第9話 こんな世界で生まれ変わる方法について

 結論から言えば、四ノ原楓の父は無事だった。


 生命の危機にもなければ、健康状態は良好そのもの。

 唯一、娘への心配からか少し精神的な錯乱は起こしていたが――そこは、俺が彼女のことを懇々と話してやることですぐに回復した。


 彼はネバダ州にある砂漠地帯――そこにひっそりと建てられた小屋に居た。

 小屋の周囲と中は、某国の退役軍人たちから構成される民間軍事会社の社員たちによって堅く守られていた。


 実に分かりやすい軟禁という奴だ。

 もちろん、彼らは製薬会社の社長が雇った者たちだ。


 楓ちゃんのお父さんに製薬の発表を諦めさせるため。たった一人の肉親である、楓ちゃんを拉致した上で、改めて彼を説得しようという心積もりだったらしい。


 さっさと殺して異世界にでも死体を放ればいいのに。

 まぁ、そのあたりのコンプライアンスというかモラルみたいなものは、流石は世に名だたるグローバル企業だ。幸いなことに持ち合わせていてくれたようだね。


 某映画のようにフル装備で殴りこむ必要もなかった。

 既に社長を通して、事情は民間軍事会社のほうへと入っていたからだ。


「今からやって来る男にシノハラを預けろ。決して手を出してはいけない」


 よほど俺の愛銃による脅しが堪えたらしい。

 ともかく、俺はクライアント――四ノ原楓の父を受け取ると、その足で米国から特異点ポーター経由で楓ちゃんの待つイヨの村へと向かった。


 前にも話したが、こちら側の特異点とむこう側の特異点の接続状況というのは、双方の距離関係に依存していない。こちらでは、米国と日本くらい離れている距離にある特異点が、異世界のほうでは、隣町にあったりなんてのはよくある話だ。


 そのために異世界への入国管理というのは、どの国でも徹底してやられるようになっている――。


 なので、国をまたいで移動する場合は、パスポートの提示を求められることもしばしなのだが。


「まぁ、異世界国籍持ってる俺には、関係のない話さ」


 再び異世界人のフューリィとして、俺は四ノ原楓の父を異世界案内するという体で、むこう側へと渡った。


 とまぁ、そんなわけで。

 利用したのは神戸ポートアイランドの特異点ポーター――それに最も近い米国の特異点ポーターだ。

 ぎりぎりいっぱい、リーナと楓ちゃんが待っているイヨの村に寄せて転移した。


 そこから一日ほどがっつりと歩いた。

 そして、夜、街が静寂に包まれている頃。

 俺は楓ちゃんのお父さんと一緒に、リーナの酒場へと帰還を果たした。


「お父さん!!」


「楓!!」


 まかないを食べていた楓ちゃんが、こちらを見るや立ち上がる。

 すぐに俺の隣に立っていた父親へと走って駆け寄れば、俺の背中を追うばかりだった男が、初めて前に出た。

 二人は抱き合って、この苦しかった一ヶ月と半をしめくくるような、嗚咽と号泣、そして最後に安堵の笑顔を見せたのだった。


「ありがとう、ございます。文香ちゃんのお兄さん――いいえ、翔さん」


「なぁに、まぁ、このくらいのこと、どうってことないさ。これからも、何か困ったことがあれば、どうぞご贔屓にってね」


「私、うんと学校で宣伝します。文香ちゃんのお兄さんは、とっても頼りになるボディーガードだって」


「そいつは困るよ。一応、ウチは、万事屋なんだから」


 可愛い女の子を守るならやぶさかではない。

 だが、いかついどこの誰とも分からぬおっさんの護衛なんてのは勘弁して欲しい。

 それにまぁ――この純真無垢な少女の笑顔に後ろめたさを感じるくらい、貰うものは貰っちゃったからね。


 脂ぎった禿げ頭の、しょんべん臭い社長さんから。


 それに、むこうで宣伝するのはちょっと暫くは難しいだろう。


「楓ちゃん、それと、楓ちゃんのお父さん。大事な話がある」


「……なんですか?」


 今回の事件の真相を、事情を知らない少女にどう説明したものかと悩む。

 細かい事情については私から話しますので、と、先に用件をお願いしますと、何かを察した楓ちゃんのお父さんが言ってくれた。


 助かるよ。

 正直、これはボディーガードの仕事でも、異世界案内人の仕事でもない。

 少女に残酷な事実を伝えるのは、ちょっと俺には経験がないから、困ってたんだ。


 ともかく、俺は今後どうするべきか、その一点だけを彼女に伝えることにした。

 異世界案内人として。


 もと、異世界引きこもり――高島翔として。


「君たちは、しばらくはこっちで暮らすといい」


「……どういうことです?」


「あっちの世界に戻ったとして、暫くはごたごたに巻き込まれる可能性が高い。それよりは、こっちで酒場の女給さんや、コックでもして、落ち着くのを待つべきだ」


「待ってください、新薬は発表されたんじゃ?」


 ふるりふるり、と、楓ちゃんのお父さんが首を横に振った。

 神戸でもそこそこ名が通っている、お嬢様学校に通っている楓ちゃんだ。お父さんの素振りで、こうして彼がここに居ることが奇跡に近いことだとは理解した。


 そして、その奇跡の対価として、払うべきものを払ったのだと言うことも。

 じわり、と、その目元が滲む。


「そんな、あれは、お父さんの夢だったんじゃ」


「もういいんだ、楓」


「お母さんみたいに、癌で苦しんでる人を助けたいって」


「……それよりも、楓の命の方が大事さ。僕は今回のことでよくそれを学んだ」


「お父さんの言うとおりさ。こうして家族そろって命が助かっただけ、マシって考えるべきだろう。なに、夜逃げ先に異世界へと来る人間は多い。意外とこっちで暮らすのもなんとかなるもんだよ」


 とはいえ、どこか不安を拭えない感じがするのは、こちらに来たばかりの楓ちゃんのお父さんだ。楓ちゃんと違って、彼には、まだ、こちらの世界で暮らしていけるという実感が湧かないのだろう。


 しかし、それでもそうするしかない。


 心血を注いできた研究は否定され、元居た世界にも拒絶された。

 意気消沈しない奴なぞいないだろう。


 それでも、人間というのは生きていかなければならないものだ。

 守る者が居るのならなおさらのこと――。


「昔さ。生きるのが嫌になって、こっちにやってきた奴が居たよ」


 唐突に、そんな話を始めてしまったのは、彼らの湿っぽい姿に感化されたからだ。

 それが楓ちゃんたちが、異世界で生きていくための希望になるかは分からない。

 けど、俺が今、彼女たちに語ってあげれる話はこれしかなかった。


 とある異世界引きこもり野郎。

 そしてこちらの世界で最も新しい英雄譚。


「Cz75――俺が持ってるのと同じ奴を手にして、思いつめた顔をしてそいつは言ったよ。『何もかも向こうに捨ててきた、けれど、命だけは捨てられなかった』ってね。そして、そいつはそのままこっちの世界の住人になっちまった」


「――なんの話ですか?」


「昔話さ。そして英雄譚だ。まぁ、そのたった一つぶら下げてきた銃で、その死にたそうな顔をしていた男は世界を七度救った。ついた仇名は『魔弾の奏者』さ。なぁ、すごい話だと思わないか」


 現実味が湧かないのか、きょとんとした顔をする四ノ原父娘おやこ

 まぁいい、話の本質はそこじゃない。


 人間、どうにもならないと思って捨て鉢になってみたところで、意外とどうにかなるものである。


 今、ここが絶望の底だったとしても、生きてさえ居れば、それより先――よりよい未来に、思いもしないような明るい場所に、出ることだってあるのだ。


 たとえそこが本来生きるべき場所と違う、異世界だったとしても、だ。


「こっちの世界で生きることは何も恥ずかしいことじゃないし、難しく考えるようなことでもない。俺が言いたいのはそういうことさ」


「はぁ……」


「なに、楓ちゃんはこっちで看板娘になるくらいの器量良しだ。お父さんにしても、米国に単身赴任できるくらいなんだから、異国に馴染むのは得意に違いない」


 そうだろう、と、俺は楓ちゃんのお父さんに問うた。

 えぇまぁ、と、少し自信なさげではあったが、彼から返事は戻ってきた。


「良い返事だ。案外、住めば都と言う奴かもしれないよ、ここは」


 ちょっと無責任なくらいに軽い口ぶりで、俺はそう、四ノ原父娘おやこに告げた。


 あと、どうするかは、彼らが決めることだろう。

 ようやく落ち着いた一家団欒の光景を邪魔するのもなんだ。

 話すことも話したし、俺は席を外そうかね、と、きびすを返したその時。


 ふっと、俺の服の袖を何者かが引いた。


「銃ひとつじゃないだろう」


「あん?」


 ふり向かずに、俺は答えた。


 ふくよかな胸の感触を背中に感じる。

 どうして、その背中に立つ人物のことを思えば、俺は振り返れなかった。


 幼い頃からその成長を見守ってきた、彼女の気持ちを俺はよく知っているのだ。


「魔弾の奏者の隣には、黄金の髪の魔法使いが居た。明星の冠を操り――」


「マヌケなそいつは死んだよ。随分と昔に」


 申し訳ないくらいに――。

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