第3話 シスターフレンズはお悩み

 異世界万事屋の仕事とはなんぞや。


 という言葉を使っている時点で察してほしい。


 異世界の珍品・名品の収集。

 ダンジョン探索のお供。

 異世界失踪者の捜索。

 そして、単純に観光目的で異世界にいきたいミーハー旅行者のおもり。


 とまぁ、仕事は多岐にわたる。

 言葉の通りに何でも屋という奴だ。


 それでもってこの仕事、結構いい金に――。

 ならないんだなこれが。

 残念なことに。


 こちらとむこうの世界がつながって、そろそろ半世紀が過ぎようとしている。


 魔法と科学という二つの方向性を持って進化した、二つの異なる世界は、特異点――異世界間のつなぎ目となるワープホールのようなもの――の発生という偶然を経て、邂逅を果たした。


 しかし、だからそれがなんだというのだろう。

 異世界の発生に喜ぶのは、どちらの世界でも学者と魔法使いインテリ野郎ばかりだ。


 一般人にはなにそれというもの。

 自分たちの世界、国、村、生活のことで手一杯。

 構っている暇なんてありゃしない。


 そんな訳で、お互いの世界や文化に対して、深く干渉することもなく、さりとて、放置することもなく。

 気の置けない友人――くらいの感覚で、二つの世界の交流は今現在行われている。


 もっとも、それは国家のスタンスに寄るところも大きい。

 こちらの世界で高圧的な態度を取る国というのは、やはりむこうでも、やれ侵略行為やら、治外法権を盾にした事件やらと、何かと問題を起こしていたりする。


 日本政府は今のところ、外面は友好的な態度を取っている。

 だが――実のところはあまり深くは関わり合いを持ちたくない、という思惑が外交姿勢や各種法案から透けてみえる。


 政府主導での交流など、ほぼほぼない。

 また、海外では割と盛んな異世界観光も、旅行代理店では扱われていない。


 むこうからの輸入品などは、異世界援助の名目で、政府指導の下にスーパーなどで売られている。だが、大抵は陳列棚から最終処分場へ直行である。


 要するに、閉鎖的な気質なのである、日本政府も、日本人も。

 そんな所でやってる万事屋が儲かるはずもないだろう。

 自明の理という奴だ。


 とほほ、言ってて悲しくなってくらぁな。


 ただ、それでも一つ例外があって、だけが、異世界に行ってしまうことがある。


 ある問題とは、なんて、改まって言うことでもないだろう。

 だいたい想像はつくんじゃないか。


 現実世界に絶望し、頭の中の異世界に逃げ込む。

 それが一つの文化カルチャーになる国だ。


 そういう、現実から目を背けたい、逃げ出したい、消えてしまいたい人たちが、富士の樹海に行く代わりに、異世界へと行く。

 とまぁ、そういう分かりやすい塩梅な訳である。


 なのでもっぱら日本での異世界万事屋の仕事なんてのは、人探しがメインになる。

 中には――というか大半が、現実世界に身を隠していたりして、ほぼほぼ無駄骨に終わることなんてのも多い。


 相談料は前払い制。調査費などは実費負担なので、取りっぱぐれることはないのだけれど、なかなかシビアな仕事である。

 そして暇な仕事でもある。


『まともな仕事に就いてよ』


 と、妹からさんざ浴びせられ、耳に焼きついた言葉に身もだえしたくなる。


 だって仕方ないじゃないか。

 こっちはこれくらいしか、糊口をしのぐ方法を知らないんだから。

 お兄ちゃんに多くを求めないでいただきたい。


 とまぁ、そんな訳で。

 今日も今日とて、俺はセンタープラザは西館は三階の端にある事務所の中、悶々とした気分を抱えながら椅子に座って、窓から見える国道二号線を眺めていた。


 はぁ、と、ため息を吐き出せば、椅子の背もたれが作業机を小突いた。

 六月の日はまだ高く、夕方だというのに随分と明るい。

 だが、閑古鳥鳴く事務所の寂しさに、気分はとっぷりと、黄昏時のような鬱々とした静けさに浸かっていた。


「まぁ、当の失踪人が、今はこうして探す側に回ってるってことを考えると、因果なもんだよな。いやはや世の中分かんないもんだ」


 先に言ったように、実際に失踪している人間はごくごく限られる。

 また、失踪した人を探してほしいと頼む人間も、そう多くはない。


 そしてなにより、彼らは逃げた方も、逃げられた方も、深く傷ついている。

 そんな訳で、心に深い傷を負った方々から、正規報酬とは言っても、金をとるのもなんだかんだで忍びない。


 いやはや、因果な商売もこの世にはあるものだ。


 また、耳の奥で、妹の声が響いたような気がした。


「……だから副業頑張らないとなぁ、って、なるんだけどさ」


 まぁ、それとこれとは、切り分けよう。


 やることがない訳ではないのだ。

 幾ら客が来ないからといって、ぼやぼやと、暇に任せて時間を無為に過ごす訳にもいかない。


 俺は国道二号線の見える窓から振り返るとデスクに向き直った。白色のプラスチックで天板を表面加工した鉄製の机の上には、書類やら写真やらが散乱している。

 いったん、それを乱雑に端に寄せる。

 それから俺はその天板の下に潜り込んでいる袖机――その一番下にある鍵付きの引き出しへと視線を向けた。


 ポケットの中から鍵を取り出し、椅子に座ったまま腰を屈める。

 そのまま、引き出しの取っ手の横にある鍵穴へとそれを差し込む。


 90度回せば、ごろりという鈍い金属音がする。

 それから優しく、引き出しの取っ手を手前に引けば――チリチリとした嫌な金属臭が立ち昇ってきた。


 引き出しの中に入っているのは、いわゆる銃という奴だ。


 Cz75。

 チェコスロバキア産の米国流通モデル。名銃の中の名銃と名高い一品である。

 もちろんその横にはカートン売りのボックスに入った9mmルガー弾。

 そして、補助用のマガジンバレルが二つ。


 勘違いしないで欲しい。

 これは別に非合法で手に入れたものではない。

 異世界で身の安全を守るために――魔力を持たないこちら側の人間が、むこうで対等に渡り合うための武器として、日本政府から所有を許可されたものだ。


 適切な免許講習さえ受けれれば、今は日本人でも、ある程度の銃はこうして手に入れられる時代なのである。


 もちろん、こっち側で利用すればすぐに豚箱行きだが。


「昨日もしたけれど、今日も銃のメンテといきますか。愛用の道具ってのは、手入れが肝心だものなァ」


 ふと、頭を過ぎったのが、文香のことだった。

 と言っても、耳にこびりついたあの言葉に関してではない。


 今日は彼女、事務所こちらに顔を出すことはないよな、と、そういう心配である。


 文香は銃だの、剣だのそういうのが嫌いだ。

 というか、目にしただけで軽いヒステリックを起こす。


 根底にあるのは、彼女の中にあるトラウマ――事故による両親との死別があるのだと俺は思っている。


 もちろん事故死だ。

 両親の死に、銃や剣は直接関係しない。


 それでも、死を想起させる物品を目にすると、どうしても彼女は過敏に意識してしまう。見ている限り、そんな風だった。


 整備するべきか、しないべきか。

 マイラブリーシスターが、今日、事務所に遊びに来るか来ないか。

 うぅん、これはなかなかに難しい問題である。


 と、悩んでいた矢先、珍しく扉の向こうに軽快な足音が聞こえた。


 この足音は間違いない。

 マイスイートシスター文香ちゃんのものだ。


「おにーちゃん、居るー?」


「おぉ、マイスイートシスター!! お兄ちゃんはいつだって、君のためならこの事務所で待っているさ!!」


「いや、なに言ってんの。ちゃんと仕事して、異世界行っててよ」


「……はい」


 返す言葉もない。

 軽快な言葉と共に入って来たにも関わらず、軽口を叩けばすぐにこれこの通り。

 ぎろり、こちらを睨みつける文香さんに、俺は泣きたい気分になった。


 まぁいい、いつものことだ。我慢だ、翔。


「それより文香ちゃん。今日もハッピーだったかい?」


「おかげさまで、朝以外はね!! それより、ちょっと相談いい!?」


 文香から相談なんて珍しい。

 いやだ、お兄ちゃん、素直に頼っていただいて、ちょっと嬉しいかも。


 なんでも、と、頷きながら、俺はこっそりと袖机の棚を奥へとひっこめる。

 銃をそれとなく文香に見えないようにしまったのだ。


 妹に頼られているのだ。メンテは延期だ。


 そんな俺の気遣いなぞ露ぞ知らずという奴だろう。


「ちょっと待ってて」


 というと、文香はどうして、また事務所の入り口から姿を消した。


 しばらくして。


かえでちゃん、こっちこっち」


 と、扉の向こうに消えた文香の声がする。


 再び事務所の中へと戻ってきた文香。

 しかし、その後ろには、見知らぬ少女の姿があった。


 文香と同じ濃藍こいあいの制服を着こなした彼女。

 おそらく、文香の同級生だ。


 彼女は、半開きになった扉に身体を隠しながら、こちらに入っていいのかと、顔だけを出して中をうかがっている。


 ううむ、その様子がなんとも愛らしい。

 絵に書いたようなお嬢様。少し茶色の混ざったボブカットの髪を揺らして、ほがらかとした顔をしたその少女は、ちょっと困惑気味に俺に視線を向けた。


「あ、あの、四ノ原楓しのはらかえでです」


「あぁ、うん、はじめまして」


「は、はじめまして」


 挨拶のやり取りにしても奥ゆかしい。

 まぁ、文香の通ってる学校の生徒ということは、いい所のお嬢様なのだろう。


「なになに文香ちゃん、もしかしてお兄ちゃんのために、女の子紹介してくれるってこと。やったぁ、すごい助かるんだけれど」


 いつの間に近づいたのだろう。

 ごちり、と、文香の鉄拳が俺の顎先を捉えていた。


 いいアッパーだ。流石、運動神経がいい文香さん。

 ボクシングも嗜んでおられたとは、お兄さん、迂闊でしたよ。


 ふんす、と、鼻を鳴らして当然のようにこちらに侮蔑の表情を向ける文香。

 ただこれは、いつもの兄妹のじゃれあいとは違う――。


 割と本気マジな感じの怒りのパンチであった。


「今ね、楓ちゃん、すっごく困ってるのよ!! それなのに、なんてこというのよ、このバカお兄ちゃん!!」


 困っている。

 すっごく。

 バカお兄ちゃん。


 一つ一つの言葉が、ぐさりぐさりと胸に刺さった。

 オーケィ、ちょっと軽口だったのは悪かったよ。

 顎を摩りながら、俺は文香にごめんよと頭を下げた。


 はて、そんなやり取りをしている間に、いつの間にやら文香が連れてきた客人が、事務所の中へと入ってきていた。

 どうやら妹とは仲がよろしいらしい。


 彼女は文香の肩を叩くと、焦った感じに表情を蒼くした。


「文香ちゃん、そんなことしたら、お兄さんが可哀想だよ」


「大丈夫、これくらいやらないと、お兄ちゃん、反省しないから」


 ひどい言われようである。

 ちょっと、ふざけただけだというのに。


 トホホ。


「で、何ににお困り。うちは異世界万事屋だから、できることには限りがあるよ」


「ほら、楓ちゃん!!」


 うん、と、文香に促されて俺の前へと歩み出た楓ちゃん。


 彼女に合わせて、俺はデスクから立ち上がった。

 文香と比べると明らかに気弱な感じの楓ちゃん。そんな彼女と視線が重なると、少しその頬が上気したように見えた。


 気のせいかな。

 そろそろ夕暮れ時なのかもしれない。さっき外を見たときには、まだそんな感じではなかった気もするけれど。


 どうして、前に出たはいいけれど、思い悩んだように視線を彷徨わせる楓ちゃん。


 戸惑っている。

 なにから話せばいいのか。

 どう話せばいいのか、分からない。

 そんな感じだ。


 そして、思いのほかその表情は暗い。


「実は、あの、私――」


「吸血鬼、男の娘、それとも、改造人間で最終兵器だったりするのかい。大丈夫、異世界ならよくあることさ」


 彼女の混乱を少しでも和らげてあげようと、俺は気の利いた異世界仕込のジョークを飛ばしてみせた。


 だが、どうやらこのジョーク、年頃の女の子にはウケが悪かったらしい。


「だからぁ!! ふざけてんじゃないの!!」


 容赦ない文香のツッコみが、僕の側頭部に入る。

 ここは神戸よ、大阪じゃないの。ツッコみのスキルを高めてどうするんだい。


 とまぁ、そんな俺と文香のコメディーパートの合間を縫うように。


「……私、命を狙われているんです」


 なんともはや、この年頃の女性の口から出るにしては、耳になじみのないお悩みが飛び出してきたのであった。


 思いつめて、考え疲れて、藁をもすがりたいという表情。

 自意識過剰には――ちょっと思えない感じだな、これは。

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