第24話 オムレツに扮した戦いに挑む災人
紙ヒコーキ、とは良く出来た遊びだと子供の頃にふと考えたことがある。誰でも簡単に作ることが出来て、場所を選ばず、時間を選ばず、紙切れひとつさえあればすぐに遊ぶことができる代物。そんなもの、この世には紙ヒコーキくらいなものだろう。加えて、重要なのは「誰でも」という部分にある、と僕は確信している。なぜなら、大人でも子供でも、お金持ちの家に生まれたお坊ちゃまであっても、貧相な街で育つ元気な子供でも、白人でも黒人でも黄色人種でも、太っちょでもガリガリ君でものっぽでもチビ助でも、地球の反対側にいようが何だろうが問答無用でその機体を宙に浮かせることが出来るのだから。
僕は外回りの途中、人気のない公園のブランコに座り、紙ヒコーキを折っていた。機体に使用しているのは、ついさっき取引先で文句と唾を飛ばし、やたら怒鳴り散らしてきた商談相手の名刺だ。チラシなどと違って紙に厚さがあるため、強度に関しては申し分ない。問題はその大きさだ。翼に使える表面積が小さいため、そこまで飛距離を稼ぐことが出来ない気がするのだ。完成したはいいが、出来の悪いものになった自覚だけが残った。
「そうら、飛んでけ」
僕はその試作機を思い切り風に乗せるようにして飛ばした。予想に反してそれなりに宙を泳いだ紙ヒコーキだったが、突然コツンという音とともに何かに衝突し、芝生の広がる地面に落っこちた。
よおく目を凝らしてみる。紙ヒコーキが墜落したそのすぐ傍に彼はいた。幼稚園児よりも頭一つ分くらい背の小さい、地面に接地してしまうほど長い立派な白銀の髭を生やした、小人だった。ちょうど「白雪姫」に登場する小人のそれと同様の風貌をしていた彼は、僕に一瞥をくれたあと、何事もなかったかのように前方にぐるり、すてん、と一回転をした。
「あの、何をされているんですか」僕は小人に駆け寄った。
老いた小人はふん、と鼻を大きく鳴らし、やがて再び無言で前方に向かってぐるり、すてん、と一回転をした。
「見て分からんですかね。でんぐり返しですよ」
小人はそう言って、傍に放置されていた、何やらどでかい焦げ茶色の巾着袋から小さな木箱を取り出した。
「出会いのしるしにどうですか、小人クッキーでも」
「いえ、結構です」
小人と言えば、やたらと「出会いのしるし」だとかロマンティックなことを言いたがる節がある。人間の中にだってたまにそういう輩がいるが、そんなことは時代と世界に纏わりつく世知辛さを知ってから言ってもらいたい、と毎回僕は思う。特に小人なんてのは、人間社会の端っこに生きているくせに僕らと距離を置こうとはしないのだ。共生、と言えば聞こえはいいが、実体はそんなに単純じゃない。彼らは人類の文明を吸収し、いずれは人類と決別をして、この地球丸ごと乗っ取る気なのだという噂さえ耳にしたことがある。車輪という大発明をものにして大地を滑走していた自転車が、ある時同じ車輪をさらに改良させて大陸を横断する自動車に追い越されるみたいに。だが、あくまで噂だ。小人たちがそこまで狡猾な人種だとは僕には思えない。
「なぜ、でんぐり返しなんてする必要が?」僕は小人に訊ねてみる。
小人クッキーの入っている木箱を巾着袋に戻しながら、小人は答える。「別れた妻、ですよ。恥ずかしながら」
「妻?」
「そう、妻ですよ。もう八十年も前になりますかねえ、ジャイアントたちによって世界中で小人を労働力化しようとする動きがありまして。小人の各家庭から一人ずつ労役として駆り出される事態となったんですよ。私らのところにも案の定ジャイアントの方が来られまして、その時どんぐり拾いに出かけていた私ではなく、家に独り残っていた妻を連れ去って行ったんです。私はその時一生分の涙を流しました。それこそ身体中の水分が失われて
彼の言うジャイアントとはおそらく僕ら人間のことだろうが、何とも同情を強制されそうな話だと僕は思った。
「……それとでんぐり返しには何か関係が?」
「私の妻が連れられた先は南米ブラジルのとある街でした。ですが、私たち小人側には手紙などの通信手段は一切禁じられておりますので、妻が今も生きているのかさえ、私には分かりかねます。私たちは健康であれば通常二百歳まで年を重ねますが、ストレスを受けすぎると寿命がすぐに縮む身体です。あちらは相当過酷な労働環境だったと、あるジャイアントの方から聞きましたので、妻はもう……。いえ、その先は口で言う必要はありません。私はただ、地球の反対側に生きているであろう妻に対し、果てなくでんぐり返しをすることでしか償うことを思いつきませんでした」
そう言うと、彼はやはりおでこが真っ赤になるまででんぐり返しを繰り返した。繰り返しでんぐり返し、である。疲れてくると、息をぜえぜえと吐きながら巾着袋から文庫本と老眼鏡を取り出し、ページを繰り始めた。その表紙には『小人の、小人による、小人のための小人談義』と記されている。そうか、忘れていた。彼らには彼らの世界が広がっているのだ。僕らに見えている小人像というものはほんの一部なのかもしれない。その一部分からアモーダル補完のように全体を想像し、ひとつの小人像を造り上げているだけに過ぎないのかもしれない。
そんな彼を見て、僕は子ぎつねを思い浮かべていた。母ぎつねから自立するために、ある時急にひとりぼっちにさせられてしまう、あの子ぎつねだ。彼らは自分たちよりも巨大な天敵たちに睨まれながらも独自に狩りの仕方を覚え、やがてひとりで生きられるように環境に馴染んでいく。その姿を目の前の老いた小人に重ねてしまったのだ。
僕の視線が気になったのか、小人は老眼鏡を外し、あなた様と僕のことを呼んだ。僕は小人の垂れる講釈などには微塵も興味を抱かなかったが、あなた様と妙に遜られると断りようもないのだった。やれやれ、これだから小人ってのは。
「あなた様にひとつ賢い生き方というものを話しておきましょう。それはずばり、諦めることですよ。何事にも諦めずに抗おうとするほど私たちは溶けきった蝋燭のようになってしまうのです。ですから、すべてを諦めの集合にすることです。貧乏でいい、不細工でいい、ダサくていい、泣き虫でいい、脇役でいい。それでいいから、だれかとオムレツみたいな温かな幸せを共有できれば、私はそれで充分なのです。生きていくのに、処方箋なんてこれっぽっちも必要ないんですよ」
それだけ述べると、彼はまた何かに憑りつかれたかのようにでんぐり返しを始めた。その彼を尻目にし、僕は公園を後にした。
再び外回りに戻ろうと歩き出しながら、僕は考えていた。
諦めの集合? オムレツ?
それは「○日分のビタミン」という表示を目にした時と似たような都合の良さを僕に与えた。けれど、不思議と心地の悪いものではなかった。彼の主張していた理屈を服用するのは、麻雀でロン上がりをするみたいな背徳感をもたらしたけれど、嫌じゃなかったのだ。これはこれで、それはそれで、と付け足したくなるような、そんな感覚に近かった。
とにかく、僕はこの体験を誰かに語りたくて仕方がなかったのだ。だから今、こうしてあなたに語っている。そして、質問は受け付けないことにする。その代わりと言ってはなんだけれど、小人クッキーを拾ったら僕に教えてほしい。彼にはまだ、用があるんだ。
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