出発 - 彼女を助けにいく
第7話 大を捨てて小を取る
「いや、なんでもねえ」
じいちゃんはできるだけ声色を変えないように答えた。
「邦彦。友達が外にいらっしゃるのです?」
サラ姉はじいちゃんの返事を聞かず、まっすぐ僕をにらんだ。全部聞かれてたって思った方がいい。僕は木刀をベルトにさして、素直に答えた。
「相模原の北里大学病院にいるんだ。同級生が」
「相模原……遠いですわね」
「僕を待ってる」
「女の子ですわね。彼女ですか?」
「ううん。でも……」
「でも」
「助けに行きたいんだ」
はあっ、と、サラ姉が息をついた。
「こんな状況なんですし、ここだけでも一〇〇〇人くらいまでは増やさないと。今、人が減るのは致命的です。敵に勝てませんわ」
「敵……あれの事」
「そうですわ。武道を身につけたとき。いえ、学ぼうと思った時から、ずっと探していた相手です。なんでこんな時代に弓を。馬を。その答えが三日前に出たのです。このために生きていたと思いましたわ。じいさま、邦彦。あなたたちにそれがわからないはずがありませんでしょう。武道を修めるのは国のためやより多くの人のためですわ」
ぐっと息が詰まった。それは、もしかしたら武道家としては正しいのかもしれない。でも、今の僕には違っていた。ユミを助けたい。ユミだけを助けたい。初めてそういう、貫きたい気持ちができかけていた。学校でも部活でも得られなかった気持ちだ。今度こそという思いがあった。
わかっているのに、サラ姉の視線に射すくめられて、喉が動かない。その態度をみかねたのか、じいちゃんが僕とサラ姉の間に割って入った。
「わかるかよ。サラ、いい年してバカな事ぬかすんじゃねえ」
じいちゃんは急に大きな声を出して、サラ姉にたたきつけた。それを見て、サラ姉もきっと目を吊りあげて言いかえした。
「バカなこと? ではわたくしから聞きましょう。その兼定は何のために差しているのですか?」
「知るかそんなこと。こんなもんただの長げえ包丁だ」
えっと、僕のほうが驚いた。ここを出ていくことは言うと思ってたけれど、まさか兼定をそんなふうに言うなんて。サラ姉にもさすがに意外だったみたいだ。
「なんてことを! 刀は侍の魂ですわ!」
「だったらそんな魂は二束三文だ。邦彦がやろうとしてることは、そんなもんよりずっと価値があることだ」
「女一人でしょう! じいさまがいれば百人を救えますわ!」
「算数の話はしてねえ! 人が生きる意味の話してんだ!」
「ならぬものはなりません。わたくしの言う事をしかりと思えなければ、他の人とも相談なさってください!」
サラ姉が講義棟を指さした。
「そうはいかねえ」
じいちゃんが刀の
「何を!」
サラ姉が矢を後ろに飛び退いて矢を弓につがえようとする。その下がった分だけ、じいちゃんが姉さんとの間をつめた。
「サラ、じいちゃんの腕はよく知ってるな。その矢を下げろ。さもなけりゃ、じいちゃんの兼定はお前に向けなけりゃならねえ」
「なんと愚かな! 一人助けるために一人斬ると?」
「言ったろ。生きることは算数じゃねえんだ」
二人の声で人が集まってきた。事情まで聞こえてはいないだろうけど、争っているのは見てすぐにわかる。
どうする?
このままサラ姉やじいちゃんたちとここに残れば、たしかに何人もの命を救えるかもしれない。でも、僕はどうしても相模原に行きたい。何が正しい。僕に何ができる。
額の汗をぬぐう。みんなが二人を囲む中、手早くポケットの中を探る。そこで、意外なものが二つ、触れた。
できることがある。機転を使った、工夫して考え、動くことが。
人とぶつかり合っても、いつも逃げてきた。剣ではないけど、これは自分から動く最初の一歩だ。あれだけ、じいちゃんにやる気を出せるよう励ましてもらったんだ。サラ姉には悪いけど、僕は前に進みたい。
「やむなし……」
サラ姉が大きく後ろに飛びのいてもう一度矢をつがえた。そこに割って入った。
「邦彦、おどきなさい!」
「サラ姉、ごめん!」
右手に木刀を持って振り上げ、大きく振り下ろす。
「なにを!」
サラ姉が後ろに跳んで、素早く弓を引いた。矢が飛んでくる。怖い。けれど、これが僕の答えだ。
矢は僕の脚へ飛んでいった。周りにいた誰かが叫んだ。
「邦彦!」
じいちゃんが僕の前に割り込んでサラ姉に背を向けた。僕の体を抱きながら矢を地面に投げ捨てる。
「てめえ、身内に
「やむを得ませんでした。深手ではないはず」
「ふざけんな! おい、ひでえ血だ。消毒のあるところに連れてってくれ!」
サラ姉が駆け寄ろうとした。じいちゃんが怒鳴りつけて追い払った。
医務室に到着すると、看護師だったっていうお姉さんが来たけれど、じいちゃんがひどい剣幕でその人も出ていかせた。
ものすごい機転だと思った。あの短い時間に僕もよくできたなって感じだったけど、そのあとのじいちゃんの助けがなければバレてたろう。
医務室で二人きりになってから、体を起こした。
「ありがとう」
「いや、俺も頭に血が上ってて危なかった。よくこんなこと思いついたな」
じいちゃんが足を縛った手ぬぐいを取る。
「肉に届いてねえ。かすり傷だ」
「うん、だって僕が怪我したら戦力が減るもん。サラ姉レベルなら、威力の調節なんて簡単にできるよ」
種明かしはこうだ。まず昨日受け取った手ぬぐいを左腰のベルトに縛る。左手でそれを引っ張って脚の前に。それから右手で木刀を振り上げてサラ姉に振る。
サラ姉が弓を引く、けれど殺そうとは思っていないんだから、必ずその引き方は甘いはずだ。しかも足を狙う。前に出ている左足を。太ももの前に手ぬぐいを引っ張って矢を受ける。もしサラ姉の武器がナイフだったりピストルだったりしたら、この手は使えなかった。正確に狙いを定められて、しかも手加減までできるからこそ、予想を絞ることができたわけだ。
斜めに張った手ぬぐいに刺さった矢は太ももをかすめたけど、もちろん致命傷じゃない。倒れて素早く反対側を向き、ポケットに入れてあった朱肉を手ぬぐいにこすりつける。よく見れば一発でバレるだろうけど、じいちゃんが僕を隠すように割って入ったから気がついた人はいないはずだ。
ぶっつけ本番の手品だけど、最高にうまくいった。ソーラン節が書いてある手ぬぐいと朱肉をゴミ箱に捨てた。
*
夜になって、じいちゃんが食べ物を持ってきてくれた。二人で食べてごみ袋に詰める。歯を丁寧に磨き終わり、それぞれのベッドに横になったとき。僕は改めて、決意をこめてじいちゃんに話しかけた。
「頼みがあるんだ。聞いてくれるかな」
「ああ、どうした」
カーテンを開けてじいちゃんがこっちを向く。こんな言い方をしたのは初めてだったけれど、じいちゃんは両こぶしを膝にのせて姿勢を正し、じっと僕の言葉を待っていた。
「じいちゃんのいう通りだ。僕はユミを助けたい。どうしても。でもまだ一人じゃいけない。本当はさっき、サラ姉を振り切って一人で相模原へ行くって言いたかった。言えなかったけど。でもこれからきっと言えるようになる。一人で死にかけを倒せるようにもなる。だからもう少しだけ助けてほしいんだ」
じいちゃんは僕の言葉を一つ一つかみしめるようにうなずいて、最後に頬に手を当てて答えた。
「あたりめえじゃねえか。約束したろ。じいちゃんは昔、大きな間違いをした。大人が子供を殴るってのは、絶対やっちゃいけねえことだ。邦彦が大人になろうとするのを邪魔しちまったんだ。そんな宣言はいらねえよ。最後まで一緒だ。最後まで」
言いながら、じいちゃんが電気を消した。もう遅い。落ち着かないけど、明日までなんとか寝ないと。
ユミの顔を思い出していた。想像の中で、ユミは誰もいない病院の最上階で、僕の名前を打ち込んでいた。親が病気になったって言ってた。あの時、一緒に帰ってくれた時、僕と話したかったのはそういうことなんだろうか。胸にじんと鈍い重い苦しさが集まってくる。目を閉じるたびにユミのことを思い出していた。
「じいちゃん」
「なんだ」
「僕、やっぱりユミのこと好きだ」
「ああ、知ってたよ」
ふふっと低い声で笑って、じいちゃんがとなりのベッドから体を起こした。
「大好きなんだ」
「本人に言えよ。俺に言ってどうすんだ。ユミちゃんのためにがんばりな」
「うん、わかった……けど、いや、でも、嫌われたらどうしようかな?」
苦笑いを混ぜて言った。
「そんなこと嫌われてから考えろ。まずさっさとユミちゃんの気持ちを聞きにいかねえと。誰かに取られたら大変だからな」
じいちゃんも苦笑いを返した。そうだね、と答えて、もう一度スマホを見た。
(邦彦どこ?)
じっとそのメッセージを見つめた。やがて、八時ぴったりに連絡は来た。
(邦彦。無事だよ。床が硬くてなかなか休めないけど、もう少ししたら寝る)
(外もあったかいから大丈夫だと思う)
(来てくれるの? 来られそうなの?)
(無理しないでね)
(なんとかするから)
(あ、でもでも、連絡は待ってるね)
(行くよ。絶対に行く。絶対に助ける)
(毎日、夜8時と朝8時に連絡入れる)
(無理なら9時、でなけりゃ10時)
(助けるまで、毎日)
ありがとう、のスタンプが来た。がんばるよ、ってスタンプで返してラインを閉じた。なかなか眠れなかったけれど、目を閉じて体をできるだけ休めた。明日、今日よりも大人になるために。
*
いろんな夢を見たけれど、起きると同時に全部忘れた。午前四時。外へ出るのは難しくなかった。正門の見張りは別の人だ。じいちゃんと食べ物と飲み水のあてがあると言って丸め込み、こっそり借りた自転車で外へ出た。
「サラ姉に謝りたかったな」
「じゃあ生きて戻れ。ユミちゃんと一緒に戻って、それから謝ればいい」
話しながら、首都高の下で自転車をこいだ。朝が早すぎてまだ街灯が点いている。奴らは昼よりはゆっくり動いているような気がしたけど、眠ってはいないみたいだ。ふらふらと歩いているような止まっているような姿が不気味だった。
じいちゃんがハンドルに地図を置いた。ネットはまだ使えるけど、万が一に備えて大学の売店から地図を持ってきてある。別の文房具屋で磁石も手に入れている。これでネットが使えなくなってもなんとかなる。こういう考え方もひとつずつ勉強するしかない。
少し進むと、大きな橋にさしかかった。多摩川だ。相模原へ行くにはどういうルートを通るにしても、この川を渡る必要がある。橋が車でふさがっているし、その周りにもかなりの死にかけがいた。
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