第18話 慈愛を撒き散らす不屈の災塔
こんなにも巨大だとは、思いもしなかった。
この度僕が依頼された任務の内容は、「障害物撤去」の一言だけだった。それだから、市役所の倉庫に保管してあったやや大きめのシャベルを積んで、軽トラックで目的地までやって来た。
ところが、だ。「障害物」とは、予想の範疇をはるかに超え、天高くそびえ立つほどの、巨大な代物だったのだ。筒状で中はどうやら空洞のようだが、その太さといったらとんでもない。野球場ひとつ分くらいの直径をしていて、その表面は錆びきった銅板のように、汚い色に染まっている。僕はその「障害物」のざらざらとした表面を見て、なぜだか安心してしまう。その感覚が果たして何を意味するのか、自分でもよく分からないけれど。
「お待ちしておりました。エンドウさん」
この街の自衛隊員がひとり、僕の名を呼んだ。彼の両の目はやや濁っていて、実体の無い存在に反発でもしているかのように、血走っている。
「やあ。君たちの言っていたのは、この塔のことかい? こりゃまた、随分とでかい災害が降って来たね」僕は平和的な表情を作って、応える。
「そうなんですよ。何の前触れもなしに、突然宇宙から降って来たんですから。『障害物』の下方部分はすっぽりと地中に埋まってしまって、クレーンでも引き上げられないんです。どうしたものか、と我々も手を焼いておりまして。それで、ここは市役所の方のお知恵を頂ければ、と思いまして」
「それはいいけれど、こんな巨大なもんだとは思ってなかったよ。僕らが何とかできることじゃないな。市民の被害状況は?」
「はい。この『障害物』に関してですが、実は半日に一度、とてつもない速さで回転しはじめるんですよ。その際に、あちらこちらで竜巻が発生しまして。さすがにここまで同時多発的な災害だと、我々でも手に負えません」
「竜巻だって? それは厄介だな」
「エンドウさん。何かいい策はありますでしょうか?」
「策ねえ……」
僕は改めて、街を見渡してみる。竜巻が直撃した地域の住宅は、軒並みやられている。屋根はめくれ上がり、トタンは剥がれ、木々の残骸が周囲に散らばっている。まるで巨大な風神が街ごと吹き飛ばしたかのような、それくらい悲惨な光景だった。僕は、考える。どうして今、自分自身は落ち着いていられるのか。「障害物」を真下から見上げる。その汚れた表面に、また安心してしまう自分がいる。
「そういえば、市民の方々は?」
「我々自衛隊の指揮・誘導のもと、この地域のサッカースタジアムに避難させました。水や食料、寝具なども我々の方で一括手配している状況です」
「そっか。それなら、いい解決策があるよ」
「本当ですか? 流石はエンドウさん。それで、解決策とは一体どんな……?」
「……街をまるごと焼くんだ」
「……それはどういう?」
僕と彼の間に、沈黙が降りた。彼は僕の発言の真意を汲み取ることができないようで、目を魚みたいにぎょろぎょろとしている。
「言葉の通りだよ。街を隅から隅まで焼き尽くして、その炎で野ざらしにするんだ。そうすれば、もうこれ以上、建造物の損壊も無くなるし、人的被害だって抑えられるだろ?」
「市民の方々の帰る場所が無くなってしまいますが」
「それは構わないでしょ。現にサッカースタジアムで寝泊まりできてるわけだから。郊外に仮設住宅をたくさん作って、そこへ移住してもらおう。心配ないよ。経費はすべて役所が出すだろうから。大丈夫だ。この策なら、誰も文句は言えないよ」
「……ですが」
彼は言いかけた言葉を口の中でもごもごと泳がせ、結局それを呑み込んだ。君らには君らの役目があるように、僕ら役所の人間にだって固有の使命があるんだ。ここはそういった狭い理屈で乗り切るしかない、とも僕は述べた。
「軽トラにロングボウをたくさん積んであるからさ。それで、あちこちに向けて炎を纏った矢を一斉に放つ。それで、この街は存分に滅びると思うし、それしか打つ手がないよ」
僕は先ほどから頭を、身体を支配しているこの安心感について考えを巡らす。この安堵は一体どこから湧き出ているのだろうか、と。突如として街に降り立った巨大な「障害物」。そいつは異常に回転し続け、街を木っ端みじんに破壊した。人々は安全な地域へとさっさと避難した。僕は、安心する。自衛隊だけが残り、「障害物」をどうにか撤去しようと、爆弾や地雷などを何発も「障害物」へ放り込む。噴煙の匂いが鼻に届き、その度に決まってむせる。僕は、安心する。「障害物」の表面はとてもざらざらとしていて、錆びきった銅板のように汚れた色に染まっている。それを見て、やはり僕は安心する。
なぜだか。
街の中心部に、人智を越えた、永久に逆らえない存在があるということ。それが僕の安心を形成している。僕は、そう思う。その存在を意識している間は、僕は究極的に善なる存在であり、だからこそ自助努力を怠ることができる。変革する必要性が消滅する。数センチだけ、保守的になる。その事実に浸され、満たされているうちは、僕は一生分の怠惰を使うことになるけれど。
そんなことを考えていたら、頭上から流星が勢いよく降ってきた。
その流星はやがて青白い炎を纏い、「障害物」を頭の先から瞬時に真っ二つに割いた。突風があたりに広がり、ごうんという奇怪な音が響く。それは少しだけ眠りすぎた人民の目を強制的に覚まさせる、酷い鐘の音にも思えるのだった。
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