タグ【イタリア】

 イタリア空軍に所属しているSさんという男性から聞いた話だ。


 Sさんは現在40代後半、独身である。恋人はいないがいつでも好きな時に呼び出せる相手なら複数人


「出会いはいろいろ。外で声かけたりとか友達の紹介とかアプリとか。でももう連絡先は消しちゃったし、今後もそういう相手を作るつもりはないよ」


 多い時で10人はいたそうだ。約束はいつもしなかった。当日に「これから30分以内に来れる?」と一斉にメッセージを送って、返信が一番早かった子と会う。相手も皆それを分かっていて気軽に遊んでいた。『ごめん、今日は彼氏と約束があるんだ』なんていう返事をしてきた子もいた。だから女性に恨まれていたというわけではないのだと、Sさんは言う。


「ある時から、片方の足首にタグがつけられるようになったんだ」


 始まりはSさんが特に気に入っていたローマ生まれローマ育ちの美人と遊んだ時だった。お気に入りの子は必ず家に泊まらせるのがSさんのポリシーだった。その日も夜を共にして、朝方に送り出した。それからシャワーを浴びようとバスルームに移動した。その時、チャリチャリと音がした。見ると、足首にシルバーのアンクレットが巻き付いていて、それが当たって音が鳴っている。


 取り外してよく見ると、それはアンクレットではなくネックレスだった。足首には二重にされて巻かれていたのだ。ネックレスにはくしゃくしゃになった紙と小さなダイヤがついていた。紙には油性マジックで何か書かれている。記号のようにも見えるし、ただでたらめにぐちゃぐちゃと書かれた落書きのようでもある。


 それにしても、こんなものいつつけられたのだろう。寝ている間に彼女がしたのだろうか。約束はしない、束縛もしない、楽しいだけの関係だったのに、彼女の独占欲を見せられたような気がしてSさんはややうんざりした。


 その日の夕方になって彼女から電話があった。


「ねぇ、私のネックレスそこにない?」


「……もしかしてダイヤの?」


「そう、それ。やっぱり忘れてきたんだ」


「どうする?」


「次でいいよ」


 そう言って電話は切れた。果たして次があるのだろうか。彼女に対する熱が急激に引いていくのが分かった。


 そして次の休み。Sさんはいつものように一斉メッセージを送った。ローマ美人からの返信はなかった。代わりにドイツから留学して来ている女性にした。

 Sさんは明るく派手な美人が好みのタイプだと公言しているが、実は知的で淫靡な黒髪美人が本命だ。例のローマ美人は遊び相手の一軍だが、ドイツの黒髪美人は一軍であるとともに”お嫁さん候補”でもあった。他の子とは違い、頭がいいのも気に入っていた。イタリア語はもちろん英語も堪能、読み書きできるのは6ヶ国語もあるという。結婚して子供を持つなら絶対にこういう知的なタイプがいいとSさんは考えていた。

 ただの一軍とお嫁さん候補は何が違うのかといえば、お嫁さん候補には掃除をしてもらったり料理を作ってもらったりする。その日も彼女に作ってもらった夕飯を食べて、事に及んだ。Sさんはしばらく眠っていたようで、彼女が部屋を歩き回る音で目が覚めた。


「ごめんね、起こしちゃった? 今日泊まっていこうと思ったんだけど、明日は教授の手伝いで朝から大学に行かなきゃ行けなかったの」


「あぁ、それなら送っていこうか?」


「一人で大丈夫。それより、私ネックレス落としちゃったみたい」


「どんなやつだっけ?」


「レザーの紐で馬蹄のチャームがついてるやつ」


 一緒に探そうと思って身を起こしたが、足元に違和感があった。見ると足首にレザーの紐が巻き付いていた。


「えっ、何で?」


 彼女もそれに気がついたようで驚いている。おそるおそるSさんの足に手を伸ばし、ネックレスを外す。彼女は足から外したネックレスを両手で広げた。ネックレスには確かに馬蹄型のチャームがついていた。その横に、長方形のメモ紙がついていた。


 前と同じだ。


「私のネックレス、だよね?」


 彼女はメモだけを紐から外してそう言った。そこには以前と同じように記号が書かれていた。もちろんSさんがそれを見るのは2度目だが、お嫁さん候補には言わない方がよさそうだったので知らないふりをした。


「ねぇ、紙に何か書いてるけど」


「えーっと……ん? これアラビア語だわ」


 語学が堪能な彼女をもってしてもそれがアラビア語ということしか分からなかった。


「これ、持って帰っていい? 何て書いてあるか教授に聞いてみる」


 そう言って彼女はメモ紙をバッグに入れて帰って行った。


 次に彼女から連絡が来たのは、Sさんがまた別の女性と過ごしている時だった。


『アラブ人の名前だったみたい。◯◯◯っていう名前の知り合いいる?』


 Sさんは彼女からのメッセージを読んでしばらく考えた。名前に心当たりはない。だが、アラビア語を話す人物なら知っている。


 そのうち、シャワーを浴びていた相手が出てきたのでスマホの電源を切ってテーブルに伏せた。事が終わる頃にはすっかりメッセージのことは忘れていた。


 一眠りしたつもりが、起きるともう明け方だった。隣で眠る女性を起こそうとブランケットをめくった時、Sさんは思わず叫び声を上げた。


「んん……何? もう朝?」


「いや………」


「何ぃ? ……あっ、それ私のネックレスじゃない?」


 そう、またSさんの足首にネックレスが巻かれていたのだ。


「何やってんの~?」


 気怠そうにSさんの足首からネックレスを外して、


「これあんたのでしょ」


 と小さくたたまれた紙ナプキンを渡してきた。


 Sさんには読めないが、アラビア語で男性の名前が書いているはずだ。


 あの時、Sさんがイラクで見た男性の名前が。


 Sさんはイラクに駐屯していた時期がある。危険地域への派兵となると手当が桁違いなのだそうだ。しかもSさんは前線で戦闘をする必要のない整備担当のエンジニアだった。Sさん曰く「俺は資格がないからパイロットにはなれないし、高卒だから上には行けない」のだそうだ。

 現地ではエンジニアでも命の危険を感じる瞬間は何度もあったそうだ。そのような緊張状態で、普通ならしないようなことをしてしまったらしい。


「ほんの出来心だった。何より彼はすでに……なんていうか、もうほとんど遺体だったんだよ、意識があったとかなかったとかそんな――」


 そればかりで具体的に何をしたのかSさんは明らかにしなかった。


 本当は、ドイツの彼女が「アラビア語」と言った瞬間にその時の光景が頭に朧気に浮かんでいた。名前だと教えられた時にはっきりと思い出したそうだ。足元に落ちていた識別タグを無理やり彼の足首に通したのを。通常であれば親指にかけるのだが、タグをかけられそうな場所がそこしかなかったのだそうだ。


 Sさんの中では足首のタグと女性と肉体関係を持つことにははっきりとした因果関係があるようだ。だから3回目それに遭遇して以来、女性とは一切の接触を断った。10年経つ今でも女性とは連絡を取ってすらいない。女性に費やしていた休日は教会で過ごすことにした。それでも頭から離れない。


 思い悩んだ彼はキリスト教以外の宗教に救いを求め始めた。そこで、Sさんの弟と親しかった異教徒――これが私である――に理由も含めて相談したのだ。異教徒というほどの信仰生活を送っているわけでもなかったので、さほど役には立たなかったようだが。今でもSさんは長期休暇の度に色々な国を訪れ、宗教施設へ足を運んでいるそうだ。

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