第26話 日が欠けた時を狙え

 ゴルフ場の真ん中に建てられた用具を入れる小屋に入った。中からつっかえ棒をしてパイプ椅子へどさっと体を落とす。


「汗をかきましたわね」

「びっくりしたよ……」


 サラ姉もパイプ椅子を取り出すと、武道着を抜いで汗を手拭いで拭き取った。後ろを向いて僕も汗を拭いた。


「あら、お行儀の良いこと」

「つきあっていない人の体は見ないよ」


「じいさまの言いつけですわね」

「それだけじゃない。他にもたくさん覚えてる」


 着替え終わって、床へ直接座った。


「じいさまの最期はいかがでしたか」

「立派だった」

「それはなにより」


 じいちゃんが僕と一緒じゃないってことは、つまりそういうことだ。サラ姉はそれをわかっていたけれど、声に弱気を見せないようにしていた。


「別の信念をもっている人を引き留めても、自分の利益にはならない。わたくしもあの時ついていけば、今ころユミさんと四人で駒澤へ戻れたのかもしれませんわね」

「後悔しても仕方ない。それより上町家はまだ二人も生きている。僥倖ぎょうこうだよ」


 それを聞くと、ふふっとサラ姉が僕の後ろ頭をつっついた。


「申し訳ありませんと、本当は言いたいのですけれど。今はまず深く感謝しますわ。そして、改めてわたくしの手を使ってくださいませ」

「うん。実は僕も、駒澤まで戻れたらサラ姉さんにごめんって言いたかったんだ。でも、ごめんじゃなくて、ありがとうだね。その言葉で前に進みたい」


 サラ姉が言うとおり、ここまでいてくれればずいぶん違ったろう。じいちゃんの死も、養運寺からまっすぐ町田へシキを追って死にかけたことも、サエコさん、ネコやショウさんの死もなかったかもしれない。でも、もしもの話をしてもだれも戻ってこない。今はただ、死んでいった人と生きている人にありがとうだけを伝えて進むだけだ。


「つっ……」


 サラ姉の声。振り返ると、姉さんの上半身はまだ裸だった。服を着ていたときは気が付かなかったけれど、上腕に大きなテープがはってあって、その下が黒くにじんでいる。


「ケガしてる? まさか?」

「いいえ、噛まれたわけではありませんわ。子供を助けようとして、ぶつけた時に」


「大丈夫なの……」

「日々の精進と裂帛れっぱくの気合で乗り越えましたわ。ただ、さっき弓を引いたときに少し傷口が広がってしまって。さらしを巻くのを手伝ってくださいまし」


 背を向けて、サラ姉が真っ白のさらしを僕に渡した。


「後ろから回すのかな?」

「それでよろしいですわ」


 包帯を前に回す。それをサラ姉が慣れた手で反対側からまた返してきた。ひっくり返しながら、繰り返して巻いていく。


「面倒だね」

「そこらの洋品店からブラジャーを盗めば、たちどころに解決しますわね」


「どうしてもそれはやらないの」

「ええ。わたくしの自尊心が、どうしても許してくれなくて」


「かたいなあ」

「これしかできませんもの」


 サラ姉は何年か前にも見せた、少し寂しそうな顔でつぶやいた。


「裂帛の気合いって何?」

「激しいかけ声のことですわよ?」


「そう言えばいいのに」

「武道と教養を兼備けんびしてこその侍ですわ」


 兼備っていう言葉も分からなかったけれど、それよりも今は、この頼もしい従姉妹が追いかけてきてくれたことが嬉しかった。


 一休みすると、僕たちは作戦を練り始めた。今までの経験を集めて整理する。僕が気にしたのは死にかけが馬を怖がることだ。この特徴は使いたかった。正面から堂々と馬で行くのは多すぎて無理だけど、建物の前にいる奴らを減らせばなんとかなる。一方、こっちが持っている情報でサラ姉が食いついてきたのは、煙と火の話だった。


「火や煙を目指して動く。それは確かですの?」

「近くにまではやって来る。むりやり煙にまきこんで殺したことはあるけど、自分から触りはしない。」


「知的ですわね」

「いや、習慣さ。もし考えて動いているなら、もっとパターンがあるはずなんだ。個性がない。みんな同じなんだよ」


「なるほど……」


 ノートを取り出して病院の見取り図のページを開いて見せた。


「正門の車に火をつけて、構内の奴らをおびき寄せる。減ったらそのすきに正門から入る。かな」


「馬は火を怖がりますわ。生食も磨墨も火に慣れていない。となると、まず正門のそばまでは二頭で移動。彼らは馬を避けるからそこまでは問題なし。それから少し離れた車に火をつける。そこへ寄ってきた連中をやり過ごして中へ」


 結局、サラ姉がおびき寄せて、そのすきに僕が病院に入るってことになった。


「他に何か法則はありませんこと?」


「あとは……あまり関係ないかな。熱いのと痛いのは平気みたいだけど、寒いと遅くなるっていうか、動きが鈍くなるみたいだね」

「動きが鈍る?」


「うん。多分だけど、寒さに弱い」

「ええっ?」


 サラ姉が、ぽかんと口を開けて僕を見た。


「邦彦。それがわかっていてなぜ最初に言わなかったんです?」

「なんのこと?」


「忘れているんですの?」

「だから何が?」


「明日は日食ですわ」

「ああ……でも、それが?」


 そこまで言うと、サラ姉が僕の肩をゆすって顔を寄せてきた。


「その意味がわからないと?」

「なに言ってるの? そりゃ理科で習ったもの。暗くなるんでしょ。太陽が欠けて」


「それだけではありませんわ! なんて鈍い! 一人前になったかと思えば、ただのひいき目でしたわね。いいですか、一度だけ。一度だけしか言いませんわよ。日食は暗くなるだけじゃない」


 サラ姉は僕の両肩から手を離すと、静かに息を吸ってから力強く言った。


「寒くなるのです。五度以上。一瞬で」

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