第7話 間違い探しから飛び出した災輪

 彼はすでに待ち合わせ場所の喫茶店へやって来ていた。約束の時間よりも随分早めに来ていたのか、私から見た彼の表情は少し強張っているようだった。

「遅かったですね、なんとも。地球の人はみんなそうなのか……」彼がぼそぼそと言った。茶色い帽子を目深に被り、目元がまるで見えない。おまけに茶色のトレンチコートに身を包み、これまた茶色いジーンズを穿いているものだから、彼そのものがチョコレートかなにかで出来ていると考えてもなんら不思議ではない姿で、彼は椅子に腰かけているのだ。

「やあ、相変わらずせっかちなんだね、君は。ははは」

 相手の機嫌を損ねないように、私は努めて明るく振る舞った。その理由は決して彼が極めて短気だからというだけではない。

 私は彼から事前に要求されていた品をテーブルに置き、自らも椅子に腰かけた。色褪せた風呂敷包みから取り出したそれは、美しい木目をその表面に宿した薄っぺらい木材だ。

「おお、これは格別な木目ですな。綺麗に同心円状に広がって……そうそう、わたくしはこうした同心円状の構造物に強く惹かれる質でして。なにせ、わたくしの故郷である土星では同心円状至上主義が根強いていますからね」彼は大層ご機嫌そうにその木目を愛らしい瞳で見つめた。

「土星には木目が存在しないですもんね」私は話を彼のペースに合わせることにした。

「そうなんですよ。わたくしたち土星人というのは、同心円状であれば何でも好んでしまいます。なぜなら、その模様にこそ万物のカタストロフィーが隠されているからです。すべての俗物は破壊されたのち、同心円状の粒子となって大気に消えていく、と土星では考えられていますから」

「それはなんだか、ロマンチックに聞こえますね」

「ええ、わたくしの故郷はもっと精密に申しますと、土星の衛星エンケラドスでして。エンケラドスには大きな氷が張っていて、そのすぐ真下にそれはそれは巨大な湖があります。そこにわたくしのような多くのロマンチストが暮らしているのです」

「……なるほど。土星の周囲には輪っかがありますけど、それも同心円状至上主義に何か関係しているのですか?」私は率直な疑問を彼にぶつけた。すると彼はテーブルに置いてあったカップコーヒーを一口喉に通し、一息ついた後、語り始めた。

「あの輪っかのすぐ周囲にはスポークと呼ばれる巨大な氷の雲が回転しています。そうですね、大きさを地球尺で喩えると……ちょうどアジアくらいですかね。ですが、輪っかとスポークをよく見ますと、正確には同心円状ではないのですよ。それであの輪っか自体は崇拝の対象になどなりえません。わたくしは好きなんですけれどもね」

「そもそも土星の方々が同心円に魅力を感じるのはほかにも理由があるんでしょう?」

「万物のカタストロフィー以外に……ですか? そりゃあ、ありますよ。例えばほら、嵐のかたちです」

「嵐のかたち?」

「そうです。土星の表面上では幅3200キロメートルにも及ぶ巨大な嵐が巻き起こっていまして、その形はすべて等しく六角形なのですよ。不思議だと思いませんか? 一体誰がこんなことを、とつい口走ってしまうような感覚に襲われます。しかし、重要なのはなんでもないような事象にこそある種普遍的な規則性が誕生するということ。そして、その規則性のピラミッドの最上位に位置するものこそ、同心円というわけです」

 彼の語りに耳を澄ませるうち、私は詐欺師のうまい語り口に似ていると考えていた。彼は土星人ではあるが、もしも地球で生まれていたら相当な手練れの詐欺師にでもなっていたのかもしれない、とふと想像する。

「ですから、あなたがた地球人にもその考え方が浸透する日がもうじきやってきますよ。わたくしがそう断言してもいい。地球でも似たような現象があるでしょう?」

「例えば?」

「そうですね、二重振り子なんかはその類ですね。あれは一見すると不規則な動きをしているように思えますが、実際は実にパターン化された数学的な動きを繰り返しているに過ぎない。でも、その事実に気付いている地球人は残念ながら少ないでしょう」

「ほう、つまり土星では規則性を見つけることが繰り返されて、その果てに辿り着いた究極形が同心円ということか。……地球人には理解しかねる発想のようだが」

「理解していただかなくて結構ですよ。わたくしは教祖でもなんでもない。ですよ」

「そうだな」

「それでは、この木目は頂戴しておきます。また美しい木目を見つけましたら、わたくしにご連絡ください。それでは、失礼致します」

 そう言い残して、彼は空間の狭間に姿を消した。その空気の歪んだ形は、ほかでもない同心円状をしているのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る