第5話 特異点(ポーター)

「文香ちゃんとお兄さんって、あまり似てないんですね?」


「――でしょう。性格も髪の色も真反対でびっくりした?」


「それ、染めてるんですか?」


「染めなきゃこんな立派な金髪、今時、外国にもいないって」


 金色をした俺の髪を見上げながら、依頼人の少女は不思議そうに隣を歩いていた。


 神戸ポートアイランド。

 その埠頭の一角にある異世界への転移施設。

 いわゆる特異点ポーターへと俺と楓ちゃんはやって来ていた。


 特異点ポーターなんて大仰な横文字を使っているけれど、自動車の免許更新センターみたいなこじんまりとした施設だ。


 とはいえ、異世界との強力な接続点――狭義での特異点――を軸に、こちら側からある程度の技術介入を行うことにより、むこうの接続点から半径10km以内で、任意の場所に移動することができる、ちょっと便利な施設である。


 ちなみに、むこうから帰ってくるには、むこうの接続点そのものを経由して移動しなければならない。


 いきはよいよい帰りはなんとやら。


 ここなんかは、比較的むこう側からもアクセスのよい場所が接続点だからいいけれど、悪いところは帰還するだけで一週間かかる場合もある。


 まぁ、なので、異世界案内人の仕事なんかが成立するんだけど。


 楓ちゃんは、カラフルな色とポップな形をしたキャリーケースを手に、どうしていいかわからない感じで立ち尽くしている。

 異世界旅行初心者まるだし、という感じだ。


 椅子に座って、プリントアウトされた整理番号が呼ばれるのを待つ。

 とりあえず、もうちょっとかかるだろうから、座って待とうかと、僕と彼女は空いていた二人がけの革張りのソファーに座った。


 そっと、拳一つ分、間をあけるのがなんともおくゆかしい。

 いやはやかわいらしい娘さんだな。こんな娘の命を狙うなんて、あくどい奴らもいたものだ。


 さて――。


 落ち着かない様子の楓ちゃんをよそに、俺はプリントアウトしておいた、今回の依頼に関する資料について読み込んだ。


 話が決まって早速、俺は彼女の護衛について、とある企業にアポイントを取った。

 もったいつけることもない。それは、楓ちゃんのお父さんが働いているという、製薬会社『KAL』だ。


 『KAL』は米国でも十指に入るかなり大規模な製薬会社である。

 また、得意とする分野は、まさしく彼女の父が研究していた、癌についてだ。

 これまでにも、肺癌、膵臓癌、子宮癌、乳癌、その他諸々。多くの癌についての治療薬を開発し、その特許でもって莫大な利益を上げている。


 ここ最近好調な業績を上げており、米国株の主要銘柄としてもよく知られている。

 楓ちゃんのお父さんが開発した新薬が発表されれば、更に株価は上がるだろう。


 今のうちに株を買っておこうかなとも思ってしまった。

 だが、残念なことに、インサイダー取引をするには、我が家には十分なお金がないのであった。

 あぁ、小市民万歳。


「しかし、なぁ、ちょっと気になるな」


「どうかしましたか?」


「――うん? あぁ、いや、たいしたことじゃないんだよ。大丈夫、たぶん、俺の心配しすぎだと思うから」


 そんな中、十八番の方、と、整理番号が読み上げられた。

 ちょうどそれは、俺の手の中にある紙に印刷されているのと同じ番号だった。


 はぁい、と、間延びした返事をする。

 さぁ行くよと、隣に座る楓ちゃんに声をかけた。

 ソファーから立ち上がって、俺たちは番号を読み上げた受付嬢の方へと移動した。


 自然にか、それとも意識してか、三歩遅れて楓ちゃんは俺の背中についてきた。


 緑色の制服に身を包んだ三十代そこいらいの受付嬢がカウンターに立っている。

 特異点ポーターの職員は地方公務員である。少しお堅いその表情に、どきりとしたのか、楓ちゃんが持っていたキャリーバックを揺らし、その車輪が少しだけ大きな音を立てた。


 まぁ、転移が初めての人間には、仕方のないリアクションかもね。

 こっちはそんな仏頂面、もう慣れっこだけれど。


「転移先はどうされますか?」


「イヨの村、リーナの酒場の前に飛ばしてくれるかな」


「……地方の村ですね?」


 お堅い顔が更に仏頂面へと変わる。


 この辺りは、流石に仕事にこなれた公務員という感じだ。

 転移先として、観光地のある街ではなく、が出た時点で、やんごとない事情と俺の仕事を察してくれたらしい。


「もしかして冒険者・異世界案内人の方ですか? 武器を携行するならライセンスの提示をお願いします」


「ほい」


 言われるがままに、胸にしまっていた名刺入れを取り出した。その中から、免許証サイズの銃取り扱い許可証を引き出すと、俺はテーブルの上に置く。


 異世界において、魔法も、剣も、超能力も、使うことのできないこちらの人間。そのため、むこうに行くにあたって、免許制だが武器の携行が許可されている。

 もちろんその武器は現代兵器の終着点――銃である。


 それも、日本社会に馴染みのない拳銃だ。

 まれに国内流通している狩猟用のライフルを持ち込む人もいる。

 けれど、まぁ、基本はこれを持ち込むのがお決まりだ。


 異世界のいざこざは、基本、現地人と起こるものだからね。

 大げさな装備はいらない。

 身の安全を確実に守れればそれでいい。


 ここら辺は、こっちの銃国家と一緒の感覚だ。


 公務員さんが許可証を手に取る。

 意味ありげに、その顔と、ライセンスの色、有効期限を指でなぞって確認する。


 ありがとうございます、と、几帳面に向きを直してライセンスをこちらに差し出す。俺はそれを受け取り、再び名刺入れの中にしまいこむと胸ポケットに収めた。


「ライセンスはシルバーですね。持ち込む銃はCz75ですか。これだと、弾丸は最大100発まで携行できますが」


「MAXでお願い」


「かしこまりました。薬莢にはナンバリングが施されています。使用後は速やかにナンバーを控えていただき、所定の申請書で帰国後一週間以内にお住まいになっている地域の警察へ届け出てください」


 このあたりのお役所仕事感がたまらないよね、この国って。

 米国あたりだとゆるゆるで、いちいちそんな申告なんてしないってのにさぁ。


 まぁ、ナンバリングされてない弾丸なんて、むこうで簡単に手に入るけど。


 米国・中国・ロシア・スロバキア。

 いろんなこちらの銃社会国家から流れてきた軍の放出品、あるいは民生品が、そこそこのお値段で取引されているのだ。


 もちろんここの職員もそれくらいのことは承知の上。

 だが、この日本国の国民の、善意とモラルを信じて何も言わないのだろう。


 あぁ、美しきかな、見ざる、言わざる、聞かざるの精神。


 最後に一時渡航者である楓ちゃんの学生証の控えを取られた。


「どうぞ中へ」


 ぶっきらぼうに言われて、俺たちは受付カウンターから九十度回って向かいにある転移室へと通された。


 上下左右前後ろ、見事に白塗りの、一切装飾のないこざっぱりした部屋である。


 少しピカッとしますよ、と、天井から声がする。

 声が聞こえたかと思うや、部屋の中央に、青い光が突如発生した。

 異世界転移時に発生する転移光だ。


 アナウンスされたにも関わらず、思わずその光の眩しさに目を瞑る。

 そうして目を開けた次の瞬間には――。


「……久しぶり」


「やっ!! 元気そうだねリーナ!! 相変わらず店は繁盛してる感じかい?」


 セミロングの金髪を風に揺らし。不機嫌に眉の間を狭め。腕を組んで立つエルフの女性の前であった。


 クールビューティというより、ヒステリックな美しさ――俗にむこうで言うツンデレ――と言った方がいいだろうか。

 そこには顔なじみの女エルフ、リーナが待ち構えていた。


 それだけではない。


 荒涼とした大地に、むこうの世界で郊外に出ないとちょっとお目にかかれない、だだっ広い青空。

 埃っぽい空気に、からりからりと風見鶏が鳴く石造りの家。


 砂漠の交易中継基地。

 イヨの村。


 幸い、近くに川が流れているのと、隊商が運んでくれる物資のおかげで食べる・飲むには苦労しない。

 だが、退屈な村には違いなかった。

 少なくともファンタジーを求める人間の心をへし折るくらいには。


 なに、いきなり砂漠地方に飛ばされたと思ってくれればいい。

 なんて顧客には毎度言うのだけれど、いい反応が返ってきた試しは一度もない。


 きょろきょろと、あたりを見回す楓ちゃんをよそに、俺はさっさとリーナと話を進めることにした。


「手紙で連絡した通りさ。彼女を一ヶ月ほどかくまってくれ。宿代はちゃんと払う。食事代も食べた分だけ」


「……別に構わないわ。というか、女手が足りなくて困ってるんだ、店を手伝ってくれるなら、その辺りは融通するよ」


 思っても見ない申し出だった。


 どうなのか、と、楓ちゃんが俺の瞳を見る。

 ぜひ、そうしたほうがいいよ、と、俺はその不安げな顔に即答してみせた。


 見知らぬ酒場の宿泊客より、異世界から出稼ぎにきた酒場の女給の方が親近感が湧く。もし上手いこと酒場に馴染めれば、俺がわざわざ手を出すまでもなく、馴染みの客たちが、彼女の身を守ってくれるだろう。

 とはいえ、愛想がないことにははじまらないが。


「アルバイトの経験は?」


「……ありません。ずっと寮生活でしたから。けど、頑張ります」


「うんうん。砂漠の民は、そういうひたむきな人が好きだから、きっとすぐに受け入れられるよ。ねぇ、リーナ?」


「どうだかな」


 投げやりな言葉とは裏腹、ほら、中に入れよとばかりに首をしゃくってみせるリーナ。彼女が面倒見がいいことは、よくよく知っている。

 長い付き合いなのだ、それこそ、十年来、いや、それ以上の――。


「まったく、久しぶりに戻ってきたと思ったら、厄介なこと言いやがって」


「厄介かな、そうかな」


「ったく、お前はいつもそうだ。こっちの都合なんてお構い無しなんだから」


「厄介ついでに、悪いんだけれど、道具の調達もお願いできないかな」


「自分でやればいいだろう」


「冷たいなぁ。どうして俺の周りの女性は、冷たい奴らばかりなんだろう」


 それでも、と、俺はどうしてもリーナに食い下がった。

 なにせ現地人ではない俺が買うと、目立って仕方がないのだ。


 こじんまりとした村である。

 噂が回ってしまうのは早い。


 そのあたり、わざわざ言うまでもなく察してくれたのだろう。

 ため息と共にたわわに実った二つの胸を揺らして、彼女はため息を吐き出した。


「あとでメモを渡してくれ。こっちの文字で頼む」


「あいあい」


 いやはや、異世界で持つべきものは、気心の知れた友人かな。

 いつも助かるよ本当に。グラッツェ、だっけか。

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