第27話 静寂を破る

 粗砥石で兼定を研ぎ、その刃を光にあてる。ざらざらとした鈍い光には、芸術品としての美しさはない。この兼定は、もうそういう目的では使えないものになっていた。


「斬れそうだ」


 切っ先を見てつぶやいた。


「見せていただけますかしら。手に取ったことがほとんどなくて」


 サラ姉にそれを渡すと、小さく笑った。


「美しい。この魔性の輝きに魅せられぬとは、爺様は朴訥過ぎますわ」

「そんなことないさ」


 靴紐を締め直しながら答えた。


「ただの長い包丁だよ」


 サラ姉がふふっと笑った。


「武道を始めて、世界がこうなって、磨き抜いた腕の使いどころが得られたと思った時は、その言葉が許せなかった。でも今は違いますわ。人を捨てて鬼になろうとしていたわたくしのことも、爺様は救ってくださった」


 サラ姉が震える手を抑えて刀を返す。じいちゃんの事を思い出してるんだろう。でも、今はその時のことは話してられない。刀を鞘にもどすと手足と首の防具を巻き直す。最後にリュックを整理した。


「栄養ドリンクを二本、強壮剤を一包。どちらも切れてからぐったりくるから、短時間決着を目指すよ。二時間で決着をつける。予定通り、馬を非常梯子の下につなぐまではお願いするけど、いいよね」


「ええ、お任せなさい。邦彦の背に憂いはとどめませんわ。それよりも、ユミさんに再会して浮かれすぎないようになさい。昨日あったように自然にしたほうがいいかと思いますわよ」

「大丈夫だよ。いきなり抱きついたりしないって」

「それは結構」


 答えると、サラ姉が腰のひょうたんを渡してきた。


「くれるの? なんで」

「餞別じゃありませんわよ。水は大目に持った方がいいですわ」


「ありがと。なんかみんないろんなものをくれるね」

「お金のない世界では、そうするしかありませんもの」


 そうかもしれないなと妙な納得を感じながら、ひょうたんにミネラルウォーターを移した。外へでる。馬で公園を抜けた。国道の左へ正門。西に沈む太陽は背後に。遠くから騒々しい音が聞こえてきた。群がる死にかけの数は増えていた。熱気の中をうごめく死にかけの群れは馬を見ると背を向けていったが、密集するにつれてまたこちらを見た。数百の目が並んでいた。


「では」


 サラ姉が槍と弓を構えて馬を降りる。僕がスコップで近くの車の給油口を片端から壊し、ひったくってきたホースを差し込む。ガソリンがどぼどぼと街路に流れ始めた。


「できれば十台以上でやって、一回で火をつなげたい」

「手早く願いますわ。あと一時間で始まりますわよ」


 奴らがこちらに興味を持って近づいてきたら、すぐに火を点けなければならない。息を殺してガソリンを道路にまき続けた。


「白兵は徹底して避けますわよ」


 素早く僕たちは馬に乗って後退した。十分に下がったところでサラ姉が矢に固形燃料を縛り付け、矢に火を点ける。


「風がないのは幸運でしたわ。引き絞りすぎると、火矢は簡単に消えてしまう」


 サラ姉はいつもの半分ほどに弦を引いて矢を射た。空へ向けられた矢が、緩やかな放物線を描いて飛んで行った。


 かつんと音を立てて落ちると同時に、めらめらと音を立てて地面が火に包まれる。一発で成功だ。予備の火矢を捨てて後退する。裏道を通って反対側へ。


 建物の隙間から見る限り、死にかけは火に近づいていた。正門に隙間ができてきたあたりで、声を殺して馬で構内へ入った。四列の自動車の入口には一般、バス、救急指定と書いてある。


 この門の奥、ハシゴのところはひしめく死にかけで完全に埋まっている。そこまでの道を作り、ハシゴの下へ馬を繋げるのがサラ姉の役目だ。僕はふつうに正面の入り口から入る。こっちの方が数は多いけれど、考えはあった。


 馬からおりるとサラ姉がするすると上に登る。弓と巨大な箱に大量の矢を入れて渡す。頼れる姉さんが深くうなずいた。


「武運を」

「サラ姉にも」


 スコップを右手に、木刀を左手に。背中にリュックサック。右の腰にひょうたん。左の腰に兼定。めちゃくちゃな組み合わせだけど、自分なりの本気を積み上げた結果だ。


 正門を通り過ぎたところで一度縁石に腰をかけた。数は多かったけれど、まだこちらに向かってこない。トイレにも行ったし、ストレッチも十分だ。兼定を鞘ごとつかんでもう一度ベルトに差しなおし、首を守る太いベルトを少しだけ動かした。時間まであと五分。


 冷たい石の上に座りながら、小さかったころのことを思い出していた。いじめっ子に殴られるのが嫌で、目立たないようにしていた小学校の時から、今までのことだ。


 最初の思い出は、ある日ユミと話したときに、いじめっ子に突然殴られたことだった。理由はわからない。ただなんとなくそいつが腹が立った時に、僕がいただけだろう。びっくりして何もできなかった僕を見て、ユミがフルパワーでカバンを振り回してそいつの横っ面に叩きつけた。


 それまで道場で一緒だっただけのユミは、その日から友達になった。そしてユミから受験の話を聞いて、こんな毎日から逃げられるかもと思って勉強をはじめた。


 でも、そのあとユミをケガさせてからは、また一人に戻った。私立の中学に行っても何も変わらなかった。結局いじめられないように毎日を過ごした。世界なんてなくなってしまえばいいって何度も思った。


 バカみたいな毎日だった。学校に行って戻って、課金しないゲームで時間をつぶして、そんな自分が許せなくて、突然夜中に意味もなく木刀を振ったりして、それも百回も続かずにやめてしまって。なにがなんだかわからなかった。いったいなんだろうって感じだった。


 そして先週、その毎日はなくなった。やり直しをする日が来るはずだった。でも実際にそうなってみたら、予想とは随分ちがっていた。あこがれてた異世界がこっちへやってきてくれたのに、相変わらず逃げる日々が続いた。


 結局、逃げても逃げても行きつく先は死だ。北斗七星の下だ。だから僕は自分の頭で考えるようになった。そして大きく変わった。短い時間で多くを学んだ。振り回されて、イラついて、その理由も考えない、ただ生きてるだけみたいな毎日はもう終わりだ。


 もう逃げない。あのとき助けてくれたユミのところへ。ラインも繋がらないし電話も通じない。ユミは生きているかもしれないし、死んでいるかもしれない。それでも。一度好きだと信じた気持ちは変えられない。どうしても。


 大きく深呼吸。体を回して、西を見上げる。


 風が吹きはじめた。湿っていた空気が重さを忘れたように消えていく。下を向いていた死にかけたちが、一斉に空へと顔をかたむけた。


 西の真っ白な円に、別の真円が重なっていく。空があっという間に暗くなり、北の空の星座が見える。風がひときわ強くなる。急激な冷気がおりてきた。


 空を向いて死にかけが棒立ちになっている。頭上に北斗七星が輝いている。その先の北極星を見つけると、小さな声で「よし」とつぶやいた。


 三界の狂人は狂せるを知らず。

 四生の盲者は盲いなるを識らず。

 生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く。

 死に死に死に死んで死の終わりに冥し。


 迷いの世界に迷い狂い、わからないことすらわからない。何度生まれ変わっても何度も死んでも、なにもかもがわからない。でも、なにもわからなくてもいい。それでも生きていたい。大切な人と。


 深い雄叫びをあげて、地面を踏みしめた。

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