第10話 ハードボイルド&シスターコンプレックス
相棒は俺に言った。
いつものように、得意先のギルドからの依頼をこなし、満天の星空の下で干し肉を焚き火で炙りながら。なんでもない感じに、俺にその話を切り出した。
なんとなく、リーナから手紙を彼が受け取ったとき、それは予感したことだった。
「何もかも、捨ててきたつもりだったんだ。しがらみも、家族も、人生も、未来も。全てむこうに放り出してこっちに来たつもりだったんだ」
「……翔」
「けれども違った。やっぱり、捨てきれることができなかった」
「それが人間の業って奴さ。エルフの俺にも、それは分かる」
「両親が死んだ。交通事故――と言っても、フューリィにはピンと来ないか」
「馬鹿にするなよ。馬に蹴られるようなことだろ」
シリアスな話と知っていて、あえておどけてみせた俺だった。
だが、それを翔はやんわりと無視した。
事態はもう、戻れない所まで来ているようだった。
「――遺産があるとは言っても、中学生の妹は一人じゃ生きていけない。俺が戻って、彼女を守ってやらなくちゃいけないんだ」
「分かってる」
「分かってる、だって?」
「俺はお前の相棒だぞ。何年一緒にこっちで暴れまわってきたと思ってるんだ。お前の目を見れば、考えてることは分かるし、その決意が固いことも分かる」
俺たちの会話にはいつだって視線は必要なかった。
むしろ言葉すら必要ないくらいに、二人の間には太くて強い何かがあった。
「すまない」
「いいコンビだったと思うぜ、俺たちは」
「俺もだ。君ほど、長く生きちゃ居ないが、そう、確信している」
「それだ、そのいやみさえなければ、な」
焼きあがった干し肉を、相棒が俺へと差し出す。
親友、いや、相棒の異世界ひきこもり卒業という門出の日だ。
こんなめでたい日には、エールでもあればいいのに。
そんなことを思いながら、鉄の串に刺されたそれを手にとって、俺は頬張った。
彼の作る、このまずい干し肉の炙り焼きも、食い収めか。
「おい、ちょっと、こいつ塩加減がきつくないか」
「……そうだな」
◇ ◇ ◇ ◇
「……翔!!」
懐かしい、夢を見ていた。
おそらく俺たちが最も輝いていた頃の夢。
あるいは、最も未来について、明るい希望を持っていた、そんな頃の夢。
今はもう、戻ることの出来ない過去。
どうして人間はそれを、夢に見てしまうのだろう。
いや、人間、いや……。
「起きろ、お兄ちゃ……って、起きてる?」
「……文香」
自室に入ってくるなり、フライパンを振り上げたマイラブリーシスター。
彼女は、既に起きていた俺の姿にきょとりた顔をしてその場で硬直した。
起きていないことを前提にして入ってきているのか。
やれやれ、困った妹だ。
おそらくこんな事態は二年一緒に暮らしていてはじめてである。
その姿をそれとなく誤魔化しつつ、文香は、なんだかそわそわとした――どこか心配そうな顔で俺の顔を見た。
「ごはんできたよ。珍しいこともあるもんだね。どしたの、ハードボイルドの基本は、遅寝・遅起、ブラックコーヒーじゃなかったの?」
「そんなこと、俺、言ったっけ?」
さぁ、と、首を傾げる文香。
そういうことを言うところも、最高に可愛いと俺は思う。
彼女は時々、こういう適当なところがあるのだ。
「はやく降りて来て。ハムエッグが冷めちゃうから」
「うん」
「なんかちょっと元気ない? 何かあったの?」
センチメンタルな夢を見ていた。
なんて、妹に相談する俺は、果たしてハードボイルドだろうか。
北方先生からお叱りを受けるような、そんな光景が頭に浮かぶ。
やれやれ。
妹を心配させないために、俺はここに居るはずなのに。
異世界から帰ってきたはずなのに。
どうして、それがこうなってしまうのか。
弁解の余地なく三枚目だな。ハードボイルドには千マイルほど遠い。
自責の念に思考が停止したその隙のこと。
こちらに歩み寄り、ぴとり、と、俺のおでこに手を当てて、熱がないかを文香が確認した。
ごく一般的な女子高生である彼女を相手に、この俺が不覚を取った。
しかし、そんな兄想いの優しい妹に誰が文句を言えよう。
上目遣いに見てやると、文香はほうと頬を赤らめて、急に距離を俺からとった。
「ね、熱は、ないみたいだね」
「そうみたいだ」
「……よかったらさ、今日くらい、休みなよお仕事」
「まぁ、開店休業中みたいなものだから」
「……大丈夫?」
文香に甘えて元気になったからね。
大丈夫さ。
そんなおべっかを言えば、彼女は耳の先まで真っ赤にして、俺に背中を向けた。
「もう!! 知らない!! ほんと、バカなんだから、お兄ちゃんてば!!」
「ははは」
「ほら、バカは風邪ひかないんだから、さっさと起きる!! それで、ご飯食べる!! 私は早く学校に行きたいの!!」
「手厳しいな文香は」
「お兄ちゃんがいけないんじゃない。おまじないしないと、どうやっても学校に行かせてくれないんだから。もう、ただでさえ面倒だってのに、待たせないでよ」
そうだった、そうだった。
この妹を守るために。
彼女が立派なレディになるまで見守るために。
俺はこの異世界にやって来たのだ。
帰って来れなかった親友の代わりに。
文香のそばに居てやれなくなってしまった、彼の代わりに。
俺が、彼女をありとあらゆる災難から守る。
そう決めたのではないか。
頬を膨らませて、ふいすと俺に背中を向ける文香。
ハードボイルドな朝には似合わない、目じりの涙を拭うと、俺はもっそりと、上等過ぎるベッドから這い出した。
こんな朝には、そう。
熱いブラックコーヒーがよく似合うことだろう。
「文香、そういえば、コーヒーがまた切れてたんだけど」
「私、コーヒーって嫌いなのよね。紅茶じゃダメなの?」
「イギリス紳士なら、それもありかもしれない」
「お兄ちゃん、金髪だからいけるかもね。瞳の色は茶色だけど」
君は知らないだろう。
この瞳も。
この耳の先も。
そして日本人にしては高過ぎる鼻の頭も。
君のために調整したってことを。
けど、それでいいんだ。
なぜならそれが、きっとハードボイルドとして正解だと、俺は思うから。
【Episode.1 End】
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