第6話 銀の弾丸
アルバイトの経験はないなんて言っていたが、楓ちゃんはすぐに店に馴染んだ。
もともとそういう適性があったのかもしれない。
ほがらかとしているがどこかおとなしく、引っ込み思案という感じ――そんな彼女の第一印象からは、ちょっと考えられなかった。
いやはや、人の可能性ってのは、案外分からないものである。
すっかりと看板娘として常連客たちに認められた彼女は、今日も元気に角杯になみなみと注がれたエールを運んでいる。
「カエデちゃん、こっちこっち!! エール頼んだのはこっちのテーブル!!」
「はぁい!! ごめんなさぁい!!」
「いいよいいよ、落ち着いて、ははは!!」
まぁ、たまにこんなドジをやらかすが。
それでも、一生懸命に働く乙女の姿というのには、見ていて華がある。
砂漠のただ中にある、荒涼としてなんの楽しみもない村の酒場には、ちょっと勿体無いくらいの華と言っていいだろう。
エールを本来のテーブルに運んで楓ちゃんがはにかむ。
彼女から杯を受け取った村人は、看板娘に赤らんだ笑顔を向けると、それで鼻先を濡らしたのだった。
「まったく。このままこっちに永住してもらいたいくらいだよ」
とは、酒場の店主であるリーナの、仕事上がりの一言だ。
店から客が消え、残った食材で作った賄い料理をつつきながら、ぽろりと、彼女はそんな言葉を楓ちゃんに向かってこぼした。
そして、俺は持っていた文庫本を、ぼとりと床に落とした。
あの、人を滅多に褒めない。
あの、何をしたって必ずいちゃもんをつける。
あの、何もなくてもいつも不機嫌な顔した。
そんなリーナが、上機嫌に笑って言ったのだ。そんなものだから、長い付き合いの俺はちょっと面を食らってしまった訳である。
彼女がそんな風に素直に人のことを認めるなんて、何年ぶりのことだろう。
天変地異の前触れじゃないかね、これ。
とまぁ、そんな顔をしていると、だ。
いつもの彼女らしいしかめっ面が、俺の方へと飛んでくる。
あぁ、これはまたお小言を言われるな。
俺は溜息を吐いた。
「それにしたって、あんたはどうなんだい」
「どうなんだいって?」
「日がな一日、朝から晩まで、端の席であっちの世界の本なんか読んで」
「いやぁ、こういう長期休暇を見越して、北方水滸伝を温存しといてよかったよね」
「――もうちょっと、楓ちゃんを見習って、あんたも働いたらどうなんだい」
「北方謙三っていうとハードボイルドだけれど、歴史モノもこれはこれでいいよね」
「のらりくらりと、ほんと昔からあんたは」
まぁまぁ、と、まかない料理を食べる手を止めて、楓ちゃんが仲裁に入ってきた。
これじゃすっかり立場が逆だな。守るはずの相手に守られていたら、ボディーガードとして立つ瀬がないってもんだろう。
しかし、危機らしい危機もないのだから、仕方がない。
「ボディーガードが暇なのはいいことさ。それだけ平和だってことなんだから」
「――なにそれ?」
「むこうの世界の常套句さ」
これを言っておけば、一応、武辺者が暇していても大義名分がたつ。
これだから、むこうの世界はすばらしい。
国境線や水源地・穀倉地帯を巡っての争いなんてのが少ないのは、かけねなく言ってむこうの世界のいいところだろう。
ここいらは、過去に大きな戦があって以来、随分とまぁ平和なもんだけれども、海を挟んで向こうの大陸じゃ、二日とおかずに国境付近で小競り合いを起こしている。
それも一つや二つの国だけではない、多くの国がそんなことをなんでもないようにしている――ということを考えれば、すばらしい話じゃないか。
といっても、こんな風に国をまたいで命を狙われて、異世界に逃げてくるような人もいる。
問題点がないとは、一概にも言えないな。
さて。
床に落ちた文庫本を拾い、先ほどまで読んでいたページに栞紐を挟む。
ついでにそのまま、俺は席から立ち上がった。
テーブルの上に、山積みとなった北方水滸伝(文庫版)。
読了した本の山でもない、かてて、未読の本の山でもない。その中間に持っていたそれを置くと、俺は店の外の様子を玄関口から伺った。
臭う。
夜風に紛れて、ぷんぷんと獣脂の香りが漂ってくる。
その毛皮に血を良く吸った狂犬の臭いだ。
身体に濃く染み付いたそれは誤魔化そうと思って誤魔化せるものではない。
そして相手も誤魔化すつもりはないようだ。
やれやれ、やっぱりリーナの言葉はフラグだったということか。
ようやくのお仕事だ。
できることならボディガード期間の一ヶ月を、何もせず、何もなく、本だけを読んで過ごしたかった。昼行灯万歳という心地だったんだがね。
まぁ、そうは問屋が卸さないか。
「しかし、読書ばかりしているとあれだね、筋力がやっぱり落ちちゃうね。ちょっと夜の散歩でもして来ようかな」
「……帰ってくるときは裏から入りなさいよ」
「はいはい、分かってますよ」
鍵はいつものところでいいのかな。
そう、リーナに確認しようかとも思ったが、止めておいた。
察してしまったのだろう。怯えてこちらを見る楓ちゃんの表情に、一刻も早くこの場から離れたかった。
――いや、違うな。
仕事を終わらせたかったのだ。
「大丈夫。ただの散歩だよ」
コートの胸元に銃を仕込んだ状態で、それを言っても説得力なぞない。
けれども、俺は務めて平静を装って楓ちゃんに微笑んだ。
◇ ◇ ◇ ◇
ライカンスロープ。
むこうの世界では狼男と呼ばれている存在だ。
彼らは、俺たちのような人間が住んでいる集落・村落・市街地に、用もないのに近づいてはこない。
彼らは亜人ではなく、いわゆるモンスターにカテゴライズされる種族だ。やんごとない理由から、都市部に適合した種もいない訳でもない。だが、基本は森の中で単一種による小規模なコミュニティを形成して棲息している。
しかしながら、森に暮らす彼らが、人的交流に対して積極的ではないかといえば、それもまた違う話だ。
エルフ、ドワーフに始まりコボルト・スクーナ(小人族)、ゴブリンにオーク。多種多様な亜人種を、人との関わりの深い順に並べてみればこうなる。
そして、その次に、彼らは人間との関わりが深いこちらの世界の住人だ。
また、こちらの世界の人類の歴史の影を担ってきた種族でもある。
時に暗殺。
時には傭兵。
あるいは、純粋な略奪者。
ライカンスロープの特性、「人に変異する能力」により、彼らは他の種族には決して行うことのできない、多くの汚れ仕事をこなしてきた。
それこそ、この世界での彼らの生業として認知されるほどに。
「ライカンスロープと契約できるなんて、なかなか向こう側にも異世界に通じた奴がいるみたいだな」
先にも言ったように、ライカンスロープは森の中で小規模なコミュニティを築いて生活している。汚れ仕事を頼もうにも、まずは、その集落に通えるだけの、実力が必要となってくる。
そして、彼らを説得するだけの交渉能力――話術も含む――もまた必要だ。
何が言いたいかって?
小娘一人の身柄を確保するのに、出てくる役者が違い過ぎるんじゃないですか、と、俺はそう言いたい訳だ。
異世界に逃げ込んだだけで、ことが済むとは俺も思っていないさ。
刺客は確実に送られてくるだろうと覚悟はしていた。
こうして、そのための準備も整えていたくらいだ。それでも、せいぜいごろつき程度、米国に多く居る半端な異世界案内人くらいだろうと思っていたが――こいつはあてが外れた。
これはどうやら、早速リーナに手配して貰ったものが、役に立つかもしれない。
胸ポケットからCz75を取り出すと弾倉をその銃底から取り出す。
そうして、通常弾――いわゆる、日本国政府承認かつ支給品であるそれ――から特注品の弾丸が込められた弾倉へと入れ替える。
弾の口径は変わらない。
弾倉の内容量も16発と変わらない。
しかし。
こと、ライカンスロープに対してのみ、その殺傷能力は爆発的に跳ね上がる。
弾頭に銀が埋め込まれた――それは銀の弾丸という奴だ。
「弾丸の材料費が高くて困るんだよな。ほんと、一発で一週間分の食費と同じとか、勘弁して欲しいよ」
とはいえ、これでもむこうから、原料である銀と火薬を安定供給してもらえるようになって、随分と安くなったのだが。それでもこの驚きのお値段だ。
厄介なモンスター、ライカンスロープ。
それを一発で仕留められるという対価に、それだけの金を払う奴が居る。
この世界において、それだけ奴らの脅威がすさまじいということだ。
まぁ、愚痴ってみたところで仕方ないか。
目と鼻の先にある辻の陰に、ゆらりと影が踊った。
俺の影はその辻には入っていないが――ワンコ相手に嗅覚で適う訳もない。
どうやら、イニシアチブは、向こうに取られてしまったようだ。
「せいぜい四・五匹程度だといいんだけれどな」
コック&ロックでホルスターに仕込んでおいたそれをサムブレイクする。
一連の動作をよどみなく行うと、俺は辻に向かって銃口を向けた。
神に祈る時間?
そんなもの、犬コロ相手には不要だろう。
ハードボイルドってのは忙しいんだ。
「ウァオウ!!」
馬鹿正直に辻を曲がるや、一直線にこちらに向かってくる狼頭のバケモノ。
生来持っている強靭な筋肉により、タフに膨張した上体を揺らして、白と灰色の混ざった体毛が月明かりの中に晒される。
俺を睨んで、そいつは吠えた。
その黒い鼻先に向かって照星をまずは向け、グリップして照門をあわせる。
冷静にまずは一発。
銃弾を俺は夜闇の中、こちらに疾駆する犬コロへと向けて放った。
なんのことはない。
炸裂音と硝煙の臭い。
薬莢が舞う。
そして――。
「ギュォオオオン!!」
茶色く湿り気を帯びていた鼻先が、どろりと溶けてその場にただれ落ちた。
かと思うや、それまでの勢いはどこへやら。
ライカンスロープはふらりふらりと自ら体勢を崩して、俺の数歩手前で、ばたりと前のめりに倒れこんだのだった。
これぞ、異世界交流により、むこうの世界から、こちらの世界にもたらしたひとつの文化革命。銀の弾丸の真価である。
希少価値が高く、おいそれと使うことのできなかった銀の弾。
それを、こうして惜しげもなく使うことができるのは、相対的にむこうの世界では銀が安定供給されているからだ。
もっとも、元がべらぼうめに高かった弾丸だ。
一発あたりの単価は相変わらず高い。
だが、それでも格段に実戦に投入しやすくはなった。
ライカンスロープの絶対数が激減して社会問題になるくらいにね。
さて、閑話休題。
ふむ、いいお座りだ。
俺ってばもしかしてブリーダーの才能もあるのかもしれない。
もし、この仕事――異世界万事屋を廃業するようなことになったら。
その時はペットショップでも開いてみようかしら。
そうしたら文香ちゃんも少しは喜んでくれるかもしれない。
犬と妹と草原で楽しげに戯れる――そんな妄想に酔っている時間はなかった。
仲間の断末魔を聞きつけた犬コロたちが、街の中を、迷惑なくらいに吠えながらこちらに向かってやってくる。
正面から。
先ほど倒した犬コロが出てきた辻の向こうから。
壁を飛び越えて。
あるいは街の家の屋根を飛び交って。
俺に向かって猪突猛進突っ込んでくるワンコども。
お前ら、人に化けれるんだろう。
もうちょっと襲うにしてもやりようを考えろよ。
まぁ、ライカンスロープもピンキリだからな。低脳な種族なんだろう。
ひぃ、ふぅ、みぃ……全部で九体。
オーケイ。それならなんの問題もない。
「えぇい、これで全部だな!! お前、流石にマガジン二丁分も使ったら、こちとら二ヶ月もやし生活だっての!! 勘弁してくれよ!!」
必要経費として、銀の弾丸の代金は製薬会社に請求するとしても、それが振り込まれるのは一ヶ月あるいは二ヶ月と先になることだろう。
こちとら、育ち盛りの妹が家に居るんだ。
「頼むからこれ以上は来てくれるなよ。つっても、ライカンスロープは結構な数の群れで行動するからな」
お兄ちゃん、ひもじいよう。
先程のペットショップの妄想から一転。
涙を浮かべて家のリビングのソファーに横たわっている妹の姿が頭に浮かぶ。
妹の悲痛な台詞を頭の中から掻き消す。
集中だ、翔。
そう自分に言い聞かせると、俺はまた、正面から向かってくる、茶色い毛をしたライカンスロープの眉間に、次の弾丸を叩き込んだ。
あとでしっかりと、撃ち込んだ弾頭は回収しておこう。
こっちの業者に、使用済みの銀の弾丸――の弾頭は、売ることができるのだ。
これが結構馬鹿にならない額になるんだよね。
割と洒落にならないくらいにさ。
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