笑う隣人【マレーシア】


 Sさんはその日、実家の前にいた。

 数ヶ月ぶりの帰省だった。


「ただいま」


 玄関で挨拶をしたが、返事はない。普段なら家族の誰かが出迎えに来るはずだ。しかしその日は何故か家中が静まりかえっていた。

 不思議に思いながら靴を脱いでいると、ギシ、と廊下の方で音がした。


 誰かが玄関に向かって歩いて来る。


 声をかけようとしたSさんはハッと息を飲んだ。


 廊下から顔を覗かせたのは、隣家のおじいさんだった。数年前に引っ越して来たおじいさんには家族はいないようで一人で暮らしていた。老人の一人暮らしということでSさん一家はそれなりに気をかけていたが、親しいという訳ではなかった。ただの隣人である。それなのに何故家に上がり込んでいるのだろう。

 おじいさんはSさんを見つけると嬉しそうに微笑んだ。

 ゆっくりとこちらに歩いてくるおじいさんは、何か大きな物を抱えている。赤い布に覆われているため中身が何かは分からない。ただ、とても重そうにずるずると引きずっていた。


 と、おじいさんがまた一歩踏み出した。その拍子に布が捲れ、裾から人の足が見えた。


 死体だ。

 Sさんは直感した。というのも、その地域では亡くなった人を赤い布で包む風習があるのだ。


 おじいさんは死体を引きずりながら近づいてくる。

 何を言うわけでもなく、ただにこにこと笑いながら。


 気持ち悪い、早く逃げ出したい、でも足が動かない。そうしている間にもおじいさんはどんどん近づいてくる――



 そこで目が覚めた。


 汗まみれの体を起こしたSさんは、そこが一人暮らしをしているアパートの部屋だという事に気が付いた。


 (どうして実家の夢なんか見たんだろう)


 実家での不気味な夢。何だか胸騒ぎがしてすぐに母親に電話をした。

 母親は久々のSさんからの電話に喜び、あれこれと家族の近況を報告してくれた。特に変わったことはなさそうで安心したのだが、

「そういえば隣のおじいちゃん、昨日の夜に亡くなったのよ」

 という母親の言葉で再び不安に襲われた。


 実家から離れて暮らしているSさんは、おじいさんには数回しか会ったことがない。どうして自分の夢に出てきたのだろうか。


 もう一つ、Sさんには気がかりな事がある。


 それは夢の中でおじいさんが抱えていた死体の事だ。

 顔が見えなかったので誰かは分からない。ただ何となく、家族の中の誰かだという気がしたのだそうだ。


 この話を伺ったのが今から数年前。Sさん一家の現在の消息は不明である。

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