第7話 ドナ!! ドナ!!

 アニ国とヤスクール国を横断する形で続いている山脈。

 そのヤスクール側には、緩やかな稜線に沿って作られた都市――ジラルがあった。


 近くには山脈から流れ出る地下水が湧き出る湖がある。

 ここは、痩せた地の多いヤスクールの中でも、取り分けて豊かな場所だ。


 ヤスクール国とアニ国との国境が、現在の山脈に移るまで――つまり、アニ国が山より向こうを明確に領土として支配するまで、彼の地はヤスクールの王侯貴族の避暑地として使われていた。


 今はどうかといえば、アニ国とのこぜりあいの最前線。

 要は軍事拠点である。


 国境警備のために多くの兵が投入され、王侯貴族など滅多に寄り付かない。

 国境を守る兵たちのためにこの都市は廻っている――そう言っていいだろう。


 当然、そんなジラルへの出入りについて、注意が向けられない訳がない。

 監獄ポーターよろしく、都市への正規ルートでの入場には、国境警備の兵たちによる厳重なチェックが行われていた。


「……ねぇ、だからって、これはどうなのよ?」


「中に入れば風呂屋でもなんでもある。我慢してくれ」


 愚痴る相原と俺の横で、メェ、と、羊が鳴いた。


 それに合わせてメェメェと、更に羊が鳴く。


 麻布による天幕が張られた荷馬車。

 その車輪が石をはねる度に煩く喚く羊ども。

 試しに、被っている藁を丸めて耳に詰めてみたが、スカスカのそれでは効果がない。結局俺はこの環境を受け入れることしかできなかった。


 やるぞと言ったのが俺だけに、文句の一つも言えやしない。

 もしこれが逆の立場――相原の言い出したことだったなら、俺はこの羊たちのように黙っちゃいなかっただろう。


 今、俺たちはジラルの都へと向かう荷馬車の中へと身を隠していた。

 羊と一緒に積み込まれた藁の中。そこに潜り込み体を隠してだ。


 羊たちは、この都市より離れた牧場で育てられたものだ。

 これらはその羊毛が目的ではなく、食肉を目的に育てられたものである。そして、この都市の兵士たち、そして、兵士に奉仕する者たちの糧食として、定期的に運ばれているのだ。


 ヤスクール人はラム・マトンを問わずとかく羊肉を好む。

 この辺りの文化的にな背景について俺は歴史家ではないので詳しくない。ただ、事実として、彼らは肉と言えば何かと問うと羊肉と答えるのだ。


 そんなヤスクール人にとっての御馳走を運ぶ荷馬車だ。

 それを預かっている爺さんに、袖の下を存分に通して、俺たちはその荷台に忍び込ませて貰っていた。


 羊を積んだ荷馬車の搬入は、日に何度も、それも飽きるほど行われている。

 そして前述したとおり、彼らにとって羊肉というのは信仰に値する、ありがたいありがたいお肉さまなのである。


 そんなものをいちいち荷を検めるようなことはしない。

 ヤスクールの軍事拠点都市への侵入には、山羊が載った馬車を使え――とは、アニ国側のスパイや雇われ者の間でよく言われているものだった。


「ねぇ、これ、いつまでかかるの?」


「もう少しの辛抱だっての。黙ってろ」


「……ねぇ、羊が、その、もしよ、粗相をしたら」


「我慢しろ」


「嫌よ、私、これお気に入りのスーツなんだから」


「だから静かにしてろって。ほれ、もう少しで検問なんだから……」


 涙声で訴えかける相原を問答無用で黙らせる。

 さめざめと泣く声が聞こえて来たので、チッと舌打ちをかましてやると、ようやくかまびすしいお嬢ちゃんは静かになってくれた。


 まったく、ワーカーホリックが聞いて呆れる。

 羊の糞尿くらいでぎゃぁぎゃぁと、騒ぐくらいの度胸でそんな言葉を吐くな。

 俺の知っている間抜けなエルフは、排水溝――つまるところトイレの中から、敵の防衛拠点に侵入したことだってあるっての。


 まぁ、二度としたいと思わないがな。


 徐々に活気づいてくる人の気配。

 あきらかに都市へと近づいている証拠であった。


 と、途端に、車体が揺れた。

 どうやら、都市の入り口である――検問所の前へとたどり着いたらしい。


 着いた、と、呟こうとした相原に、沈黙サイレントの魔法をかけた。

 彼女は突然声が出なくなったことに驚いているようだった。藁の中から俺がわざわざ落ち着けという視線を送ってやると、すぐに彼女は大人しくなった。


 こんな所で、貴重な弾丸を使いたくないだろう。

 俺も、お前も。


 オーケィ。


 しかしまぁ、こっちの世界だと魔法を自在に使えるのが救いだね。

 むこうにあんまり馴染んでしまって――強力な魔法は使うのはちと億劫になってしまったが、魔力量を気にせずに行使できるのは御の字だ。


 つっても、あくまで今の俺は日本人の高島翔である。

 文香を今後見守り続けるためにも、戸籍偽装をしているという事実については、誰にも知られてはならない。本来むこうの人間が使えるはずのない魔法が使えるということは、相原に悟られてはならない。


 のだが――まぁ、声が出なくなったことくらいは、幾らでもこのチョロい刑事ちゃんなら言いくるめることができるだろう。


 緊張してたんだよとでも言ってやればいい。

 それできっと納得する。


 落ち着いて、俺は再び馬車が動き出すのを待った。

 同時に、御者台の老人が俺たちを裏切って、兵士たちに身を売るのではないか、とその会話に神経を尖らせた。


 どうにも、そういう気配ないらしい。

 そりゃそうだ。そこそこの金額を提示して、かつ、前金を握らせてやったのだ。

 これで裏切ったら、支払いは鉛玉でもお釣りが来るってもんだよな。それに、彼もこんな商売は、一度や二度ではないだろう。


 今後、小遣い稼ぎを続けるためにも、裏切るなんてことは――。


 そう思った時だ。


「トヨノ。ここで王都からの使者と合流する手はずになっている」


「はぁ。ようやく着いたか」


「苦労をかけたな。すまない」


「いいさ。しかし、山を越えると聞いた時は度肝を抜かれたよ。登山なんて何年ぶりだろうかね。仕事柄、海に行くことは多かったが――」


 あまり聞きたくない会話が馬車の横から聞こえた。


 トヨノ。

 山を越える。

 仕事柄、海に行くことは多い。


 もうこの単語だけで、馬車の横を歩いている人物について思い当たってしまう。


 ターゲット――豊能誠だ。

 奇しくも俺たちは、同じタイミングでここジラルの都に入ろうとしたらしい。


 こんな偶然。

 こんな幸運。

 そしてこんな悪運なんてあるだろうか。


 このまま、荷馬車が検問所を抜けたとしても、すぐに降りれるものでもない。

 検問所の兵たちの眼がなくなったところで、ひっそりと荷馬車から降りる予定だったのだ。輸送屋の爺さんともそれは打ち合わせ済みのことである。

 それから戻って、豊野は果たして検問所の近くに居るか――。


 否である。

 彼らは、自分たちが何がしの存在に追われている可能性を考え、速やかに、どこかに潜伏するだろう。あるいは、十分に安全な施設に身を寄せる。


 ここでの機会を逃せば、豊野はジラルの市街の中に紛れ込んでしまう。そうなれば見つけるのは困難だ。国の代表が来るのだ、交渉は然るべき場所で行われるだろうが、その警備を掻い潜っての襲撃となると難易度が増す。


 そもそもとして、彼がこの都市に入るタイミングを狙って、襲撃するのが当初想定していた作戦であった。


 遅かった。

 そして何より、目算が甘かったと、俺は藁の中で頭を押さえた。


 しかし――何より甘かったのかは。


 腰のホルスターから銃を抜き放ち。

 自分を覆っていた多くの藁を一度に跳ね上げ。

 獣臭い羊たちを存分に驚かせ。


 そして俺さえも驚かせた、相原の性格についての認識についてだった。


「豊野誠!! 異世界への武器輸出、および業務上横領の罪で逮捕する!!」


 天幕に覆われている荷馬車の中でそんな事を叫んでどうなるっていうんだ。

 

 おぉ、神よ。

 俺はあんたを信じていないが、こいつはあんたを信じているんだろう。


 信じられないこのバカっぷりを、救ってやってくれよ。

 こんなことならもう少し長く、この女に沈黙サイレントの魔法をかけておくんだったぜ。

 畜生。

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