第15話 天より降り注ぐ立方体の災報

 今日も、角砂糖警報が発令された。

 僕らの住む街に起こった悲劇。それはなんてことない、ただ立方体の角砂糖が時々降ってくるようになった、それだけのことだ。大小様々な大きさをしたそれらの角砂糖たちは、まるで人間を撃ち抜こうとする弾丸みたいに、勢いをつけて大空からやってくる。それでも、所詮は平凡で世俗的な角砂糖だから、大した被害は今のところ報告されていない。家の窓が割れただとか、車に汚い傷がついてしまっただとか、その程度だ。人的被害がないだけ、幾分ましだ。

 そりゃあ、僕だって最初は驚いたさ。雹が降って来たと思ったら、コートが妙にベタベタして気持ちが悪かった。その後に、それが角砂糖だなんて知らされたもんだから、ひどく仰天した。といっても、ベタなリアクションしかできなかったけれど。



 ほら、今日の空だってなんか怪しい。至って普通であっても、一度ああいうことを経験してしまうと、記憶が勝手に悪夢の再来を欲するような、むしゃくしゃとした感覚になるんだ。この街で、この曇天の真下を歩いているうちは、僕は世界でも指折りのマゾヒストになれる気がする。

 僕はもう間もなく三年間通った高校を卒業する。とても不思議だけど、終わりが近づいていると自覚しているのに、寂しさがない。むしろ、春から始まるであろう新生活への期待が高まって仕方がないのだ。だから、感傷に浸っている暇がないし、友人には悪いけど思い出のひとつも無理に思い出そうとはしたくない。

 

 放課後、学校を出て、級友の女の子と下校を共にする。

 彼女は学級委員長をこの一年間努めていて、いわゆる正統派の学生だと僕は思う。いや、逆に言ってみれば、彼女から「学生」というありふれた属性を一切合切取り除いてしまえば、きっとダイアモンドくらいの矮小な物体になるのかもしれない。それぐらい、彼女は真面目で、硬派で、そして賢かった。僕からすれば、異界からやってきた聖女のように思えたので、ここでは彼女のことは聖女と呼ばせてもらう。

「ねえ、帰りにコンビニ寄ってかない?」

 聖女が学生鞄を腰の後ろあたりに両手で提げながら、そう言った。

 自転車を押して歩いている僕は、回転を続ける車輪を眺めながら、答える。

「そうするか」

 僕と聖女は、焼け落ちた都市みたいに夕暮れで真っ赤に染まった街を、揃わない速度で歩き続ける。聖女はせっかちという属性も持ち合わせていて、歩くのが異様に速いのだ。時折、それを見て彼女は実は別の種の生き物なんじゃないか、なんて僕は考えたりする。慌てて、僕は小走りで彼女に追いつく。

 街はだんだんと静けさを増していた。買い物帰りのビニール袋の揺れる音、二輪車の排気音、踏切の甲高い音が耳の奥に吸い込まれていく。街全体がハウリングを起こしているように、雑多な音色が反響する心地よさ。ひょっとすると、角砂糖があまりに降りすぎて、甘くなり過ぎたのかもしれない。


 ちょうど速度制限と転回禁止の標識が見守っているあたりで、僕らは左に折れる。そこにレンガ模様の外壁をした、行きつけのコンビニがある。自転車を留め、少し重い頭を持ち上げる。

 窓が一枚だけ、割られていた。

 僕は無視してそのまま店内へ入ったんだけど、聖女は眉をひそめて、不機嫌な子供のような顔つきをしていた。

 僕は定期的に目を通す漫画の週刊誌を一度手に取るが、多くの人に読まれ過ぎた

せいか、表紙が信じられない程汚れていたので、やめた。諦めて、飲料コーナーにいる聖女のもとへ行った。

 聖女は、人差し指を空中で泳がせ、品定めをしているところだった。陳列を見ると、オレンジ色のキャップをはめられたボトルが並んでいる。聖女はそっとホットココアを手に取り、その価格を僕に呟いた。

「……おごれってか。しょうがないな」

 僕がそう渋々承諾すると、要求の通った聖女は、次にお菓子コーナーへ移動する。その場で手にしたのは、激辛で有名な愛想のないスナック菓子だった。もしかすると、聖女も甘くなりすぎたのかもしれない。

 レジで僕が会計を済ませたあと、聖女はアルバイトのおばさんに訊ねた。

「あの割れた窓ってもしかして……?」

 店員のおばさんは話しかけられたことに一瞬驚いたけれど、すぐに平和的な笑顔を浮かべ、聖女に答えを用意する。

「例の角砂糖よ。もう今月で二回目なの。こないだね、業者さんに新しいのに替えてもらったばっかりだったのに。もう嫌んなっちゃって、しばらく放置したままなのよ。窓って意外とお金がかかるもんなの」

「……それは、大変ですね。ご苦労様です」

「今日も警報が出てるみたいだから、早めにお家に帰んなよ」

 僕らは軽く会釈をして、コンビニを後にした。


 僕は再び、自転車を押して歩く。今度はゆっくりと隣に聖女が並んでいるな、

と思うと、彼女は買ったばかりのホットココアを飲み、白い吐息を大気に吐き出しているところだった。

「なあ、」あの角砂糖っていつまで降り続けると思う?」僕は聖女に聞いてみた。

 聖女は、ボトルのキャップを丁寧に閉める。「そんなの私が知るわけないじゃん」

「そうだよな。神のみぞ知る、ってやつか」

「えらく今日は宗教的だね。なんか嫌なことでもあった?」

「……別に。ただ、気になったんだ」

「どうでもいいじゃん、そんなこと。角砂糖が降ろうが、悪魔が降臨しようが、私たちは私たちのままだよ、きっとね」

 そうかもしれない、と僕は心の中で呟く。聖女は、やっぱり聖女だった。そして、僕も僕のままだった。あの無機質な角砂糖たちはほとんど僕らの世界を変えちゃいない。唯一変わったことといえば、少しだけ、ほんの少しだけ、甘くなり過ぎたことくらいなもんだ。 

 

 

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