第6話 パトカーが人をはねる

「須藤更紗です。戻りましたわ!」

「はーい、門あけまーす!」


 勢いのある声が駒澤大学の門をあけた。四頭のひづめが敷地へと進む。


「食べ物は手に入りましたか」


 迷彩服を着た若い男の人が言った。自衛隊だ。


「そちらはまた後ほど。それより身内が二人見つかったので、彼らを」

「何よりです。二人とも血色はいいですね。どうやって逃げましたか」

「これで追い払いながらだな」


 じいちゃんが兼定と木刀を見せた。


「あ、真剣? 剣道ですか? 段位とかはお持ちでは……」

「こいつは初段。俺は七段までだ」

「えっ」


 驚いて自衛隊の人が目を開いた。


「すいませんが、この先の棟の二階へお願いします」


 馬をつないでから、少し歩いた先に三人で教室みたいな部屋に入った。中には五人くらいの大人がいた。黒板にいろんな取り決めごとみたいなのが書いてあって、乱雑に紙とペンが転がっている。


「おっ!」


 一人、スポーツ刈りの人が勢いよく立ち上がった。


「上町先生!」

「おお、生きてたか」

「はい。金曜がここの部活の監督でして、偶然ここにいまして。みなさん、この方は上町正吉先生です。剣道の高段者で、私の先生でもあります」


 おおっと全員が立って、じいちゃんを囲んで挨拶に来た。


「まてまて、俺もなにがなんだかって感じでな。まずどうなってるのか教えてくれ」


 それを受けて、じいちゃんの知り合いが説明を始めた。


「ここには感染していない人が二五〇人くらいいます。十六歳以上、五五歳までの健康な男性が百人。同じ年齢の女性が六〇人くらい。うち医者は三人。電話回線は無事なので手の空いている人は交代で片っ端からかけてます。ネットも問題なし。無線はないので、今のうちに自衛隊の基地に取りに行くことを考えています。水道とガスは無事ですが、あと三日もすると止まる可能性がありますね」


 話を聞きながらスマホを見た。僕のラインもあと何日も使えないみたいだ。できるだけユミと連絡はこまめに取らないとまずいかもと思った。ここにいつまでいることになるだろう。休んだらすぐに出たいけれど、じいちゃんの力がここで期待されてる。一人でも先に進むほうがいいんだろうか。


「他は何かあるか」

「手の空いてる人には手当たり次第、役に立ちそうなことを調べてもらってますよ。でも無意味な情報も多いですね。数日後が日食だとか……とにかく、問題は格闘にかなりの人手が食われることです。武道の経験者は貴重ですよ」


 話の途中で金属の音が鳴った。続いてトランペットの音が響く。


「あの音なら正門です」

「あんまりでかい音だすなよ。あいつらは音に寄ってくるぞ」

「わかってはいるのですが、この際仕方ありません」


 様子を見に、サラ姉とじいちゃんと北門へ向かった。死にかけがわらわら集まっている。鉄の門の前には、十人くらいが二列になっていた。槍のような武器を持っている。モップや竹刀の先に包丁を縛りつけてあるみたいだ。入ったときにいた自衛隊の人が、ナイフのついた鉄砲を構えて北門の手前に立っていた。


「はいまず必ず腰に引き付けまーす。突くときは腰で押します。こうやって手で押さない。威力が出ませんからね。必ず相手の目を見て喉を。このとき手を噛まれないように注意ですね! じゃあ見本行きます。一で構えます! 二で踏み込んで突く! 三で抜きます!」


 自衛隊の人が、門に集まっていた一体の喉を突いて殺した。


「この抜くとき、突いたとおりにまっすぐ! 必ず手じゃなくて体全体で! 綱引きみたいなイメージです。じゃあ整列!」


 一列に並んだ中には僕と同じくらいの人もいれば、父さんくらいの人もいた。でもみんな目がおびえている。指示に従って何体かを殺していたけれど、槍が届いていない人もかなりいた。自衛隊の人が苦々しい気分を殺しているのが伝わってきた。見たことがある顔だ。教えても教えても身につかない、イライラをため込んでる表情。先生や先輩が僕を見るときの顔だった。強い人には、弱い人がなぜ弱いのかわからないんだ。


 思った直後。みしみしと鉄門がひしゃげた。中にバラバラと死にかけが入ってくる。武器を持っていた人も、腰を抜かして倒れこんだり、蜘蛛の子を散らすように逃げていったりした。


「逃げないで! 倒さないと!」


 自衛隊の人が声を張り上げながら、倒れてる子供の前に立ちふさがって銃をかまえて次々に倒していく。這いながら、僕と同じくらいの子が逃げていく。


「じいさま、邦彦、加勢を!」


 サラ姉が言うなり矢をつがえ、あざやかに正面の集団を射殺した。続いてするすると木に上り弓を構えなおす。手には何本も針金みたいなものを持っていた。


「サラ姉、何それ?」

「子供のころ読んだ古い漫画に、不死鳥を射止める狩人が出てきますの。その人が樹上から何本もまとめて矢を射るシーンが好きで……」


 言いながら、いびつな形の矢を構えて弓を打ち始めた。それでも百発百中だ。目の前で直立した灰色がドミノ倒しに転がった。


「夢がかないましたわ」


 サラ姉の声は僕に向けていたけれど、目は倒れていく姿に据えられていた。


 子供の頃、サラ姉の家に何度か遊びに行ったことがあった。でも相手してくれるのはいつもお兄さんで、サラ姉はいつも一人でボールを投げたりビリヤードのおもちゃで遊んでいて、相手してくれなかった。


 ある日、ふと、一人でサラ姉のところに行った時、そのころは長かった亜麻色の髪をいじりながら、さびしい、とつぶやいたことがあった。僕に目は向いていなかったけれど、はっきりそう聞こえた。


「みんなで遊ぼうよ」


 僕が言うと、サラ姉は小さく首をふった。


「わたしがやることはみんな楽しくない。みんなが楽しいことはわたしが楽しくないから」


 それで話はおわった。今のサラ姉の目はその時と同じ色をしていた。


 ラッパが鳴り響いて、建物にいた人たちもピストルやら警棒やら、それぞれの武器を持ってかけつけてきた。じいちゃんも兼定を抜いた。そこから先は乱戦だった。遠くからみると、たしかにそんなには怖くないようにも見える。木刀を中段に構える。やるか。やれるのか。僕の剣道で。


 運よく、僕が飛び込む前に後ろからサイレンが響いた。死にかけが音の方角へ体を向ける。パトカーが集団へ突っこんでいった。冗談みたいに黒い姿がすっとび、壁や門柱に激突していく。パトカーが人をひき殺すなんてギャグにもならない。けれど、それを見て少し考えがまとまってきた。僕の頭の中で『これは試合場の剣道じゃない』ってことと『常識外れでも、倒せればそれでいいんだ』ってことがだんだんわかってきた。針金を矢にしていい。パトカーが人をはねていい。剣道にこだわらなくていい。だったらもっと、いろんなことが思いつくはずだ。


 考えている間に、とにかく入ってきた奴らは全滅した。クラウンのパトカーから警察の制服を着た二人組が下りてくる。迷彩服の若い男の人が頭を下げる。


「失敗でした。もっと訓練してからやるべきだった」

「次はメンバー選びましょう。あと、やっぱり私たちも最初から入りましょうよ」


 ピストルをホルスターへ戻しながら、小柄なおじさんが答えた。警察官なんだろう。さっき逃げ回っていたほとんどは申し訳なさそうに下を向いていたけれど、警察や自衛隊の人に指示がおかしいだのなんだの、そんなことを言っている人もいる。でも一番気持ちが悪かったのは、立ったままへらへら変な笑い声を出している人たちだった。


 ここにいれば大丈夫なのかと思ったけれど、かなりギリギリだ。もっと人がいないと耐えられそうにない。でも、僕は……


 考えている最中にじいちゃんに肩をたたかれた。


「邦彦。少し休んだらここは離れるぞ」


 先に言われた。ただ、僕にはユミが特別だけど、じいちゃんにとってはそうじゃない。どう考えているんだろう。


「じいちゃん、残らないの?」

「一人にしねえよ」


 ほっとして、ありがとうって言おうとした。けれどそこで、じいちゃんが後ろの気配へ目だけを動かした。直後、鋭い声が僕たちをたたいた。


「お二人とも。なんとおっしゃいましたか?」

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