういう話である。
異世界までは流石に奴らも追って来ないだろう……。
そう考えるのは、まぁ、言っちゃ悪いが、なんとも浅はかな考えだ。
逆に治外法権のむこうの方が危険なくらいだ。
むこうは平和ボケした日本の常識なんてまったく通じない魔境だし、悪意を持った人間・亜人、果てにモンスターまで居る。
よほどむこう側に精通している人間でもない限り、かえって危険な目に自ら会いに行くようなもの――といって差し支えないだろう。
とはいえそれを愚直に、目の前の少女に告げたところで事態は好転しない。
せいぜい、伏し目がちなその顔を、さらに深く深く下げるだけだろう。
そして氷菓のように顔を青白くして、ぽろぽろと冷たい涙を流すのだ。
美少女を泣かせるのは、流石に趣味じゃない。
さて、そんな辛らつで残酷な事実を黙りこんでいれば、楓ちゃんが身を乗り出して俺の方に顔を近づけた。
相変わらず、ほんのりとその頬には朱がかかっている。
恥ずかしがり屋さんなのだろうか。
まぁ、なんにせよ。命の危機に直面しているというのもあるが、そんな状況でも話をしようとする彼女の姿勢を、俺としては買ってあげたい。
「文香ちゃんのお兄さんが、異世界関連の仕事をやっていると聞いて」
「異世界万事屋ね」
「それで、異世界にどこかよい隠れ家というか、避難先があればと思って、こうして訊きにきてみたんです」
「うぅん、そうだねぇ。たしかにむこうに、匿ってくれる心当たりはあるけれど」
「本当ですか?」
「……けど、米国は異世界との交流に積極的な国だ。君のお父さんの競合他社がどうかは知らないけれど、異世界にツテがあるとも限らない」
「つまり?」
「むこうに逃げても刺客を送られて……ばーん、どさり、ばたん、きゅう、なんてこともあるってことさ」
オーマイゴット。
腹に風穴を開けられちまったぜ、なんてこった。
という感じにヘソの辺りに手を当てておどけてみせる。
「そんな!!」
大げさに身振り手振りで説明することで、冗談じみた感じにするつもりだった。
だが、かえって純粋な彼女には逆効果だったみたいだ。
目の前の美少女は更に顔を伏せると、顔を真っ青に染める。
その隣で茶を啜っていた、妹の視線に冷たいものを感じる。
違うんだ、これは逆に気を使ってやっただけで、と、弁解してもしかたない。
俺はあえてそんな空気を笑い飛ばすと、場を明るくするように心がけた。
「ごめんごめん、ちょっとオーバーな表現だったね。怖がらすつもりはないんだ」
「ごめんね楓ちゃん。ホントお兄ちゃんが空気を読めないバカで」
「文香ちゃん、ひどいよぉ」
「こんなだから異世界に引きこもってたの。我慢したげて」
酷いフォローもあったものである。
まるでいつも我慢しているようなそんな口ぶりじゃないか。
――してないよね?
しかし、意外かな。
気丈にも楓ちゃんは、頭を上げると、首を横に振った。
「……いいえ、たしかに私の考えが浅はかでした。そうですよね、そんな簡単に異世界に逃げたからってどうなるものでもないですよね」
「いや、発想自体は悪くないと思うよ」
「え?」
リカバリー。
すっかりと落ち込んでしまった楓ちゃんをフォローする。
上げて、落とす、恋の上級テクニック。
と、そんなおべっかのつもりで言った訳ではない。
異世界に逃げるという発想自体は悪くない。
適切な準備をしていれば、だが。
「その上で、異世界での仕事をしている人間から、アドバイスをさせて貰いたいんだけれども、いいかな?」
キョトンとした楓ちゃんの瞳を真っ直ぐに見て、俺は話を続けた。
「ちょっと報酬料は割高になっちゃうけれども、君が安心して一ヶ月を過ごすことができる方法を、俺は知っているんだ――」
膝の上に肘を付き、手を組んでその上に顔を落とすと、少女と同じ目線になる。
瞳を覗き込むと、どうして、彼女の頬の朱色がまた一段と濃くなった。
すぐさま、楓ちゃんは俺の視線から逃げるように顔を逸らした。
ふむ。
俺としてはこう、ぜひお願いします、みたいな、きゃぁ頼れる男素敵みたいな展開を予想したんだけれど。
おくゆかしいね、最近の女子高生は。
「馬鹿お兄ちゃん!! 未成年を口説くな!!」
べこり、と、頭頂部に漆塗りのお盆の冷たさを感じた。
文香ちゃん、誤解だ。お兄ちゃん、そんな本気で口説くつもりは少しもないの。
ただちょっと、ハードボイルド小説みたいに、格好つけてみただけなんだ。
おかしいなぁ。俺、これで結構三枚目キャラのはずなんだけれど。
街で女性に声をかけても、すぐに逃げられるし。
「だいたいお兄ちゃんは、緊張感がないのよ。あと、誠実さも」
「人には人それぞれ、話術ってものがあるものなのさ。まだ学生の文香ちゃんには、難しくって分からないだろうけれど」
「ただ、楓ちゃんを口説いてただけじゃない!! ロリコン変態お兄ちゃん!!」
「誤解だ。俺はいつだって、何歳だって、女性には紳士なだけなんだ」
ふふふっ、と、楓ちゃんが笑う。
他愛無い兄妹のやり取りで、少しだけ緊張がほぐれたのだろう。
楓ちゃんの瞳が再び俺を見ていた。
その表情にはまだ迷いがある。
しかし、それでも、自分の命には代えられない。
「あの、そのいい方法って、なんなんでしょうか」
「……お、乗り気だね。きっとそう言ってくれると、俺も信じていたよ」
「安心していいよ。お兄ちゃん、こんな軽薄そうな感じだけれど、十年間
軽薄そうとはまた酷い。
そして、誰のために俺はこうして、こっちに戻ってきたと思ってるんだろう。
まぁいい、これ以上の兄妹喧嘩は夕飯の後のお楽しみだ。
「教えてください。お金なら……たぶん、なんとかなりますから……」
「うんうん、それ、こっちとしてもとっても頼もしいね。信頼しているよ、なにせ、海外企業の製薬会社だろう」
「えっ、あっ、その」
「あ、もしかして、君たちに直接請求するようなことでもすると思った。まさか、俺はお金は取れるところから取る主義だよん」
それに安心してくれ。
俺の一時間あたりの賃金は、県内の最低賃金よりちょい上くらいだから。
そこら辺のハンバーガーショップでバイトしたほうが実入りがいいくらいさ。
自分で言っておいて虚しい話だけれどね。
HAHAHAHA。
「必要経費は後で現地でかかっただけ、まとめて請求するとして、拘束料は一ヶ月分前倒しで請求しておこうか」
それだけあれば文香も生活に困らないだろう。
あとはあれだ。しっかりと、強めに、一カ月分の悪運除けのまじないをかけておかないといけないかな。
マイリラブリーシスターはただでさえ危なっかしいからな。
今日にしたって、ほっときゃいいのに、こんな上客をうちに連れてきてくれるくらいの正義漢なんだもの。
いや、まぁ、女の子だけれど。
「文香、お兄ちゃん、ちょっと留守にするけど、大丈夫?」
「いいよ、せいせいする」
「ひどいや。お兄ちゃん傷ついちゃう。ぐすん」
「えっと、あの、いったいなんの話を? その、具体的な話をしてくれませんか?」
「あぁ、ごめんごめん、つい、お金のことになったから、いろいろと話がすっ飛んじゃった。ほんとごめんね」
つまりだ。
真面目な顔を作ると、俺は楓ちゃんに視線を合わせて、少しだけ背中を丸める。
今度は口説く意図など微塵も感じさせない、仕事人の顔を造って。
「逃げるのと一緒に、俺をボディーガードとして雇う――ってことさ」
ぱちくりと眼をしばたたかせる少女。
ダメだね、なんというか三枚目だからシリアスに耐えられない。
俺はまた気さくに、彼女に向かって微笑むと、軽いウィンクをしてみせた。
後頭部に、お盆の冷たさを感じたのは、そのすぐ後であった。
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