第17話 前人未踏の林から掘り出した災瓶
中学一年生の時だ。
老いた木々が無造作に茂るその林に、僕らはタイムカプセルを埋めた。全校生徒強制参加の、とても退屈な植樹イベントと共に行われた、謎めいた儀式だった。当時の僕は未来の自分へ向けて語るほど精神的な余裕が無かったし、第一何を伝えればよいのかさえ見当がつかなかった。ただ、頭の中に空洞が広がっていた。その感覚だけは、大人になった今でも、鮮明に憶えている。
大人になってから、数多くのことを悟ってきた。現実とはつまらないものが集められた総体であるとか、その真実に気づいてしまった人たちが必死で抗い続けることだとか。僕は眩暈がする。軽い偏頭痛にも襲われる。今日、再びタイムカプセルを埋めた林を訪れたことに、はやくも後悔し始めていた。
清々しいほどの、晴天。日光とはこんなにも温かかっただろうか、と考える。
彼女がやってきた。
彼女は、中学時代のクラスメイトで、当時僕がひどく恋焦がれた相手でもある。昔は肩のあたりで整えられていた髪も、今では腰くらいにまで伸び切り、すっかり印象が変わっていたことに、僕は驚く。彼女の、その漆黒の髪が、この世に蔓延る影たちを吸い込んでいるみたいだ。
「久しぶり。変わってないね」
彼女は、僕に向かって微笑みを見せた。彼女の微笑みは、いつも湿っている。その点は、昔と変わりがなかった。僕は、ひそかに安心する。少し遅れて、懐かしさが脳を揺らす。
「覚えてたんだな、今日のこと」僕はそう言った。
「忘れるはずがないじゃん。……といっても、どうやら憶えてたのは私とあなただけだったみたいね」
十年後に掘り起こそう。たしか、その程度の口約束だったと記憶している。
ちょうど十年の歳月が経ったこの日、その約束を果たしたのは僅かに二名。僕と彼女だけだった。世間の世知辛さをまたひとつ知る。
僕たちは、タイムカプセルを埋めた場所を、持参したスコップで掘っていく。乾いた土をどけ、その穴は深さを増していく。ところが、まだカプセルの姿が見えない。僕は少しだけ不安になる。
「ここで合ってるはずだよね?」僕は彼女に訊ねた。
彼女は額の汗をハンカチで拭い、「そのはず」と力なく答える。「だいぶ地中深くに埋めたと思う」とも言った。
「君は、今どんな生活をしているの?」沈黙を嫌う僕は、彼女に世間話を投げる。
「……大学を卒業してすぐに販売職についたの。けれど、ちょっとした人間関係で嫌になっちゃって、すぐに辞めちゃった。それから、不動産会社に勤めている方と出会って、その人と結婚したわ。子供も授かったし、結果よかったって今は思えてる」
そう溢した彼女の横顔は、微笑んだ時以上に湿っていた。なぜだろう、と僕は考える。
「そっか、それじゃ幸せに暮らしているんだね」
「……うん。幸せだったのかなあ」
彼女のその返答に、いくらかの戸惑いが含まれている。その居心地の悪い言動に、僕は何ともくすぐったくなる。
コツン、という硬い音がスコップに伝わった。タイムカプセルもとい、太くて透明な瓶が土の中から姿を現した。
蓋を外し、中に入っていた紙切れたちをすべて取り出す。十年にわたる時空の旅を経たその紙切れたちは、少しだけ草臥れてるようにも見える。
当時のクラスメイト三十人分の、未来へ向けた伝言が様々に書かれている。将来の夢を記す者、心の内を吐露した者、書くことがなく仕方なくイラストを描いた者。それぞれの紙切れに、個性が宿っている。
「私のやつ、見つけた!」
彼女が手にした紙切れには、「はやくお嫁さんに行きたい」とだけ記されていた。
「結果、叶ってたからよかった。予言的中ってことで」
彼女は微笑んでいた。けれど、またも湿っている。それだけでなく、彼女は奥歯を強く噛みしめる仕草をしていた。中学生の頃に、僕も時折目にした、彼女が怒った際によくしていた仕草だ。ということは、彼女は今怒っているのだろうか?
僕も自分自身の紙切れを見つけた。「初恋成就祈願」と書かれている。忘れもしない。その初恋の相手が、今隣にいる彼女であるという事実を。
「ねえ、なんて書いてあったの?」彼女が、僕の手にする紙切れを無理やり覗き込もうとする。慌てて、僕は紙切れをくしゃっと丸め、瓶に中へ戻す。
「大したことじゃなかったよ。君に言えるほどのことでもなかった」
「なにそれ。恥ずかしいの? 気になるなあ」
「時間って腐るほどあるけど、結局何も変わらないんだなあ」
「そう? 私はそう思わないけど。だって……」
「だって?」
「私……半年前に亡くなったから」
大地の裂け目みたいな、唐突な痛みを感じた。僕は、悲しみに暮れる。その悲しみを死に物狂いで抱きしめたくもなったし、かと思えば思い切り蹴り飛ばしたくもなった。
彼女はすでに、生命を絶たれていたのだ。
彼女はまた湿った微笑みを、そっと僕に見せる。そして、全身が青白い光に包まれていく。それは、傍から見れば流星のようにも見える。すると流星となった彼女は、勢いよく天めがけて飛んで行った。
林に一人残された僕は、奥歯を強く噛んでみた。
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