にぎやかな葬列【中国】

「道教の道士を日本人に説明するとき、よくお坊さんみたいだと言う人がいますが、日本のお坊さんは人の命を簡単に消したりしませんよね」


 そう語るIさんが奇妙な集団に遭遇したのは今からおよそ十年前のことである。



 久しぶりに里帰りしたIさんは懐かしい景色を楽しみながら散歩していた。すると「こんにちは!」と声をかけられた。


 見ると、棺を担いだ一団が満面の笑みを浮かべてこちらにやって来るところだった。


「こんにちは!」

「どこからいらっしゃったんですか?」

「近くにお住まいですか?」

「お名前は?」


 矢継ぎ早に質問をしてくる彼らは全部で六人。

 棺があるのだからおそらく葬列だろう。

 しかしこの和やかな雰囲気はどういうことだ。六人全員がどこか浮かれているような気さえした。


(関わらないようにしよう)


 後ろからはまだ明るい声が追いかけてくるがお構いなしに歩を速める。

 家にたどり着く頃には姿はもちろん、にぎやかな声も聞こえなくなっていた。



 帰宅したIさんが先程遭遇した葬列について尋たところ、


「〇〇さん家のおじさんよ。殺されたのよ」


 予想外の答えが返って来た。


 事の経緯はこうだ。

 ”〇〇家のおじさん”とは、その家の当主である五十代の男性。事故の後遺症で半身が思うように動かせなかったが、それ以外は健康そのものだったそうだ。

 家族にとってはそれが厄介だった。

 自分一人では食事も排泄もままならない元気な男性、確かに介護をする彼らにとっては大きな負担だったかもしれない。


 ある時家族は道教の寺院に行き「彼から解放されたい」と相談した。


 ほとんどの道士は取り合ってくれなかったそうだが、一人だけ金銭さえもらえれば何でもするという道士がいた。彼は「決して安くない金額だが、もし払えるなら特別な道具をやる」と怪しげな話を持ち掛けた。


 それからしばらく後。


 方々に借金までして金を工面した家族は道士から一本の蝋燭ろうそくを受け取る。

 死んだ人間の脂でできたその蝋燭は、殺したい相手の小指に紐で結びつけるとその人の『命』になるのだという。

 蝋燭が燃え尽きるということはつまり、命が燃え尽きるのだ。

 火をともすだけで人が殺せる。

 直接手を下さなくていいし何より罪に問われることもない。


 喜んで持ち帰り、何も知らないおじさんの小指に紐を結え、その先に蝋燭を括り付け、火をつけ、そして――



「この話、葬儀の参列者みんなに自慢げに話していたらしいです。死んだのがよっぽど嬉しかったんでしょうね」


 件の道士は今もそこで仕事をしているそうだ。

 中国南部、貴州省での話である。

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