第2話 美女が国道沿いをやってくる

「エアコンが、壊れて事務所が、サウナ室。字余り」


 何をふざけたことを言っているのかという感じだが、そんな一句を詠んでいないとやっていられないのだ。

 言葉にした通りである。


 我が愛しの仕事場、異世界万事屋の事務所のエアコンが、この近年稀にみる酷暑の只中に壊れてしまったのだ。


 壁に埋め込まれているコントローラーを、冷房にしようが暖房にしようが、除湿にしようがウンともスンとも言わない。

 駆動音もなければ、風が送られてくる感じもない。


 完全にお釈迦である。


 人もモノもそうだが、死んでしまう前に一言くらい言ってくれればいいのに。

 もしそうならば、これまでの仕事を労って、避けられない別れを惜しみ、そして代替品を用意して速やかに環境以降をするってものだ。


 死んじまってからじゃ遅いんだよ、何もかも。

 俺は朝の熱気にむせかえる事務所の中で、膝を折りながら嘆いた。


 とにかくそんな訳で、俺は事務所の窓を開いて、国道二号線の排ガス交じりの臭い空気を部屋に取り込みながら、団扇を仰いで涼をとっていた。


 俺もすっかり、こっちでの生活様式になじんでしまった。


 こちらに来たばかりの頃には、団扇なんてなんの役にたつものかと思っていた。

 だが、今ではエアコンがあろうがなかろうが、これがないともう落ち着かなくなったのだから、すっかりと俺も異世界人という奴だろう。


 そして空いている方の手には携帯だ。

 しかも今時あえてのガラケーである。


 ガラケーはいいぞ。

 余計なアプリが入っていないからな。


 架空請求で痛い目を見なくて済むんだ。

 とほほ。何回、ワンクリック詐欺で、俺が痛い目にあったことか。

 世の中ってのはあくどいことを考える奴がいるものだね。


 とまぁ、それはさておいて。

 携帯を手にしているということは、つまるところ、電話をしているということ。


 この状況でかける所といえば――まぁ、一つしかないだろう。


 このビルの管理会社への故障連絡クレームである。


「だから、業者の手配はいつになるんですか!!」


「いつと言われても、この時期ですから、業者さんも今手いっぱいで――」


「んなことはいちいち言われなくてもわかってますよ!! こっちは一刻も早く直してもらいたいんだ!! これじゃ仕事できないじゃないですか!!」


「異世界万事屋なんですから、異世界に行けばいいのでは?」


「ばっきゃろう、そうぽんぽんと簡単に仕事にありつける訳ないだろ!! こちとら名の売れてない零細万事屋なんだよ!!」


「仕事ができないもなにも、ないんじゃないですか」


「依頼はなくても書類仕事とか、装備の手入れとか、あと――書類仕事とか、とにかく事務所でやらなくちゃならない仕事はあるんですよ!!」


「……仕事がないことをこちらにあたり散らさないでください!! とにかく、業者から連絡が入り次第また折り返しますので!!」


 センタープラザを管理しているビル会社の女性社員は、ヒステリックに叫ぶと電話を切った。なにもそんなつんざくように、耳元で言わなくっていいだろう。


 怒りが伝染してしまったか、それとも暑さに脳がやられちまったか。


 ちくしょう、と、携帯を地面に投げつけそうになって思いとどまる。


 そんなことをしたってどうなる。

 愛しのマイシスターに、なんでそんなことをしたの、と、懇々切々とリビングでお説教を喰らうだけだ。


 我が家はなにせ、親の死んだ保険金で成り立っている家だからなぁ。

 いや、ちょっとくらいは俺も稼いでいるのよ。

 本当よ。


「だぁー、もう。異世界行きの仕事はないし、今年の夏は猛暑だし、窓から入って来る風はガス臭いし、どうにかしてくれ」


 そうだ京都に行こう。

 そんな有名なキャッチコピーを残して、阪急電車に乗って河原町まで行きたい気分だよ。つっても、あっちはあっちで暑いんだけれど。


 こんな日でも、鴨川のカップルたちは等間隔で並んでいるのかね。

 あぁ、あぁ、それにしたって、なんでこんなことになってしまったのか。

 それもこれもやっぱり全部、エアコンが壊れてしまったのが悪い。


「もう一度、管理会社に電話腹いせしてやるか」


 ぐるぐると、そんな思考を巡らしていた時だ。

 ふと、国道を挟んで向こう側に、ちょっと関内じゃ見かけない、あか抜けた感じの美人の姿が目についた。


 身長は160の後半くらいだろうか。


 女性にしては高いその姿に、黒髪ロングのパッツン姫カット。

 凛とした顔。

 その鼻先には、ノンフレームにシルバーの柄がついた眼鏡がかかっている。


 黒スーツがビシッと決まるその立ち居姿。

 タイトなスカートが揺れる度に、縊れた腰が揺れていた。


 残念なのは胸くらいだ。

 まだ文香ちゃんのがあるだろう。

 他人とは言え、真っ平らなその胸が、歩くたびに微かに上下するのには、なんだかわびしさを感じてしまう。


 神は二物を与えずとは言う。

 だが、美人にするなら、ちゃんと胸も与えておけ、と、俺は思うね。


 まぁ、無神論者なんだけれどもさ。


 こんな暑い日だというのに、汗ひとつ流しちゃいない。

 なんだか、別世界の人間みたいな威風を纏った彼女は、センタープラザへと続く歩道橋の中へと消えた。


 思わず、ひゅぅと、某赤タイツの男みたいに口笛を吹いてしまった。


「あんな美人も居るもんなんだな」


 こんな暑い日にも関わらず、頑張って事務所に詰めている俺へのご褒美だろうか。

 いやはやいいモノを見させて貰ったな。

 俺は久しぶりに後悔以外のため息をその場に吐き出した。


 さて。


「こう暑いと銃の手入れも難しいしな。どうしようかなぁ」


 こちらの世界における最大の発明はなんぞやと言われれば、俺は間違いなく冷房と答える。こいつのおかげで、二十四時間三百六十五日、変わらぬ気候条件の下に作業を行うことができる。これは大きなメリットである。


 こちらの文明はこの、不変の気候条件という武器を手に入れたことにより、急速に発展したと言っても過言ではない。


 この辺り、もっとむこうの世界で取り入れてもらいたいものだが――いかんせん、機械というものに馴染みのないむこう側の住人たちである。エアコンというものを十分に使いこなすことができないのが残念でならない。


 結果、魔法使いが作った氷柱や、氷売りが氷室から持ち出してきた氷で、涼を取っているのだから――文明の差が開くのはもはや自明の理という奴である。


「銃だのなんだの、戦争の道具より、もっと輸入するべきものがあるだろうかよまったく。分かっちゃいねえよなぁ」


「えぇ、まったくその通りだわ」


 はて、幻聴か。

 俺のしょうもない独り言に対して、追従してくれる声が聞こえた気がしたのだが。


 文香はまだこの時間は学校である。

 夏休みだがテニス部の練習に言っている。

 今頃、汗とアンスコをちらちらさせているところだろう。


 一度保護者参観ということで、彼女のその姿を見に行きたい所だ。


 おほん。

 まぁ、とにかく、妹の声ではないのは事実だ。


 では誰だ。

 次に考えられるのは、このビルの管理会社の女社員だ。


 俺があんまり嫌味を言うものだから、怒ってこちらに出向いてきたか。

 それとも、俺が無意識にまた電話をかけてしまっていたのか。


 手にした携帯を見てみる。

 液晶ディスプレイはブラックアウト。電源ボタンを押すと、時刻が表示された。

 うん、無意識に電話腹いせをした訳ではないみたいだ。


 だったら、やっぱりやって来たのか。

 いい根性じゃないか、と、俺は事務所の入り口を見る。


 すると、そこには――。


「銃や兵器以外にも、もっと文化的な交流をするべきよね。異世界とは。知っているかしら? この日本から異世界に持ち込まれた違法拳銃の数を。特異点ポーターが発生した1967年から、十八万丁の銃が持ち込まれているのよ」


 そう言って、残念な胸元の前に腕を組んで立っていたのは、先ほど、俺の視線から歩道橋に消えた、たいそうな美人さんであった。


 ひゅう。

 また、赤タイツの金髪チリ毛野郎みたいな口笛が出てしまったぜ。


 仕方ないだろう、日に二度もこんな美人を目にしてしまったら。

 そういう風にもなってしまうってもんだ。


◇ ◇ ◇ ◇


「あら、一保堂。いいお茶を使っているじゃない」


「そうかい。別に普通だと思うけれど」


「あそこのグリーンティーは傑作よね。私もよく、丸の内にあるお店に立ち寄って、スティックタイプのを買ってるの」


「一番安いほうじ茶だぞ。ありがたがるようなものでもないだろう」


「いいのよ、関西に来たって感じがして、それが」


 事務所に突然現れた美人さんは、どうやら待ちに待ったお客様らしかった。


 どういう用件かはさておいて、まずはおもてなしをしなくては。俺はとりあえず、冷蔵庫で冷やしておいたお茶をグラスに入れて彼女に差しだした。


 暑いとついつい冷たい飲み物に逃げたくなる。

 よく来客用の量を残しておいたと、我慢した自分をちょっとほめてやりたい。


 ちなみに自分の分はなかったので、電気ケトルで沸かしたお湯で熱々のインスタントコーヒーを作ることになった。


 うん、作ったはいいけれど、とても飲む気になんてなれない。


 涼しげな感じだったが暑さに無頓着という訳ではないらしい。

 胸元をすこし崩して、暑いわねこの部屋、と、無遠慮に言う彼女からは、先ほどまでのどこか近づきがたい凛とした感じは、とっくに蒸発していた。


 なんだかな、と、戸惑う俺。

 ふと、その視線に気が付いたのか、彼女が胸元を隠した。


「女性の胸元を凝視するなんて、どうなの、それ」


「うん? いや、見るようなところなんてあったっけ?」


「どういうことよ!!」


 言葉の通りの意味だが。


 こっちに来てから、昼は吉本新喜劇、夜はCBCのバラエティ番組でトークのセンスは伸びていると自負している。


 このトークが通じないとは、さては彼女は東京の人だな。

 きっとそうに違いない。


 なんて俺の推理を裏付けるように咳ばらいをして。

 胸の一件を流した彼女は、胸元に手を入れると名刺入れを取り出した。


 革張りのそれには、警察庁というラベルが張られている。


 うん、もしかしなくても、なんだか嫌な予感がした。


「警察庁刑事局異世界犯罪課の相原諒です。こちら、異世界万事屋のアポロンで間違いないですよね?」


「帰ってくださいどうぞ」


「なんでよ!!」


「国のお仕事とか面倒なので。あと、異世界犯罪とか僕にはちょっと縁がないので」


 ついに俺の裏稼業がバレてしまったのか。


 そうさな、異世界掃除屋スイーパーなんて仕事、上手くやってるつもりだったが、この情報社会だ。黒い情報なんてそう上手く隠せるものじゃない。

 長く続けられるものじゃないとは思っていたけれど、ついに国家権力にかぎつけられてしまったか。


 いや、けど待て、俺は確かに法律に乗っ取って、向こうでしか銃を使っていないのだ。立件される内容によっては、正当防衛を主張することができるのではないか。


 そもそも、金を積まれて仕事を請け負ったが、向こう側にもそれなりの言い分はある訳で、殺されてしかるべき人間を殺していったい何が悪いというのか。

 だったら中村主水をテレビで流すなと、そういう話に――。


 いやいや、落ち着け俺。まずはいったん、コーヒーでも飲んで。


「熱ぅっ!!」


「うわぁっ!? 汚いっ!!」


 ハードボイルドもへったくれもない。

 盛大なコーヒー噴射をかまして、俺はその場にうなだれた。


 だって仕方がないじゃない。


 いや、大丈夫だ、オーケイおちつけ。


 あのハードボイルドの代名詞、松田優作だってコーヒー噴いたんだ。

 俺だって噴く権利はある。


 きっと。


「お願いします、豚箱だけは勘弁してください。うちにはまだ、高校生にもならない妹がいるんです。そんな彼女に辛い思いをさせたくない」


「……なんの話をしているの?」


「何って!! 仕事の話でしょ!! 事務所に来ておいて、何故って言うこたねーでしょうよ!! あんた鬼か!!」


「……そうね、仕事の話よ」


 これを見てくれる、と、彼女は手に持っていたバッグの中から、書類を取り出した。捜査令状でも飛び出してくるかと思ったのだが――。


 意外、そこに書かれていた文言は、俺の予想していたものと違っていた。


「……979案件?」


 機密の赤いスタンプが押印されたそれ。

 ちょっと窓を閉めてくれるかしらと、姫カットを風に揺らして相原は言った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る