第16話 摩天楼に身を隠す阿呆の災銃
「こんなことして、意味あんの?」
「あるに決まってるだろ。僕の生きがいなんだから」
大都会のど真ん中、夕暮れの歩道橋の上。そこに僕と彼女はいる。
眼下には、車の大行列と人の群れが見える。その周囲には、それらの人々を
見下しているかのように、数多くのビルが建ち並ぶ。その窓のどれもに、焦がしすぎた西日が反射していて、その様が僕を安心させる。
「ホント、変態だよね。あんたって」彼女は、ひどく不快感を示す。あまり上手ではない厚化粧に、皺が寄る。けれど、彼女は美しい。憎たらしく思えるほどに。
僕は、自覚している。この国に存在する、ありとあらゆる「歩道橋」を我がカメラのレンズの中に次々と収めていくこの作業が、不必要にも変態的な性質を帯びていることを。しかし、やめられない。僕はいつからか、歩道橋の魔物に憑りつかれ、どう足掻いても離れられなくなってしまった。橋を渡る通行人に嫌な顔をされようが、罵声を浴びせられようが、僕はもう歩道橋にすっかりのめりこんでいる。今さら、抜け出すことなどはできなかった。
「何が楽しいのよ」彼女の不快感は継続している。
「……何が、って聞かれると困るなあ」僕は定点カメラの三脚の位置をほんの数ミリ分だけ横へずらす。「なんとなく、こうしていると落ち着くからだね」
「まったく理解できないけど」
「そうだろうね。だって、君は変態じゃないから。でも、僕は歩道橋から見える景色を撮り続けることに快感を覚えてしまう、そういう人種なんだ。そこに明確な理由なんてないよ。ただ、撮る。それだけのことさ。でも、そうだな。喩えるなら、自分が敏腕のスナイパーにでもなったかのような、その錯覚を楽しんでいるとでも言えばいいのかな」
「……それはもう変態を通り越して、悪人の領域ね」
「そうかもね。それでも、僕は構わないと思ってるよ」
横断歩道の信号音が鳴り響く。ビルの巨大モニターに映し出されている女性シンガーの歌声が、空気を振動させている。それに対抗するように、人々は平凡な声をあちこちで自分なりに発する。
「つくづく思うんだ。僕らってのは、常に人工衛星からの監視を受けているよね。それなのに、みんなそれに気づかない振りをしてる。ある人は平気で人に嘘をつくし、またある人は罪を犯す。それって、とても不思議じゃないか? 絶対に逃げられない空間で、意図的に危険な遊びをするんだから。そういうところに、僕は人間の本性を垣間見るんだ」
「監視されてる、なんていつも意識してたら息が詰まるじゃない? あんたの考え過ぎよ」
「そうかな。自意識過剰なことって、そんなに悪いことなのかな? 僕は集団の一部のモブ人種なんかにはなりたくないし、だからこそ、そんなことを考えたりする。むしろ、それを忘れないために、今もこうして歩道橋から見える景色を撮り続けるのさ」僕は、静かにシャッターを切る。
「それに、いつ誰が僕の額めがけてレーザー銃を向けているか分からないだろ? だったら、最初からこういう場所で目立っていた方が、流石のやつらも臆して狙いにくくなるんじゃないかという、そんな淡い期待もあったりする」
「……それこそ、自意識過剰よ」
彼女は呆れたと言わんばかりの盛大なため息をつき、歩道橋に背中から寄りかかる。
辺りは少しずつ夜を迎える準備を始めていた。街頭に明かりが灯り、行き交う人の歩く速度が少しづつ速まる。太陽がどこかへとこっそり消えていく。やがて、闇が大都会に充満した。
「ねえ見て、綺麗。流れ星!」
彼女が無邪気に指差したその先に、まるまる太った流星が見えた。すかさず、僕はカメラを向け、シャッターを切る。ピントがうまく合わなかったけれど、一応記録には残すことが出来た。
「……なんでこんな場所で流れ星が見えるんだろう? 滅多にないことだよ。今日は君が隣にいてくれたからかな」
「冗談言わないでよ、気持ち悪い」
「冗談じゃないよ」
「……」
「僕は冗談なんて言わない」
「嘘よ」
「ホントだよ」
「……お腹、空いた」
今度は僕が盛大なため息をつく。事前にコンビニエンスストアで購入しておいたおにぎりをひとつリュックから取り出し、彼女に手渡す。
「……冷たい」おにぎりにかぶりつくやいなや、彼女はそう言った。
「文句言わない」僕は再びカメラに集中し、夜の都会に意識を移す。「真夜中の大都会ってさ、まるで生温かい涙を流してるみたいに見えるんだよ」
「どうして?」
「静かに光ってるから、かな」
「あんた、やっぱり変態ね」
「ああ、生粋の変態だよ。それも、純度百パーセントのね」
「馬鹿」
僕はまだまだ歩道橋でカメラを構え続けていくと思う。そうしなければならない理由は特にないけれど、それを止める理由も見当たらないから。それに、こういう時間でしか、彼女と語り合うことが許されないから。
先ほどの流星は、すっかり身を隠してしまった。その流星の一瞬の行為でさえ、きっと、宇宙に浮かぶ人工衛星は見逃しはしなかっただろう。
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