第9話 優しい引き金

 荷台の陰から飛び出してきた、俺の姿に反応できたヤスクールの兵は居なかった。

 ヤスクール人に銃を持たせてはならない。奴らに銃を覚えさせたら、こちらの世界は無茶苦茶になる――とは、よく言ったものだ。


 しかし、現実にはこうして、どこが横流しをしたのか、銃を手にしている訳だ。

 それでもこの程度の反応速度しかできない――集団運用して、弾幕を張ることもできない。武器よりもその運用に関して、十分な教育ができていない、という所が大きいだろう。


 馬鹿に銃を持たせるのは危険だ。

 なぜなら、奴らはそれで自分の頭蓋を、ばすりと打ち抜くかもしれないから。

 実に人道的な配慮である。


 引き金を引けば「.357マグナム弾」が火花を散らす。

 銃撃戦のなんたるやを知らぬヤスクール兵は、遮蔽物に身を隠すこともせずに、こちらに向かって銃を向けるばかりだ。


 アホめ。


 まずはその中――生かしておくと一番厄介だろう、魔法使いのこめかみにサイトを合わせた。

 引き金を引けば、その青白い未成熟のトマトみたいな顔は、ばしりと弾けて辺りに赤い血を撒き散らした。


 相手が、こちらに銃口を向けるより早く、俺は人ごみの中へと紛れ込む。

 勇猛で知られるヤスクールも、同族を撃つことには抵抗を感じるだろう。


 そんな心理を利用して、俺は更に敵との距離を詰めた。


 その途中、仲間の血によって、視界を赤く染め上げられて前後不覚となった一人の頭に、また、同じように鉛玉をくれてやる。


 ジルハの検問所の前に悲鳴が木霊する。

 ついにその気になったのか、あるいは錯乱したか。ヤスクール兵の一人が、検問所の前に溢れ返っている人々の群れに向かって発砲した。


 もはやヤケクソ、形振りも構っていられないというそういう感じである。

 しかし、既にその人ごみの中に、俺は居ない。


 跳躍。


 植物魔法により、弾性のある樹をそこに生やした俺は、それに飛び乗り大きく跳んだ。目指すは検問所の門の上。丁度、僅かにせり出ているひさしだ。


 久しぶりにこの魔法を使ったからだろうか。

 体を壁に激突させたが、僅かな足場に足をかけるのには成功した。


 はらり。

 崩れた黄土色のレンガの破片が、残された三人のヤスクール兵の頭に落ちた。


 豊野を含めて、その頭がゆっくりとこちらに向いた。


「ヘイ、カウボーイたち!! 早撃ち勝負と行こうじゃないか!!」


 まず真っ先に、銃口を向けた右の男の頭を弾く。

 次に、こちらを振り向こうとした左の男の頭を吹き飛ばす。


 最後に、豊野の横でマガジンを換装していた、のろまの後頭部に鉛玉を撃ち込んでやる。丸裸、豊野はあっという間に、快適な異世界生活を失った――。


 と、ここで、一つ問題が残った。


「……ヘイ、サムライカウボーイ。お前さん、俺を撃っても大丈夫なのか?」


 最後に残った豊野が、俺に向かって銃口を向けて来たのだ。

 ドイツ製『H&K USP』。

 流石に、金に余裕のある国家公務員をやっていただけはある。装備にしたって一流のものを用意してくれるね。樹脂製フレームの普通過ぎるそのスタンダードな拳銃は、たいそう値が張ったことだろう。


 しかし、そのへっぴり腰では、俺の身体を貫くことは不可能だ。

 いかつい顔と体格をしておいて、こいつ、意外と運動神経については鈍い。

 銃口一つこちらに向ける動作にも、どこか落ち着かない感じがあった。


 まぁ、そんな奴を相手に、怖がる理由なんてこっちにはない。


「そうだね。あんたは、むこう側の人間だ。俺が撃っちまうと、色々と問題になる」


「だろうな」


「けど――お前を裁くための人材にはご同行いただいている。どうぞ安心してくれ」


 動くな、と、相原が豊野の背中に向かって銃を向けていた。

 銃撃戦が終わったのを見て、荷馬車の陰から出て来た彼女。

 また、銃の取り扱い教本に出て来そうな、理想的な構え方で豊野にルガーの銃口を向けていた。


 声を上げたのは相原だと言うのに。

 まったく、彼女の動きには注意を払っていなかったのだろう。

 豊野が少し驚いた調子で顔をしかめた。


 しかし――映画やドラマのように、銃を離して両手をあげるとまではいかない。

 彼はまだ、銃口を俺に向けたまま視線だけを相原に向けた。


「豊野誠ですね。貴方が、公務で手に入れたAK47の情報について、異世界に売り渡そうとしていることは分かっています」


「……やれやれ。情報はちゃんと消してきたつもりだったんだがな」


「大人しく投降するというのなら命ばかりは取りません。貴方にも、向こうに残してきた家族が居るでしょう。奥さんや、娘さんのことを思うなら、これ以上の罪を重ねるのはやめなさい」


 なんだこいつ。


 むこうの世界に嫁や娘までいるのかよ。

 海上保安庁職員。しかも国家公務員となれば、順風満帆な人生ではないか。


 いわゆる勝ち組という奴だ。


 俺のように、地方都市の安テナントで怪しい万事屋やってる人生と比べれば、バラ色だろう。そのまま勤め上げていれば、幸せが約束されているはずだ。


 それが、大金欲しさにAK47の密売に手を出すだなんて。

 馬鹿じゃないのか。


 いや――待てよ。

 こういう捨て鉢な行動をとるような奴を、俺はよくよく知っているじゃないか。


 異世界転生症候群ヒロイック・シンドローム


 現実世界では決して満たせない欲望。

 殺人欲求であるとか、性的欲求であるとか、絶対的な権威だとか、そういう歪な欲望を抱えて異世界にやってきた奴らを指して使われる用語だ。


 もちろん、広義には翔もそのくくりの中に入ってしまう訳だが、アイツには異世界に対する節度や礼儀みたいなものがあった。

 そういう場合には、概ね好意的にこちら側の人間も、彼らを受け入れる。


 しかし、狭義の異世界転生症候群ヒロイック・シンドローム患者にはそれがない。

 さらに特有の問題を必ず抱えている。

 異世界人を軽視し、自分にとって都合のいい存在、都合のいい場所、都合のいいモノである、と、勝手に定義してしまうのだ。


 そして、広義でも狭義でもそうなのだが、彼らの多くはそう――自暴自棄やけっぱちで異世界に来る。もう失うものなどなにもないという、危なっかしさを抱えているのだ。


 まずい、これは、非常にまずい、と、俺は思った。


「29歳の時だったかな。上司の娘さんとお見合い結婚してね。それで、渉外官ロシア方面担当なんて閑職から、どうにか日の当たる場所に行けるかと思ったのさ」


「……何を言っている?」


「その上司も、キャリア候補から外れてね、残ったのはわがままな嫁と、ちっとも俺に似ていない二人の娘だ。どうして、そんな人生に希望を見いだせる」


「同情するぜ豊野。しかしなぁ、異世界でそれが補えるって発想は、間違ってる」


「五月蠅い!! お前に何が分かる!!」


 豊野が相変わらず銃口をこちらに向けていた。

 経歴書によればブロンズ、何も恐れることはない、そして何より――。


 こいつ、スライドも、セーフティも解除していないのに気が付いていない。

 咄嗟のことで忘れてしまったのだろう。

 初心者あるあるである。


 しかし、銃口を向けているという事実が今は重要だ。


「俺はこの異世界で、もう一度人生をやり直すんだ!! 理想の嫁と、理想の家、そして――誰にも媚びへつらわない自由な生活!! それを手に入れるんだ!!」


「相原!! 撃て!!」


 豊野の銃口から弾が飛び出て来ることはない。それを承知で、助けを乞うような声で、相原に彼を撃つように俺は頼んだ。

 仕方ない。

 それは、善良な市民を守るための、止むを得ない事情である。


 カチリ、と、間抜けな音がして、豊野の顔が絶望に染まった。

 そして――。


 ガシン、と、これまた同じくらいに間抜けな音が、横転した荷馬車の前に響いた。

 引き金を引いても動かないスライド――。


 どうして、このタイミングでそんなことが起こる。

 彼女はきっと何か悪いモノに愛されているのではないか。

 きっとそうなのだ。


「……あれ!? 弾が出ない!!」


「ジャムりやがったよ、糞!! これだから自動拳銃オート・ピストルは!!」


 いや、違うな。


 あの女の銃の扱いが下手くそなのがそもそもの問題だ。

 自動拳銃を故障させるような使い方をする奴が悪い。少なくとも、俺の相棒は、十年横で銃を撃っていて、ただの一度も銃を故障させることなんかなかった。


 もう一度、ちゃんと銃の講習受けて来い。馬鹿野郎ども。

 そんなんじゃ、むこうの世界も、こちらの世界も守れやしないよ。


 不運に絶望している場合ではなかった。

 豊野が銃を投げ出して、その場から逃走したのだ。


 彼もまた、異世界渡界のためだけに、ブロンズライセンスを取得しただけの初心者である。セーフティを解除していないことを、銃の故障だと勘違いしたのだろう。

 そこそこ値が張ったであろう、『H&K USP』を放り出して、彼は街の中へと無理やり駆けこんだ。


 銃撃戦で、もはや、検問はまともに機能していない。

 俺はすぐに門の上から降りると、茫然自失としている相原へと駆け寄った。


「何してんだ!! 豊野を追うぞ!!」


「……えっ、あっ、けど、銃が」


「ほれ!! こいつを使え!!」


 彼女に握らせたのは、俺のリボルバー。

 まだ銃身から熱が立ち上っている「コルトパイソン」だ。


 相原は手にそれを握りしめて、それでも、どうしていいのかわからない顔をしている。いや――その表情は何かを迷っているようだった。


 しかし、そんな彼女に付き合っている場合ではない。


「行くぞ!! 豊野を撃つことができるのは、お前だけなんだ!!」


 俺は彼女の手を引くと、止めようとする検問所のヤスクール人を蹴散らして、街の中へと飛びこんだ。


 すぐに、人気のない道を走っていく豊野の姿が目に入る。

 十分に射程圏内である。


「相原――撃て!!」


「……駄目。やっぱり、私、できない。人を撃つなんて」


「何を今更なことを言ってるんだ!! 豊野の奴をとっちめて、異世界犯罪を未然に防ぐんじゃなかったのかよ!!」


「……けど!!」


 リボルバーを握りしめる彼女の手が震えていた。


 覚悟、と、理想は違う。


 彼女は異世界犯罪を許さないという、高い理想を掲げてこの地までやってきた。

 ここまで俺と一緒にやって来た。


 しかし、覚悟までは――少なくとも、豊野を殺傷してまで捕縛するということまで考えるまでには、彼女は至れなかったのだろう。


 あぁ。

 本当にどこまでも、世話のかかる糞女め。

 そんなやり取りをしているうちにも、豊野はどんどんと遠のいていくんだ。


 そうして、ヤスクールの手の者に保護されれば、今度こそ、彼を捕縛するチャンスはなくなってしまう。


 いいか、と、俺は震える彼女の手に、そっと自分の手を添えた。

 彼女の後ろに回り込み、優しく、その体を支える。


 肉付きの薄い身体では、役得感もなにもあったものではない。

 まぁいい。

 そんなものはハードボイルド小説には不要な演出だろう。


 女の耳元に優しく語り掛けるくらいで、丁度いいんだ。

 こんなものは。


「いいか、相原。何も怖くない。お前はこの引き金を引くことができる」


「……私は、この引き金を引くことが、できる」


「この世界を守るんだろう。異世界犯罪を許さないんだろう」


「……けれど」


「大丈夫だ。


 だから、俺を信じて引き金を引いて。


 神に許しを請うように、彼女は瞳を閉じた。

 そして、ちょうど三呼吸分の間を置いて、ようやく、彼女はリボルバーの撃鉄を起こすと、トリガーに手をかけた。


 勢いよく、撃ちだされる弾丸。


 それは正確に豊野の背中を捉えていた――。


 しかし。


 三時の位置に昇る太陽が照らし出したその弾丸は光り輝くことはない。


 木屑の弾丸ウッド・チップ・バレット

 それは非致死性の優しき弾丸。

 目標に当たれば、微かな衝撃を与えて、炸裂するだけのお遊びの弾。


 しかし、それに俺の魔法を加えれば、あら不思議。


 相手を死傷せしめず、あばら骨を砕く程度の衝撃を与える硬度に、加工することなんて――朝飯前の芸当なのだ。


 かは、と、豊野の悶絶する声が響いた。


 どうやら魔法加工の弾丸は、彼に逃げる気を起こさせなくする程度には効いたようだ。のたうち回り、悲鳴をあげてその場に悶絶する豊野。

 そんな哀れな男を回収するよりも、まずは、隣の乙女のケアをすることの方が、今は大切なように俺は思った。


「……嘘? なんで? 私、撃ったのに?」


「なっ? 言った通りだっただろう。君が心配に思うことは、起きないって」


 彼女の手からリボルバーを回収すると、俺は自分の脇下のホルスターにそれをしまう。よくできました、と、ばかりに彼女の頭を撫でた。


 ほんと、相原ちゃんにしては、上出来だったよ。


 やれやれしかし、ここまでお膳立てが必要だなんてね。

 エリート女刑事のお相手なんてのは、金輪際、やらせていただきたくないものだ。


 まぁ、けれど、たまにはこんな役回りも、悪くないかもしれない。

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