第11話 彼女がやって来る
「ねぇ、お兄ちゃん。私の気持ちが分かる?」
「……はい」
「友達と映画を見る約束をしていたの。けどね、どっかの誰かさんが、修理の依頼を出すだけ出しておいて、事務所に居なかったせいで、急に立ち合いに呼び出された」
とってもこれって、理不尽なことだと思わない。
俺の自慢の妹は、まったく温もりを感じない、凍り付くような声色でそう言った。
そう言ったことだけしか、俺には把握することができなかった。
まったく、クーラーよりよく効く言葉だよ。
妹の態度が冷たいってだけで、人はここまで凍える心地になれるんだね。
割と、本気で、マジにショックだ。
クーラーが効くようになった事務所の中。
俺は、何故だかその冷風が直撃する場所に正座させられて、妹の文香さんを前に俯いていた。いや、俯かされていた。
彼女が放つ負のオーラが、あまりにも強くて。
とても正面から見ることができなかったのだ。
どうやら、管理会社の事務員さんは、俺が思っていたより有能だったらしい。
いったいどのようなツテを使ったのか知らないが、哀れなテナントさんのために修理業者の手配を済ませた彼女。俺が相原ちゃんの手により異世界に移動した次の日には――本日、エアコンの修理ができる段取りをつけていたのだそうな。
しかし、ここ一週間というもの、俺は相原ちゃんに連れられて、熊本県は八代から、ヤスクール国へと渡っていた。そして、派手にドンパチをかました割には、案内料だけという、割の合わない仕事を終えてこちらに戻って来た。
まぁ、そこからがあまりよろしくなかった。
せっかく熊本に来たのだから、ちょっくら観光でもしてくるかとなったのだ。
犯人護送――豊野を速やかに留置所にぶち込まなくてはいけない相原ちゃんとは、八代駅でお別れ。
そこから、熊本城、福岡、中洲、大宰府と、観光をしまくって、三日間。更に、前から行きたかった宮島も見て、四日かけて神戸に戻って来た。
もちろん、申し訳なさを感じなかった訳ではない。
何も言わずにいなくなったことを詫びるために、熊本では大量のくまモングッズを。そして、宮島では名物のアナゴ弁当を買って家には帰ったのだ。
しかし、マンションの扉を開くなり、「今、事務所に居るから」と、でかでかと書かれたルーズリーフがテーブルに置かれているのを見て、血の気が引いた。
可及的速やかに――日が暮れる前に事務所へと向かった俺は、そこで、腰に手を当てて、そして、背中に修羅を背負って立っている文香さんを発見し、たまらずスライング土下座をかましたのだった。
とまぁ、ここまでのいきさつは話すと、こんな感じだ。
「本当に!! 申し訳!! ございませんでした!!」
「誠意が足りない!!」
「二度と文香さまに迷惑はおかけいたしません!!」
「その言葉に二言はないな!!」
「男に二言はございません!!」
よし、と、文香さん。
黒いショートポニーを満足げに揺らすと、彼女はようやく背中に背負っていた修羅を解放してくれた。
ほっ、と、息を吐いたのも束の間――。
「京都で絵画展があるんだけれど、それに一日付き合ってくれれば許してあげる」
「……文香ちゃん、神戸でその展示会、やる予定はないのかな?」
「京都観光も兼ねてよ。あ、鴨川も一度行って見たかったんだよね。あれでしょ、恋人たちが等間隔で並んでるんでしょ。一度は見ておかなくっちゃ」
我が妹ながら、人間観察とはいい趣味をしていらっしゃる。
いやけど、そんなことで文香さんの機嫌が治るのなら御の字である。
大切な妹の望みを聞き入れて、俺は、じゃぁ、それで手を打とうかとため息と共に微笑んだ。すると彼女も、にひひと、なんだか悪戯っぽく笑って返してきた。
「じゃぁ、来週は埋め合せデートということで」
「いやいや、兄妹だからデートじゃないでしょ」
「あん?」
「なんでもありません」
どうやら、今日は彼女に逆らうことは無理らしい。
なんだか勝ち誇ったような顔をして、鼻を鳴らした文香。
それだけ言うと、あとはもう用はないという感じに、「それじゃ、先に家に帰ってるから」と、彼女は俺を事務所に残して帰って行った。
まったく、年頃のお嬢さんは難しいね。
◇ ◇ ◇ ◇
さて、以上が今回の事件の顛末であり、オチである訳なのだが。
補足しておくべき事項が二つある。
まず一つ、海に沈んだAK47についてだ。
これについては、警察庁と海上保安庁、そして自衛隊合同の元、事件発覚より一カ月を待たずして、伏木港沖合の探索が行われた。
しかし、落下予想位置をどれだけ探しても、コンテナはその実物どころか痕跡すら見つけることができなかった。
潮流のことを考慮に入れて、周辺の探索も行ったが結果は変わらず。
二週間の捜索はなんの成果も挙げられないまま打ち切られ、各社新聞の三面記事には、「ソ連の埋蔵金発見できず。日本政府の怠慢」と題された、なかなか辛辣な文章が載ることになってしまった。
果たして千丁のAK47がどこに消えたのか。
豊野に先んじて、誰かが回収したのか。
それとも、自然のいたずらにより、我々の目の届かない場所へと行ったのか。
はたまた、コンテナが落下したという事実自体が虚偽だったのか。
今となっては、確かめる術はない。
一番事情を知っている豊野が、その件について黙秘を貫いているのいだから仕方ない。まぁ、それは、俺が彼に魔法をかけたせいなのだが。
ただ、ロシア渉外官との会話の中で、その事実を知ったと彼は記録に残していた。
そのロシア渉外官に話を聞くのが一番早いのだろうが、まぁ、それについては俺の出る幕ではないだろう。
おちゃらけた異世界万事屋なんかが口を挟む必要のない、もっと高度な政治的話である。
さて、それがまず一点目。
もう一点については――。
「高島。貴方、松本
「……まぁ、何度か行ったことはあるけれど」
「本当? だったら、話が早いわ。実は、某メガバンクの部長で、脱税容疑のかかっている男が、その松本
「……あのさ。お仕事の話をくれるのは嬉しいんだけれどさ、俺、異世界万事屋であって、探偵じゃないのよね」
「なによ!! 私が命を救ってあげたのに、言うこと聞けないっていうの!!」
目の前のソファーで、極秘、と書かれた書類をまったく秘することなく広げているのは、そう――警察庁刑事局異世界犯罪課所属の相原諒嬢である。
ここ最近というもの、頻繁に――だいたい週に一度程度――彼女がここ、異世界万事屋『アポロン』に顔を出すようになったということである。
しかも、なかなかに厄介な、異世界仕事を一緒に持ってきてだ。
理由は単純。
彼女に植え付けた偽の記憶が原因であった。
「いいのかしら。豊野の奴に銃を突きつけられて、泣いて懇願していた貴方を、私がこの超絶射撃テクニックで無傷で助けたっていうのに」
「あーはい、そのけんについては、とてもかんしゃしております」
「なんで棒読みなのよ!!」
だって、それは、きみのそのきおくがうそいつわりのものだから。
言ってやりたかったが言えなかった。
言えば、俺が魔法使いであること――戸籍偽装をして、こちらの世界に紛れ込んでいる、むこうの世界の住人であるということがばれてしまう。
吐いた唾はなんとやら。
やれやれ、まさか親切心でやったことが、こんな事態を招くことになるとは。
俺は思いもしなかったよ。
「とにかく、あんた、私に借りがあるんだから、大人しく付き合いなさいよ!!」
「いや、ていうか、これ、異世界犯罪の範疇なのか? 脱税だろ、また違う部署の話なんじゃないの?」
「いいから!! 異世界に逃げ込んだ時点で、こっちの管轄なの!! 異世界を都合よく利用する奴らを――私は絶対に許さない!!」
そう息巻いて、相原は握りこぶしを作る。
AK47は見つからなかったが、それでも豊野の逮捕は、彼女の警察庁内での地位を少しばかり高めたらしかった。
なんでも、彼女の話を聞くところによると、少しばかり昇進の道が見えて来た、とか、来ないとか。
それで燃えているのかどうかは知らない。だが、以来、こうして、俺の所に事案を持ち込んできては、積極的に異世界に飛ぼうとするのだ。
だが、極力、俺はそれを止めている。
なぜか――と、理由は言うまでもない。
「ところで、相原ちゃん」
「さんでしょ?」
「相原さん。異世界渡界認可証のライセンス――いいかげんシルバーになった?」
う、と、苦しい顔をして、俺から視線を逸らした相原。
彼女はクーラーの効いた部屋で、よく冷えた一保堂のグリーンティーを飲み干すと、ぷはぁ、もう一杯という感じにそれをテーブルに置いた。
「そんなことはね、どうでもいいのよ。正義の前には」
「いや、大事なことでしょうよ」
超絶射撃テクニックを持っているなら、シルバーでも、ゴールドでも、なんでもいいからライセンスを上等なものに更新してくれ。
やれやれ。
という訳で。
もう勘弁していただきたいと思った、相原嬢との関係は、これからしばらく続くことになりそうなのであった。
まぁ、仕事がないよりはマシだけど。
「ほら、そうと決まったら、さっさと支度する!!」
「……やっぱ嫌じゃぁ!! 俺はこんな糞みたいな仕事、したくないんじゃぁ!!」
【Episode.2 End】
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